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草間彌生 (1929-)

アーティスト。

60年代にNYで認められ、
現在は帰国して東京都在住。

草間は厳しい家に生まれ育ち、絵を描くことだけが心の支えだったにも関わらず
父親にその自由さえ奪われてしまう。

精神のバランスを失い始めた幼少期から幻想や幻覚に悩まされるようになり、親に隠れて絵を描くようになった。

彼女の作品はふつうに奇抜な2-D、3-D作品にみえる。
が、彼女は、常に目に写る幻覚を作品にしているのだ。

次々と新しいコンセプトを掲げ、巨大なプロジェクトに取りかかるが、彼女にとって、"精力的に作品を造りつづけている"という言い方は間違っているように思える。

「作品を造っていないと自殺してしまう」
という恐怖と隣り合わせに生きている彼女は、朝起きて病院からスタジオに出向き、作品に取り組んで、夕方病院にまた帰る。

帰国して27年。
草間の病院とスタジオの往復は今だ続いている。


NAN GOLDIN (1953-)

写真家で映像家。
NY在住。

日記をつづるような感覚で友人たちとの生活を
そのまま記録した作品が注目を浴びる。

若者たちの喧噪や危険で刺激的なイメージをありのまま作品にしたアートワークは、スキャンダラスと受けとめられると同時に写真家と現実との関係を根底から問い直すものとして高く評価された。

ワシントンD.C.生まれ。
14歳で家出し、ドラッグ・クイーンと暮らし始める。

それからというもの彼女は、刺激に満ち溢れた自身の生活を一部始終記録するために写真にとりくみ始めることになる。
その後ボストン美術館附属学校(School of the Museum of Fine Arts)を卒業し、1979年にNYに移り住んでからも、身近な友人たちとの共同生活を撮り続けた。

彼女の作品のテーマは
「性」と「家族」
社会で揺れ動いているこのテーマにそって撮り続けられた彼女の写真の数々は当時の人々にショックと刺激を与えたことは言うまでもない。

それから10年余りたったゴールディンの作品は静けさを増したものになった。
特にAIDSが取り沙汰された90年代には「家族」の一員たちの命が次々と失われていく姿を写真に記録した。
(初期の喧噪的な写真とはことなり、せつなさがにじみ出るような作品の数々は、失われてゆくものへの悲しみが現れていると思います。)

1996年からNYホイットニー・ミュージアムから始まり、世界各国で開催された大規模回顧展『I'll Be Your Mirror』は、従来の作品から抜粋された75点写真・新作9点とともに、東京のアングラな若者たちを撮影したスライドショー、『TOKYO LOVE』で構成された。
 (追) 『TOKYO LOVE』はアラーキーこと、荒木経惟とのコラボレーションです。
     アラキは個人的にはあんまり好きじゃないけれど、コンセプトは似てます。


ANDY WARHOL (1928-不確)

チェコスロヴァキア移民の三男としてアメリカ・ピッツバーグに生まれる。
POPアート全盛期の代表取締役的存在。
故人。

ぶさいくで病弱な赤ちゃんだったウォホールは、ママ大好きッ子だった。
8歳のとき、ベッドでの生活をやむなくされた彼は、ママ・ジュリアから塗り絵やドローイングを教えてもらう日々。

地元、カーネギー工科大学絵画・デザイン科を卒業後、自分のブサイクさ加減に嫌気がさし、ママの元を離れて、デザインの仕事につくため、ニューヨークに旅立つ。

華々しいデビュー後、アンドリューは、鼻を整形し、カツラをかぶって憧れの社交界にデビューするのだ!!

みなさん、ウォホール好きなんて、邪道だと思ってませんか?!
彼は、商業デザイナーとして、フィフス・アヴェニューのショウウィンドウなどを手がけ、グッドなセンスとナイスなアイデアで、POPアーティストとして名をはせる前に、もう、かなり有名な人物だったのです。

アンディ・ウォーホール、キース・ヘリング、アニー・リボヴィッツは、アーティストが憧れてはカッコ悪い3大アーティストでしょう。
つまりが、POPアートシーンにて活躍した人たちです。
「売れたらいいの、それで」 「誰にでもかけるんじゃないのぉ」
アレコレ言って、忌み嫌い、
「売れなくても自分は、コレ!っつー信念もってアートしてるんよ」
などと心ひそかに思い、アンリ・マチスのポスターなどをリビングに飾ってる人を見ると、無意識に、
「フッ・素人が・・・」
と思い、軽蔑したりします。

――-と、一般化して書きましたが、これはわたし自身経験、
と言うかこれ、わたしです。

実は美校に入る前、ウォホールの画集もってたし、マチスのポスターも貼ってました。
スミマセン。

でも、美学生になり、本格的に美術を一から学んでいくうち、落書きのような絵、ガラクタのようなスカルプチャーを描いたり創ったりする他生徒を見て、軽蔑してました。
「自分がイチバン」と思うようになった。

一部の好きなアーティストをそんけいするだけならともかく、他を軽蔑することで満足するなど、いかんいかん。
(自称)ジャーズー通の人が、偉そうにしてるのとおんなじじゃないか!

まあ、今思うと、いかに自分が視野のせまい人間だったか、ってことです。
赤面する思いです。まったく。

ともかく・・
古けりゃいいってものじゃありません。
アンディだって、そりゃ、晩年は、次々に現れる
若手ストリート系アーティストの出現で、人気度急降下。
焦って、若者とコラボレーションしたり、無理してたんでしょう。

でも彼は偉大なアーティストだったと思います。
彼のポリシー:「時代の最先端」です。
短い人生、まっとうしたことでしょう。
そう祈りたい。