特別編「日陰靄四郎外伝隠密紀行U」

 

 

靄四郎の探索は行き詰まっていた。

山田彦太郎同心の行方は分からず、

密貿易の黒幕の手がかりの糸口さえも掴めなかった。

靄四郎は焦りを感じ始めていた。

 

(そうだ、鞘師長右衛門殿に会いに行こう。

 手がかりはなくともあのご老人と話しをするだけでもよい。)

 

都合良く、鞘師長右衛門は在宅していた。

靄四郎は茶のもてなしを受け、名刀談義に花が咲いた。

話題が途切れたところで

 

「そう言えば、山田さんは甘いものが好きな人でしたなぁ。」

 

と長右衛門老人が話し始めた。

中でも黒飴が好物でよく土産だといって買ってきたとのこと。

「黒飴ですか。」

「さよう、菱屋の黒飴といってこの辺では評判の店です。

 山田さんはそこへよく通っていたそうです。」

「そうですか、何か手がかりがあるかもしれません。

 これから行ってみます。ありがとうございました。」

 

菱屋は鍛冶屋町からほど近い小間物町の中ほどに店を構えていた。

店に入り、主人夫婦に山田彦太郎同心の似顔絵を示した。

靄四郎は幼き頃から絵に親しんでいたため特徴を聞いて自分で描いたものである。

主人夫婦には心当たりがなかったが、

売り子の小女”おさき”が見知っていた。

 

「このお人でしたら、三日に空けずいらしていました。」

 

おさきは靄四郎に対して猜疑的な目で受け答えしていたが、

何かを知っていると靄四郎は感じた。

そのため、思いきっておさきだけに隠密同心の証しである

浅黄房紐の六角十手を見せてお上の御用であると告げた。

おさきはその意を呑み込むと靄四郎を自分が住み込みの部屋へ案内した。

おさきは行李の奥から小さな紙包みを取り出して靄四郎に手渡した。

 

「これを、あのお客さんが私に預けたのです。

 今からひと一月ぐらい前でした。

 すぐに取りに来ると思ったのですが

 それっきりになってしまったので

 あたし、何だか怖くて。」

 

靄四郎に手渡された紙包みは蝋で封がしてあった。

包みを開けると、薬包と小さな薄い板が入っていた。

包み紙の内側には、”二十日亥の刻丸二屋”と記されていた。

   

「おさきさん、おまえさんはもう何も心配しないでいいんだよ。

 これは私が預かっておこう。

 これを預けた人は悪い人ではないんだよ。

 私の友達なんだけど行方不明になってしまったので

 探しているんだよ。

 他に何か心あたりないかな?」

「そう言えば、その包みを私に預けた時はひどく急いでいました。

 女の人が外で待っていたと思います。」

「それはどんな女だい?」

「綺麗な人で、若くはないんですけど品のある...

 そうだ、確か薬種問屋丸二屋さんの後添えのお内儀です。」

「そうかい、おさきさん、ありがとうよ。」

 

そういって、靄四郎は菱屋を後にした。

靄四郎が菱屋を出た時に人が小路に隠れる気配がした。

靄四郎はそ知らぬ顔をして宿へと帰って行った。

 

靄四郎は宿へ着くと早めに酒飯をしたためた。

酒飯を済ますと、燭台を引き寄せて例の包み紙を開いた。

薬包をひらくとなかから阿片が出てきた。

小さな薄い板は奇妙な紋様が描かれており、二つに割られた一片のようであった。

 

(二十日亥の刻丸二屋、 今日は二十日だ...)

 

そうつぶやくと、靄四郎は一眠りすることにした。

 

亥の刻

靄四郎は薬種問屋丸二屋を見張っていた。

薬種問屋の裏手は運河に面していて小船が着けられる。

四ツ半になると、静かに小船が近づいてきた。

その小船から行灯が揺らされると岸からも行灯がこれに応えた。

やがて小船が岸に着けられて積荷が幾つも運びこまれた。

薬種の荷揚げにしては妙な時間であり怪しい限りである。

靄四郎の目にはご禁制の取引と映った。

おそらくあの変わった紋様の板は割符として使われていたのであろう。

そして毎月二十日にご禁制の品が薬種問屋丸二屋へ運び込まれるのに違いない。

すると、密貿易の黒幕は丸二屋のあるじなのか。

一部始終を見届けると靄四郎は眠そうな目を擦りつつ宿へと引き上げて行った。

ところが途中、犬の尻尾を踏んで怒った犬に追いかけられる靄四郎であった。

 

(ふふふ...)

これを陰から見ていた黒装束の者がいた。

悪戯っぽい大きな黒い目が笑っている。これは一体何者なのか?

 

靄四郎が目を覚ましたのは昼過ぎであった。

客が来たとのことで宿女中に起されたのである。

会ってみると宿場外れの茶店の親爺であった。

旅の武士に頼まれて靄四郎を呼び出しに来たのであった。

手紙の差出人には”巳鶴”の二文字がしたためてあり

茶店の親爺の案内で急ぎ来るようにとの内容であった。

 

(巳鶴殿が大阪へ...)

 

靄四郎は急ぎ親爺を伴って宿を後にした。

 

小さな茶屋の小二階で靄四郎を待っていたのは、

北町奉行所同心畠山巳鶴と見なれない武士であった。

 

「巳鶴殿、まだそんな格好をしているのですか。

 私があれほど言ったのにまだ奉行所を辞めていないのですか。」

「私はそんな話しをしにきたのではない。」

 

畠山巳鶴はわざとぞんざいな口調で応えた。

 

「私はお奉行の命でここへ来たのだ。」

 

隣の武士の手前もあるので靄四郎はこの話しは打ち切ることにした。

 

「ところで、そちらの方はどなたですか?」

「はい、申し遅れましたが、拙者は名和元四郎と申す者です。」

「ほ、ではあなたが名和殿でしたか。」

「拙者をご存知ですか。」と訝しがる元四郎。

「はい、先年の御前試合で優勝を...」

「ああ、そうでしたか。あなたも出ておられたのですね。」

「一度じっくりとお話をしてみたいと思っておりました。」

「いえいえ、私の話など何の役にもたちませんよ。」

「あのぉ、そろそろ本題に入りたいのですが...」

 

畠山同心が焦れて二人の会話に割って入った。

 

畠山同心がもたらした報告により次のことが新たに分かった。

行方不明になった山田彦太郎同心は抜け荷の現場を掴んで

その証拠を手に入れるためにひとつの賭けをした。

つまり、相手の懐に飛びこむための潜入工作をしていた。

そのために下っ引きの徳助を使っていた。

いよいよ潜入を開始するにあたって応援を求めるために

徳助を江戸へ差し向けたが、折悪く徳助が旅の途中で大病で寝こんでしまった。

靄四郎が大阪へ出発して十日後にようやく動けるようになったので

北町奉行所へ何とか辿り着いてこれを知らせたのであった。

靄四郎から大阪での近況を報告するにあたっては、名和元四郎の同席が憚られたが

畠山巳鶴からお奉行の信頼を受けているとの言葉を聞いて意を決した。

 

「実は私も抜け荷の現場を見ました。」

「ほぉ。」と顔を見合わせる二人。

「毎月二十日、薬種問屋丸二屋にご禁制の品を積んだ舟が着くのです。

 これがその証拠の品です。」

 

靄四郎は、山田彦太郎同心が黒飴菱屋のおさきに預けた紙包みを二人に見せた。

まぎれも無く抜け荷の証拠になると二人にも分かった。

 

「かくなるは、大阪町奉行所の手を借りて踏み込みましょう。」と畠山同心。

「いや、どうも奉行所の中に裏切り者がいるようなのです。

 まだはっきりしないのですが、今はだめです。」と靄四郎。

「ところで、山田彦太郎殿の消息はどうなりましたか。」と畠山同心。

「それが、皆目わからないのです。」と答える靄四郎。

「できれば丸二屋へ潜り込んでみたいのですが。」

「それは危険ですな。」と畠山。

「やるしかないでしょ。」と初めて名和元四郎が口を挟んだ。

「では、今夜やりましょう。」三人の意見は一致した。

 

細かな打ち合わせを済ませると、靄四郎は二人と別れた。

落ち合う九ツまでは十分に時間がある。

久しぶりに湯屋へ寄ることにした。

この湯屋は蒸風呂である。

すのこ状に張り渡した板の下から蒸気が湧きあがり

蒸された肌の垢が浮き上がるのを薄い竹べらでこそぎ落とすのである。

まだ時間が早いので靄四郎の他に客はいない。

体が蒸され汗が滴り落ちていくと、ここ数日来の疲れが一緒に流れ落ちていくようである。

(あぁ、巳鶴殿...)

靄四郎が感傷に耽っていると

いつのまに近づいたのか

「お背中を流しましょう。」

と上半身は肌かで白い薄絹を腰に巻いた若い湯女が近寄ってきた。

ちょっと見かけないあでやかな顔立ちである。

「ああ、頼むよ。」

 

靄四郎は背を女に向けて首を垂れた。

女は柔らかな指先に竹べらを掴み

片手で靄四郎の肩や脇腹を支えて背中の垢をこそげ落とし始めた。

そのうちどうしたものか、女の指が腰を回り靄四郎の逸物を握り絞めた。

(大胆なさーびすやなぁ)と思う間もなく

握り潰されそうな痛みで目の前が暗くなってしまったのであった。

靄四郎は必至の抵抗で女を振りほどき逃げ出した。

 

千切れてしまったかと思われた逸物は指の縞模様を残してそこにあった。

(ああ、よかった)と思うとへたり込んでしまった、。

靄四郎一世一代の不覚であった。

 

「お頭も酔狂が過ぎますぜ。」

「まあ、許しておくれ。」

「でも、なぜ殺さなかったんです。」

「姉上からは監視していろとのお指図だ。

 今は殺すことはない。」

ここは、大阪郊外の林の中にある農家のあばら家。

お頭と呼ばれたのは根来衆の女頭領”お蓮”である。

香具師の元締め破魔崎の伝蔵の妾のおみねの指図で靄四郎を見張っていたのである。

 

(それにしても今回はちょいと面白かった。うふふふふ...)

悪戯っぽい大きな黒い目を輝かせて笑うお蓮であった。

 

そのころ

香具師の元締め破魔崎の伝蔵が住まう奥座敷では

伝蔵がおみねの酌を受けていた。

 

「おみね、抜け荷の商売ももう潮時だな。

 こう足がついてはもういけねぇ。

 ところで丸二屋のじじいはお前を抱けるのかね。」

「お前さん、あれはもう駄目ですよ。

 まともに足腰も立ちませんさ。」

「日陰とか言う浪人が今夜あたり丸二屋へ忍び込むつもりのようだ。

 先手を打って吉五郎に押し込みをさせるから手引きを頼むぜ。

 有り金を奪って抜け荷の証拠はすべて焼き払わせる。」

「あい、分かりましたよ。ああ、そんなにしたら...」

「いいじゃねぇか。誰も来やしねぇ。」

 

子の刻九ツ

日陰靄四郎、畠山巳鶴、名和元四郎の三人が連れ立って

運河沿いの薬種問屋丸二屋へ向かった。

「靄四郎殿、なんか変。」

 

妙な、がに股歩きの靄四郎を指差して笑う畠山。

気にもかけず、抜いた剣を眺めて「加古、加古」と独り言を愉しむ名和。

 

三人が薬種問屋丸二屋へたどり着くと

不意に裏手から火の手があがった。

そして黒装束の一団が逃げ散っていくのが見えた。

三人は慌ててこれを捉えようとしたが

一人の黒装束がこれに立ち塞がった。

そして三人に向けて手裏剣を投げ打った。

 

「むむ。忍の者か。」

 

名和元四郎がこれを脇差で撥ね返した。

 

忍びの者との対峙が続いたが

半鐘が鳴り響き

町は騒然としはじめた。

すると、黒装束は不敵な笑いを残して煙のごとく消え去ってしまった。

 

翌朝

焼け跡からは、薬種問屋あるじの丸二屋と十数名の奉公人の惨殺死体が発見された。

しかし、内儀の死体は見つからなかった。

また、土蔵の中は火をかけられてすべてが灰になっていた。

金蔵の金はすべて残っていなかったので金目当ての強盗とみられた。

そして、土蔵の下からは山田彦太郎同心の絞殺体が発見された。

山田同心は、すでにひと月前に殺され埋められていたのであった。

靄四郎たちが焼け落ちた丸二屋の検分に立ち会っていると

佐々木与力の姿があった。

それはひどく落ち込んだ風に見えた。

靄四郎は思いきって声をかけた。

 

「佐々木さん、とんだことになりましたね。」

「お、俺じゃない。俺は知らない。」と怯える佐々木与力。

「やはり、そうですか。私の後をつけていてのはあなたですね。」

「いったい黒幕は誰なんです。

 こんなに大勢の人を平気で殺したのは誰なんですか?」

「そ、それは、うわぁっ。」

 

佐々木与力の背中には投げ打たれた小刀が深々と刺さった。

投げ打ったのは昨夜の黒装束の忍者お蓮であった。

逃げるお蓮を畠山と名和が追ったが捕らえることは出来なかった。

急所を刺された佐々木与力はもう虫の息であった。

「佐々木殿。しっかりされい。」

「で、でん...」

「でんでん虫がどうしたんですか?」と畠山

「違うよ、おでんを食いたいんだよ。」と名和

「二人ともちょっとあっちへ行っていてくれ。」と靄四郎

「あなたにも善性はあるでしょう。言ってください。さぁ。」

「で、でんぞう...」

佐々木与力はそう言い残して事切れてしまった。

(で・ん・ぞ・う)

靄四郎がそうつぶやいた時

人だかりの中へ身を隠す才槌頭の男が目に入った。

(そう言えば、湯屋でも見かけた、他の場所でも

 あいつがいたような気がする。)

そう気がついて追いかけたが間に合わなかった。

その特徴のある頭の男はもうどこにも見当たらなかった。

「そうかい、死んだかい。

 あれも役にはたったが金食い虫だったよ。」

「へへ、お頭も人が悪い。

 細君が労咳で苦しんでいるのに目をつけて

 阿片や薬料で釣って挙句の果てに口封じ。」

「これ三次、人聞きの悪いことを言いなさんな。

 私はれっきとした香具師の総締めなんだから。

 お頭なんて呼んじゃいけないよ。」

「へい、分かりやした。

 では、これから金子清十郎の旦那の後を追って

 江戸へ行ってきやす。」

「うむ、頼んだよ。」

男が出て行くと入れ違いに女が入ってきた。

 

「破魔崎の伝蔵ともあろうものがあんな才槌頭と

 いちゃついてちゃ嫌ですよ。」

「何を言いやがる、おみね。」

「三次はあんな木槌みてえなおでこしてやがるが

 見張りにかけちゃ一番だ。つまらないことを言うんじゃない。」

「あい、分かりましたよ。でも、今度はどこへ行かせたんです。」

「ふむ、江戸だよ。片桐仁之助っていう野郎を金子先生が斬るんで

 その見張りだよ。」

「そうかい、じゃあとうとう江戸へ進出だね。」

「ああ、お前は江戸がそんなにいいかい。」

「ええ、また行かせてもらいますよ。」

「そのときが来たらな。さあ、もそっとこっちへ来ねぇ。」

 

 

 

宿場外れの茶店の前で、靄四郎は畠山と名和の二人と別れた。

二人はこれから大和へ向かうことになっていた。

靄四郎は結局、密貿易の黒幕を追い詰めることは出来ず

”でんぞう”という手がかりだけを得て江戸へ帰ることになった。

帰ると決まれば長居は無用、早速江戸が恋しくなった。

新しい草鞋がどうもしっくりこないのでしめ直していると

あの才槌頭が目に入った。

(どうやら急ぎ足で江戸へ向かっているらしい。

 幸いこちらの姿は見られていない。

 よし、つけてみよう。 今となっては唯一の手がかりだ。)

そして、才槌頭の三次の後をつけて江戸へ帰った靄四郎は

そこで思いもかけない出来事にめぐり合うのであった。

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第三話に続く...