ある、なんでもない昼休みの事。
いつものように、友達と3人でふざけあうのは河本 守という青年。
話のネタとして、今日は散髪用のハサミを持ち出していた。
3人のうちの一人が長髪なので、「いつか切ってやる」という話を
常日頃からしていたからだ。
「…。……からな。ち…いつかはおまえの頭を坊主にしてくれるわ」
「へっ、工作用のハサミじゃ切れねぇぜ」
「…ふっふっふ…」
「な…何だよ」
「ふふふ…今宵のこの鉄(くろがね)の刃は血に餓えておるわ…」
守はそう言いながら、黒い刀身を持つハサミを取り出した。
握る部分の形状から、散髪用だと瞬時に見て取れる。
「げ…まさかここで切る気か?」
「安心しろ…どう切っても最後は坊主だ。箒で掃けばゴミも残らん」
守は右半身を軽く引き、戦闘体制に入る。
とはいえ、守は髪を数cmほどしか切るつもりはなかったのだが。
「わ、ちょっ、タン…」
長髪の男が身を引く、が間に合わない。
ハサミは、後ろに下がっていく長髪を追うように、一直線に向かっていった。
「ふぃ〜、終わった…ありがとね、クラちゃん」
そう呼ばれた少女は、倉崎 真弓という名前だ。
ポニーテールにしてもなお、腰まで届こうかという長い髪の持ち主だ。
「おつかれー」
「いや〜、今日は助かったよ…こんな宿題知らなかったもん…」
「あはは、まぁ、いつも私も見せてもらってるからおあいこだよ」
「ふふ、それもそう…あ…」
「え…きゃ…」
身を後ろに引いた男は真弓の足に躓いた。
それによって男は上半身が一気に落ち、幸運にもハサミを逃れることが出来た。
一方、躓かれた真弓はバランスを崩し、そのバランスを保つために、
本能で上半身を後へそらした。
そこに運悪く、守のハサミが迫っていて…
ジャグッ
「……」
「……」
正確には、ゾリッという音がしたのかもしれない…それはともかく。
鉄の刃は目標を仕留め損ね…そのすぐ後ろにあった、
別の目標を仕留めてしまった。
全ての時が止まる。
教室で騒いでいた他の生徒も、一瞬の間を置いて状況を察知した。
髪を切った守も、髪を切られた真弓も、蝋人形のように微動だにしない。
ただ、守の顔中から冷や汗がどんどん流れていく。
ガタッ
誰かが緊張に絶えられず、物音を立てた。
皆、それをきっかけに動き始める。
真弓に声をかける人。
守を非難する人。
倒れた男を案ずる人。
だけど、守と真弓はまだ、止まった世界から抜け出せていなかった。
だが、それも一瞬。
「…あ、ご、ごめん!」
だけど真弓は答えない。
表情は目まぐるしく変わっていくが、声は出さない。
そして…
「…あ、うん、えと、い…いいの。私は。そろそろ切ろうかなんて思ってたし」
真弓は、それを言うのが精一杯だった。
ツギハギだらけの笑顔と、ぎこちない口調と。
その行動は、守をどん底へ叩き落すには十分だった。
真弓は結局、午後の授業には帰ってこなかった。
一方の守は、まさに抜け殻状態だった。
真弓の髪を切ってしまったハサミを眺めたまま、ため息ばかりついていた。
教師も何度も注意したがまるで聞く耳を持たず、最後には諦めてしまった。
帰り道、下校のチャイムに促されるように帰路についた守だったが、
歩きながらも、まだ真弓の事を気にかけて上の空になっていた。
守の手にはまだ、黒いハサミが握られていた。
きぃ…
ふと守は、どこからか聞こえてきた、金属のきしむ音にハッとした。
いつのまにか守は公園まで歩いていた。
公園のほうを見ると、見たことがあるような、見たことが無いような…
そんな感じの少女が、ブランコに佇んでいた。
服装にはなんとなく見覚えがあるが、表情や髪型には見覚えが…
そこで守はハッとした。
今まで緩慢な動きをしていたのが嘘のような速さで少女に駆け寄る。
「…あ、河本君」
間違いない、この少女は紛れもなく倉崎だ。
そう思うと、守の表情が一気に曇った。
「…もう、黙ってたら何しに来たのか分からないよ」
「あ…うん…ごめん…今日は、ほんとにごめん…」
「ふふ…もういいって言ったじゃない」
机上に振舞う真弓。
だが、彼女の目は赤くなっていた。
見ると、数時間前までポニーテールだった髪はショートヘアに変わっていた。
「だけど」
途端、真弓はキッと守を睨んだ。
「私、ほんとに大泣きしたんだからね」
「う…」
守の表情が更に曇る。
「…でもね、感謝もしてるんだよ」
「え…?」
「言ったじゃない。切ろうかなって思ってたって」
「でも、あれは嘘じゃ…」
「本当よ。…周りの人には宝のようでも、
本人には邪魔なだけってこともあるのよ」
「でも…そんなに泣いて…」
「…一応、長年のばしつづけた髪だし、愛着はあったけど…」
「…ごめん…」
「もう、さっきからそればっかりだよ」
「あ…うん、ごめん…」
クス、と真弓が無邪気な笑顔を浮かべ、立ち上がった。
「明日からの倉崎真弓は、今日までの倉崎真弓じゃない。
生まれかかわった…そう思えば、むしろ嬉しい事よ」
「…うーん…」
「…それじゃ、もう遅いし。また明日ね」
「あ、うん。バイバイ」
その後、彼女は前にも増して明るくなった。
最初は女友達が嘆いて守を責めたが、真弓がそれを制した。
そうこうしているうちにこの事件はうやむやになり、
いつしか真弓のポニーテールは思い出の中に消えていった。
そして、あのハサミは真弓が「思い出に欲しい」と言い出し、
今は真弓の部屋に飾ってある。
「ハサミは作るものじゃない。
ハサミは壊すもの。
だけど、壊れることによって生まれ変わることもある」
この言葉と、真弓の髪と共に、ハサミは永遠の眠りについた…
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