(全文 名和さんに投稿頂きました ありがとうございます))
ほどなく座敷に酒肴の用意がされた。
灘の酒を一気に飲み干した因幡屋は、ニヤリと笑い、
「せっかくじゃ、先生もお呼びしようか。おい、七蔵」
「へ、用心棒の名和文五郎、先生ですか。。。では、さっそく。」
パン・パン。手を打って下女を呼び、
手短に用を伝えた七蔵は、 因幡屋こと蛇骨の長兵衛へと目線を転じつつ、
「しかし、あの先生とやら、ホントに腕のほうはたつんでしょうかねえ?」
「うむ。めっぽう強いらしい。その吹き矢の毒を入手した長崎屋からの話じゃがな。」
「しかし御頭、あっしにはどことなく、うさんくさく思えて。。」
「おっと、御頭はやめとくれ。壁に耳あり障子にメアリーだからな。」
「は?・・め、めありい。。??」
「ほっほっほ。なんでも南蛮人のいうところの冗句というものじゃ。
その長崎屋から聞いてのお。」
「さ、さようでございましたか。さすが旦那さま。は、はは。。」
屋敷の大木に身を潜めて、聞き耳を立てていたお雪がそっとつぶやく。
「おやじギャグね」
と、向こう座敷から縁を歩いてきた用心棒の顔を、
障子越しのぼんやりとした明りで見取った雪の表情がさっと変わった。
「あ、あの男。。。」
用心棒は、身を隠すお雪らに気付いた様子もなく座敷に声をかける。
「御免」
「おお、先生、お入りくだされ。」
「では失礼つかまつる。」
”あの男”の影が座敷に吸い込まれたのを見計らい、
雪が黒装束に身を包んだ仁之助を促し、座敷により近い植え込みに身を移した。
「あれは用心棒かな?しかし見覚えがあるような背格好だが思い出せねえ」
とつぶやく仁之助を「しっ」と制する。
近づいた分、座敷の話も鮮明に雪の耳に届いている。
「まあ、先生、まずは一献。」
手ずから銚子を持ち、酒をすすめる因幡屋こと長兵衛へ
用心棒はニヤリと笑いかけながら
「そうですな。では。。。」
と猪口(ちょこ)を手にしたかと思うと、
それをすぐさま障子の方へ、パッと投げつけた。
ビシッと障子を破った猪口は、 植え込みで聞き耳を立てる、
黒装束に身を包んだ仁之助の眉間に命中した。
「ウッ」と急所の眉間をおさえ顔を伏せる仁之助。
(しまった)と内心舌打ちした雪の目の前で、障子がサッと開かれた。
左手ですでに大刀の鯉口を切り、
あたりの様子を伺う用心棒の 鋭い眼光が雪の眼をとらえた。
その一瞬がどれほど長く感じられただろう。
自分と視線のあった用心棒の目に宿る険しい光が スウッと消えるのを雪は感じた。
座敷から因幡屋のうわずった声が聞こえる。
「せ、先生、なにか? く、曲者ですかな?」
「いや、なに、猫でござった。ははは。」
乾いた声で笑い、障子を後ろ手に閉めながら チラリとお雪たちの方をみやった
用心棒の視界から すでに二人の忍びの姿は消えていた。
「ちっ、なんてこったい。気付いてやがったとは。」
夜の闇を切り裂いて風のごとく走りながら仁之助がお雪にささやいた。
「しかし、ヤツはなぜ見逃しやがったのか、それが解せねえ。」
「さあねえ、あたいらに対する挑戦じゃないのかい?」
「おい、お雪、あいつの顔を見たのか、俺は目の前がチカチカしやがって、ええいクソッ。」
と、眉間のあたりを押さえる。
「ヤツは行灯の光を背にしてたから、顔なんてみえやしないよ」
と言いながら、雪は10年前の”あの男”のことを思い出していた。
「(あたいのこと、忘れてなかったんだ)」
☆
その翌日、昼餉を終え着流しに大刀を落し差しにして、
破れ編み笠をかぶった姿で歩く用心棒・名和文五郎に
向こうからやってきた行商の婆がしわがれた声をかけた。
「ちょいと、お武家さま。。」
「もの売りなら、いらぬわ。」
立ち止まりもせずにあしらった文五郎の右袖を行商の婆が引っ張る。
「おまちくだせえましな。」
文五郎のあらわになった右腕に、 なにかに噛まれたかのような古傷が覗く。
「くどいぞ、婆ァめが」 と、振り払おうとしたとたん、その婆ァが
「まってよ、文五のおっちゃんッ」
と、澄んだ若い女の声で言った。
はっとして婆の目をみた文五郎は、
「。。。お主、お雪じゃな。。。」 と、婆の正体をみてとった。
「それにしても、よく化けたものじゃ。さすがは甲賀のくノ一よのう。」
フフンと鼻で笑いながら 「昨日あのようなところで何をしておった?」
「・・・・・」
「それにしても久しぶりじゃ。あれから、もう10年にもなるかの。」
<10年前・甲賀の里>
当時30代半ばになろうとしていた名和文五郎、いや、 本名、柳生文五郎宗明は、
故郷の柳生の庄から程近い甲賀へ、 10歳になる娘のおみよを連れて、しばし滞留していた。
というのも、おみよが生まれたときの産後の肥立ちが悪く、
しばらくして亡くなった妻の実家へと、暇乞いに来ていたのである。
「こたび拙者、因州池田家に剣術指南役として召し抱えが決まり申した。」
「おお、鳥取藩は52万石の大国や。まことめでたきこと、祝着に存ずる。」
「つきましては、おみよとともに本藩へ出立するにあたり、ご挨拶に伺った次第です。」
「これまで、あの子がなくなってからも、ほんまにようしてくださった。礼を申しますぞ。」
「何をおっしゃいますか義父上。」
広い庭からは、おみよとともに遊ぶ、いつもの子供たちの笑い声が聞こえる。
「あー、お雪ちゃん、こっちこっち」
「次は佐助さんが鬼だ。きゃはははは。。。。」
「子どもたちは元気なものじゃのう」と義父。
「あれは、頭領の伴隆矩殿の娘子、お雪ちゃんですな。それと・・・」
「いっしょに遊びおる子どもは佐助といってのう、なかなか見所の有る小僧じゃ」
「されば両人とも、ひとかどの忍の者になりましょう。頼もしいことで。」
「ははははは、まことにのう。して、文五郎殿。。。。」
柳生の庄。大和の国の北東部にあたり、 甲賀の里とは至近の距離である。
文五郎は、新陰流の尾張柳生の血をひき、尾張で生まれながら
故あって十兵衛で知られる江戸柳生流の領地「柳生の庄」で育った。
尾張柳生の新陰流で剣を学んだ文五郎は 後に柳生の名も新陰流も捨て、
一刀流を修め無頼の剣豪となる。
およそ一刻(二時間)ほど、亡き妻の両親と話し込んだ文五郎は、
ふと子供達の声が聞こえないことに気がついた。
「おみよ、おみよはどこへいった? いっしょに遊んでいた子らも見えぬようじゃが。」
あわてて外へ飛び出し娘を探す文五郎のもとへ、
山に近い八幡神社のほうからおみよが泣きながら走ってきた。
「父上、父上ェ〜、助けて〜」
「おみよ!心配したぞ、いかがいたしたのじゃ!」
「佐助さんとお雪ちゃんが、狼が、いっぱいで、お雪ちゃんが大変、
佐助さんが戦って。。父上〜。」
「神社の向こうの山だな。わかった。おまえはこのまま帰っておれ。
二人はこの父がきっと連れて戻るゆえ。。。」
言うが早いか文五郎は脱兎のごとく駆け出していった。
「佐助ェ、お雪ィ、どこじゃあああ!」
ふと森の奥から、狼の吼える声と子供の叫ぶ声が風に乗ってただよってきた。
佐助は10歳といえども、さすがは忍びの子供、
棒切れで狼の群れに立ち向かいながら、必死でお雪を守っている。
「お雪ちゃん、だいじょうぶ、きっとおみよちゃんが助けを呼んでくれる。
もうちょっとの辛抱や」 お雪も佐助を心配させまいと涙をこらえ、
恐怖と戦いながら石つぶてを狼に投げつけている。
しかしいかに奮戦しようとも、しょせんは子供、
数え切れない狼の群れの前に、二人の疲労は極限に達しようとしていた。
と、その時、キラリと白刃がきらめいたかと思うと
キャィーンという鳴き声と同時に切り落とされた狼の首が転がった。
尾張柳生の技の前には、狼の群れといえどもひとたまりもない。
次々に血しぶきをあげて倒れる仲間を見た狼は慌てて逃げ始めた。
「だいじょうぶか、おぬし等。ようがんばった。ようがんばったのう」
「へへん、へっちゃらや」 と言ったとたん、
安心したのか佐助は、腰が抜けてへたへたと崩れ落ちた。
大刀を地面に突き刺した文五郎が、佐助を抱え起こしてやろうとしたとき、
茂みに隠れていたのか、一匹の大きな狼が牙を剥いてお雪に襲いかかった。
「きゃあ!」
(しまった)と、文五郎は大刀を手放していたことを後悔したが、すでに遅い。
脇差も、妻の実家の屋敷に置いてきてしまっていたのだ。
「お雪ッ」
と、かばった文五郎の右腕に、狼の鋭い牙が深々と食い込んだ。
「。。不覚。」 右腕に走る、焼けるような痺れと痛みをこらえ、
左拳に渾身の力をこめて狼の頭蓋骨を横から殴りつけると、
狼は、脳震盪を起こしたのか気を失った。
「怖かったよう、文五のおじちゃん、おじちゃん」
「おお、よしよしお雪、怪我はないか?」
「うん、うん、佐助さんが守ってくれたの。。。うえ〜ん」
張り詰めていた気が一気に抜けて、ようやくお雪が泣きじゃくりはじめた。
「佐助、ようやった。これからもお雪を守ってやれよ」 といいながら、
「(腰を抜かしたことはだまっておいてやる故な)」 と、小声で佐助に囁いた。
☆
「あれから、10年か。。。」
「おみよちゃんは、今どこに?いっしょに暮らしておいでですか?」
「・・・・・・・・死んだよ。。。5年前に。」
「まさか。。。」
「労咳じゃ。家財も売り払って薬を求めたが。。。。」
「え?・・・・・」
「ついには金を手にするため、なんでもやってのけた。いまではご覧の通りよ。」
ニヤリと笑い 「して、おぬし、昨夜の様子から見ると、因幡屋に忍び込むつもりかえ?」
無言でこれに答えるお雪。
「おっと、これは聞くほうが野暮よのう。忍びのものがしゃべろうはずもない。」
「文五のおじちゃん、いえ、柳生文五郎殿、因幡屋がいかに悪辣かは、ご存知のはず。」
「悪辣だろうと何だろうと、雇い主には変わりが無い。」
と、破れた編み笠をツイと上げ、空を見上げながら文五郎はつぶやくように言った。
「そんな金だけのこと・・・」
「うるさいッ。世の中はすべて金じゃ。金があればおみよに薬を買いつづけられた。
だが、金を持っておらぬと誰も彼も、医者ですらも相手にしては呉れぬ!」
「柳生殿!」
「・・・もう、その名は捨てた。柳生文五郎宗明は、おみよとともに死んだのじゃ。
今、お主の目の前におるのは因幡屋の用心棒、名和文五郎じゃ。」
「・・・名和。。。。」
「師とあおぐ、とある剣客の名を貰い受けた。それに、もう、以前のわしではない。」
「まだ間に合います。因幡屋から手をお引きくださいませ。あなたとは剣を交えとうありませぬ。」
「無理じゃ。」
「ならば、何故昨夜はお見逃しくだされたのですか?」
「・・・10年前、おみよを先に逃がしてくれた恩を返したまでじゃ。これで借りはない。」
「されば、どうあっても手をひいては下されぬと・・・」
「もし因幡屋へ忍び入るというならば覚悟して参れ。次は容赦は致さぬ。」
と、とたんに険しい光を帯びた文五郎の眼を見て
お雪は もう何を言っても無駄だと悟った。
さっと身を翻したお雪は、なにごともなかったかのように雑踏にまぎれこんでいく。
「(文五のおっちゃんは死んだんだ。あの男は、もうただの敵だ。)」
と心の中でつぶやきながらもお雪の視界がじわっとぼやけていった。
それは、私情をはさむことを禁じられた忍びの掟の中にあって なお、
ありし日の純粋さを失わぬ、お雪の真実の気持ちであった。
そんなお雪の後ろ姿を振りかえりもしない文五郎は、己の手のひらを見つめ、
「・・・・もうひき返せないんだよ、お雪。
すでにわしの手は真っ赤な血に染まっている。狼なんぞの血じゃなく多くの人の血にな。」
といいながら自らを嘲るように笑い、雪と反対の方向へと去っていった。
すべてをふっきったお雪は 今宵もきたない金にあかした宴が催されるであろう
因幡屋の座敷に潜入する方法を考えていた。
正しく弱いものを守るため、誠実に生きる庶民の味方として。。。。
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名和さん、素晴らしいです。ありがとうございます。