ここは江戸郊外。
夏の寝苦しさも和らいできた秋日和。
一人の人品卑しからずのお武家が
大股にしかものんびりと道を歩いていた。
この武士、腰の大小のあつらえも立派なものであり
衣服もなかなかのものである。
それにも関わらず供の者も連れず
何やらぶつくさと言いながら歩いているのである。
「退屈を 帰る燕が 振り返る
うむうむ、よしよし。」
お雪と佐助が連れだって江戸へ向かう途中
小さな茶店の前を通りかかると
何やら騒ぎが起こっていた。
「俺たち雷神党に楯突こうたぁいい度胸だ。」
「腕の一本でもたた斬ってしまえ。」
見ると、旅商人が一人、二人の浪人者にいたぶられていた。
旅商人は顔もどこもかしこも泥まみれで
一人の浪人に蹴倒されている。
そして、もう一人の浪人が茶店の縁台に腰掛けて指図しているのであった。
「ええ、どうした。
さっさとその荷を置いて何処なりとうせてしまえ。」
「いえ、この荷は手前の大事な品です。
どうかお許しを...」
許しを請おうが何しようが浪人どもの悪辣は容赦ない。
見兼ねた佐助が助けようとしたとき
お雪がこれを止めた。
そのとき、一人の武士が駆け寄り、いきなり浪人を投げ飛ばしてしまった。
見ればこれは先ほどの風流な武士である。
「お主ら、寄ってたかっての不埒な振る舞い
事と次第によっては、この早乙女露詩之介が相手になろう。」
「なんだとぉ、ふざけた真似をしやがってぇ。」
茶店の縁台に腰掛けていた渋顔の浪人が太刀を引き抜いて
横殴りに武士に斬りかかった。
武士は、難なくこれをかわし
ゆっくりと引きぬいた太刀を正眼に構えた。
「女郎花 尾花と化け合う 葦の里
ふむ、いまひとつ。」
「何だとぉ、えいっ。」
つり込まれた浪人が上段から撃ちかかるとこれを打ち払い
返す刀で浪人の右腕を肘のあたりから切り落としてしまった。
腕を切り落とされて激痛にのた打ち回る浪人を
もう一人の浪人が抱えて逃げ去っていった。
「お武家様、ありがとうございました。」
「なに、礼などいらぬわ。
ほんの退屈凌ぎまでのことよ。
うわっはっはっはっはぁ〜。」
と何事もなかったかのように遠ざかっていくのであった。
「佐助、見たかい。今の武士が早乙女露詩之介だよ。
近ごろ江戸で旗本退屈男と呼ばれて評判の男だよ。」
「へぇ〜、そうなのかい。
随分と腕のたつ奴だねぇ。」
「早乙女は徳川家譜代の幕臣旗本で二千石の大身さ。
前の将軍の剣術指南役を務めて御前試合においては
百戦百勝の剣の達人なのさ。
そして自ら、荻野流松葉崩を創案して剣術界の重鎮となり
将軍から天下ご免のお墨付きをもらったのさ。
今はその将軍も隠居してしまったので
早乙女も隠居したんだけど
持ち前の好奇心旺盛なことから
屋敷に居ては「退屈だぁと言って」
江戸市中へ単身でたびたび微行しているって噂だよ。
「ふ〜ん、でもあいつは斬り合いの最中に何だかぶつくさ言ってたねぇ。」
「うふふふふ...。さぁ、急ぐよ。」