ここは大阪。
とある船宿の二階座敷。
船宿は舟を利用するお客が時間待ちをするためのものであるが、
酒食も出す。
近頃では男女の密会の場所にもなっている。
障子を開け放ち涼をとっている女は、
ぼんやりと川を行き来する舟を眺めている。
そして、白く細い指で手持ち無沙汰に膝を叩き流行り歌を口ずさんでいる。
「お連れの方がお見えです。」
女中の案内で襖を開けて部屋へ入ってきたのは、
まるで牛若丸のような美しい面立ちの若武者。
「姉上、お久しぶりです。」
「よく来ておくれだね、お蓮。」
姉は破魔崎の伝蔵の妾のおみね、
そして若武者姿の男装の妹は根来衆の女頭領お蓮。
「私たち嘉納一族の怨みを晴らす機会がやっときました。」
「姉上、このときをどんなに待ったことか。」
「伝蔵のおもだった手下はもうあたしの思うまま。」
「姉上、江戸への足がかりは如何なりましたか?」
「ええ、片桐仁之助の縄張りをそっくりいただこうと思って手を打って
いるんだけどなかなか手ごわいのさ。」
「お蓮もその時のために怠りないようにしておくれ。」
「姉上、お任せ下さい。」
見た目美しいゴージャスな姉妹であるが、何やらいわくがありそうである。
巣鴨ではおきのが元四郎の帰りを待ちわびていた。
「ああ、元四郎の馬鹿野郎はいったいどこへ行っちまったんだい。」
「もう他に男つくちゃおうかなぁ。」
おきのが夕餉の仕度のために井戸水を汲みに出ると、
街道を歩いてくる二人連れが見えた。
百姓風体の若い娘と老爺である。
確かに歩いているのだが速い。
走っているかのような早さなのに歩いているとしか見えない。
(只者じゃない。同業者か、それとも忍者者か?)
女ねずみおきのの目から見ればその超人的な脚力がすぐに分かる。
(まぁ、あたしにゃ関係無いことさ。)
そして、汲み桶を掴むと
「元四郎のオタンコナス(`ヘ´) 。」
と言って井戸に投げ入れるのであった。
☆
仁之助の傷は堀本堂悦の揉み療治が効き、順調な快復をしめした。
今では香具師の元締めとしての本宅で妻”おてる”の介抱を受けながら養生をしている。
お雪は江戸に着くとまず堂悦を訪ね、
それから玄蔵を帰してひとり深川の仁之助方へ向かったのであった。
「仁さん、仁さん。」
「怪我はどんなんだい。」
「もう、いいのかえ?」
床に上体を起して迎えた仁之助にお雪は抱きついた。
「あいてて、お雪さんもう少し優しく頼むよ。」
「ああ、ご免よ。もう、心配で心配で。」
「でも、思ったより元気そうで安心したよ。」
「仁之助になにかあったら、あたしはおてるさんに顔向けができない。」
「この人はちょっとやそっとでくたばる人じゃありませんよ」
とおてるが茶を煎れながら茶々を入れる。
「...まぁ、今度のことは商売敵の仕業だろうと思う。」
「縄張り争いは油断も隙もねえからな。」
「でも、仁之助ともあろうものが情けないねぇ。」
とお雪。
「あぁ、面目ないが、あいつはちょいと恐ろしい奴だ。」
「あいつのあの青白い目の光に俺は身動き出来なくなっちまった。」
「実に恐ろしい奴だった。」
と遠い目をして語る仁之助の顔は強張るのであった。
真っ青な空を見上げるように、大きな向日葵が咲いている。
庭先では働き者の仁之助の女房”おてる”が虫干しに精を出している。
「ああ、もう大分良くなったね。」
と堀本堂悦が仁之助の傷の具合をみて言った。
「先生、もう床を払ってもいいでしょう。退屈でしょうがない。」
「うむ、まあいいだろう。」
「ありがてぇ。」
そこへ、お雪と靄四郎が連れ立って仁之助の見舞いに訪れた。
「おや、仁さんもう起きてもいいのかい?」
とお雪が仁之助の快復を喜んだ。
「仁之助さん、ちょうどいいや。これで快気祝いをしよう。」
靄四郎が手に持ってきた酒徳利の腹を軽く叩いた。
「いや、いかんいかん。」
と堂悦。
「仁之助さんは死にそこなったんだから酒などまだ駄目じゃ」
口をへの字にした仁之助がお雪と靄四郎をかえりみて。
「ああ、これですよ。」
「煙管は駄目、酒は駄目、女もいけない。」
「もう、生きる愉しみは何にもありゃしない。ああ、やだねったら、やだね♪」
治りかけの今が肝心と堂悦がいつもの説教を始めた。
やれやれと苦笑している靄四郎に意味ありげな目配せをしたお雪が、
徳利を受け取ってその酒を口に含むと仁之助に覆い被さった。
あっけにとられる堂悦と靄四郎。
仁之助に口移しで酒を含ませたお雪は、
「飲みすぎは毒だけど、人肌の少しの酒なら薬でしょ。堂悦さん。」
堂悦はぽかんとして「はぁ。」と答えるだけだった。
「仁さんももう十分でしょ。」
「あぁ、うん。」
仁之助、わずかな酒で真っ赤になってしどろもどろである。
話は今後の養生のことになった。
「ここはどうも何者かに見張られているようですな。」
と靄四郎。
「どうもそのようです。」
と応える仁之助。
「実は私の知り合いが年に一度逗留する温泉宿が箱根にあるんですが、
仁之助さんをそこへ隠してはいかがでしょうか、堂悦さん。」
「いい考えね。」とお雪。
「そうじゃな、もう揉み療治よりも温泉の方が効くかもしれん。」
堂悦も箱根行きに賛成した。
「じゃが、一人で歩けるようになるにはあとふた月はかかるじゃろ。」
「それでは私は早速話をつけてきます。」
と靄四郎は出ていった。
それからしばらくして、堂悦とお雪が連れ立って帰っていった。
「お雪さん、いやどうも驚いたね。」
「やはり、今の仁之助さんには酒はいかんのじゃが。」
「分かっています。でも、私と仁さんは生死をともにした仲。」
「色恋沙汰とは関係ないところで結ばれているんです。」
「今度のことも私が油断していたのがいけなかったと思うの。」
「だから、償いの気持ちを表したくてつい...」
「分かりましたよ、お雪さん。あんたは優しい人だねぇ。」
そのころ仁之助は一人妄想をかきたてていた。
(お雪め、何てことしやがるんだ。)
(こんなところを”おてる”に見られたら大変なことになる。)
(しかし、お雪が俺に気があるとはなぁ。)
(箱根の湯治場へこっそり呼んでみるか...)
お雪の気も知らず、だらしなく鼻の下を伸ばす仁之助であった。
☆
ここはとある屋敷の奥庭に面した書院の一室。
先ほどからこの屋敷の主と面談しているのは、
気の良い絵描き浪人日陰靄四郎そのひとである。
「お奉行、御健勝なる御尊顔を拝し恐悦至極に存じます。」
「これ、そのような堅苦しい挨拶は抜きにせよ。」
「ところで、久しぶりだのぉ。二人きりじゃ、憚るところはない。」
「はい、お父上。まったくご無沙汰致しました。」
「最近は市中には変事もないようじゃのぉ、結構なことだ。」
日陰靄四郎、本名は高木丈之進。
江戸北町奉行高木帯刀(たかぎたてわき)の四男である。
そして、江戸でその名を知られた無念流平山道場の免許皆伝でもある。
なお、この物語では日陰靄四郎の名前で通すこととしたい。
靄四郎が江戸市民を護る父を助けるため隠密として市中に出ることを申し出たとき
父帯刀はこれを許さなかった。
「父上、私は兄上達の厄介物として過ごすことは我慢できません。
できることなら父上のお役に立ちたい。」
そう言って、叔父の養子になり元々好きであった絵画道楽を理由に
勘当といった手の込んだことをして市中に潜り込んだのであった。
「お前のもたらす情報によってどれだけ悪事の芽を摘めたかしれん。」
「が、もう良い加減わしが手元に戻ってはどうか。」
「父上、お言葉ですが私は今の生活が面白くてしかたがありません。」
「性にあっているのかもしれません。今しばらく我侭をお許し下さい。」
こんなことを言う靄四郎を帯刀はあきれもし致しかたないこととも思った。
「実は父上、本日はお願い事があって参上致しました。」
「うむ、何なりと申してみよ。」
久しぶりに会った親子の会話は酒食を挟んで二刻にも及ぶのであった.。
☆
三次が今日も仁之助の本宅を見張っていた。
はす向かいにある蕎麦屋の二階に住み込んでもうかれこれふた月ほどになる。
(ここは見張りやすいが何とも退屈でかなわねぇ。)
仁之助方ではほとんどこれといった動きがないのである。
翌朝、にわかに仁之助宅が慌しくなった。
どうやら、仁之助が流行り病を患ったということだ。
堀本堂悦が呼ばれ、町医者も来た。
昼過ぎに笠を被った垢臭い乞食坊主が軒先でお布施を求めて経を唱えていると、
宅内に引きずり込まれたかと思うと外へ放り出された。
どこか打ち所が悪かったのか足取りがふらついてほうほうの体で逃げていく。
その後を妻のおてるが塩を撒いて何か怒鳴っている。
(はぁ、さては仁之助の野郎の容態が余程悪くなったのだな。)
(こんなときに坊主に経を唱えられたら確かに縁起でもねえ。)
一部始終を見ていた三次は一人合点して坊主がよろよろと歩いていくのを
可笑しさをこらえて見送っていた。
品川の外れの茶店で饅頭を頬張る浪人者がひとり。
気の良い絵描き浪人日陰靄四郎である。
やがて、笠を被った垢臭い乞食坊主が茶店の前を通りかかると、
靄四郎は茶代を置いて用意の笠を被りその乞食坊主のあとをつけ始めた。
「上手くいきましたね。仁之助さん。」
「ああ、あなたの計画どおりに上手くいきましたよ。」
あの時追い出されたと見えた坊主は仁之助が入れ替わっていたのである。
すべては江戸を人知れず脱出するための芝居だったのである。
「ちょっと大仰だったでしょうか?」
「いや、そんなこともない。」
「今度あいつの凄腕にかかったら俺はもう助からない気がする。」
「今はとにかく、その体を治すのが先決ですよ。」
「もう少し先へ行ったところに駕籠を待たせています。」
「大変でしょうがもうちょっと辛抱して下さい。」
靄四郎、なかなかの策士である。
そして、二人は前後に距離をおいてゆっくりと箱根を目指して行くのであった。
水鏡に映る庭園の灯
シトシトと降る雨が
その影をなおさら燃えているかのように錯覚させる。
前方に目をやれば、なだらかな丘の上に
適度な間隔を保ちながら
立ち並んでいる樫の木々。
風を受けて同じ方角に葉を揺らすその姿は
まるで神にでも祈りをささげるがごとく
牧歌的でありながらも神秘的だ。
仁之助は箱根の露天風呂に入り
もうすでに半刻の間、こうして湯につかり
あたりの景色に見惚れている。
「あぁ〜、気持ちがいい。
娑婆での垢が一遍に削げ落ちるようだ。
体が思うように動かないのは困ったものだが
たまにはこうしてゆっくりするのも悪くないものだな。
できることならおてるも連れて来てやりたかった」
などとガラにもなく高尚なことを考え
両手に湯を掬い汗ばんだ顔をばさばさと洗うと
脱衣場のほうから声がかかった
「仁さんそろそろ出ないと逆上せますよ」
「仁之介さん、こりゃ大分に良くなって来たねぇ。」
「はい、なにもかも堂悦先生のお蔭です。」
「いや、そうでもあるまい。
ここの箱根の湯が効いておるのじゃ。
このまま仁之介さんは何にも考えずに
のんびりと湯治を続けることじゃ。」
「はい、そうします。」
「どれ、わしも明日は江戸へ帰ろう。
その前に、これからひとっ風呂浴びてくるか。」
片桐仁之介は刺客金子清十郎に斬られた傷の養生のため
隠密同心日陰靄四郎の計らいにより
ここ箱根の隠れ湯で長湯治をしている。
仁之介の一命をとりとめた奇跡の揉み療治師堀本堂悦は
その後の傷の経過を診るために箱根までやってきたのであった。
堀本堂悦は隠れ湯の湯治場を出て
共同湯の方へ向かった。
こちらの方が湯船が大きくて気持ちがいい。
やがて、堂悦が着物を脱ぎ湯殿へと入ると
すでに一人の女が湯につかっていた。
「あっ、これは失礼しました。」
慌てて戻ろうとする堂悦にその女が声をかけた。
「ああ、よろしいんですよ。
ここの湯は混浴ですから。」
「そうですか、では、甘えさせていただきましょう。」
そういうと堂悦は遠慮がちに湯で汗を流して湯船につかった。
堂悦はてらてらとした頭も顔も撫でまわして
心地よい湯に満足であった。
女の方をちらっと盗み見ると
歳の頃は二十二三歳であろうか
色の白いほっそりとしたいい女である。
(ああ、おみよは今ごろどうしているだろうか。
まさか浮気などしていないだろうねぇ。)
そんなことを考えていると
湯がわずかに波だって女が湯からあがった。
「お先に失礼します。」
そういって女は湯殿を後にしたが
堂悦の茹で上がった顔はむしろ血の気が退くかのようであった。
湯殿から消えていくその女の背中には
見事な白彫りの登り龍が彫られていて
しかも白い肌が湯で上気して鮮やかな桃色に染めあがっている。
気を飲まれた堂悦は呆然とその背中を見送るだけであった。
くっ〜〜〜、、、TAKAさん、最高っす。おもしろすぎっ!
続きがはやく読みたぁぁぁ〜〜〜い♪