昭和元年(当時柳井商業学校)校友会庭球部の一部より「卓球部」設置の声が起り、今日隆々発展の一途にある本校卓球部の、誕生をここにたずねることが出来る。もとより当初数年は所詮ピンポンの同好者の集りであったものが、昭和5年に至り、始めて柳商卓球部として、内外共に認めるチームを編成し、球界にデビューした。『栴檀は双葉より何とか」と云う言葉もあるが、本校が昭和5年卓球部の編成を見て間もなく既に県下中学校大会に於て優勝の記録を残し、爾来年経る毎にその技能の洗練と、精神の涵養の深さを加え、県下はもとより県外にまで卓球柳商の名を馳せるに至った。
然し此の赫々たる戦跡も、今に見る栄誉の伝統も決して一日に築かれ得たものでなく、蓋し『天才は努力なり』の言葉に示す如く、栄冠の陰には、想像以上の錬磨と忍耐の、精進の日々があったのである。
本校卓球部の伝統を高く築いた要因として忘るべからざるは、田舛彦介選手の存在であろう。現在第一戦から退いてはおられるが、衆知の如く、よりよき後進の指導者として、口夜斯道に研鎖して居られる。誠に田舛彦介選手の存在は本校卓球、ひいては柳井の卓球に得難き至宝と云うべきである。又、揺藍時の卓球部長(本校職員)の努力もあるものと思う。何時の時にも、卓球は校内において、その勝ち得た成績程、理解されなかった。従ってある時は廊下に台を出して人知れざる悪条件下に練習を積んだこともあったし、放課後の特別教室を片付けて臥薪嘗胆の練磨を続けたこともあった。そのような環境にあって歴代部長のなし通された忍苦と砕心の指導が、今にして優秀なる先輩選手を生みえたものと、感慨一入深いものがある。
敗戦後、本校に於ては、幸いに理解と協力を得、昔に見ない多数の卓球台を講堂に据えて、連日寒暑にもめげず、練習に努め、多数のファンの激励もあって選手は一応何の心労もなく、練習に邁進できる状態になったのであるが、選手一同の胸の中には、常に抜苦、而して今日あらしめてくれた先輩の心を心とする気分が不知不識の中に培われている。従って在学時代に涵養された協力の精神は、ひいては先輩後輩のいつまでも変らざる親和の心につながり自分の愛児にも等しき卓球部員に、手をとって、指導している姿を度々見受け、胸打つ想いを抱かせられるのである。
「翠が丘 七十年のあゆみ」より抜粋
柳井商業卓球部の歴史
・昭和57:国体 男子団体(兼森高志、井上寿)出場
女子団体(合頭由美恵、大下芳江)出場
高校選手権
男子団体(中沢一彦、兼森高志、井上寿、薬師宏一、島津直樹、弘友茂
中林照行)出場
女子団体(合頭由美恵、大下芳江、小林まり、末盛久美子、三戸正代
上野智誉美)出場
単:兼森高志、中沢一彦、弘友茂、島津直樹、大下芳江、小林まり、合頭由美恵出場
複:中沢一彦・井上寿、小林まり・末盛久美子出場
全日本ジユニア
単:佐藤功、冨嶋一秀、上野智誉美、三戸正代出場
全日本一般
単:小林まり出場
・昭和58:国体 女子団体(三戸正代、角田理恵、上野智誉美、弘中礼子)出場
高校選手権
男子団体(中林照行、末延雅一、岡崎靖憲、佐藤功、冨嶋一秀
中野宙則、高橋克就)出場
女子団体(角田理恵、上野智誉美、中井純子、三戸正代、弘中礼子
山口淳子、福田佳子)出場
単:高橋克就、末延雅一、山口淳子、上野智誉美、中井純子出場
複:岡崎靖憲・中林照行、上野智誉美・中井純子、三戸正代・角田理恵出場
全日本一般
単:間鍋真二、冨嶋一秀、山本涼子、福田佳子出場
複:三戸正代・角田理恵出場
・昭和59:国体 男子団体(武居昭光、小松茂明、中野宙則)8位
女子団体(武居範子、山本涼子)出場
高校選手権
男子団体(中野宙則、冨嶋一秀、武居昭光、小松茂明、問鍋真二、谷川勝
竹原田勝人)3位
女子団体(福田佳子、新谷雅子、山本涼子、武居範子、広戸直子、岡村雅美
藤井美智子)出場
単:間鍋真二、中野宙則、小松茂明、冨嶋一秀、山本涼子、福田佳子出場
複:冨嶋一秀・武居昭光、福田佳子・広戸直子出場
全日本ジユニア
単:大畠辰己、伊藤英樹出場
・昭和60:国体 女子団体(山本涼子、岡村雅美、広戸直子)出場
高校選手権
男子団体(谷川聡、伊藤英樹、田上信弘、大畠辰己、中村賢二、谷野健一
佐々木勝生)出場
女子団体(山本涼子、武居範子、広戸直子、岡村雅美、杉野美代子、永末まゆみ
磯部里恵)出場
単:谷川聡、伊籐英樹、田上信弘、山本涼子、岡村雅美、竹居範子出場
複:谷川聡・田上信弘、佐々木勝生・谷野健一、広戸直子・岡村雅美出場
全日本ジユニア
単:岡村雅美、広戸直子出場
・昭和61:国体 男子団体(谷野健一、梁井直太)出場
女子団体(広戸直子、永末まゆみ、岡村雅美、前川直子)出場
高校選手権
男子団体(谷野健一、松重康浩、中本昌幸、梁井直太、平本学、三宅慶広
中野敏治)出場
女子団体(広戸直子、岡村雅美、磯部里恵、永末まゆみ、杉野美代子、前川直子
曽根由美子)出場
単:松重康浩、谷野健一、藤井美智子、永末まゆみ、杉野美代子、曽根由美子
岡村雅美、岩本和子、兼吉晴美、広戸直子出場
複:中本昌幸・平本学、松重康浩・三宅慶広
広戸直子・岡村雅美、磯部里恵・前川直子出場
全日本ジユニア
単:中野敏治、三宅慶広出場
全日本一般
単:広戸直子、岡村雅美、永末まゆみ出場
・昭和62:国体 男子団体(三宅慶広)出場
女子団体(谷川佳子、福島志津枝、兼吉晴美、古川順子)出場
高校選手権
女子団体(谷川佳子、福島志津枝、吉永伸子、兼吉晴美、古川順子、大前明美
中島恭子)出場
単:三宅慶広、谷川佳子、兼吉晴美出場
複:三宅慶広・藤坂哲也、谷川佳子・福島志津枝出場
全日本ジユニア
単:松浦真吾、兼吉晴美、三好雪絵出場
全日本一般
単:谷川佳子、福島志津枝出場
複:福島志津枝・谷川佳子出場
・昭和63:国体 男子団体(松浦真吾)出場
女子団体(兼吉晴美、古川順子、三好雪絵)出場
高校選手権
男子団体(松浦真吾、原田国博、竹里公伸、重政和樹、上田将祐、池本武志
山本陽)出場
女子団体(兼吉晴美、古川順子、三好雪絵、佐藤顕子、中島恭子、大前明美
吉永初恵)出場
単:兼吉晴美、古川順子出場
複:松浦真吾・竹里公伸、古川順子・中島恭子、兼吉晴美・大前明美出場
全日本一般
単:兼吉晴美、古川順子、三好雪絵出場
複:兼吉晴美・大前明美出場
・平成元:高校選手権
男子団体(池本武志、山本陽、重政和樹、上田将和、有馬康仁、藤岡茂幸
山本和佳)出場
女子団体(津野田紀子、背戸小津紀、井川貴美子、見常靖子、岡村貴子
内村恵美、岡田理恵)出場
単:上田将和、重政和樹、有馬康仁、背戸小津紀、見常靖子出場
複:上田将和・藤岡茂幸出場
卓球部活躍の歩み
凡例:<大会名〉
国体 ・… …・ 国民体育大会
高校選手権…全国高等学校総合体育大会
全日本………全日本卓球選手権大会
・昭和12年
田舛彦介選手が柳商始めての個人戦県下中等球界NO.1になり、全国卓球選手権に出場。
柳商は昭和10年以後大活躍したが、その全盛時代の主なるメンバーは次の通りである。
第17期生 田舛彦介 守重卓二 第18期生 志熊正男 岡沢 実
第19期生 広実鐶太郎 一柳利市 第20期生 増本定治 伊藤 等(故人) 伊藤 裕
第21期生 沖堀愛三 志熊睦生 第22期生 梶原敬民 松田敏男 杉本伊佐雄 太田信生
第24期生 光田利之
戦争突入により卓球部活動中断
・昭和24:国体 男子出場
・昭和25:国体 女子優勝
・昭和26:西日本高校卓球選手権大会で団体優勝
(平岡 博 栗河益男 田舛吉二 秋元哲也)
高校選手権 男子単優勝 田舛吉二
国体 女子優勝
・昭和27:国体 女子3位
・昭和28:国体 男子3位、女子3位
高校選手権
男子団体出場
単:玉本俊郎2位、末広陸男・三好二郎出場
複:玉本俊郎・宗藤和夫、末広陸男・三好二郎出場
・昭和29:国体 女子3位
高校選手権
男子団体出場
単:玉本俊郎、宗藤和夫、末広陸男出場
複:玉本俊郎・宗藤和夫出場
・昭和30:国体 男子2位
高校選手権
単:玉本俊郎・末広陸男出場
複:玉本俊郎・宗藤和夫出場
(昭和9年)
(長棟賢明選手)
(昭和47年卓球部員)