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百万一心ひゃくまんいっしん

 戦国の武将、毛利元就が郡山城(広島県吉田町→安芸高田市)を拡張して全山を城郭とした際に姫丸壇の基礎工事が難工事となり、時の普請奉行が人柱をたてることに意を決していました。
 しかし元就は、先祖野見宿弥が埴輪によって殉死にかえた故事にならい、尊い命を失うべくでないことを諭し、高さ6尺、巾2尺(高さ1.8m巾0.6m)の巨石に「百万一心」と書き、それを彫らせて埋めさせ人柱に代えました。
 その意味は、百の字は一画を省き「一日」とし、万の字は故意に略字(今様に表現すれば誤字)を用いて「一力」と表現しました。これを分解して読めば「一日一力一心」とも読めます。即ち「一」の字は同じの意味ですから、「日を同じくし、力を同じくし、心を同じくして全員一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられる。人柱を建て、民を失う必要はない。」と、この石をもって協力の大切さを教えたのです。
 一方これを「百万一心」と読んだ場合には、百万の(民の)心を同じく(一つに)して一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられると解釈できます。
                       (ボーイスカウト山口県連盟のホームページより抜粋)

 ボーイスカウト山口県連盟では,ジャンボリーに参加する際などに使用する「のぼり」に、「百万一心」の文字を使用しています。(現在の「のぼり」には毛利家の家紋「一に三つ星∴」は使用していません)
 また,ボーイスカウト山口県連盟の連盟歌や広報紙のタイトルにも「百万一心」を使用しています。

 毛利藩の藩校「明倫館」の跡地に建てられた「萩市立明倫小学校」では,運動会のメインイベントとして,「百万一心」という名前の全校玉送り競技を行い,毛利元就の遺志を受け継いでいます。(明倫小学校のホームページでは,「昔の写真集」に「百万一心」の競技の様子が掲載されています。)