+++ *ビー玉* +++

Finding Happiness in your Life

第一                

少女の頃、確かに心の中を占領していた美しい宝物があった。 きっとそれは、その年頃ならあたりまえに憧れるであろうビーズ(歌手ではなく・・)やリボン、 レースの飾りといった色とりどりの"こまごました物"だったと思っていた。 しかし、色褪せはじめた過去のページを開いていくうちにもっと素晴らしい宝物が あったことを思い出してきた。

第二     畑             

 私が生まれ育った家は名古屋近郊の繊維と七夕で有名な町にある。
幼い頃、よく母が「以前はこの辺りもほとんど建物がなくて遠くまでよく見えたんだよ」 と言っていたが、その頃でも充分田舎で家の三方が畑だった。 今ではあちらこちらにマンションや立派な家が立ち並び、畑といえば 左隣にだいぶ切り売りされた畑がこじんまりあるだけになってしまった。

第三     魔法           

その頃、畑には朝早くから5,60歳くらいのご夫婦が来ては土を耕したり
育った作物が倒れないように支柱を立てたりとせわしなく働いていた。
 畑の脇には今では珍しくなった?肥溜めがあり(たまに慌てた子供がはまる)
それをまいたあと2,3日は臭いに閉口した。が、、そのお陰か見た感じではそう肥えた
土壌でもなさそうなのに次々と作物が実ってよくお裾分けも頂いた。

第四     童謡

 実はそこに美しいものが溢れていた。 私が特に好きなのは冷たく張り詰めていた空気が幾分か和らぎ暖かくなってきた。 薄明かりの夜。黄色い菜の花が月の光に照らされますます金色に輝き、そよ風に 揺れてどこからともなくかすかに春の甘いの薫りが漂っている。 ・・・そんな光景を見たとき、今にもかぐや姫にでも会えそうな気がして立尽くした。 それと同時に岡野貞一だったか「♪菜のは〜な畑ぇに入ぃり〜日薄れ〜」の名曲、朧月夜を作った人はすごい!!と心の底から感動したのだった。

第五     芋の葉   

 芋(里芋)の葉と云えばうちわの様に大きくて広く、少し中心が窪んでいる形から
よく傘にされたりお面にされたりするのだが私はその葉っぱの中にたまる水滴がたまらなく好きだった。 今でも宝石のような高価なものには関心がないがこの時もこれ以上のものはないと思った。 確か葉が茂っていたのは梅雨明けの頃で、立ち昇る蒸気を感じながら、スカッと晴れ渡った青空と みずみずしい日差し、少しの砂粒を含んだその宝石が滑らかな葉の表面を滑り落ちるのを厭きもせず 見ていた。

第六     花            

私の独断と偏見から言えば花と言っても大きく2つに分かれると思う。
ひとつはバラやパンジーなど普通、花屋さんで売られているはなやかな華。 もうひとつは蓮華草やスミレなど道端に咲いている花。野菜の花は後者だが どうもギャグに走っている。葱坊主などその典型だが豆の花も相当可笑しい。 当たり前のことだがあのナスが花を咲かせることがとても意外に思えたし人参の花は愛らしかった。

第七     近所            

大体、普段は家から内径500mぐらいで遊んだ。ハラハラしながら?人の垣根の木苺や山吹の花を摘んだのも、
川口探検隊の隊長になり一人、道に飛び出して車にぶつかったのも、工事中の砂山に登って 友達と自分たちで作った歌(キャンディズの”春一番”に似ていた・・)を大声で歌ったのも れんげを編んだり、基地を作ったり、お金を拾ったりしたのもここだ。 思いっきり遊んで、お腹を空かせて、少し切なくなって、友達の顔がオレンジ色になって、空一面がオレンジ色に染まって "あぁーあ、何で一日ってこんなに短いんだろう”って思えたあの頃・・あの充実感も宝物?

第八     溝川   

"どぶ"と言えばザリガニ取りのメッカだ。一括りにザリガニと言っても奥が深い。 体の大きさやはさみの形などで見分けるらしいが結局、習得できなかった。 食べられるかどうかも話題になったし”○○君が食べたら海老みたいに美味しかったと言っていた”
と言ううわさも聞いた。こんな生き物も棲む"どぶ"だが偶に水面に七色の膜が張っている時があった。 石鹸水によるものか、はたまた油か知れないが迂闊にも、とても得した気分になった私っていったい・・・ 付け加えれば、ザリガニと一緒に捕獲したかえるの卵は何とも云えない雰囲気を持っている・・・

第九     田植え            

何年生の頃か覚えがないが幾度か親戚の田んぼに家族で田植えの手伝いに行ったことがある。
道路脇の竹薮の中をずんずんずんずん入っていくと目の前に一面に水を張った広々とした田んぼが広がっていた。
好奇心でわくわくしながら裸足になり泥の中に足を突っ込むとぬるぬるグニュニュ・・くすぐったいような気持ちがいいような感じ。 おたまじゃくしが忙しそうに行き来し、たまにタニシが顔を出す。油断をするとすぐに腹ごしらえしによって来る吸血妖怪ヒル にもひるまず、「大きくなってね。」と心の中で思いながら夢中で一本一本泥の中に挿してゆくのは至福のひとときだ (でもこれは遊び半分でやっているから云えることなのだろうな。)腰を伸ばして一面に敷かれた緑色の絨毯を目にした時の 感動は忘れないだろう。あの青々とした竹の匂いと一緒に・・・

第十     蛍           

子供時代の私にとっては蛍は幻の生物(ポケモン?)だった。なかなかヘイそれとお目に罹れず、まだクワガタの方が どれだけ身近に感じたことか。ある日母の会社の友人でボーイスカウトに力を入れてる人から私達は蛍見物ツアー (と言ってもその人と母と弟と私の4人だが)に招待された。もう天にも昇らんほど嬉しかった。車で2時間ほど 走り続けて着いた所は民家の外れの割と大きな川の土手だった。早速弟と暗くなった道に駆出しながら目で暗闇を追った。 始めはなかなか分らなかった。そのうち水の流れの辺りに緑色にボーっと浮かんでは消える光を見つけた。それに答える かのように木の茂みの辺りや、橋の下やいたる所で青く細く線を引きながら飛び交う蛍を見た。ただただ美しかった。 こちらに来てからは割と手軽に蛍を観賞できるので有り難味が薄れたがそれでも夏が始まる前の風物詩として これを見ないことには落ち着かないのだ。

第十一     七夕祭り           

待ちに待った夏休みになるとやって来るのが一大イベント行事"七夕祭り"。もうこれの素晴らしいことと言ったら ・・まず夜店が軒を連ねる真清田神社でりんご飴や綿飴、威勢のいいイカ焼き屋のお兄ちゃんを横目で見ながら漫ろ歩く。 次にアーケードを開け放った商店街に目をやれば頭上高くに設えられたからくり舞台(織姫に彦星、その年どしに人気のあった キャラがくるくる廻っている)が50歩ほど歩くたびに登場する。その他の頭上空間を埋めるのは、まるでキャバレーの呼び込みと 化した巨大ダコのような七夕飾り。(ちょっと表現が悪いかも・・)金色、銀色、赤や青、緑の煌くような帯が夜風にさやさや揺れている。 そして見上げれば空には満点の星と心地よい風、この喜びを味わうために一週間近く毎日、浴衣に自転車とゆういでたちで20分かけて通うのだった。

第十二      星   

それは突然の出来事だった。急に星が恐ろしく思えてきたのだ。と言うより一生夜道は歩けないと思えるほどの強迫観念に駆られたことがある。 どうしても夜、外に出なくては為らない時はアスファルトをじっと見詰めて決して顔を上げないようにした。 今思えば実に不思議なのだが原因はその頃よく家にあった「星・宇宙大百科」なる物を読んでいたし学校でも丁度その授業を受けていた頃だったからだと思う。 その果てしないテーマのページをめくるとそこには太陽系惑星の他にアンドロメダ星雲、不気味なガスの塊のM16、ブラックホール、その中でも 一番驚異を感じたのがほうき星(彗星)の存在だった。”魔女の箒とも呼ばれこれが姿を現すと飢饉や自然災害などが起きると恐れられていた”と言う記述が空を飛ぶ魔女の絵に添えられていた。 その頃の私にはきっと天変地揺よりも魔女にさらわれるのではないかと言った恐怖心の方が勝っていたのは確かだった。でもこの恐怖は1週間も続かなかった。

第十三     セミ

子供の頃は季節の移り変わりを肌で感じることが出来た。風鈴の涼やかな音色、網戸から吹き込む一陣の風、わらび餅売りのよく透る声。 でもなんと言っても夏の風物は蚊帳とセミの羽化だ。何を隠そう私の父は脱皮寸前ゼミ捕獲のプロであった。夜になると連れ立って車でちょっとの 距離の"穴場"へ出かける。懐中電灯で地面を照らしながら土に細い棒切れをあてがいながら探す。 私や弟は目を皿のようにして探すのだがなかなか見っけられない。そのうちに父が5,6匹もって現れる。 それを家に持って帰り蚊帳の側面に貼り付け、夜通し羽化を観察するのだ。あの透き通る美しい羽は何度見ても感動ものだ。 しかし朝になり"ジィ〜ジィ〜"とうるさく鳴かれるのには絶えられないので、目覚めるとすぐ外に放り出していた。 …これは余談ですが皆さん急に蚊帳の上で眠ってみたいと思った事はありませんか?私はみんなが寝ている真夜中にそれを実践したので非難轟々でした。それ以来蚊帳は出してもらえなくなりました。 チャンチャン。

第十四     路           

家の前の道がいつ頃からアスファルトに舗装されたかは覚えていない。車一台がやっと通れるほどの狭い道だ。したがって 住んでいる人達の他はめったに誰も通らない。そんなだから子供たちの使いたい放題だった。チョークで案山子を書いてケンケンをしたり、電柱に輪ゴムを長く繋げたのを結びつけ、 ゴム跳びをしたり、ドッチボールや竹馬やおはじきなどをした。そんな中でも一番印象に残っているのは上級生のお兄さん達が時折開いていた(今で言う)フリーマーケットだ。 お小遣いが無くなった時の常套手段なんだろう。色々な物が並んだ。その頃、はやっていた野球チームのバッチ、カード、読み終えた本、 帽子、変わったところでは蛇も… これが思うより繁盛していた。おまけしてくれて売り方が上手いのもあるが上級生に対する憧れがそうさせたのかもしれない。とにかく下級生はなんでも真似したがる。 そしてその後の行動が天晴れだった。下級生をみんなひきつれて駄菓子屋に行き、売上をすべて花火に換えた。それから盛大に花火大会だ。 自分達だけでは普段怖くて出来ない打ち上げ花火も見事にやってのける上級生に皆尊敬の眼差しを送るのだった。

第十五     十五夜           

私は個人的に一年で一番ロマンチックな日だと思うのが十五夜です。夏のお祭り騒ぎも終わり、庭では虫たちが涼やかな歌声を聞かせてくれる頃 私はよく母に頼まれて友達と近くの川までススキを探しにいきました。持って帰ると、母が知合いの家からもらってきた淡い紫色の萩の花と一緒に 大きな花瓶に生けてくれます。そして傍には山のように盛られた里芋、サツマイモ、お団子。 それらをお月様が一番よく見える窓辺のテーブルに置きます。それからは何度も何度もお月様が食べに来てくれてるか偵察にいきます。 最後にはそこにお布団を持ってきて夜通し待ってる時もありました。お月様が食べる筈のお芋を幾つも食べながら…

第十六     栗拾い

これは楽しいです。人生の醍醐味です。柿ノ木がたわわに実をつけている山道に差し掛かると目的地はもうすぐ。 栗拾いにはいつも岐阜の山奥に行ってたんですがそこに行くとまずチケットと拾った栗を入れる籠を貰います。あの見ているだけでも痛そうな イガの中から苦労して取った栗を食べるのは、苦労を乗り越えてこそ知る事が出来る人生の甘露の味にも似ている。 なんて、私それほど苦労していませんm(._.)m ペコッ。 まずは叔父さんについて栗拾い開始。棒や足を使ってイガの中からクルリン栗の実を取り出します。これが結構虫食いのも多いので一苦労。 でもどうにか籠も一杯になると七輪のあるテーブルに移動します。券をおばちゃんのところに持っていくとそこで栽培した肉厚のしいたけとアツアツの栗ご飯をもってきてくれます。 七輪の上で取ってきた栗としいたけをよ〜く焼いて生姜醤油で食べるのは格別美味しかった。秋特有の天高く抜けるような空と澄んだ空気 も最高のスパイスになってたんですよね。

第十七    木枯らし         

稲刈りが済んだ田んぼには竹を巧みに組んだ竿に藁が規則正しく干されている。 当たり一面ががらんとしてる割にはどことなく充実感が漲り詰まった感じがする。こんな思いを抱くのは子供心に大地の恵の暖かさと 農家の人の誠実な日々の仕事に心が満たされたからなのかもしれない。ところで一年の仕事を終えた田んぼは子供たちの絶好の遊び場だ。 缶けり、泥巡、鬼ごっこ。いつものように遊んでいるといつのまにか子犬が一匹ついて来る。捨て犬だ。抱きかかえて飼ってもらえる所を探しても なかなか見つからない。仕方なく藁と板で犬小屋をこさえて心配しながら帰ったっけな。翌日にめでたく子犬の引き取り先が決まった時にはその人が神様に思えたっけな。

第十八     雪やこんこん             

この辺りは岐阜に近いせいか息吹山から吹く風「息吹おろし」のせいで結構寒い。 でも雪が降る事はほとんど無く、せいぜい積もっても2月に2,3日残る位の量が降るだけだ。だからその日がとってもとっても待ち遠しい。 朝母が「今日は雪が積もったよ〜」と云おうもんならいくらお寝坊なわたし達姉弟でもガバッと飛び起きて窓の所に走って行った。 (何回か引っ掛かったこともあったけど…)すぐに着替えて雪ダマを作り雪合戦したり、雪だるまやかまくら(稀に)作ったりしましたねえ。 でもこれってまあ、ありきたり。私がして面白かったことナンバーワン。それはかき氷屋さん。寒がりだけど何か作って食べてもらうことに 快感を覚えていた当時の私は横着にも勉強部屋の窓で、夏に残ったシロップを使ってかき氷屋さんをしていました。もちろん氷はお客さんに 庭から取ってきてもらって。結構好評だったんですが、後日雪はあまり綺麗じゃないと聞き、ちょっと心配になったりしました。気付くの遅いっちゅーの!(笑) 

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