「a butterfly」
<3>
翌朝の月曜日
カコは保育園へ、ユキは宅配会社にと
それぞれがそれぞれの職場へと出かけていった。
織音といえば二人に
『気がすむまでここに居れば云い』といわれ、合いかぎを渡された。
頼まれたわけでもなく、朝食の片づけをすると
身の回りのものを買うため、最寄の銀行に出向いていた。

昨日の夜は楽しかった。
はじめてあった人達なのにすぐに打ち解けて
おおいに笑い、語り合った。
こんなことは織音には初めてだったかもしれない。
父も母もそれぞれが忙しく、
たまに揃って食事をすることがあっても
何処か格式ばって、気の休まらない会話。
押し付けられる意見。
とても自分の本音をさらせれる雰囲気ではなかった。

「えー、それで織音ちゃんたら
家、飛び出しちゃったの? 勇気あるのねェ。」
と、いきさつを聞いて驚くカコに
「青春だなぁ。」と鼻の下を擦りながら満足そうにする
ユキを見て、2人はお腹を抱えて笑った。

その時、「み、水…」と
ソファーから地を這うような声がした。
「あっ、起きたんだ。ほれ、」
といってみずの入ったコップをユキが差し出せば
声の主は、もそっと起きあがり、
一気に液体を喉に流し込んだ。

「うるさいぞ、おまえら。」
もっと、ゆっくり寝てたかったに、とでもいいたげに
口を軽く拭いながら悪態をつく男に
「なにいってんの、省吾。起きたんなら、はやく帰んな。」と
そばにあったクッションをバシバシ投げつける容赦ない姉。
また、いつもの行事が始まったと、平然とお茶をすするカコ。

そんな様子に最初、呆気にとられて眺めていた織音だったが
やがて堰を切ったように笑い出した。
今度、呆気にとられたのは他の三人だった。
何があったのかわからずに 
織音の様子を心配そうに眺めている。
織音は笑いすぎて、うっすらと浮かんだ涙を
人差し指で拭いながら
「だ、だって…兄弟っていいなあ、って思って。」
わたし一人っ子だから、そういうの知らなくって。
と言い、また笑い出した。

月が南の空に高く輝く頃、
「じゃあ、腹も膨れたし、もう俺、帰るわ」そういい、
省吾は立ちあがると、
皮ジャンのポケットを探り
くしゃくしゃに丸まった紙を織音に手渡した。
「ここでライブやってるから、よかったら来て。」
ぼそっと、言い残すと
にやにやして見ている
姉のユキに軽く蹴りのポーズを食らわすと
じゃあ、と軽く手を上げ出て行った。




織音は銀行でいくらかの現金を下ろすと
西洋と東洋が適度に融合した街を
ぶらぶらと散策して歩いた。
透き通るガラス細工やビードロを扱う店があると思えば
美しく刺繍された絨毯やビーズが
散りばめられた布製の赤い靴
はたまた、溢れんばかりの
アジアン テイスト漂う竹製品の日用雑貨を扱う店。
目移りするものの
いまの境遇では不必要なものまで買う訳にはいかない。
ただ昨晩お世話になったお礼にと
ウサギの柄が入った素焼きっぽい湯のみを2つと
水色で水泡が湧き出しているように見える
グラスをひとつ買った。

歩き疲れ、何気なく入った店で
一息つき、お茶を飲んでいると
ふいに一人の黒尽くめの男が近づいてきて前の席に立ち
驚いている織音に向かって
「見つけましたよ、お嬢様。」といった。

「銀行からの連絡で貴方の居場所がわかりました。
皆さん、それは御心配しておられます。
私と一緒にすぐお戻り下さい。」
と、まるで暗記したセリフでも喋るかのように言う。

しまった。
しかし織音は慌てた様子をみせずに落ち着き払って
「わかりました。いま仕度するから暫くここで待っててください。」
そう言い残すと、荷物はすべておいたまま
化粧室へと、はいっていった。

しかし、20分経過しても織音は戻ってこない。
黒尽くめの男はチッ、と舌打ちすると
すばやく席を立ち、きょろきょろ辺りを見まわしながら
表通りへと飛び出して行った。

織音はといえば、まだ化粧室いて、
男が店を出たのを確認してから
逆の方へと出て行った。

早くここから立ち去らなければ
もし連れ戻されたら、見えない鳥かごの中から
もう出ることが出来ない。
そんな予感がした。
早く、一刻も早く…

しかし角を曲がろうとした途端、
前方に男の姿を見つけ血の気が引いた。
バッ、と体を戻したので幸いにも気づかれてはないようだ。
しかし、いまきた道を戻るにも
長くてスナックやパブが並ぶだけの通りでは
隠れる場所もなく、すぐに気づかれ追い付かれてしまいそうだ。
真っ青な顔で織音が立ちすくんでいると
ガクン、誰かに左手を捕まれ、店の塀に押しつけられた。
まるでその長いコートの中に織音を包み隠すように
覆い被さってきた。
「なっ、なにをするんですか!」
顔を上げ、抗議をしようとすると、
すばやく相手の唇がそれをふさいだ。
もがいてみるものの、女の力では太刀打ちできない。
しかし、傍から見れば恋人同志の戯れに見えるようで
案の定、黒尽くめの男は、辺りを見まわしながら
走りすぎて行った。

手を離した相手の顔を見て織音は吃驚した。
なんと省吾なのだ。
どうしてこんなこと・・・

バシッ! と
その頬を右手で思いっきりひっぱたくと
「最低」と叫んで、その場にガクガクと
しゃがみ込んでしまった。




つづく

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