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758-0057 萩市堀内1区285
TEL/FAX 0838-22-0462 

春日神社(萩の産土神)の由緒


地図(広域)   地図(詳細)


祭 神  天児屋根命あめのこやねのみこと
           武甕槌命
たけみかつちのみこと  姫大神ひめおおかみ(比売神ひめがみ)
           経津主命
ふつぬしのみこと    磐筒之男命いわづつのおのみこと

鎮座地
 当神社は萩市大字堀内一区二八五番地,旧萩城内三の郭内に鎮座せられ,鳥居前に旧外堀(現在新堀川という)があります。

神 徳

 天児屋根命は天照大神が天岩戸に隠れ給うた際,祈りごとを申して功を樹て,天孫瓊々杆尊に随い神籠を持って葦原の中つ国に降り祭祀を奉仕し,又,常待して輔弼の大任に当り,偉大なる功績を樹てられた神で,我国宰相の始祖でもあります。武甕槌命,経津主命は共に天照大神の大命を拝し,大国主命に勅命を伝えてこの国を天孫に献まつらしめ給い,更に諸国を巡り民を慈しみ国土平定の大功を樹てられた神々であります。なお姫大神は天児屋根命の妃神で婦徳の高い神と云われており,磐筒之男命は経津主命の父神であります。

由 緒
 当春日神社は,奈良市の春日大社が本社で,鹿と灯籠の多い古社として誰もが知っております。広くは皇室や国家の守護神としてあがめられてきました。一般の人々には強く正しい心と体や平和な生活を教える神々として仰がれています。その春日大社の御分霊を今から約千百七十有余年前の大同二年,萩椿郷在住の国守某が萩の地にお移し申し,始め沖原に(当時萩三角州が出来ていなかった),後土原妙見の杜に社殿を創建し,其の後江向村に移し奉りました。毛利輝元公が萩を居城とせらるに及び防長二州の祈願所と定め,慶長十三年三月,社殿を堀内の現在地に建立され,江向の地より御遷座の上,萩総鎮守として崇敬し,社領を寄進せられました。
 次いで,萬治二年九月,藩主毛利綱広公が社殿を修復せられました。
 安永二年正月三日,萩城内の大火により社殿が炎上し,翌年十月,藩主重就公が再建せられたのが現在の建物であり,由緒深いものであります。廃藩に至るまで社殿の修理,大小の祭祀は悉く藩費によって行われました。
 明治六年,県社となり,その後,終戦とともに社格はなくなりましたが,県内北部では随一の古社であり,昭和五十七年九月,千百七十五年,式年大祭を斎行し,現在に至っております。

祭 儀
 春季例祭 四月六日        元 旦 祭  一月一日
 秋季例祭 十月六日        節 分 祭  二月三日
 御神幸祭 十月第一日曜日   七五三祭 十一月十五日

境内社
阿武神社
 明治四十三年神社整理の際,春日神社氏子区域内,摂末神社の内数社を合祀し阿武神社として鎮座せられました。



由緒は,「春日神社略記」と,この看板の記述によりました。


(註)
 ◎今から約千百七十有余年前
       ▼
  平成17年(2005)現在,「約1200年前」と読み替えてください。


 ◎昭和五十七年九月,千百七十五年,式年大祭を斎行
       ▼
  平成15年(2003)10月5日,
1200年,式年大祭を斎行しました。

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社殿には,毛利氏の家紋(一に三つ星∴)が見られます。

    

           


萩5団のスカウトハウスは,鳥居前の参道脇にあります。



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