「a butterfly」
大都会TOKYOの、ある都心に
堂々とそびえたつ全面ガラス張りの美しいフォルムの高層ビルがある。
蒼くきらめく、その巨大スクリーンには
絶えず街を闊歩する人々が、
縦横無尽に往来する車と、
星の瞬きのように点滅する信号機が
せわしなく映しだされ、
現代人の神経をますます効果的に刺激し、高揚させている。
そこから遥か上部に目を滑らせれば、そんな光景とは対照的な光景。
広大な雲が悠々と風によって流されていく様子が
同じ時刻、同じ面に映し出されていて何故だか皮肉に感じられる。


このビルのオーナーの一人娘、織音(オリオン)は
丁度いま、鯨型の雲がゆっくりと流されていった辺りにある場所、
外からは窺い知れない、常夏の国をコンセプトに設計された空中庭園にいた。
巨大な葉が空間中を覆い尽くすように青々と生い茂り、所々に
南国らしい原色の花たちがその美を、その薫りを競うように咲き誇っている
その部屋は娘を溺愛する父親が
彼女の為に世界でもトップに数えられるガーデニング・
コーディネーターを雇って造らせたものだ。

しかし、その華やかな花たちでさえも翳んでしまうほどの魅力を
織音は、天から与えられていた。
目を見張る絶世の美しさというよりは、咲き始めのバラのように
可憐で優美なことこの上なく、
見つめれば吸込まれてしまいそうな漆黒の瞳からは計り知れない神秘さを
この世の優しさを全て集めたような柔らかそうな唇からは
花園にいるかのような安らぎを
そしてその微笑みにいたってはそれを受けたのも全てをこの世の憂鬱から
解き放ってしまうほどの魅力があった。
そして織音は周りの誰からも愛され、その愛を決して裏切ることなく成長した。

織音はその部屋の窓側、ちょうど街を見下ろす位置に置かれている
エキゾチックな紫檀のベンチに腰掛け、隣に座る母が語る言葉に耳を傾けていた。
「織音、もうそろそろいい返事を聞かせてくれないかしら。
これは本当にいい御縁談なのよ。
渉さんは、このコーポレーションにも
大変な融資をしてくださっている、ある銀行の頭取の息子さんで、
お家柄もよく、とても優秀な方なの。
それに加えて ほら、このとおり容姿端麗でしょ?
持ちこまれる御縁談の数もそれこそ半端じゃないそうよ。
そんな方に見初められるなんて貴方は本当に恵まれているわ。」
そう云われて当然のような顔で佇む男の顔を見上げながら満足そうに微笑んだ。


「わたしが社長になればこのコーポレーションの
更なる発展は約束されたようなものです。
その道の専門家に徹底して開発させた画期的なピジョンで
世界中のあらゆる主要都市に効果的、
且つ安全に経営規模を拡大させていくつもりです。
未来はきっと二人にとって、順風満帆の素晴らしい航海となるでしょう。
貴方は人生の大型豪華客船にでも乗ったつもりでいてくれていい。
といってもタイタニックはお断りですが。」と
年頃の娘なら誰でも一目見て恋に落ちてしまうような笑顔で微笑む。
長身で、それでいて決して華奢なわけではないしなやかな体躯を持ち
強い意思を表すような眉に涼しげな目元、それらを一層引き立てるような
通った鼻筋をもつ青年が、蟻のようにうごめく人の波を窓下に見下ろし
取り出した煙草に火をつけながらいった。

「貴方を決して不幸にはしない。」

傍らに立つ高級ブランドで身を固めた婚約者、渉のそんな流暢な話を、
どこか憂いを秘めた表情で聞いていた織音は、意を決して問うた。
「愛は…そこに愛はありますか。」

しばらくの沈黙の後、その男は「ははは、」と声を立てて笑ったかと思うと
織音の後ろから肩へ両腕を廻し、顔を覗き込むと
「そりゃもう、もちろんですとも、お姫様。
貴方を愛するがゆえに僕はこの会社を大きくし
何不自由のない生活を保証しようというんです。
貴方のお父上にしてもかわいい娘の為に
膨大な人脈を介して最終的に私を婚約者として選ばれた。
すべてが愛しい貴方にとっての正しい選択なのだと私は自信を持っています。」
というと透は目を細め、織音の髪をいとおしそうに撫でると
「それに僕は残念ながら貴方以外に与える愛など
持ち合わせてはいないし、かといって
愛がそれほど人生を左右するとは思ってはいない。
所詮、その時限りの麻疹か幻想のようなものじゃないだろうか。
一時的な感情に流されていたら
いつかきっと後悔することになる。
生き馬の目を抜くような、この現実社会では
シビアに物事を考えないとすぐに脱落してしまうよ。
この世界で頭角を現していこうと思えば
それさえも手段に使うぐらいの度量が必要だと僕は考えるくらいさ。
まあ、君みたいなお姫様には関係ない話でしょうが。」
そういうと透は織音の母親の方に視線を向けると
「では、これから大切な約束がありますんで、これで失礼します。」
と言い残し、織音の肩をポンポンと叩くと部屋を出て行った。

織音はぶるっと身震いした。
違う、この人とは根本的な何かが違う、直感的にそう思った。
それぞれが様々な価値観を持っているので
それが一概に間違っているとはいいきれないかもしれない。
自分がただ世間に疎いだけかもしれない。
それでも・・・
しばらく思いつめたように外の景色を見ていた織音は
意を決するとなるべく人に会わないルートを通って
自分の部屋に戻り、手早くキャリーバックに最小限の荷物を詰めると
そっと非常口から繁華街へとでていった。



つづく

進む

戻る