苗売りや金魚売りの心地よい声が往来に響き
時折店先から聞こえてくる風鈴のかすかな音色が耳に楽しい。
そんな賑やかな江戸の街中を、渋い薄茶の着流しに首には細めの鎖をかけた
目もとの涼しげな伊達男が、たった今買ったばかりの赤い金魚の入った
器を下げ軽やかな足取りで歩いている。
どうやら向かう先はこじんまりとしてはいるが洒落た造りの一軒の料亭。
打ち水をし、清められた石畳に足を踏み入れ
深い藍色の木綿地に「料亭泉屋」と染め抜かれた張りのいい暖簾をくぐれば
「いらっしゃいませ。」とかかる気持のよい声。女中に軽く目配せして
店の奥へと入っていった仁之助は最奥に設えられた喫煙席の男二人に目を止めた。
煙管をくゆらすひょろりとした色白な男に、それとは向かい合わせに座り
これまた一度会ったら決して忘れられないような風貌の男が
煙草が人体に及ぼす害について力説している。
なにも言わず、しばらくその様子を窺っていたものの、容赦なく説教され肩身を狭くしている
もやし男がなんだか気の毒になってきて助け舟を出すことにした。
仁之助は、ますます熱弁をふるう男の肩を後ろからぽんぽんと叩いた。
「堂悦先生、まあ、そんなに熱くならなくても。ただでさえ暑い時なのに」
ふいに名前を呼ばれて振りかえれば堀本堂悦が先刻から待っていた当人で。
「そうは思ってもなかなか止められないのが酒と煙管。
先生も良く御存知でしょ?それにしてもあっちの悪癖だけはかわいい嫁さんを
貰ってからは、みごとにおさまったってまちじゅうのもっぱらの評判。
さすがはみよちゃんだね。その賢い奥さんにこれ、渡しといて。」と
手に持っていた金魚を渡した。
☆
ほどなくして、二人っきりになると
「ところで仁さん、あの話は耳に入ったかね。」
と、堀本堂悦がようやく本題に入る。
「いったいどんな話しなんだい。」
仁之助は堂悦を離れの座敷にいざなって聞き返した。
堂悦はてらてらした頭を撫でまわしながら、
「さっきそこで煙管をやっていた浪人さんから聞いた話なんだが、
吹矢の毒で殺された尾張屋のところに押し込みが入ったらしいんだ。」
「なんだって。それはいつのことだい。」
「うむ、丁度尾張屋の初七日の晩のことだ。」
「可哀相に、奉公人は皆殺しで後家の”おみね”はさらわれ、
蔵の中のものは洗いざらい盗んでいったらしい。
蔵の中には朱印の双頭蛇の絵が壁に貼りつけてあったとのことだ。」
「朱印の双頭蛇の絵...」
押し込みに入った先に、朱印の双頭蛇の絵を置いていくのは蛇骨の長兵衛の手口。
「初七日の晩と言えば、おれ達が長兵衛を葬った翌晩じゃないか。」
「そうじゃったかな。でもそれがどうしたっていうんだい。」と堂悦。
「双頭蛇は蛇骨の長兵衛の紋札なんだぜ。」
「げっ、こりゃいったいどういうことなんだ。」
☆
そのころ、大阪の香具師の元締めの奥座敷では、
女が媚びた姿態で元締めと酒を酌み交わしていた。
元締めは”破魔崎の伝蔵”といい繁華一帯を取り仕切っている暗黒街の親分である。
年のころは30歳過ぎであろうか。女の顔は酒と男の愛撫に上気し、
首筋からはご禁制の香が匂いたっている。
そして、その白く細い指でたらいの縁を叩いては、たらいの中に放された
赤と黒の金魚に向かってできる小さな波紋を愉しんでいる。
笑うと、大きめの歯が行儀よく並んでいて、なかなか愛嬌のある男好きのする顔立ちである。
実は、この女は初七日の晩にさらわれたはずの尾張屋の後家”おみね”ではないか。
しかも、もしこの女の顔をお雪がみたら何と言うだろう。
この女の顔は、お雪が幼いころに死に別れた母おふじにうりふたつなのだ。
もっとも、おふじにはほくろはなかったのだが。
これはいったいどういうことなのか...。
☆
「それにしてもおみね、今度のつとめは番狂わせだったな。」
「あい、あたしも驚きましたよ。」
「まさか蛇骨の兄貴があんなことになろうとはなぁ。」
「お前を引き込みにいれていた尾張屋が蛇骨の兄貴に殺されたことにも驚いたが、
その兄貴が殺されてしまうとはなぁ。」
「準備不足だったが初七日のどさくさに急ぎ働きをしてしまおうなんざ、おみねの肝は太ぇな。」
「まして、朱印の双頭蛇まで使うとは恐れ入ったよ。」
「それもこれもお前様のためにしたんじゃないかぇ。」
「おお、ほんにそうよ。さぁ、もそっとこっちへ来ねぇ。」
「それにしても、何とか蛇骨の兄いの仇をとりてぇ。」
それは料亭仲間の寄り合いの帰り道だった。
月も星も無い暗い夜道を、提灯持ちを前にほろ酔い気分で歩く片桐仁之助。
元は二本差しだったが、今では江戸深川を束ねる香具師の元締め。
今晩は断りきれない性格をいいことに、来月に行われる夏祭りの
企画を一手に任されてしまった。
肩にズシッとのしかかる責任の数々どう処理して行こうかと
あらゆる知恵を総動員してうんうんと頭を捻りながら仁之助が橋を渡りかけた時だった。
物も言わず提灯持ちが切り殺され、橋の上でめらめらと燃える提灯。
刺客の青白い針の目に射つけられたときに、仁之助は身動きができなくなってしまった。
刺客の太刀が上段から振り下ろされた時は、もはや駄目かと思われた。
その時、どこからか飛礫が刺客の腕を打ち、刃は急所をわずかにそれて仁之助の肩口を切り割った。
「ちっ、邪魔者か。」
刺客は闇に溶け込むように駆け去った。
「ふむ、傷は浅いが出血がいかんな。」
そう言うと、先ほど飛礫を投げ打った浪人が袂を裂いて止血にかかった。
「とにかく医者にみせなくてはいかん。」
浪人が仁之助を担ぎ込んだのは整体師堀本堂悦のところであった。
「ああ、日陰さんこんな時刻にどうしなすったね。」
「いや、ちょっと怪我人を拾いましてね。」
「助かるかどうか分かりませんが、ここが近かったもので、ま、ご迷惑でしょうが。」
「ふーん。怪我人じゃ放ってもおけまい。どれ。」
「あ、仁さんじゃないか。これはいったい...」
☆
丸三日間昏睡状態が続いた仁之助であったが、さすが奇跡の迷医堂悦。
俄仕立ての外科医よろしく傷を縫合して仁之助の一命をとりとめたのであった。
「おお、仁之助さん気がつかれたかな。」
「ここは?」
「あんたは斬られなすったんだよ。分かるかね。」
「う、痛たたたたぁっ。」
「痛みが分かればもう大丈夫ですな。」
「この方はどなたで?何処かでお会いしたような…」
「ああ、こちらは日陰さんといって、仁之助さんをここまで運んできてくれた人ですよ。」
「それは、どうもありがとうございました。」
「いや、なんの礼にはおよびません。私は日陰靄四郎というものです。よろしく。」
「へぇっ、もやしろう様?」
「あっ、そういえばあの時の。。。」
「あはは、そうです。」
「仁之助さん、この方は旗本の四男坊に産まれたんじゃが絵が好きで家を飛び出しちゃったんですよ。」
「あ、いや、正確に言うと勘当されたということでしてな。」
ぽりぽりと頭をかく靄四郎はいかにも人がよさそうである。
「子供達に手習いや絵を教えていらしゃるんですよ。」
「奉行所に頼まれて人相書きもやっていなさる。」
「ま、食うためには何でも描かにゃ。」
と靄四郎衒うところが無い。
「ほれ、この間の事件のことを聞き込んだのがこの日陰さんですよ。」
「な、なんだって。その話しをっ痛つつ...」
「ああ、無理をしちゃぁいけない。少し休んだがいい。」
堂悦が仁之助に薬湯を飲ませると落ち着きを取り戻し、眠りに落ちていった。
☆
ここは大阪の香具師の元締めの奥座敷。
破魔崎の伝蔵と刺客の金子清十郎が冷酒を前に向かい合っている。
「金子先生ともあろう人がねぇ。しくじりなさったとはねぇ」
「むぅ、面目無い。」
「まあ、邪魔が入っちゃ仕方がない。」
「知っていたのか。さては見張りをつけていたのか。」
「先生、私のすることですよ。」
「三次がちゃんと見届けてましたよ。」
「うぅむ、気がつかなんだ。」
「先生は斬るのが専門、三次は見張りが専門でさぁ。」
「この次はしっかり頼みましたよ。」
「うむ。わかった。」
伝蔵の盃を受けながら、目の青白い光を細め仁之助殺害を再び狙う
金子清十郎であった。
TAKAさんのばっちりな筋書きに、時折茶茶を入れてみたり。。。
それでもどうにかしてくださるよね?>TAKAさん