無限に広がる黒天幕。

撒き散らされた瞬く無数の星々。

遥か昔、遠く離れた何処かで、その輝きを放った星達でさえ、

けして無常の理から逃れることを許されないというのに。

天壌無窮のこの宇宙の塵芥から切り取られたワンシーンに

絶え間なく聞こえる夜想曲は、手におえぬ運命に翻弄されるが如くに、

知らぬ場所へと運ばれゆく、闇にさざめく波の音。

黒々と滑るように鈍く光る岩肌には幾度となく波頭があたり、

水泡となっては儚く四方に砕け散り

そしてまた立ちあがる。

 

太古の昔より繰り返されてきた、変わることなき所業。

その岩に腰掛けて、ひとり空を見上げて唄を歌う人魚のことなど、

いったい誰が覚えているのだろうか

星達が瞬きをする間に忘れ去られてしまう

きっと・・・

 

 

 

人魚燈

                                   

 

 

満月の夜

穏やかに、そして優しく子守唄を歌ってくれる海の懐で、

まだ見ぬ世界に思いを馳せる人魚セフィール。

まるで月のパウダーを降りかけたように銀色に輝く長く波打つ髪。

深い海の色を閉じ込めたような紺碧の瞳。

月明かりにくっきりと水面に写しだされた華奢なシルエットが

ゆらゆらと水面に揺れる

そして優しく微笑む口元からは、甘くせつない唄が流れている。

セイレーン

繰り返す波の音よ

あのひとに伝えておくれ

 

貴方がいなければ

瞬く星も渡る風も

切ない思いもただそれだけだと

 

 

なにも思い悩むことなく

平和に楽しく過ごした日々

さんごの海でかくれんぼ

深海の魚達とおにごっこ

難破船を探検したり、どこまでも泳いだり。

波は、くまなく世界中を巡り、

始終セフィールに楽しい話

悲しい話、不思議な話、怖い話

けして尽きることなく聞かせてくれる。

たまには、見たこともないような心踊るプレゼントを

運んできてくれたりもする。

でも今ではそんな日常が幻のように

思えてくる

 

時は刻々と移ろいゆく

成長した心はすでに目覚め

いつしか話を聞くだけでは物足りなくなり

いままでの守られていた世界から飛び出したくなる

何もかもを実際に自分の目で確かめ、触れたくなる

いつでも・・・

だれでも・・・

きっと、そう願う

 

そして、心は翼をもって羽ばたき始める。

自由を求め、夢を求め

愛するものを求め

ただ純粋に

何もかもをこの手に掴めると信じて

 

トビウオのように

キラキラと水面に月明かりを散らばらせながら

力強く泳ぎわたってゆく人魚セフィール

目に見えぬ定めという糸に手繰り寄せられるように

心をときめかせながら未知の世界への

扉をくぐりぬけていく

 

 

 

 

あれから幾年

見るもの、ふれるものすべてに

心ときめかせた季節はいつしか過ぎ去り

未知の世界を知る度に磨り減っていく夢と希望

あまりにも無防備なこころに

吹きつける現実のかぜはあまりにも辛く

 

目に見えていながら、それでも否定する頑なな心

それを認めても

利用することにしか存在価値を見出せない狭量な心

そんな出来事に出会うたび 人知れず流した幾筋もの涙

人間が人魚の姿に近いという理由だけで、気持も通じ合うと

勝手に思い込んでいたあの頃が不思議

皮肉にも、あんなに心ときめかせた人間に

今ではこわくて近づくことも出来ない

 

いっそ海底深く身を沈めて

平和で心地よい時間を

貪り続けていられればいいのに

いつまでも捨てきれずにいる

このシャボンの泡のように

儚い希望さえ手放してしまえれば

なにも思い悩むことなど無くなるのに

 

時折そんなことに思考を飛ばしつつ

セフィールは身をくゆらせ水中を潜っていく

蒼い空間に遥か頭上より届いている細やかな光が

見事な幾何学模様を描き

底では様々な魚たちの群れが何十にも渦まき

無数の水泡が立ち昇る

まるで万華鏡を覗くようなそんな異空間に

待ちわびたように訪れた奇蹟は

セフィールの心の一番奥の部屋を

春風の軽さでノックした

 

岩間より垣間見たその姿は紛れもなく人間のそれで

びくっと、すぐさま岩陰に隠れながら

覗きこむセフィールの瞳に映った姿に

鼓動が高鳴る

 

「やあ、セフィール 何してんだい?」

予期せずに後方から掛かった声に飛びあがる

友達のイルカ ピピだ

「・・・あそこに人間がいるの」

前方を指差しながらそう言うと

ピピは意外な返事を返した。

「彼かい?彼なら知ってるよ」

「え!?」

 

海の生き物はとても用心深い

譬え人間の姿を見つけても

不用意に近づく事などまず無いのに

ピピは目の前に見える人間をまるで

永年の友達のように語る

「彼は三万光年離れた星からきたプラグレス星人

なんだ。この星の生態系を調べるためにここに来たんだって

僕も最初は近づかったんだけど、彼はなんと超音波で

話が出来るんだ  正直驚いたよ でもけっこういいやつだよ

ねえ、セフィール 紹介するから君も一緒に行こうよ 」

「でも・・・」

 

人間にはもう二度と近づくことはよそうと心に固く誓いながらも

正直 人間ではないと聞き少しがっかりした。

でもそれ以上に思いがけない出会いの予感を感じ

警戒心と興味心の狭間でセフィールの心は激しく揺れた。

そして、彼女がわざわざその結論を出す前に

向こうからその答えがやってきた。

 

「やあ、はじめまして セフィールだね どうぞよろしく」

いつのまにか銀色に輝く髪を水流に遊ばせ 涼しげな目をした

青年が目の前にたち 右手を差し出していた。

セフィールは耳にではなく意識の深いところに響く心地よい

その声に素直に反応し その手を握り返していた。

そんな様子を嬉しそうに見ていたピピが異星人を

鼻先でつつきながら言った

「地球では自分が先に名乗らなきゃ、ノア」

「あ、そうなんだ」

とちょっと驚いて微笑んだ。

 

「わたしはここよりも少しばかり文化が進んだ星

プラグレス星から重大な任務をひき受けてやって来ました

どの星も文明が進み文化や医学が発達してくると様々なところに行き詰まりが

見えてくる たとえば環境問題 食糧問題 精神的問題

ようやくこの星も今世紀に入り科学の発達とともに便利になった代償に

犠牲にしてきたかけがえのない貴重なもの達に気付き始め

ようやく遅まきながらうごきだしたようです でも

他の生物が自分の持分を充分わきまえ、大切にしてきた

その生態系を破壊した人類の罪は大きい

しかし、それはどの星であっても決してありえないことではないし

星ぼしの成長段階として一度は通らねばならない道だと理解しています

そして、わたし達の星はこの地球のように限界を感じつつある星の

データーを集め、力を貸すのを任務としているんですよ」 

とノアは含めるように言った

 

セフィールはその話しを聞きながら 危惧していた日々の不安が

よみがえってきた。

海の水は僅かづつだが 年々透明度を減らし 人間の捨てたごみが

深海にも流れ着き それを間違って飲み込んだ仲間たちが

危ない状態に陥る事はけっして珍しくなかった。

海の上に上がっても空気が薄く感じられるときがあった。

なによりも悲しかったのは 人々の貧しい心だった。

目の前の利益のことしか頭に無いような がつがつとしたその目

自分のこと意外は信じられなくなっているような荒んだ心

長い間この星で共存してきた仲間として痛々しくも悲しく思っていた

そんな荒れた星を文明の進んだ異星人が治してくれると言う

喜びと安堵で胸を熱くしていると

 

「しかし・・・」

と、ノアはくぐもった声になり

「貴方ですから言いますが 実はあんまり 

良い状況ではなさそうなんです

採取した土から放射能を示す反応が出たんです」

いったん言葉が途切れ そのあと耳を疑うような

内容を告げられた

「調査の結果、このままでは他の星にまで悪い影響が出そうな場合

止む終えず 星自体を抹消させることもあるんです」

呆然とするセフィールにノアは慌てて

「でもそれはあくまで最悪の場合で そうならないように

わたしたちは最善を尽くします それは貴方がたに約束します」

といい、セフィールとピピにウィンクした

 

その日からセフィールとピピはノアが近場の調査をしているときは

一緒について回った。

さんご礁が吐き出す酸素の濃度、生態サークル

プランクトンや魚の化石、潮の流れを丹念に調べたりしていた

セフィールもノアにいくつもの質問を受け

それに的確に答えた

しかし人間について尋ねられるときだけはどうしても

答えがあいまいになった

それは絶望しながらも何処かで信じたいと思う

彼女の心の葛藤からくるものだった

 

 

 

 

<つづく>

 

 


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人魚のイメージ絵はkakotaroさんに頂きました。

ありがとうございま〜す♪