祝島日記 2005年5月 4月の日記帳へ

5月1日(日)雨 南風
 夜中は南風が強かった。本を読みながら風が弱まるのを待つ。
 15時ころ、少し風はあるが、大島へ出発する。ガスがかかってハナグリが見えない。祝島が見えなくなって少しいくとハナグリ現れ、ほっとする。コンパスを出して、長島沿いを行く。ゆっくりいくといわいの航路を通るのは危ないので、少し早めに進む。なんとか室津沖を16時までには通過する。ちょうどガスは切れたところで、いわいが見える。
 16時40分頃、大島の戸田に到着。雨が降り始める。1時間あまり、停泊のための作業をする。暮れる前に終わり、丸久でアボカドを買うが、熟していなかった。うかつ、未熟であった。
 久しぶりに哲ぼんさんに連絡を取る。新しい携帯を手に入れたようだ。みっちさんも古い携帯と一緒に錦川に入ったと言うことで、夏に向けてみっちさんは徐々に水に慣れていっているようだ。


5月2日(月)晴れ 少し西風
 仕事が終わって柳井に行く。ヒロコおばさんの姉さんが来ていた。三姉妹が柳井に集合。よしえさんもまだいるのだ。


5月3日(火)晴れ 朝のうち北風
 五月丸で祝島に帰る。すっちゃん方の法事。
 昼食も夕食ももらう。竹林家の法事もあり、折をもらう。明日の食事まで十分ある。
 午後ヨボシに釣りに出る。運よく1kgのタイを1匹。


5月4日(水)晴れ 
 朝早くから昼まで、ソーヅイに行って、ビワの袋掛け。300くらい掛ける。首がだるくなった。今年のビワは細いのが多い。数が少ないので、細いのがひとつだけという袋も多くなった。全部で400くらい掛けたことになるから、おらにとっては優秀なほうだ。
 午後釣りに出る。ネバル1、アジ5、チダイ1。


5月5日(木)晴れのち曇りのち雨 凪後南風
 午前中にタカトオに行って石垣を一段草をとる。おらが「大藪の一石」運動である。
 南風になりそうなので昼前に祝島を五月丸で出る。大島に着いて、西本さんに電話をする。停泊用のロープをセットしなおしてくれたのである。大島での係留の仕方を教えてもらう。
 柳井に行って買い物などをした後、三姉妹と外食をする。三姉妹は家に帰ってからも夜遅くまで話し込んでいた。


5月6日(金)雨 凪
 仕事の後、宿舎に帰って本など読んで寝る。


5月7日(土)晴れ 西風
 大島を六時過ぎに出港。途中、カミカドで釣ってみるがネバルが2匹。西風が結構強い。大島のほうは凪だったのだが、周防灘は波がある。祝島について大工小屋の前を通ると、たろくさんが、「おととい、あんたが出た後、南風がつおったんで。」と話してくれる。「ちょうど大島に着いたころじゃったろうのんたー」とも言っていた。あの日早めに出発して正解だった。
 昼便でリョウキチも帰ってくる。
 午後タカトオの石垣の草取りをする。小さい石垣だが崩れたところがかなりある。いつか修復をしよう。タカトオの帰りにバイクがパンク。
 晩飯用にタラメを採りに行く。
 晩便でヒロコおばさん帰島。アジの刺身が久しぶりで、旨かった。


5月8日(日)晴れのち曇り 凪
 朝、コージロで釣る。7.1kgのハマチが釣れ、30分かけて、獲りこむ。久しぶりのハマチだった。タイさがりで釣ったハマチでは最大だ。チダイは6匹。
 リョウキチは昼便で柳井に帰る。 
 午後バイクのパンクをなおして、生ごみをナガイソに持っていく。
 16時過ぎに五月丸で大島に向かって出発。満ち潮で少し早めであった。潮によっては5分程度の違いはありそうだ。ヒロコおばさんは明日、祝島で用事があるので残留。おばさんの差し入れなどを柳井のナゴジロー、リョウキチに届ける。おらもアジを持っていって刺身を作ってやる。大島に帰り、差し入れの煮しめ、サラダなどで夕食。


5月9日(月)晴れ 西風
 午後年休をもらう。ヤフーBBの工事指定日なのである。来週あたりからはおらが宿舎でインターネットやメールが受信できるようになる予定である。
 工事が終わった後、役場に宿舎の家賃を払いに行く。
 ニワゼキショウを母の日のプレゼントにと、柳井にもって行くと、ヤフーBBのモデムを持ってきたのだがと、宅急便の運転手さんから携帯に電話が入り、急遽大島に引き返す。橋のたもとでモデムを受け取って設定などをする。つながるようになった。めでたしめでたし。


5月10日(火)晴れ 凪
 かなりひざの調子が良くなった。一時間ばかり子供たちと走り回ることができた。
 帰り道に、五月丸に行ってみるとチダイが一匹死んでいるので、もって帰る。途中日見の店で豆腐や卵を買う。えべす商店にある蕎麦ぼうろもあったので買う。トラックから降りて、荷物を落としたのだが何と卵が二個割れていた。味噌汁に二個の卵を入れると言う贅沢な夕食になった。めでたしめでたし。


5月11日(水)晴れ 西らしい波
 大島のおらが住処に冷蔵庫が入った。これからは大島の別荘と呼ぶことにする。「別倉」の方が似合うかも知れない。
 昨日割れた卵は七個だった。急遽残りの五つを炒り卵にする。残った三つはゆで卵にして、冷蔵庫に入れる。一挙に昭和五十年代に突入した感じである。
 組み立て式カヤック「かわせみU」が消失した。


5月12日(木)雨のち晴れ 朝少し南風らしいのが吹いていた。
 出勤途中に雨。午後は晴れてくる。
 生徒の中に入って練習をしていると、呼ぶ声がするので振り向いてみると、運動場の向こうで何とサングラスを掛けた西寺先生が、ニコニコしながら見ている。安下庄のほうに行った帰りに、回って寄ってくれたそうである。感動的であった。


5月13日(金)晴れ 凪
 午前中仕事をした後、休みをもらって油谷湾に向かう。初めて乗る高速道路である。おらがハイジェット号は、快調に走ってくれた。高速道路は祝島の道路に似て信号がないのが良い。15時半頃に、無事伊上海浜公園のボニーベイシーカヤックセンターに到着した。原さん、洲澤さんが笑顔で迎えてくれる。内田さんの笑顔にも会えた。カヤック界では大きな催しだ、と想像できる「シーカヤックアカデミー」が開催されるのである。2泊3日の程度の高いシーカヤックの研修会である。初日の夜の講演に孝君が祝島の話をするということで、祝島のメンバーとして、おらも招待してくれたのである。アカデミーの中心的存在である内田さん、洲澤さん、原さん、太田さん(実行委員長)たちは、とても祝島を大事にしてくれる方たちなのである。コタキさんも、懐かしがってくれる。リョウキチをかわいがってくれる方なのである。
 早速原さんが、頼んでいた中古のカヤックがあるということを知らせてくれる。
 この会での、おらたちの食事は全て原さんと中村さんが調達してくれた。夕食は河豚の汁。
 夜の講演は元文洋少学校であった。孝君が祝島をアピールしてくれた。
 泊まりは、原さんの改良バスの中。キャンピングバスに仕立ててあるのだ。午前二時までバスの脇で、臨時的人生相談が解説され、内田講師の話を原さん、中村さんが神妙に聞いていた。最後の仕上げを太田さんが、神に代わって締めくくった。


5月14日(土)晴れ 凪
 6時半ごろ、起床の合図。原さん、中村さんがホットケーキを作る。
 九時半から講義開始。瀬戸内海横断隊の意義、シーカヤックツアーの装備などを聴く。調理のコンテストもあり、孝君・原さんチームが見事四位入賞。賞品として、おらにパドルフロートをもらってくれる。もっと高い商品もあったのにおらがために原さんがもらってくれたのである。
 夜はシーカヤックの組織についての現況の説明や意見交換が、行われた。先駆的な組織作りや活動をいろいろやってきているのだなあと、おぼろげにわかる。夕食は原さんたちのツアー仲間の作るいろいろの調理をいただく。とてもチャーミングな女性もいて華やぐ。
 夜10時ごろ、「百姓庵」という民宿にお邪魔する。原さんの親しい友人である井上さんの経営する民宿なのである。井上さんは、洲澤さんと一緒に五年位前に祝島にやってきたことがあるのだ。ファルトのタンデム艇でやってきて、三浦のログハウスに泊まったのだ。アジアあたりをバイクで旅行してきたとか洲澤さんが言っていたのを思い出す。その時は独身だったが、今は奥さんと一緒に民宿をやっている。その民宿は昔の住居をコツコツと自分で修復したものという。テレビで取り上げてくれ、反響が大きかったようだ。30軒の油谷島にとってその存在は大きいことと思う。はじめから順風万帆ということではなく、人柄、地道な活動で、地域の人たちから認められ、大切にされてきているという様子である。1時半過ぎにバスの中で寝る。テントも持っていったのだが、必要なかった。


5月15日(日)晴れ 凪
 6時半頃起床。原さん7時に起き、起きて1分後にはバスの運転席で前進のギヤを入れる。
 アカデミーの会場で、原さんはスタッフのミーティングに参加した後、ラーメンを作ってくれる。
 九時半から試乗できるということで、シャドウという艇と不知火Uという艇に乗ってみる。乗るといろいろ特徴があるといっていたが、なるほどおらにもなんとなく、違いがあるということは分かる。
 孝君は祝島漁協の海産物を紹介がてら購買。3日間折りたたみ式のテーブルにひじき、ビワ茶を並べる。イカの燻製が、なかなか興味をもたれた。
 孝君は昼前に「いわい」に向けて出発する。
 おらは海上保安庁の方の話を聞いた後、12時過ぎに柳井に向け出発。
 下松くらいで哲ぼんさんからメールが入る。テント撤収をゆっくりしてもらえれば、会えそうだと言う事で、大島に向かう。16時に西の浜に到着。久しぶりの再会を果たす。その後柳井まで行く。ヒロコおばさんも柳井に帰ってくる。ナゴジロー、リョウキチはテスト期間ということだ。
 原さんのホームページ


5月16日(月)晴れ 凪
 柳井から帰って、仕事に行く。
 仕事の帰りにチダイをあげて刺身と煮付けにする。最後のチダイだ。 


5月17日(火)晴れ 凪のち南風
 沖浦中の卒業生のNさんとリョウキチが同級生ということで、沖浦中の生徒からもリョウキチのうわさが入った。不思議なくらいのつながりがあるのだ。高校はテストがあって昼までということで、放課後ちょうどNさんがやってきて、おらは初対面できた。


5月18日(水)雨 南風
 清水丸情報によると祝島のほうは大南風らしい。おらが別倉は南風がほとんどあたらない。夕方に掛けてはさらに強まったようで、海に白波が見える。道にしぶきが打ち上げていた。
 仕事が早く終わったので柳井に出て、草刈機等を買う。帰りにヒロコおばさんの差し入れを持って帰って夕食。


5月19日(木)晴れ 弱い西風
 小学校のプールの掃除。おらが大学時代を思い浮かべる。このプール掃除が、水泳部の定期収入だったのである。パンツ代だけで水泳部の活動が成り立つ時代だった。試合に出るためには旅費は必要だった。出ようと思えばみんな試合に出ることもできた。親が漁師と出稼ぎで月々二万円の仕送りをしてくれて、贅沢な学生時代だった。
 組み立てのカヤックがなくなったので、盗難届けを出して、現場検証をしてもらった。カヤックに名前を書いているので、海にぷかぷか浮かんでいたりすると、陸上で遊んでいるおらの捜索をされてしまう恐れがあるから、届けを出した。
 その後、30分くらいよたよたランニングをする。
 突然ながらカヤッカーの原さんという人は若いけど、すばらしい人なので、ぜひ原さんのホームページを見て下さい。 原さんのホームページ→ 原さんのホームページ 


5月20日(金)晴れ 凪
 このところ、あちこち腱や筋肉の調子が悪い。体は何を求めているのだろう。酒ではない。海だろう。と思いながら、発泡酒を飲む。海は六月からにしよう。


5月21日(土)晴れ 凪
 凪とか書いているけど、大島に着てからは推測のときが多い。おらが別倉は少々の南風はあたらない。低いマジガクレみたいなところである。海辺を行くとなんとなく風向きがわかるようになった。
 今日は、いろいろ、楽しいというような情報が入った。
 まず、おらが学校の生徒が、県体(東部県体)陸上で二人決勝に残ったのである。
 そして、行った生徒みんなかわいいのである。引率の先生もかわいいのである。
 二つ目は、ヒロコおばさんのところに、祝島の松本から野菜や果物が届いたのである。おばさんは喜んでいた。おらは明日鯛が釣れたらお礼を言いに行くことになった。
 三つ目は、雄一郎君のところ(実家)に電話をして五月丸で帰ることを言うと、面白がってくれたことである。
 四つ目は、原さんからの祝島想いのメールが届いたことである。
 番外として、哲ぼんさんが原さんのホームページを見てくれたことである。
 明日は、早起きして帰る予定である。なんと、生徒には悪いけど26日には、今日の振り替え休日がもらえる。お返しは石豆腐にしたいと思っている。


5月22日(日)雨 凪
 子供時代の遠足のように、2時に目が覚めたのでまた寝ると、もう5時だった。五月丸を5時45分ごろ出した。カミカドでチダイを釣ったが、ぼちぼちというところ。南風が少し吹く。
 祝島に帰って、松本にお礼を言いに行く。喜んでくれた。
 少し用事を済ませて、五月丸に乗ろうと、家を出たところで秀人君に会い、立ち話をして、波止に出る。
 コージロに行って釣ってみるが、釣れない。大島に向かう。
 柳井で、ひろ君、さと君たちと夕食を摂る。ビールが少し入って、柳井泊。


5月23日(月)晴れ 西風
 もらったビワを食べる。祝島のビワであるが、うまい。
 原さんが、冒険学校を始動開始の模様である。根拠地は佐賀(平生町)の佐合島である。


5月24日(火)晴れ 凪
 沖浦中学校の校舎の出てくるドラマが作られつつある。今日は沖浦中の生徒たちが沖家室まで、エキストラボランティアで遠征した。予定より撮影が遅れたため、途中で帰ってきた。明日は沖浦中の校舎内での撮影がある。ピアノが、沖家室から運ばれ、今日は調律師のタグチさんという方がこられて、切れた弦や調律をされていた。おらから見ると素晴らしい職人である。このピアノは博物館に置く値打ちがあるのではないかと思う。秀人君はホームページで知り合った元東和町の知り合いに連絡を取って、ピアノを大切に扱ってほしいと、伝えて欲しい。


5月25日(水)晴れ 西風
 朝、原さんから中古のカヤックが手に入ったと、メールで連絡が入っているのに気づく。結構大きい艇である。原さんが近々持ってきてくれる予定である。
 午後、沖浦中を舞台に撮影会。生徒たちはエキストラで撮影会を見学。地元の方も数十人、見学兼エキストラでやってきた。舞台になった校舎は久しぶりの盛況ぶりであった。
 急遽台詞がまわってきた生徒もいたそうだ。
 放映は6月25日土曜日午後7時半からということである。


5月26日(木)晴れ 凪
 土曜日に勤務をしたということで、今日は振り替え休日。祝島に変える途中で、コージロに寄る。瀬戸で進宝丸が、タコボウズを漕いでいた。二匹釣れたといっていた。おらはコージロでチダイを狙う。魚はいるようなのだか釣れない。今はヤオリでないと釣れないような気がする。波止で聞くと、進宝丸はハマチを6匹釣ったといっていた。
 釣りの後、ソーズイに行って、ビワの様子を見る。少し色づいている。その後、学校に上がってみる。初めて校長先生とみさきちゃんの担任の先生に会った。
 五月丸での帰りにコージロに寄って釣ってみるがぜんぜん釣れず。大島に帰る。住宅に19時前に着く。携帯に原さんから電話が入っていた。カヤックを持ってきてくれる予定なのである。急いで来てくれているようだ。原さん、無事到着。
 いい艇を見つけてくれたのである。盗難防止策を考える。明日は、チェーンの購入だ。この夏はカヤック活用の夏になりそうである。
 その後、柳井に行った。リョウキチ、ナゴジロー、元気にやっている。


5月27日(金)晴れ 凪
 沖浦中に入っていた沖家室のピアノが、帰っていった。
 夕方、チェーンや、鍵を買って、カヤック盗難対策を完備する。


5月28日(土)晴れ 凪
 五時に起きて、五月丸に乗って帰る。途中コージロで釣りをするが、あまり釣れない。
 釣りから帰って、イワグチあたりの道の草刈を2百メートルくらいする。これから夏にかけての祝島の草は良く伸びる。その分ビワも良く熟れるのだろう。夕方ウヤシマに行き釣ってみるが釣れない。暗くなり前、ヨボシでアジを6〜7匹釣る。大島への土産である。


5月29日(日)晴れ 凪
 丸アジ釣りに出ようと思ったが、あまり釣れないと言う事で、ウヤシマに行く。運よくハマチが1匹釣れただけ。チダイは、気配がない。ハマチを漁協に持っていく。3.1kgだった。今年三枚目の伝票。
 草刈を小一時間する。昼飯を食べてゴロッとしていたら、うとうととして、昼寝をした。昼寝の後、準備をして大島に向けて、出発。ちょっとウヤシマで釣ってみるが釣れそうにないので、鰆漕ぎをしながら、大島に向かう。横島の横くらいまで漕ぐが釣れない。18時前に大島到着。カヤック関連の工作の材料を買う。
 ヒロコおばさん、ナゴジロー、ユウベエは広島で買い物。財布の紐が緩んでいたらしい。


5月30日(月)晴れ 凪
 早起きする。土産のチダイなどを〆る。
 夕方近くの海を一枚写す。正平さんは、祝島では朝日しか描いてなかった、などと考えながら帰る。
 仕事から帰って、カヤックを海まで運ぶための台車をつくる。コロと釘は昨日ジュンテンドーで買い、材木は以前、祝島から大島に来るとき拾った角材がちょうど使えた。これでカヤックを楽しむ準備が完了である。


5月31日(火)晴れ 凪
 朝、別倉の裏の草むしりなどをする。
 今週は中間テスト週間ということで部活動はない。早めに帰って、カヤックに初試乗。ノシマという小さな島に行ってみる。30分余りでいける島で、砂浜に上陸してみると桜の木があり、実が着いていた。30粒くらいとって帰る。
 台車はカヤックの座り具合を少し改良すると良い。音はゴロゴロとかなり音が出る。
 パソコンは学校に置いたまま帰る。明日はカヤックでの通勤を試みるつもりである。
 パソコンがないので、ラジオを聴く。一番よく入るのが、NHK教育放送である。高校教育講座らしいのが放送されている。「数学基礎」や「現代社会」とか英語を聴く。英語は良くわからないが、環境問題を取り上げた内容である。