メキシコの国立人類学博物館に展示中のチャック・モール。日本で1956年開催のメキシコ展入場券(上)の写真とそっくり

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チェチェン・イッツア遺跡で、チャック・モールの神殿と呼ばれる多くの石柱に囲まれた神殿。最上段の真ん中に、神に心臓を捧げる台となった、チャック・モール像が据えられている
メキシコ、ユカタン半島チェチェン・イッツア遺跡のチャック・モール(右方の遺跡の拡大)
(左)カバ遺跡、雨の神で埋められた壁面
(上)テオティワカンの太陽のピラミッドと周辺地下の壁画と出土品
(左)アステカ・カレンダー
(上)ユカタン半島のウシゥマル遺跡全形
7世紀のマヤ文化の典型としてしられる。手前の石造構造は球戯場。サッカーのように手を使わず、腰で石のリングに、玉を入れたとされる。後世に、奥の建造物は尼僧院、右方の大形の構造物は、魔法使いのピラミッドとよばれているが、当時は、雨の神を祭る神殿だったとされる。

(左)ユカタン半島でマヤ文化の中心的な遺跡として知られるチェチェン・イッツア。上はククラカン(羽のある蛇の神)のピラミッド。下は天文台。その左方は、同遺跡の壁面などの彫刻(髑髏や蛇など)。

このような遺跡を、科学的に説明というのであれば、メキシコシティ一帯の高地地域とか、ユカタン半島地域というような地域差の問題、歴史的に見れば時代の推移による文化の重層、地域間の交流など、いちいちに複雑な様相を示す各地の遺跡であろう。だが駆け足の見学、まったく素人ということで、ともかく目に触れた遺跡・遺物の片鱗を、ちょっと並べて、見ていただくという事で、ご容赦を。

マヤ・トルテカ文明の著名な遺跡地の一つ、三世紀から十三世紀にも渡って建造さていた、メキシコのユカタン半島にあるチェチェン・イッツァでは、地上に降ろされているチャック・モールや、まだ神殿中に据えられた彼を、目にしたのである(上の写真参照)。人を神に捧げる犠牲は、重要な日常行事だったようでもある。

メキシコの高地地方でも、ユカタン半島でも、広大な遺跡内には、目を奪う大規模な石の構造物が随所に配置され、怪異な神々や骸骨・武人などの彫刻の連続、しかしそれらには皆神と人に関わる深い意図のあるらしいこと・・・・

  一方では現代科学にも劣らない天文学の発達、複雑な文字の存在・・・しかも
16世紀のはじめ、スペイン人の現れるまで、石器時代であったという状況・・・
 
 現代人には少々隔絶した世界にも見えるが・・・しかし案外この全体が、現代に生きる人間にとってもほんらいの本質なのかも知れない・・・と思わす不思議な世界でもあった。

(160)メキシコ展入館券のチャック・モール

 今年の5月初め頃、突然に考古館を訪れた女性で、名は告げられなかったが、彼女はメキシコの大学で、メキシコと日系のアート研究をしているとのこと。当館の「よもやまばなし24」を見て、それに載せたメキシコ美術展に関係する事が聞きたかったようだった。

 ご当人は、絵の方に関心が強かったが、古くこうした展覧会が倉敷のような所で開催されていた事に、驚きもあったようだ。ともかく「よもやまばなし24」に載せた資料の現物を見て帰られた。

このメキシコ展とは、現在(2013年)から見れば既に60年近くも昔、まだ二次世界大戦後10年ばかり、1956年の展覧会。詳しくは24をクリックしていただきたいが、そこには当時の展覧会入館券や、簡単なパンフレットも挿図でのせていたのである。この時の入館券の一種を、再び左上方に示したが、ここに印刷されていた人物像が、タイトルのチャック・モールである。それは神に供物を運ぶ者とのことである。

当館のような博物館には、関係した事の質問もよく寄せられ、その返事やら他の依頼への対応もよくあること、そうした時も先方は、必要でなければ、名のられぬ方が多い。これも仕事の内で珍しいことではない。しかし、はるか昔のメキシコ展に関しての問い合わせは近年にはないことだった・・・・ともかく当方としては、この「よもやまばなし」を、時に見てくださっている人もあるという、ありがたいことではある。

ところでこの頃全くの偶然だったが、個人的な観光旅行でメキシコのピラミッドなど見に行かないかとの話が有った。たまたま当館に保存する、僅かばかりのメキシコ展関係の古い資料を、再度目にすることになったといえる。

こうした事があったので、少々重かった腰を上げたわけではないのだが、9月には1週間ばかり駆け足で、ユネスコの世界遺産に登録されているような、著名なメキシコの遺跡数個所を、駆け足でめぐって来たのである。

そのおかげでメキシコシティの国立人類学博物館では、かつての入場券上のチャック・モールに、面会する事が出来たのである。彼はマヤの神殿の最上階で、生贄の人物の生きた心臓を、横たわる胸の上に捧げ、神に届けたと信じられていたのであろう(上部左端の写真)。同博物館は、フラッシュ無しで、写真撮影は全てO.K.だったが、いい気で撮り過ぎ、電池切れをしてしまった失敗で、この写真は同行の遠藤至氏(東京)の提供である。