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〒710-0046 倉敷市中央1-3-13 Tel.Fax(086)422-1542 財団法人 倉敷考古館

右は考古館蔵の丸山古墳出土という、車輪石と大管玉。上段の管玉が、長さ約18cm

考古館に偶然にも持ち込まれた大管玉と車輪石も、今から見れば75年も昔の発掘時に、どこからかこぼれ落ちたもの、この外見は小さいが、常識の中に納まらぬ、鶴山丸山古墳出土であって、はじめて本領を発揮するものだったのだろう。

 ところでちょっと失礼して、右の写真、管玉と車輪石がこのような顔だったら・・・・この姿で、博物館のケースの中に入れるわけにもいかないが・・・・

 この資料の古い昔の持ち主は、この二種類の遺物を雌雄・陰陽の表現と思っていたとか聞いた。
   ・・・共に全く現代人の勝手な空想・・・・ お許しあれ
                  

 鶴山丸山古墳の大管玉、形や作りは確かに一般的な管玉と同じであるが、首にかける飾りだったのかどうか。管に鉄芯などを通し、飾り玉杖などにするのでは、と言う人もいるが、芯もなければ大きさもばらばらなので、納得は出来ない。

 私たちがこれの説明をするときは、当たり障りないところで、首に飾ると言うより巨大だと言うことで、ステータス・シンボルではないか・・・と言うことにはしているのだが。

 この資料も今から半世紀以上も前に、2点の車輪石(貝輪から転化したとされる、石製の腕飾り、右下写真 参照)と共に、考古館の所蔵となったものだが、その時の話から、両者とも鶴山丸山古墳出土に間違いないと思われた。現在展示している。

 そこでこの鶴山丸山古墳だが、先回話題とした新庄天神山古墳をやや北上した位置で、吉井川の東岸、備前市では西端でもあるが、独立丘状の頂部にある。円墳だが少々楕円形のようで、現状は、径が4555m前後。

 この古墳も地元民によって、1936年に掘られたもので、竪穴石室の中には室内いっぱいに、屋根に見事な家と円盤を彫刻した大形石棺が収められていた。岡山県下では今に至るまで、全く類をもないもの。棺の周辺は30面に及ぶ鏡が取り囲み、碧玉製の三足付の盤や、彫刻を持つ刳抜の蓋物・盒(ごうす)などが、ところ狭しとあったようだ。

 この古墳は古くから岡山県下ではあまりにも有名な古墳であったが、石室は完全に閉鎖されて埋め戻された。遺物も集められ報告が出されたが、全ての遺物が集められたものではなかった。・・・最近ではこの大変珍しい古墳の事も、昔話となって、少々影が薄いのでは・・・

 先に話題とした新庄天神山古墳ともども、この吉井川東岸の古墳は、吉備中枢部とはかなり違った顔をもっているようだ。

 

(上)鶴山丸山古墳出土の管玉
(下)金蔵山古墳出土の管玉。こちらは自際の首飾りとみてよい。

(112)大きな管玉ー鶴山丸山古墳の不思議(1)

今回の写真の物、皆さんは何だと思われますか?・・すべて古墳出土の首飾りである管玉のはずなのだが・・・

 上の三点は、備前市の鶴山丸山古墳出土とされるもの、下の一連のものは、当館で調査した岡山市金蔵山古墳出土品。すべて形は、細い青竹を輪切りにしたような形で、そのほとんどが碧玉(へきぎょく)とよばれている石で作られた物である。

 写真の上方で一番大きい物は、長さ17,9cm、径33,3cm、重さは約295gばかりである。一方金蔵山古墳出土品では、最大の物が長さ5,5cm、径は1,6cm。ここに一連として示した大小の管玉が、古墳時代管玉としてはまず平均値範囲内のものだろう。写真のように現在一連とした管玉が、かつての首飾り一連であったものではないが、一応これ全体の重さは160gに過ぎない。大管玉が如何に重いものかが分かる。ちなみに大管玉の内の、長さの短いものは長さは大形のものの、ちょうど半分であるが、少々太く、重さは235gであった。