徳山市立岐陽中学校における「テストの順位の知らせ方」に関する経緯

     平成10年6月から平成13年4月まで
                         文責 岐陽中学校三協会会長 河村 知行


平成10年6月 平成10年3月までは、学校の試験の順位は生徒が先生に尋ねれば1番単位で知ら
されていた。平成10年度の最初の試験より、保護者になんの通知も相談もなく、「尋ねに行った生
徒にも順位を全く知らせない」という学校側の方針が突然打ち出され、実施された。

平成10年7月 当時の熊本校長に、「9年度と同じように、聞きに行った生徒には順位を知らせて
ほしい」と常任委員会で私が発言した。「学校が決めること」という理由で拒絶された。

平成10年7月 A先生が話があるとのことで、当時の三協会会長の自宅で話をした。
「自殺者が出たので、それを助長することになる『順位を知らせる』と言う方針は取らないようにし
た。」との内容だった。そのような理由は筋が通らないと拒絶した。

平成11年4月 吉田校長となる。私も三協会会長となる。

平成11年6月 「9年度と同じように、聞きに行った生徒には順位を知らせてほしい」と私が校長
に要求したが、拒絶された。

平成11年7月7日 父親の会拡大運営委員会において、私が「順位を一番単位で知らせてほしい」
と発言した。多数の保護者からこの要求を支持する内容の発言があった。しかし、要求は拒絶された。
代わりに、「10番単位で順位を知らせる」ことが約束された。また、「順位の知らせ方」に関して
三協会がアンケートをとることに学校側が同意した。

平成11年7月 「順位を知らせない旨の文部省からの文書がある」との発言が校長室に置いて以前
より繰り返されていた。私にはその存在が信じられなかったので、校長にその文書のコピーを提示す
るよう要求した。しかし、コピーの提示はなかった。

平成11年8月5日 三協会が作成したアンケートの文面を校長に見せ、内容の承認を得た。9月に
学級担任から保護者に配布することを校長が約束した。その際、「アンケートの結果がいかなるもの
であろうと、学校側は方針を変えない」ことを校長が主張した。私はこれを承認した。また、「アン
ケートの結果を用いて活動を続けることはしない」ことを校長が私に要求した。私はこれを約束した。

平成11年8月18日 「学級担任がアンケートを配布することは、先生方の了解が得られないかも
しれない」と校長が発言した。私は、「しかたありません。その場合は他の方法を考えます。
しかし、その場合は『アンケートの結果を用いて活動を続けることはしない』の約束は反故にします」
と校長に伝えた。校長はこれを承認した。

平成11年8月20日 「学級担任がアンケートを配布することはできない」と校長が私に発言した。
私は郵送に切り替えることを校長に伝え、校長はこれを承認した。

平成11年8月26日 アンケートを全保護者に郵送した。

平成11年9月1日 B先生より担任のクラスの生徒に対し「アンケートは学校は認めていない。
アンケートを出すな。」の発言があった。

平成11年9月2日 同B先生より配膳係以外の3年生全員に対して、「アンケートは怖くも何とも
ない。これは教育委員会からの文書ではない。生徒自身で3番に丸印をつけて出せ。親に書かすな。」
の発言があった。

平成11年9月1〜8日 学校事務室横に回収箱を設置してアンケートを回収した。アンケート内容
と結果は別紙の通り。結果は全保護者に配布した。「順位を1番単位で知らせる」ことに同意する回
答は88%であった。

11年9月28日 常任委員会において、「順位の知らせ方」について学校側に再考を求めたが拒絶
された。

平成11年9月 7月の父親の会拡大運営委員会において約束された「10番単位で順位を知らせる」
ことが多くの学級で実施されていない(順位を10番単位でさえ知らせない)ことを、私が校長に知
らせた。しかし、この後半年間、7月の約束が完全実施されることはなっかた。

平成11年10月 「順位の知らせ方について学校側と三協会の間で適正な話し合いがもてるよう、
徳山市教育委員会に働きかけてほしい」と徳山市議会議員にお願いした。市議は教育委員会と
岐陽中学校の両方に働きかけを行った。しかし、状況は全く変わらなかった。

平成12年2月 私は校長に対し「順位を尋ねた生徒に対し10番単位で順位を知らせる」ことを、
全生徒と全保護者に告知することを要求した。校長はこれを了解し、実施された。

平成12年5月26日 教育協議会なるものを校長と話し合いの上新しく作った。この日第一回目を
開催した。この中で、@私は「順位を知らせない旨の文部省からの文書はないと思っている」と発言
し、その存在の有無を校長に質問した。Aその直後に、他の保護者から他の質問があった。その後、
校長は両方(@A)の質問に同時に答える形で「文書はあります」と回答した。それは私の質問@に
対して、「文書はあります」と回答したものと受け取れた。同席した他の保護者に尋ねても「そう受
け取れた」との意見であった。この後、文書の存在に関して会議中に私が発言できる状況ではなくな
ってしまった。

平成12年10月 友沢校長となる。

平成12年10月初旬 新校長に次の3つの文書を手渡して、順位の知らせ型の再検討をお願いした。
 @平成11年9月の「アンケートの文書」と A「その結果」と B「本文書(徳山市立岐陽中学
校における「テストの順位の知らせ方」に関する経緯)」。

平成12年11月 9月の校内試験(3年生)、10月の中間試験(全校)の両方ともその順位は知
らされなかった。

平成12年12上旬 徳山市議会議員とともに徳山市教育委員会を訪れ、教育次長に直接お会い
して、前述の@ABとC「アンケートの意見欄の複写」を渡し、「テストの順位の知らせ方に関
して、市内の中学校間で極端な不公平がないようにして欲しい」と要望をした。

平成13年2月28日 教育委員会より何の連絡もないままなので、こちらから教育次長に電話をし
て状況を尋ねた。その返答は、「テストの順位の知らせ方」について、@「各中学校の決める事」と
A「教育課長(教育課長かどうか河村の記憶が定かでない)に岐陽中学校へ電話させた」であった。

平成13年3月10日 岐陽中学校の卒業式において、平成11年のアンケートの結果がありながら
何も変えることができなかったことを、私が保護者に謝罪した。また、教育委員会が十分な行動を起
こさないことを、私が非難した。

平成13年4月2日 「テストの順位の知らせ方」について、岐陽中学校校長と教頭にへ最後のお願
いを行った。聞き入れられない場合は、徳山市内の中学校校長13人に公開質問状を出す。全保護者
に本文章(経緯)を郵送する計画を報告した。「以前から予定していたとおり、平成13年度からは、
順位を1番単位で聞きに来た生徒に知らせる。」との回答を得た。「4月4日の職員会議で全教員の
了解を取る」と校長が発言した。

平成13年4月6日 職員会議の結果を聞きに中学校へ行った。「4月4日の職員会議で全教員の了
解を取った。『順位を一番単位で知らせる』ことを岐陽中学校の新しい方針として4月26日の三協
会総会で明言する」と校長が約束した。

平成13年4月17日 「『順位を一番単位で知らせる』ことを岐陽中学校の新しい方針とする」と、
この日の三協会常任委員会で校長が発言した。

平成13年4月26日 三協会総会において、「『順位を一番単位で知らせる』ことを岐陽中学校の
新しい方針とする」と、校長が発言した。


                                          以上

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