思えばあの時からだ
お涼が本気で復讐を誓ったのは。
それは、お涼がまだ忍びの郷にいたころ
最愛の父の仇を猫間十三と追っていたときのことだ。
二人が佐助を追い詰め
佐助の必死の反撃を受けて動けなくなった猫間十三を後に残し
ついに佐助の隙をついたお涼は
すんでのところで佐助を取り逃がした。
いや、逃がしたというのはあたらない。
逃がしたのはむしろ佐助のほうであった。
体力も術も佐助のほうが数枚上手であった。
お涼が佐助の背後をついて投げ撃った手裏剣は
移し身の木幹に空しく打ち当たっただけであった。
そして、逆に背後をついた佐助に組み敷かれる格好になった。
(やられる。)
お涼は観念したが、止めの一撃はなかった。
胸を締め付けていた佐助の逞しい手の力が緩み
仰向けにされ、忍び覆面を剥がされたそのとき
(さては、)と思い
むしろ反撃の好機と相手に身を任せることにした。
佐助のぎらぎらとした目
白い歯から漏れる息
若々しく力強い野生味を帯びた体臭を
受け入れる振りをしようとした。
がしかし、
「女は斬らぬ。」
そう言い残して佐助の顔が離れて行く。
(ま、待て。)
そう言おうとしたが
お涼の意識はすぐに混濁していった。
(し、しまった。しう゛ぃれぇぐぅすりぃぃ...)
なにゆえあのとき、私を斬らなかったのか。
斬るにも足らぬ未熟者と見たのか。
そして身を任そうとした私をなにゆえ抱かなかったのか。
羞恥が憎悪を呼び
父の仇としてよりも自らの敵として復讐を誓うのであった。
苦々しい回想から我に戻ったお涼は
黙って勘定を余分に置くと縄のれんを押し上げて
闇の中へと吸い込まれていった。
とある昼下がり、謎の愛刀家剣客名和元四郎は、
麹町で見回り中の町奉行所同心、畠山巳鶴とばったり出会った。
「先日は、どうもお世話にというか、恥ずかしい所をお見せしてしまい面目ござらん。」
と苦笑いする元四郎。
旅先の風呂で素っ裸のまま倒れたあと、
実は女性だった畠山同心に介抱されたことを指しているらしい。
「いやいや」といいながらも、思い出し笑いをしてしまう畠山。
その時、仲間の小林を斬った侍を探していた
雷神党の無頼浪人が数人通りかかった。
件の侍を見つけることができずいらついていた彼らは、
二人をみかけると、意地悪い表情でからんできた。
「貴様、今、拙者を見て笑ったな?」
「無礼であろう!」
「なんだ、貴殿ら!」
気の短い元四郎が食ってかかるのを押しとどめるように畠山は
「別に貴殿らを見て笑ったのではない。気に障ったら謝る」
と、静かに言った。
「口では何とでも言えるわ。そのすまねえ気持ちを形で表してもらおうか」
「形と申されても…さて」と言いながら
元四郎に目配せをした畠山は、浪人らに訊いた。
「どうすれば貴殿らの気がすむのだ?」
「懐のものを出してもらえば、それでいいんだがなァ」
「ふふん、ふところねえ? これでよろしいか?」
と畠山が取り出したものを見て、浪人らの顔色が変わった。
「十手。。おまえ、町方か!」
「おまえら、いつもこのようなことをやっておるのだろう。
この町奉行所同心、畠山巳鶴が天にかわってお仕置きよッ!」
浪人どもは逃げられぬと悟ったのか開き直り、
「しゃらくせい、刀の錆びにしてくれるわッ」
と、ギラリと太刀を抜き、斬りかかってきた。
まってましたとばかりに、峰打ちで一人の腕をしたたかに打った元四郎が
チラリと畠山へ視線を送ると
畠山の腕前も相当なもので、むざむざと斬られることはない。
刃と刃を噛みあわせ切り結んでいる。
元四郎が次ぎの相手と刀を交えた瞬間
畠山同心の顔が突然蒼ざめ
口を押えて道端へうずくまる姿が、相手の肩越しに目に入った。
〜げろげろげろ〜
機会到来!と、うずくまった畠山に斬りかかろうとする浪人をみて
「畠山殿ッ、危ないッ!!」
と助けにいこうとするものの
「どこを見ておる!貴様の相手はこの佐々木蔵之介じゃ、でいッ!」
と、佐々木と名乗った、元四郎の相手はかなりの使い手らしく
わずかなスキをみせることもかなわない状態である。
(やむをえん、この背中を斬り割られても畠山殿を救わなくては)
と、身を翻しかけるのと、畠山を襲う白刃が煌めいたのが同時だった。
次の瞬間「ギャーっ」という声と共に血潮が飛び散った。。。。
が、その声の主は、畠山ではなく襲った浪人のものでる。
脛の下を斬られ倒れた男の向こうに、ひとりの侍の姿が浮かび上がった。
「おまえら、またこのようなことをしておるのかッ」
突然現れた侍の大喝があたりに響く。
「貴様は、あのときの!!」と、色めきたつ雷神党の浪人たち。
しかしながら「小林の仇ッ」と口ではいいながら
その腕前を知悉しているだけに、斬りかかれないでいる。
侍は、かの旗本の早乙女露詩之介である。
チャリッ
うずくまる畠山にかけより、畠山を背にして
浪人どもへ刃を向ける元四郎と露詩之介!
「く、くそう覚えてやがれ!」
浪人どもの脱兎のごとく逃げ出す姿に、
遠巻きに見ていた町人らから思わず拍手が沸き起こった。
元四郎は、やんやの声を遠くに聞きながら
「大丈夫でござるか畠山殿、お主らしくもないが、いかが致し・・」
と、また畠山は口を押さえてうずくまった。
!!そのただならぬ様子を見て思わず尋ねた。
「み、巳鶴殿、もしかして、できちゃったの・・?」
「若先生、このことはご内密に、お願い、いたす」
と、ようやく立ちあがった畠山が、すがるような目を元四郎へ向けた。
元四郎は軽くうなずきつつ、危急を救ってくれた侍へ向き直った。
「連れの危ういところをお助け頂き、ありがとうございました。
拙者、名和元四郎と申すもの。こちらは畠山巳鶴殿と申されます」
「いや、礼には及ばぬ。退屈しのぎにやったまでのことよ。
拙者は旗本で、早乙女露詩之介と申す。」
「・・・は?」
「早乙女露詩之介と申すッ」
「・・え?」
「だから、早乙女・・」
「いやその、ひらがなで言ってください」
「さおとめろしのすけじゃ」
「ろしのすけ様でございますか」
「しかし、貴殿も相当の腕前のようじゃな。一刀流とお見受けする」
「早乙女様こそお強いことで。今度剣について語り明かしましょう」
「うむ、楽しみじゃ。お主とは気があいそうじゃのう」
「まあ、早乙女様、お礼は後日改めて致します。
今日は駕籠を拾って畠山殿を送りますゆえ」
「おお、それがよかろう」
「ええ、なんだか小説じゃなくて舞台の台本みたいに、
台詞ばかりになっておりますので、このへんで」
「うむ。左様なら」
「寒くなってきました故、お体にお気をつけて」
「そちたちもな」
くるりと背を向け歩き出す露詩之介。
「楽しけり 炬燵を囲む 朋ができ」
と、つぶやく露詩之介の姿を見送る元四郎らを包むように
木枯らしが吹きぬけていった。