元禄3年(1690)始祖、烏田智庵先生、藩主毛利吉就により番医の列に加わる。
宝歴6年(1756)二代目、烏田貫通先生、毛利家より屋敷を拝領、玉木私宅(瓦町49番地)として現存す。
江戸末期初代、玉木英三は六代目烏田良岱先生晩年の門下生となる。
明治10年頃(1882)大阪にも遊学した玉木英三は恩師の烏田家屋敷へ帰り、医業を引継ぐ。
明治20年頃隣地医王山一条院敷地を入手。
明治30年(1897)二代目、玉木亟輔も旧烏田家邸宅内で診療に従事し、のち一条院跡地へ病室二棟を構築す。
大正2年(1913)二代目、玉木亟輔、許可を得て玉木病院と改称し院長となる。
大正7年(1918)病院本館を旧烏田家邸宅と病棟の中間へ新築し、玉木病院の基礎をつくる。
(現存する大正初期の病院建築として日本近代建築総覧に記載あり。※平成19年老朽化に伴い解体。)
昭和15年三代目、玉木正夫、院長就任。
昭和19年戦時中、医療の統制編成により玉木病院を日本医療団に譲渡。
日本医療団萩病院と改名。内科・外科・産婦人科・放射線科、病床数50。
昭和26年玉木病院として復帰。
昭和40年救急告示病院指定、救急車導入。
昭和41年本館西に鉄筋病棟及び手術室建築。一般病床124床、他結核病床有り、理学療法室開設。
昭和43年四代目、玉木英介、亡父の跡を継ぐ。看護婦宿舎建設。
昭和47年人工腎臓室新設。
昭和49年隣地、長州藩医学館、好生堂跡地を取得。
昭和52年好生堂跡地に病棟4階建を新設。本館北にリハビリ棟(377㎡)建設。
昭和58年米国GE社 全身CT装置導入。
昭和62年好生堂跡地西隣地取得。
平成元年外来病棟、無菌手術室、入院病棟一部を新設。
病院本体を好生堂跡地に移す。
平成2年高気圧酸素治療装置導入。 血管撮影高精細DSA・DFA装置。
平成4年東芝製CT Xpeed装置 新機種導入。
平成11年2番館及び本館を療養型病床に転換。病床変更(一般50床、療養病床101床)
平成12年介護保険制度の開始に伴い、本館30床を介護療養型医療施設とする。
平成13年五代目、玉木英樹(現院長)亡父の跡を継ぐ。3番館(12床)を増築。
日立MRI AIRISmate 装置 新機種導入。東芝製CT Asteion KG装置 新機種導入。
平成19年大正7年建築の病院旧館を老朽化に伴い解体する。
平成24年本館改築、新病棟開設。病床変更(一般40床、療養病床81床、介護病床30床)