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人間カリキュレーター

学生の頃セラミックというクラスを取り、たった2回でドロップしてしまった。
いわゆる「陶芸」のクラスなんだが、「セラミック」と聞くとプラスチックの親戚か歯に入れるもののような気がして、そんな原始的な美術の分野のものだとは知らなかった当時のわたしであった。

なにが気に入らずドロップしてしまったのかと言うと、「土をこねる作業で90分の授業が終わった」ことなのだ。
当時のわたしは、現在のわたしに輪をかけせっかちな少女だった。釣りは短気な人が向いているスポーツだと言われ意外な気がしたのと同様、陶芸=気が長ければ向いているかと言えばそうでもないかもしれないが。

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一日が24時間。そのうちこねている時間が90分。一日のうち1/16土こね行為に入魂している状態なのだ。
「無駄に90分」と思うか「有効な90分」と思うかで、ずいぶん違ってくる。

今となっては「たった90分こねただけで、割れない作品ができたのにー」と思わずにはいられない。
適当にこねてしまったせいで、わたしの土は作品になる前にぐちゃぐちゃになってしまった。要は、もっと多い時間を無駄にしてしまった計算だ。
今でも「熱いけど手間がもったいないから素手で鍋をつかみ、ひっくり返して延々と拭くはめになり泣きそうになる」わたしとしては、ハタチやそこらから全く同じ経験をしてきたというわけか。
「性格的に」とは言えない、なにか腑に落ちない感じがした。

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そこでわたしは、「一日のうちでこれをやっているとどれくらいの時間を費やしてるのか」を意識してみることにした。特に、「時間がないから」と言って避けてきたことに関して。
「体力づくりに費やす時間」は、一日のうちたった1時間。
「料理に費やす時間」は、一日のうちたったの1時間。
「化粧に費やす時間」は、一日のうちたったの5分。
「コンタクトを両目に入れるのに費やす時間」は、一日のうちたったの20秒。

そうなってくると、「多くの余った時間にわたしはどう過ごしているのだろう」と思えてきた。
お金がなく時間があるのがとてもつらい、そんなときにはその余った時間が恨めしくさえ感じる。それならば、体力づくりに費やす時間を5時間にしてやろうか。


となると、これまで感じてきた「もったいない時間」の感覚はいったいなんなのだろう。