気がつけば
織音は衝動的に飛び乗った電車で終点の港町に辿り着き
駅からほど近い公園のベンチにこうして座っていた。
横には小さなバック一つ。
太陽も幾分、傾きかけ 子供達が母親に手を引かれ
嬉しそうに家路につく光景が目の前を通りすぎる。
わりと広い公園で周囲を見渡せば
あちこちに人だかりも出来ている。
土地柄か音楽ライブや大道芸などの
ストリート パフォーマンスが盛んらしい。
船で海外からやって来た異国人の姿も目に付く。
織音は遠い目をしながら
「いっそのこと どこかの船に乗りこんで、知らない国にでも
いってしまいたいな。」
そう考えると、無性に悲しくて両目から涙が落ちた。
「なあ、あんた大丈夫?」
不意にかかる声に織音がふりかえると
茶色のフェルト帽子をかぶり
ラフなシャツに片足の膝下がぼろぼろに破れたジーパンを
履いた女が心配そうに眺めている。
織音が今までに会ったことのないタイプだった。
「ひょっとしたら、家出?」
その問いかけに無言で俯く織音に
「なあ、ここにいたら危ないで。この辺り、
夜はわりとデンジャラスだからね。ちょっと待っとって、」
そう云うとそのフェルト帽の女は人だかりの方へ走って行った。
「わり〜、待たせたね。」
そういって戻ってきた女は
傍らに重たそうな荷物を積んだ自転車を引き
その横にはもう一人。
柔らかそうなクリーム色のワンピースを着て微笑んでいる。
こちらは優しそうで、おっとりした雰囲気の
どちらかといえばお嬢様タイプ。
「あの…」
間の悪いシチュエ―ションに
どうしたら良いものかと戸惑っている織音に
「ああ、わたしたちね、毎週ここで紙芝居やってるの。
週末だけだけどね。
彼女、絵本作るのが夢でね。
そうそう、彼女はカコね。
そして、わたしはユキ。
わたしはただの手伝いなんだけど。」
何分か後には、真っ赤な夕陽に続く坂道を
3人が並んで歩いているのがなんだか不思議だった。
「・・・でさ、いまカコとも話し合ったんだけど、
今日はわたし達のとこ、こない?」
落ち込んでる時にひとりって良くないからさ。
と半ば強引に押しきられた。
織音は出てくる時、クレジットカードを何枚か持ってきたので
ホテルに泊まることは容易かったが、
出来ればユキの云うように一人では居たくなかったから。
「でも、見ず知らずの人にそんな迷惑かけちゃ、」
そういいかけてお腹がぐっ〜と盛大に音を立てた。
そういえば朝から何も食べていなかったことに
いまさらながら気づいた織音だった。
「ふふ、それじゃあ、織音ちゃんに
夕ご飯作ってもらおうかしら。」
カコがそういって、楽しそうに微笑んだ。
二人の住まいは入り組んだ路地にある
どことなく西洋の薫りが漂う一軒のアパート。
建ってからだいぶ経っているようで
ツタの絡まるレンガ壁が所々欠け落ちている。
その1階にある2LDKの部屋。
賑やかな声が聞こえる。
「織音ちゃんに夕ご飯作ってもらおうかしら。」
なんて云っておきながらも 甲斐甲斐しく
そして手早く仕度するカコのそばで
ユキは食器を運んだり、いわれるように
野菜をきったりしている。
手持ち無沙汰な織音が
「あの〜、わたしもなにかお手伝いします。」
といえば、
「いいって、いいって ゆっくりしてなよ。
今日は疲れただろうからさ。」
「そうよ、すぐ出来るから座って、テレビでも見てて。」
とすぐ声が返る。
「はい。」
大人しくソファーに座りこむと
今日あった色々なことが思い出され
心が騒いだ。
今ごろみんな心配しているかしら…
織音は最近、自分がただの操り人形じゃないかと
思うことがある。
周りからそれこそ割れ物のように大切にされるものの
すべてが決められたレールの上を
ただ何か わからない巨大な力に押され、進められていく。
その場所には、まるで自分でない誰が座ったとしても
何も変わることなく自然に運ばれて行くが如く。
そのとき、チャイムが続けて何度も鳴った。
「悪い、織音ちゃん、いま手が離せないの。
ドア、開けてやってくんない?」
たぶん弟だから、とユキが台所からいった。
がちゃ、と鍵を開けると、バサバサした髪に黒いサングラス
をかけた男が酒臭い息を吐きながら突っ立っている。
その男は屈むようにして上目づかいに織音を見ると
「アンタ、誰?」
と低い声で呟き、フラフラと部屋の奥に入るなり、
ソファーの上にどさっと倒れこんだ。
そして、そのまま寝込んでしまった。
「あ〜あ、またこんな時間から酔いつぶれちゃって。
ほんと、ばかな奴」
そうこぼすユキの横でカコが、そっと毛布を被せてやっている。
「この人、ユキさんの弟さんなんですか?」
そう尋ねる織音に、苦笑しながら
「ああ、そうなんだけどさ。なんか最近あれちゃってて。
なかなか自分の音楽ができないようなんだよね。」
困った奴、そういいながらユキはサングラスをはずしてやる。
長いまつげ、柔らかそうな前髪、静かに寝息を立てる
無垢な寝顔に織音は人知れず、心臓が高鳴った。
つづく