昭和X年2月3日宮崎県に生まれる。3歳のとき本籍地山口県に移住現在に至る
昭和37年12月宮崎のサボテン公園に旅し日南海岸の傾斜地に群植された団扇サボテンに圧倒される。後にサボテンに関わるきっかけとなった。
昭和38年9月に雑誌の広告をみてサボテンの30種組物注文する。約1ヶ月後サボテンが配達される。ダンボール箱を開けると新聞紙に包まれた可愛いサボテンが出てきた。その時の感動は今でも忘れられない。白桃扇、白妙が印象に残っている。

昭和39年4月新聞の投稿でI氏を知り、サボテンの栽培について指導をうける。
初めてサボテンの本を購入、伊藤芳夫著「サボテン−その神秘な花−」カラー写真の陣太刃丸、歌姫丸の刺、花、姿の美しさに魅了される。以後、この本がバイブルとなった。

昭和40年5月I氏につれられ日本カクタス研究所を訪問。伊藤芳夫氏を紹介され温室を見学する。温室内はまるで蓮華畑のように花サボテンが満開で目がくらむばかりであった,これを契機に花サボテンにのめりこむ。

昭和40〜50年初め頃まで花サボテンを主に収集する。収集先日本カクタス研究所、実生園、アンデス園、共生園。

昭和53年より3年間大阪に単身赴任する。この間約500種あった収集品の半数が消滅する。帰任後再び栽培を始める。

昭和60年3月会社を退職。本格的に栽培を始める。伊藤氏の後期の作出種、ソエレンシア属、トリコケレウス属等の交配種を主に収集する。この頃より交配を始める。以前、アンデス園より取り寄せた荒刃丸が生き残っていたのでこれを使って刺物の花サボテンや、また短刺球の美花サボテンは肉短毛丸を父木母木として作出する。

平成元年5月、昭和61年交配した黄裳丸×花盛丸が3年目に開花する。蕾のときよりどんな花かと心が踊ったのを今でも忘れられない。ちょうどこの年購入した湘陽丸が開花した。荒刃丸も咲いていたので湘陽丸×荒刃丸で交配。これは伊藤氏の29冊目の著書「原色花サボテン」家の光協会発行のなかにあったのを実行した,これが後々刺物花サボテンの足がかりとなった。