同窓会あれこれ 集合写真
祝島中37年度卒業生同窓会の様子を書いてみます。男は呼び合う名前通りに、女はさんを付けて書きます。
実際に呼び合うときは付けていませんでしたが。

 2003年1月25日(土)昼便で出発。祝島からの参加は浜本のしんたろうとおらの2人。
 上関からは、しんたろうの車で行くことになっている。上関で木村のたんだあが待っていた。たんだあとは40年ぶりである。顔は十分面影が残っている。室津では立花のみいちゃんが乗る。平生で小泉のけんぼうが乗り、5人で宮島に向かう。岩国を通過する頃昼田のあやこさんの話が出る。岩国に住んでいるのだが、忙しくて出られないとの連絡があった。
 宮島口につくと10人ばかりの人盛りでにぎやかな関西人がいた。一番にぎやかなのがひろせんだった。ひろせんは猟銃を持っていて、(もちろん許可を持っている。)あっちこっちで猟をしているらしい。それでアケブのあるところも良く知っていて、秋にはアケブを採って、皮も調理して食べるらしい。皮の調理法も聞いたので、この秋には食べてみよう。
 その時、天草のこういちは競艇に行っているということで、山根のたあぼうと小泉のけんぼうが「呼びに行く」と言って競艇場に行った。みんなは2人が「呼びに行く」ためとは思っていないようだった。
 第一陣のグループ十数人が宮島に渡ってからぞろぞろ歩いて会場の国民宿舎に向かった。ひろせんは鹿を見ては「やせている」とか言っていた。一陣がロビーで話をしていると、二陣、三陣がやってきてにぎやかになる。
 40年ぶりに会うものも多く、誰やらわからんものもいるようだった。おらもわかりにくい方に入るようだった。おらは出席者の名前がわかっていたのでみんな目星はついた。一番わかりにくかったのが中原のひでこさんで、多分40年ぶりだろう。むこうも、おらがわからんかったという。やはりおなごのほうがわかりにくい。国広のあやのさん、田坂のまんりいさん、石丸のきょうこさん、三浦のふみえさん・・・一言話をするとすぐ昔の顔を思い出し話が弾む。立花のみいちゃんは、祝島では隣近所で幼なじみ。今回の同窓会では受付をしてくれた。
 変わっていないのは木下のしんちゃん、正本のよっちゃん、小泉のけんぼう、恵比須のかずさあ、酒井のひさぼうがトップ5だろう。祝島でよく会うものは、変わっていても変わっているとは感じにくい。浜本のしんたろうだって変わっているのだが、よく出会ったり、話したりしているので、どれほど変わっているのか判断しにくい。
 最後に木村のまさこさんが茨城県からやってきた。上野駅と浦和駅を聞き間違えて浦和に降りて遅れたそうだ。そういうそそっかしいところを笑い話にできるところがいい。木村のまさこさんは夏休みに帰り、よく会っているのですぐわかる。 
 宴会が始まって、話が弾む。食べ、飲みながら、歌も入ってきた。立道のしんげえ・ふみえさん夫妻がマイクを占領しかけてきたので、みんなが気を使い始めた。土井のいっくうが、何となくカラオケ係になって頑張ってくれる。いっくうは子どもの時から元気だ。いっくうは島では近所で幼なじみといえる。話をしてみると「わかくさ」なので、「ブッツケ」(メンコ)は主に酒井の石でやっていたらしい。おらは國弘の石でやっていたので、ブッツケの時はあまり一緒に遊んでいないのだ。いっくうは天草のこういち達と同じ場所だったようである。おらは國弘の石では折井のとしぼう達とやっていた。ダイジュウの話も弾んだ。
 話ばかりして歌を歌ったのは誰だったかあまり覚えていないが、みんなうまい。特に天草のこういちは歌詞の所々に吉岡先生や橋本のかずよしを登場させて、喝采を浴びていた。こういちは中学の時から、聞くのが楽しみなくらい、松島アキラの歌のものまねなどがうまかったのである。吉岡先生は、音楽の先生で、今は三味線をやっていて、「名取り」らしい。明日「和楽器の夕べ」が柳井であり、その演奏のリハーサルがこの日あって、同窓会に出られなかったのである。
 江本のゆうぼうは写真係で素晴らしく活躍していた。顔の色つやと元気の良さは江本のゆうぼうと土井のいっくうがトップ争いだろう。快活である。ゆうぼうは岐阜県から来た。卒業後ずっと同じ仕事をし、今はそのかたわらゲートボールの指導員をやっているそうだ。いっくうは大阪の方にいて、今は登山が趣味で日本アルプスに登っているという。自治会の登山では副リーダー格ということである。疲れた人の荷物を背負ったりすることが結構あるそうな。参加者に60歳過ぎの人が多いようなので、そうなるようだ。
 宴会場はいつしか411号室に移っていた。松井ののんぶうはのぶとも言うが、、話し方が変わっていない。つうやんとともに「あさひ」の代表だろう。おらも「あさひ」だが、この2人はもっと「あさひ」である。のぶが「おらが中学校時代に好きだったのは誰と思うか。」というから2人ほど言ってみたら、「違う」と言った。当たっていたのにそう言うたのかどうかは不明である。
 いつの間にか午前二時を過ぎていたらしい頃、天草のこういちと清水のかずぼうとおらが話しているとき、かずぼうが「野球でサードで四番を張っていた」と言った。それを信じるかどうかで、3人の間で会談が始まったのである。三者会談は誰かの提案で午前四時に終わった。ゆうぼうもつき合っていたような気がする。サードの四番で2時間の会談が生き生きと行われるのも同窓会ならではある。どれほど生き生きとしていたかは帰りのフェリーの中まで話題になったことでもわかる。おらが頭はかずぼうに洗脳されかかり、フェリーではかずぼうの「サード四番」をあり得ないことはないと思い始めていた。こういちはまだ信じてはいない模様だった。
 宮島口で喫茶店をゆうぼうが探してきて、みんなで入る。多すぎて紙コップでコーヒーを飲む。コーヒー代を一杯当たり50円まけてくれた。
 店の人が「祝島中学校の同窓会です。」というと、「いいですねえ、普通の観光客と何となく違うと思っていました。」といっていた。そういわれて見ると、本当にみんな楽しそうに話している。いいおっさん、おばさんが本当にいい顔で話している。
 いい同窓会だった。 

 限られた時間では、挨拶くらいであまり話ができなかった人も多い。またの機会までおあずけであり、楽しみである。

 きょうこさんから楽しかったとハガキが届き、のぶから手紙が来た。しんちゃんとゆうぼうからメール。かずぼうとよっちゃん、あやのさん、まりこさんから電話がかかり、ゆうぼうから、2月5日に写真が届いた。 


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