祝島日記
1月22日(月)
 祝島島民の会運営委員会が夕方あった。2月にある上関町議会議員選挙についてが主なこと。
 今まで祝島では、原発反対派からは島民の会・町民の会推薦で立候補をしていたのだが、今回は島民の会・町民の会推薦で2人と、島民の会・町民の会を脱会して1人が立候補をする予定になった。
 島民の会は「上関原発を建てさせない祝島島民の会」、町民の会は「原発に反対する上関町民の会」である。立候補予定者の1人は「反原発運動」の名の付く団体からは退いた。ちなみに祝島の人口は上関町人口の14%弱である。
 さて、新年早々、元々悪かった腰痛・神経痛がより悪くなり、一週間寝込み、整形外科に行き、注射と薬で、何とか歩けるようになった。やりたいことはいっぱいあってなかなかもどかしいところである。やりたいことがいっぱいあるのは祝島ならではの幸せなことかも知れない。
久し振りにソーズイに行って椎茸菌を200ほど打ったのだが山道を200メートルくらい歩くのが厳しかった。
 歩くのに比べて釣りは比較的楽にできる。昨日は夕方、タイを小さいのから大きめのまで合わせて10匹釣れた。久し振りである。動きすぎて夜はきつかった。
 そうそう、リョウキチからユウベエにバイクが送られてきた。ユウベエの活動範囲が増す。
 ヒロコおばさんはタミちゃんの所の餅つきのもみ手の手伝いに行った。あんべんを貰って帰ってきた。あんべんはあん餅のこと。


1月23日(火)くもり 明け方から西風
 定期船終日欠航 
 明日からさらに西風が強まりそうなので新聞がちょっとの間読めないだろう。
 このホームページは発作的に更新するだけで、ほとんどほったらかしにしていたのだが、時々は見てくれる人がいたり、ユウベエがこの頃時々開いてみるようでなかなか良いと言ってくれたりで、細々更新をしていこうと決めた。
 今朝茂樹さんのイノシシくくり罠に第1号のイノシシがかかっていたようである。茂樹さんからトシ坊に連絡があり、カッツーさあ、トシ坊、岡部君が北野に行き、仕留めて運んだという。大きいイノシシだったようだ。カッツーさあ以外で、くくり罠で捕獲したのは茂樹さんが最初である。おらもソーズイに仕掛けているのだが、一度はじかれていてうまくかからなかった。可能性はある。今日もソーズイに行き、罠を見て、椎茸菌を打ってきた。この前と合わせて400ほど打った。この木には来年秋から出始めるだろう。今日は2年前に打った木に出ていたのを10ばかりとってきた。秋からこっちまあまあよく採れた。イノシシの罠で貢献度が大きいのはもちろんカッツーさあだが、カッツーさあの相棒ともいう立場にいるのがよし坊で、よし坊の管理している畑でもう20くらいのイノシシが捕れている。
 この数年の島の元気な材料を考えてみる。茂樹さんが帰ってきたのも大きい。北野までの山道周辺の活気が出てきた。イノシシのくくり罠の免許をとるときもトシ坊中心に勢いが出たり、北野のセイリ周辺の草刈りなども話題になることも多くなった。茂樹さんに限らず、1人の存在の大きさを感じるのに祝島はいい。
 我が家にも1人ユウベエが帰り、活気づいた。我が家にかなり活発な議論の場ができた感じである。おらは当分ぼけることはないだろう。退屈を感じることはない。
 若い者も増えた。労働力がかなり充実してきた。若い人の労働力に見合う収入を得られるようにしたいものである。島民の会に青年部会ができた。これは大きいことかも知れない。期待感が生まれたことは確かだ。まとまって動けば大きな力になる。


1月24日(水)くもり 西風
 朝便が欠航。
 昨日の話
 夕食に鯛のムニエルを作ってみた。ムニエルと書いたけど、ムニエルみたいなものである。ムニエルを正確に知らないのである。塩が足りなくてしまりがないものになったが、ヒロコおばさん食べてくれた。週に一回は夕食を作ってみようと思っている。そうそうシャクを入れてみて、ユウベエに何かわかるかと聞いてみると「パセリ」と答えた。潮汁も作ったが、これも足りないものがあった。
 夕食を作っているとき電話があり、ユウベエが浜村さん所に行き鯛飯をご馳走になり、貰って帰った。
 
 今日から寒くなりそうである。びわの花が影響を受けるかも知れない。おらの作っているところは今年は花が少ない。今年は少ないなりに大きいきれいなのを目指してみようと思う。はじめはそう思っていても花が少ないとなるべく実を残そうと摘果を控えてしまいがちになるのであるが。楽しみである。


1月25日(木)晴れ 西風
 朝便がきた。新聞が2日分きたが、今日のは雪か凍結かで届かなかったようだ。
 ソーズイに罠を見に行ったがかかっていなかった。帰りにハッサクの木に寄ってみた。落ちていたのを4つ拾って帰る。
 ナガイソに行ってざっとタラメや梨の木の剪定をし、ショウガを採って帰る。
 ヒロコおばさんとユウベエはいきいきデイサービスの仕事である。一週間に一度お年寄りに集まって貰い、少しでも楽しい、健康にも良い時間を過ごして貰おうとのことで始まったものである。9時からは希望者にユウベエが血圧を測ったりしている。午前はやれる人は百歳体操とかもやっているようである。
 そうそう、他にも新しい動きがある。もう1年以上前になると思うが、祝島の消防団に女性消防団員が10人くらい入団した。消火活動に限らず、月一回5班くらいに分かれて、お年寄りの家の巡回相談活動をしている。これはなかなか素晴らしい活動である。祝島の消防団長はトシ坊(清水俊保)である。


1月26日(金)晴れ西風
 朝便で広島に向けて出発。整形外科に行く。手術は見合わせる。
 夕便で帰る。港で時間があったので、ガラスウールを買う。マフラー用。
 夜、後援会事務所に行く。色々雑談をする。


1月27日(土)晴れ 西風弱
 この前釣った鯛を上げる。
 昼過ぎにナガイソに行き、少し片づける。コッコーの接ぎ木したのが何本かついているのを支柱で支える。2年目だが日陰で成長は遅い。ソーズイに植え替えた方が良さそうである。
 夕方近くにヨボシに釣りに出る。鯛が3匹。トシ坊は6匹だったようだ。
 夜は後援会事務所、20人くらい集まっていた。


1月28日(日)小雨 凪
 「ホワイトアウト」(真保裕一)を読む。
 昼前からヨボシに釣りに出る。午後3時まで釣る。小鯛が多かったが鯛を20匹ばかりとネバルを7〜8匹釣った。ポツポツととぎれなく釣れたもので昼飯抜きになった。
 夜は後援会事務所。若者は夜中のヒジキ採りに行くと言うことで事務所には少なかった。ヒジキの口開けがこの夜中である。今年デビューの若者が1人事務所にきていた。浜で滑らないようにとエールを送った。


1月29日(月) 晴れ 西風 寒
 このところ早起きである。
 静かだと時々考えることがある。今日は「普通」と言うことについて考えた。「おらは普通の人だなあ」と考えた。たいていのことが、並で一般的なのである。余り欲張りはいけないなあと思い、欲が出ると控えようと思う。普通に幸せになりたいと思うし、みんな幸せになれると良いなあと思う。特別目立ちたいとは思わないが、少しは人の役に立ちたいと思う。酒は弱い方だが普通に近い。気は短いときも長いときもある。時々涙が出たり、声を出して笑うときもある。心が狭くなるときもあるし、許容量が広くなるときもある。
 さて、普通の人だとどうなのだろう。世間の中で目立たないので、ある程度自由度が高いかも知れない。あれこれ自由に考えることが身に付いているかも知れない。それなら自由な発想からつながる創造性はどうかと考えてみると、これまた普通であった。
 普通の人として何十年か生きてきて、身に付いているものは何だろう。普通の人としての物差しが身に付いているかも知れない。欲張りすぎて我が身を振り返ることをせず、わがままで自分の幸せしか考えなかったりする人をなんか変だなあと思う物差しができているのかなあと思ったりする。
 祝島はだいたい顔見知りで、人間関係が濃いいので、どんな人か直に知る部分がある。特に行動はわかりやすい。山道がきれいになっていると、ああ誰それさんがやってくれたのだということが知れるし、しょっちゅう山に行っているとやっているのを直に見たりする。誰それさんのビワ畑はきれいに剪定されていて、高齢なのによく頑張っているなあ、道の草刈りでもして気持ちよくできるだけ長く山にいってほしいものだとか思う。口では第一次産業が重要ですと言いながら、若いのに、そのビワ畑は荒れていると、どうかと思う。これも普通の人の感想だろう。
 おらの物差しは、こつこつ努力する人や、働く人はプラスに評価する。「口先だけ」はマイナスである。口先だけで人を使ったり、踊らせたりするのはけしからんと思う。祝島の石垣は凄い。一次産業を支えてきた礎だと思う。こつこつ1つずつ石を積み上げてできたものだ。口先だげでは小石1つ積むことはできはしない。島の人間関係もこつこつと積み上げてきたものである。
 石垣が何十年かたつと雨などで少しずつ崩れるところが出てくる。人間関係も、何かのきっかけで崩れることがある。選挙は用心しなくてはいけない。「口先だけ」や、口車に乗らないように気をつけなくてはいけない。普通のおらとしては、日ごろの行動を物差しにすればいいと思う。
 人間関係の濃いい祝島での選挙は、候補者の板挟みになる人がいて苦しみをうむことがある。そのために島民の会で推薦者を決めてまとまろうというのが、原発に反対する祝島の知恵だったと思う。それが今回自分勝手なわがままを通そうとする1人の候補者のために苦しみをうむ形になったと言える。おらは大変けしからんことだと思っている。Eさんなんかは頭から湯気を出して怒っている。
 
 今日はオオクボにユウベエとビワの葉を採りに行った。ユウベエは初のバイク遠乗りである。二袋採って帰る。おらはソーズイまで罠を見に行ってきたが、かかっていなかった。
 ヒロコおばさんは昼までタミちゃんヒジキグループの手伝いだった。早起きをすると一日が長くて得をしたような感じになる。
 夜、後援会事務所。


1月30日(火)晴れ 西風
 今日は早起きをして、釣り道具の修繕をした。
 午前、ソーズイに罠を見に行く。かかっていなかったが、大きな穴を10カ所くらい掘っていた。かなり大きいイノシシだろう。
 ソーズイからの帰りに、平の万ちゃんからミカンをいただいた。帰って試食すると甘い。いい味だ。
 おらの所のキューイも軟らかくなり、なかなか旨い。
 久し振りにわた家で昼飯のカレーうどん。
 午後、ヨボシまで歩いてみる。なんとか歩けた。ヒジキがだいぶ伸びている。29日に口開けをした。
 旧五月丸のアカ換えをする。エンジンは取り外しているのだが、新五月丸のとなりに繋いで倉庫的に活用している。さらに次の活用を考えているのである。
 夜、後援会事務所。


1月31日(水)晴れ 凪
 ヒロコおばさんはタミちゃんグループヒジキ干しの手伝い。
 おらはトシ坊と、学校にかわず桜を植樹。上関町町制60執念記念の植樹である。
 午後ヨボシに釣りに出る。鯛3、ネバル2。
 夜、後援会事務所。