「うぅ、寒いッ」
とある武家屋敷を見張りながら元四郎は身震いをした。
「ちッ、なんでこんな仕事引受けちまったんだろう」

思い出すのは、今から三日前のことである。
元四郎は湯島本郷をのったりと歩いていた。今の本郷二丁目のあたりである。
「運が悪ぅけりゃー死ぬだけさぁ、死ぃぬだぁけぇさあ〜 俺たちは剣士だ!」

と、その時、道端に露店を出している焼唐黍屋が、
「旦那、そこのお侍ぇの旦那、一本どうですかい?」と声をかけた。
「いくらだい」と近づいた元四郎が
「連絡(つなぎ)が入ったのか」小声でつぶやいた。
「ああ、仕事だぜ」
と、焼唐黍屋はあたりに注意を払いながら答える。
この焼唐黍屋の顔を見たら、お涼ならば「あっ」と言うに違いない。
評判の幇間、稲荷屋狐音太夫なのである。
この稲荷屋狐音太夫、本名は唐黍狐音十郎と言い、れっきとした侍で、
幻の必殺技「笑殺の剣」を会得しているということだが、
素性は元四郎ですら詳しく知らない。謎の男ではある。

「今度は、どこの誰に仕掛けるんだ」
「二千石の大身旗本でね」
と、醤油を塗って焼いたとうもろこしを渡す狐音太夫。
おいしそうな香りが元四郎の鼻腔をくすぐる。
「そうか、直参旗本だと踏ん反り返ってる奴にろくなのはいねえからな」
「ところがこいつ、めっぽう腕がたつ奴でね」
「ふふん、おもしろい」
といいながら、ガブリと焼唐黍にかぶりついた。
「だから、もっちゃんと、あっしに廻ってきたってわけさ」
「なるほろ(もぐもぐ)そりゃそうらな(もぐもぐ)」

「で、(もぐもぐ)仕掛ける相手の名は?(もぐもぐ)」
「先の上様の剣術指南役、早乙女露詩之介」
「ぶーっ」
狐音太夫の顔に、元四郎の吹き出した焼もろこしがはりつく。
「なんだって?」
「Saotome Roshinosuke」
と、ききかじった蘭学の知識で繰り返す狐音太夫の着物からは
[明日がある差]という意味不明な彫り物が覘いている。

「狐音ちゃん、そいつは本当に生かしておいちゃ為にならねえ奴かい」
「だから仕事がまわってきたんじゃねえのか」
「この仕掛けの起こり(依頼者)は誰だい」
「そんなこたあ、俺が知るわけねえ」と、狐音太夫は憮然として答える。
「どこの元締からだ」
「破魔崎の伝蔵さんだが。。」
「ふん、あいつか。虫の好かねえ奴だ」
「そりゃあ俺も同じだ。。やめとくかい」
「ここまで聞いたら、辞められねえんだろ」
「辞められないとまらない、狩る微意の河童蝦煎ってな」
この二人、裏の仕事を請け負う「仕掛け人」なのである。

「ほら、これは半金の25両、残りは殺ったあとだ」
「で、狐音ちゃん、ひとつ頼みがある」
「なんだい」
「この仕掛け、俺ひとりにまかせちゃくれねえか」
「ふうん」
「もちろん、狐音ちゃんの取り分はそのままでいい」
「そいつぁ、いけねえ」
「いや、とっておいてくれ、これは俺の我儘だからな」
「ふむ。まあいいや、まかせたよ」
何かある。と感じた狐音太夫は、深く尋ねようとはしない。
「すまねえな、狐音ちゃん」
「おっといけねえ、稲毛屋の安売りがはじまっちまう。急いで店たたまねぇと」
「そうか、じゃあな」と歩きはじめた元四郎に狐音太夫が声をかけた。
「旦那、お代、百文!」
「でえ!高えな、ちっとは負けろい」
当時、一番安い夜鷹蕎麦が十二文。どじょう鍋が二百文である。
本日の御公儀為替令斗で、1両は六千文だ。
百文は1両の60分の1。米が一升以上は買える。


(露詩之介か、決して悪人には見えなかったが。。恩義もある。
 だが、法で裁けぬ生かしちゃおけねえ野郎を始末するのが俺の仕事だ。うう、寒)

と身をすくめた元四郎は、はっと我に返った。
くぐり門から目指す相手、早乙女露詩之介の姿が現れたのである。
(なんだ、こんな早くに)
と思いながら、あとを尾けようとしたとたん、身を翻して物陰に隠れた。
(あ、あれは、あのときの無頼浪人)
そう、佐々木ら雷神党の面面なのである。

「ふむ、こいつは何かあるな」とつぶやいた元四郎の背後に、忍び寄った影があった。



(この浪人も雷神党の一味か)と、その影は刀を抜いた。
朝靄の中に煌めく白刃は長さ1尺6寸ばかり。
大きな四角の鍔がついた、いわゆる忍者刀である。
ヒュッと切りかかった瞬間、相手の浪人が本能的に振り返り、刀を抜いた。

チャキーン!

「なに奴!」と訊うこの浪人の顔を見て、覆面の下の顔色がかわった。
(たしか、文五のおじちゃんに縁の侍。。名和、なんだっけ)
と、同時に名和元四郎の愛刀、加古太郎2尺3寸が覆面の忍を襲う。
すかさずかわしたが、ピッ。という音とともに顔を覆っていた布が切り裂かれた。
「お主。。たしかお雪」がく然としたのは、名和元四郎の方である。
二人は「貴様も、雷神党の仲間か!」と同時に尋ねた。
「え?」
「違うの?」
「なーんだぁ」
「ひさしぶり〜」
「ていうか、前んとき、ごめんね」
「えーと」
「ほら、柳生庄でさぁ」
「あ、わかってくれたの」
「うん、文五郎師匠の仇敵だと思ってて。。」
「びっくりしたわよ」
「あの後でさ、村で事情きいて、謝ろうと思ってたんだけど」
「なかなか、会えなかったしね〜」
「でさ、最近どーよ」
「あ、立ち話もなんだから、そのへんでお茶でもしない」
「でもまだ早いから、あいてないんじゃないの?」
「そうだね、で、こんなとこで何してんの。。って」

はっと我に返り、思わず身構える二人

「人間、極度に意外な出来事に遭遇すると、何を仕出かすかわからんな」
「思わず引き込まれちゃったじゃない」
「どうやら、敵ではなさそうだな」
「前みたいに勘違いで戦うのはご免蒙りたいわね」
「そうだな、安心してよさそうだ」と刀を鞘に納めた。

「あんたは、こんな所で何を。。」と尋ねるお雪。
「いや、出てきたお旗本に用があってな」
「早乙女露詩之介ね」
「露詩之介殿を知っておるのか」
「まあ、有名な侍だからね」
「で、お雪殿は何をしておったのだ」
「あの雷神党とかいう無頼浪人ども、悪どいことばかりして人を困らせているから懲らしめてやろうとね」
「へえ。そりゃいいや。あ、しまった。雷神党は露詩之介殿をつけていったぞ」
「ってこうしちゃいられない、追いかけなくちゃ」
「どこに行ったか、わかんのかい」
「佐助が後を追ってるから、目印があるわよ」
「よし、急ごう。」と脱兎のごとく駆け出す二人、
だが、忍びの足は常人のそれより早い。しかもとても。
「もう、先に行くわよ」
・・・・「おおい、まってくれー」

猿(ましら)のような身軽さで走るお雪は、あっと言う間に佐助に追いついた。
「お待た」と、木の上で、雷神党の様子を伺う佐助に声をかける。
「遅かったじゃないかお雪。仕留めたのか?」
「いや、あれは関係なかったわ」
「覆面、切られてるじゃないか」
「それが知り合いで」
「え、誰だったんだ」
「その話はあと」

と、お雪は雷神党の前にふわりと飛び降りた。
「む、なに奴」「そこをどけいっ!」
色めき立つ雷神党。
「お江戸の庶民を苦しめる無頼の輩ども、今日こそ天誅を下してやる」
「何を。小娘ひとりで何ができる」
「おっと、ひとりじゃないぜ」と飛び降りざま、一人の頭をけり倒す佐助。
「おい、やってしまえ」と雷神党の頭領、風間の声が響く。

バラバラと佐助、お雪の二人を取り囲む浪人ども。
戦いの火蓋は切って落とされた。
佐助と斬り結ぶ無頼浪人が、お雪の投げた飛苦無を目に受けて転げまわる。
走って逃げようとする卑怯な浪人の首に、佐助の鎖鎌の鎖がまきつく。
激しい乱戦だ。
「何をしておる!」風間の声も虚しく、
ひとり、またひとりと倒される雷神党の浪人たち。
あたりには無頼浪人のうめき声と血の臭いがたちこめている。
お雪も左腕に血をにじませているようだ。

あれだけの戦いにもかかわらず、息の上がっていない二人の忍びは
ゆっくりと、しかし隙なく残った無頼浪人との間合いを狭めていく。
「とうとう、あんたたちだけになったわね。覚悟はいい?」
「ふふん、風間さん、あんなこと言ってますぜ」
「こやつらごとき拙者とお主で十分じゃ。のう佐々木」
「たあ!」
必死に剣を交えるが、さすがに風間と佐々木は言うだけあって、かなり強い。
忍者刀は、その特殊性から長さが短く、長期的な斬り合いには不向きだ。
つづけざまに投げた飛苦内も空をきる。
刃の噛み合う音が一瞬とぎれ、風間をにらみつけている佐助。
正眼ににかまえたまま、じりじりと詰め寄ってくる佐々木。
飛苦無も煙幕もそこを尽き、あとは忍者刀だけが頼りだ。
しかし、いかに優れた忍びだとて、剣術に関しては風間達に一日の長がある。
佐助にもかなり疲労の色が見えてきた。
目と目で合図を交わし、上段と左側面から、風間に同時に仕掛ける二人の甲賀忍び。

とそのとき、ヒュンという風を切る音とともに
離れた木の影から飛び出た一本の矢がお雪を襲った!
弓を持っていた内田(雷神党/28歳・彼女いない歴28年)の放ったそれである。
ドン!という衝撃とともに地面に転がったお雪の見たものは、
血を流して倒れいく佐助の姿だった。
危険を見て取った佐助がお雪を突き飛ばし、自分がその矢を受けたのである。

「佐助ッ」かけよるお雪に、機会到来と襲いかかる佐々木。
一方、この隙を狙っていたかのように、風間は逃げ出した。
「でやあ!」と上段から振り下ろされる佐々木の豪刀。
(殺られる)と目を閉じ、佐助をかばうように覆いかぶさったお雪の耳に
シャキーンと、刃のぶつかる音が聞こえた。

「ワハハハハ。名和元四郎、推参! 俺もまぜろ〜斬らせろ〜!」
「貴様は、あのときの。。。」
「おまえは佐々木蔵之介とかいったな。今日こそ勝負だ」
「くく、くそう」思わぬ邪魔に歯がみをする佐々木。

「元四郎さん!(置いてきたのをすっかり忘れてたわ)」と安堵の色を浮かべるお雪
「そこで弓をつがえてる奴を見つけて斬りかかったのだが、一瞬遅かった。すまぬ」
と話ながらも、切っ先を佐々木に向けて隙をみせない元四郎。
「今のうちに佐助を連れて身を隠せ」
「しかし」
「なあに、柳生庄のお詫びだよ」
「この恩忘れませぬ」と、お雪は佐助を抱え、風のように消え去った。

「さて、佐々木とやら。今日は1対1だ。参るぞ。うふふ。」
「望むところ、来い」
一撃、二撃と斬り結ぶ。まさに一進一退の攻防である

「佐々木、それほどの腕がありながら、何故無頼の徒に身をやつしておる」
と、下段に構えた元四郎が問いかける。
「剣の腕が立とうとも、必ずしも立身出世はかなわぬッ」
「さりとて。。」
「それは貴様も同じであろう、名和とやら」
「む。。。あたり」
「卑怯な輩、要領のよい奴輩が甘い汁を吸ってのうのうとしている、そんな世の中に嫌気がさしたのよ」
「そうかもしれぬ。だからといって悪戯に人を殺めてははならぬ。違うか。」
「奇麗事を抜かすな!そういう貴様の手も血で汚れていよう」
「なればこそだ。俺の話を聞け」
「問答無用ッ、でやあ!」
「むん」
明けきらぬ朝の大気を一閃する銘刀加古太郎。
ザク。。という肉を斬ったときの鈍い音に続いて、
朱に染まった佐々木の体が崩れ落ちた。
頚動脈を深々と斬られ、即死である。

ぬぐいをかけた刀を鞘に納め「露詩之介殿を追わなくては」と走り出す元四郎。
(剣の腕が立とうとも立身出世はかなわぬ。それは貴様も同じであろう)
佐々木の最後の言葉が頭を駆け巡る。

虫の息の佐助を抱えたお雪は、堂悦のところに転がりこんでいた。
眠そうな目をこすりながら出てきた堂悦だが、
血だらけの二人をみて眠気もどこへやら
「湯をわかせ」「薬をもて」と、こういうときは頼れる存在だ。

だが、「どうですか」とのお雪の問いに
「むう」と青い顔をしたまま答えようとしない堂悦。
(出血が多すぎた。これは、いかんかもしれんな)
と、お雪の目をみることができないでいる。
「手は尽くした。あとは、佛様に祈りなされ」
枕頭のお雪は無言のまま、佐助の手を握りしめた。

 

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