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MOON…とにかく好きです。よく家のベランダに出て月を見ています。シーズン関係なくいつも…夜空とは又違う落ち着かせてくれる魔力がありますね?
天体望遠鏡でも…すると月の表面が…大気の層のゆらゆらとした流れ…とにかく私達はこの宇宙の中でのほんの小さな一瞬を通るだけの生物…だから小さいことにくよくよするなと言ってくれているような…
スタイリッシュなところも好きです。

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華・結晶
昔小学生のころ降り積もった雪のお布団?のなかに天に向かって
大の字で寝てただひたすら空から舞い降りる雪を見続けた…

雪の中に埋もれているせいであたりの音は静寂…ただただひたすらに
落ちてくる雪を見ていた…そのまま寝ていたら…汗

時たま…まつげにくっついた雪は画像のような結晶だった

こんな純粋な時や純粋な感覚はもう来ないですね?
大人になるっていろんな不純物を取り入れていくのでしょう…
でも一番浄化して生きた人が幸せなんだと思う…
要は自分自身であれ!ということなのでしょう…

はいつかは枯れます…だから咲いている時が美しいのでしょう…それが一瞬でも長いスパンでも…
与えられた時間の中で…人間にもいえることなのでしょう…だから引かれる…
*今後も更新していきます!
ちなみに好きな花はありません…自分が花(華)なのでしょう(笑)…咲いて…枯れます
music…とにかく音楽は最高ですね?FREEのときはとにかく流しています。
ジャンルはとにかく幅広で…固定できません…良い音楽は

家ではBSで新着等…ベランダで月を眺めるときはジャズからクラシック…そのときの感情に任せて…
自分のファッションスタイルよりヴィジュアル系も聞きますがとにかくその時々の感情似合わせた音楽が好きです。育った環境でマイナーコード系がベースにあるような気がします。純粋な気持ちが呼び起こされるような曲
…はたまたハードな曲まで…    いいですね

この地球に音楽が生まれた…
かけがえのない財産ですね?
いずれ滅びる地球…でも人々の中には
永遠に息づく・・・記憶の感動…超越した
…記憶
花火浴衣…なにかお正月とは正反対の「動」の要素が働いていますね?祭りとは本来日頃の溜め込んだ垢を落とす行事とも…確かにそう思います
人生の細かい節目でもあるような気がします…
「綺麗だけではない「侘寂」がありますね?興奮を抱いて床に就く…
そこには蚊帳があり夏の空気がありなにか寝ることがもったいないような…そんな夏が永遠と続きすように!…亡き祖母祖父との思い出…生きること…かけがえのないこと…ですね!

花火U…線香花火…好きです…とにかく好きです
周りの空気を静寂にさせる=集中させるパワーがある…華やかではないけれど…先の雪の華にも似た
繊細さと優美さ…そこに惹かれる

…いろいろな愛がある   成就できなかった愛…家族愛…人間愛…いろいろ…そこには切なさが必ずある
なぜだろう…思えば思うほど愛おしくなるから…そこには永遠はないからだろう…でも揺るぎない確信はある
思いは個人の中で成就するということ…=愛は与えるものであることが理解できる…見返りがない愛を貫けるか…
そこに尽きると考えます   その人の幸せを願う…それが本当の「
」ですね!

 観無常心(かんむじょうしん)

生まれたものは死に
会ったものは別れ
持ったものは失い
作ったものはこわれます
時は矢のように去っていきます
すべてが「無常」です
この世において
無常ならざるものはあるでしょうか
道元禅師の教え

だからすばらしいのでしょう…人生…儚い…人の夢…人・夢=儚…いいですね?
道化師
…自分を隠して人を楽しませる…その演じた後の顔には観客の+イオンを全て背負う宿命があるのだろう…
だから道化師の顔には「深いシワ」が刻まれる…自分を犠牲にしたその顔には「誇」が…ある好きです

…赤く染まる…炎と同じで燃え尽きる最後の…
そこには侘寂が…秋の…
各季節ごとにその良さとは表裏一体のはかなさがありますが
「秋」は特に寂しさを感じますね?

のるかそるか、叡智か運か。ギリギリのせめぎ合いの場で人間を観察し続けてきた阿佐田氏の言葉には深みを感じます。仕事であれプライベートであれ、何をやってもうまくいく・・・。そんな時期は誰しもあるのではないでしょうか(その逆もですけど)。しかし、そんな時期が少し続くと、得てして過信してしまうものです、「自分はすごい」と。その時点で、いずれ必ずやってくる「負け」に対する免疫がなくなり、いざ負けた際にはなぜこのオレが、なぜこのオレが・・・そんな思いがぐるぐる巡って「負け」から学ぶ視点もなくなってしまうのだと思います。勝って兜の緒を締めよ。でも、もし負けても取り乱す必要はありません。「人生 は全勝できない。8勝7敗でよしとせねば」との言葉も遺した阿佐田氏の哲学は、今の時代にマッチしている 気がします。

戦後の焼け野原、そこかしこにできた賭場を渡り歩いて生きる一人の少年がいました。“坊や哲”こと、阿佐田哲也。哲也の垣間見た世界は、そのまま彼の文学作品の中に取り込まれました。映画化された『麻雀放 浪記』をはじめとした一連の作品は、ギャンブル物というよりも人間の心理を描いた大衆文学として、現在 もなお読まれています。また、純文学を書く時は本名の「色川武大」を筆名とし、泉鏡花賞、直木賞、川端 康成文学賞等を相次いで受賞。さらに時代小説を書く際は「井上志摩夫」名義をとり、文才を縦横無尽に発揮しました。本来の肩書きは「3つの顔を持つ文筆家」なのでしょうが、敬意を表して「戦後を代表するアウ トロー」と呼びたい一人です。
借文…です

人生観を相撲の勝敗に例え、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」と述べたことがある。また、「幸運が続きすぎると危ない」という考えから大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたという
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