祝島日記 2005年6月 5月の日記帳へ
6月1日(水) 晴れのち曇り 凪
四時頃目が覚める。そのまま起きて朝飯を食べる。コーヒーをポットにつくる。カヤックを隣のベランダの下に置いてあるので、音を出すのが気が引けるが、ごそごそとカヤック運搬の準備をする。台車のゴロゴロという音を鳴らしながら、海辺まで運んで、5時10分に仕事場に向けて出発。ラダーのペダルが少し近いようである。かかとの辺りに砂粒があるようで、結構痛い。
途中、海図に「彦島」とある小さな島にたち寄る。
6時50分ごろ、津海木(ツノウギ)の浜に到着。カヤックを砂浜の上のほうに上げて、パドルは仕事場の木の影に置く。時間があるので浜のほうに引き返して、寝そべる。ポットのコーヒーを飲んだりして、仕事場に行く。
一年生に昨日採ったさくらんぼを見せると、みんな食べてみる。シンちゃんは何粒かほしいといって持って帰る。植えるつもりらしい。
帰りは、仕事が予定より長引いたが、午後5時50分に浜を出発。
途中に老夫婦の漁師さんが掛かって釣りをしているのに出会う。朝もいたのだが素通りをした。帰りには挨拶をすると、明るいいい声の挨拶が返ってきた。アジを釣っていると言っていた。
潮は引き潮(進行方向と逆)だったが休憩無しで1時間30分だった。行きも、漕いだ時間はそのくらいだった。まずまず漕げた。おらが別倉の海辺と仕事場近くの浜の間は8km弱だろう。
6月2日(木) 雨夕方前には上がる。 少し南風のち凪
久しぶりの雨である。植物などにはいい雨だが、祝島のビワがはち割れたかもしれない。
ヒロコおばさんにタイヤやチューブなどを買ってくれるように連絡をする。祝島のカブがパンクしているのだ。もうタイヤも古いので後部タイヤなどセットで土曜日に取り替えるつもりである。
タイヤを受け取りに柳井に行く。リョウキチの椅子も買う。ついでにおらのも買う。
6月3日(金) 晴れ 凪
今日、シンちゃんから釣りの誘いを受けた。この土日は予定があるので、次の土曜日には、釣りをシンちゃんとすることになりそうだ。とても若い友達が一人できそうである。めでたし、めでたし。
調べてみると、来週の土曜日は行事が入っていた。釣りは当分お預けのようだ。
この日曜は、ほぼ同世代の友達が祝島に来る。また楽しからずや。
五月丸の魚を上げる。隣々人にも上げようとするが、声が届かなかった。刺身を作り、隣人には届く。
6月4日(土)霧後晴れ 凪後西風
朝、四時ごろ目がさめる。五時半ごろ五月丸でウヤシマに向けて出発するが、ガス(霧)が濃くて、危険な状態なので横島の横で釣り糸を下げる。思ったより深い。二十分くらい釣るが全然気配なし。少しウヤシマの頭がのぞいたので、五月丸を進める。
カミカドで釣ると、すぐチダイが来る。鯛のいい形のが運よく一匹釣れる。哲ぼんさんへの土産が手に入る。その後釣れなくなる。昼前に帰り、バイクのタイヤ一式を交換する。昼便で帰ってきた裕子おばさんと弁当昼食。午後ソーヅイに行ってビワもぎ。袋をかけていた白ビワを採ってくる。バイクで二往復する。ビワの実が小さい上にしわもある。採るのが遅すぎたのが結構あるようだ。裕子おばさんが袋からビワを取り出してスチロールに並べてくれる。
昼前から少し西風が出た。ソーヅイから帰った後、カヤックで田布施からやってきたという若い人に東の浜で出会う。広島の人ということである。民宿「くにひろ」に泊まるといっていた。後で秀人君に聞くところによると、田布施で原さんらしき人に会ったらしい。西風があったので少し不安だったといっていたが、「結構充実していました。」とも言っていた。
夕方前に岩本に行き、台風に備えて、雨戸などを閉める。南海上に台風六号が北上中である。近ずくと弱るであろうが、やはり心配である。
夕方ヨボシに釣りに出る。タミちゃんとかずやくんが漕いでいる。ハマチを何匹か釣ったような合図をくれる。出るのが遅すぎたようであった。暗くなりかかってアジが三匹釣れる。明日の刺身用になるだろういい形のアジだ。
6月5日(日)晴れ 凪
朝、干潮がわしにカミカドに行った後、コージロに行く。運よく、ハマチに出会い、二匹獲れる。一度に三匹きたときもあったようだが、一匹は釣り針の先が折れ、一匹は糸が切れ、そのとき獲れたのは一匹だけだった。よく肥ったハマチで元気である。一匹漁協に活かし、一匹上げる。
昼便で哲ぼんさん、みっちさんが来島。楽しく昼食を摂る。話は尽きないで哲ぼんさんはカサゴ釣りにも行かない。タミちゃんへの土産を持ってきていたのだが、一足違いで釣りに出るタミちゃんに会えないまま渡せなかったようである。途中で秀人君も加わる。
夕便で哲ぼんさん達帰る。おらもビワなどを持って18時頃大島に向かう。
台風に備えて錨を一本補充して五月丸を係留する。
6月6日(月)晴れ 少し風あり
夜中の三時頃目が覚めて、小さいビワのパックを作る。びわが少し足りないので、悩む。結局裕子おばさんが今日柳井に持って帰る予定のものを少しもらえるように朝、予約する。
ハマチのあらを煮付けて、金曜日のアジを刺身にして、魚にする。晩便で裕子おばさんの持ち帰った押し寿司がうまい。押し寿司が、さらに押しつぶされて、形が平たくなっていたが、うまい。ビワも持ち帰る。長さあ方でもらったクズビワというのが、おらがビワの1.5倍立派である。
6月7日(火)晴れ 少し風
土産のビワを仕事場に持っていく。喜んでくれた。
金曜日の魚を食べ終えた。
6月8日(水)曇りのち晴れ 凪
久しぶりに愛ちゃんの顔を見る。さっぱりした人柄で、お母さん、お父さんにも会えた。少し前に来たら、サツキちゃんに会えたところだった。
ラジオをつけたら、高校講座だった。国語の勉強をした。
6月9日(木) 晴れ 凪
学校にお客さんがあった日。
夕方、秀人君がやってくる日だったのだが、なかなか来なかった。
やってきて、ノンアルコールとビールで一杯やった。途中で隣の河野君も来てくれて、三人で静かに盛り上がった。
この住宅の住人で今度、一杯やろうというところまで、話がつながった。河野君は、夕方よく走っている。祝島マラソンの日は、職場の旅行で出られないということだ。
6月10日(金)晴れ 凪
午前中なんとなくけだるかった。秀人君もノンアルコールに二日酔いだったそうである。
夕方、ビヤガーデンで、久しぶりに文彦君たちと飲んだ。週に一回はカヤックで通おうかと、文彦君の前で考える。人間おおらかにたまには決意も新たに生きていこうと、酔って考えたわけである。酒に弱いおらは、毎晩酔っているのだが。
柳井泊。岡本のまあちゃんのお父さんが亡くなったということで、明日は通夜に帰る。ビワももぐ予定。
6月11日(土) 雨 西風
雨模様だったが、島につくころはほぼ上がる。昼便で帰る。善徳寺のひろ君、さと君達といっしょになる。
ソウヅイに行ってびわをもいで、パックにつめる。平さんの田んぼの写真を携帯電話で写真を撮ったつもりが、残ってなかった。カメラを忘れて祝島に帰ったのである。
夕方、岡本の通夜に行った後、裕子おばさんの弁当を食べていると、難波のおバンが煮しめを持ってきてくれる。
6月12日(日) 晴れ 凪
ナガイソの草刈をした後、またソーヅイに行って、大島用の土産を採る。昼便での送りの荷物やらを作って、昼便で柳井に向かう。
柳井であれこれ買い物をして、裕子おばさんがおらのために買ってくれた、いろいろやら、洗濯物を持ったりして、大島に帰る。大島に帰って、夕方、今年の初泳ぎをする。海水が思った以上に冷たかった。17度C前後ではなかろうか。二百mも泳がなかった。
原さんからの重要メールに返事を書いて寝る。
6月13日(月) 晴れ 凪
なんとなくだるい。夕方からはまずまず。少し体が飲み疲れていたようだ。
6月14日(火)晴れのち曇り 凪
4時半に目さましをセットして、起きる。少しのどが変であるが、5時半出発を目指す。カヤック出勤二回目である。5時半少し過ぎに出発し、7時少し過ぎに着く。ほぼ予定通りだった。この前の掛かり釣りの漁師さんはいなかった。
午前中に、少し仕事場の草刈などをする。
帰りが予定より少し遅くなり、カヤックに乗って出発が18時半を少し過ぎていた。暗くなると思って少し急いだ。潮はほとんど止まっている時間帯。曇っていたが、途中夕空が少しの間赤く染まった。20時前には家の前の岸に到着。その岸の少し前で、ボウズイオ(スナメリ)が息を吐く音がした。ここら辺にもいるようだ。夜になると岸近くに寄っている。下荷内島の横を五月丸で通るときも、よく見かける。
カヤックを片付けると20時半頃。メールがいくつか待っていた。
6月15日(水)うす曇り 凪
先週土曜日、梅雨に入ったのだが晴れが続く。ビワには良かっただろう。
6月16日(木)晴れ 凪
夕方、ナフコに工作の材料などを買いに柳井に行き、柳井泊。
留守の間に原さんからメールが来ていた。
おらは残念ながら参加できない。せめて、原さんの気持ちを広めたいと、応援を込めてここに掲載する。
以下、原さんのメール。
6月17日(金)晴れ 凪
今日、昼休みにピアノで「サザエさん」を弾いたら、シンちゃんが駆けつけてきた。シンちゃんはピアノが弾けるのである。おらは「サザエさん」しか弾けないのだが、感心してくれる。最後の音はすんなり出ないのである。
明日は陸上大会があるので山口まで引率である。早く寝る。
そうそう、このごろフナムシが部屋に現れ、時々おらに踏んづけられている。磯ではゴチが釣れる季節だ。
6月18日(土)晴れ 凪
予定通り、山口まで引率業務の手伝い。みんなそれぞれ頑張った。久しぶりの維新公園陸上競技場だった。
リョウキチが、陸上部員だったらどんな行動をとるかと考えてみるのも面白かった。ユウベエ、ナゴジロー、リョウキチは、おらにとっておらよりも面白い存在である。
大島に帰って、ジュンテンドーで工作の部品を買う。今回は私的な部品購入である。小さな旗を作ろうと考えている。最初はマジックで書こう。
ジュンテンドーから帰って作業をしている途中にみっちさんからメールが入る。明日来る予定を立てているようなのだ。おらも島に帰る用が少しあり、重なってしまった。さあ、どうなるかと思っているうちに発泡酒に酔ってしまった。
6月19日(日)曇り気味の晴れ 凪のち南風
3時すぎに目が覚めて、五月丸に出て、沖浦を5時前出港、途中コージロで釣ってみた後、祝島に帰る。結局何も釣れなかった。途中、哲ぼんさんへのメールを送ったつもりのものが送られていないのに気づく。返事が来ないなあと昨晩から変に思っていたのである。大島に来られるのはまたの機会にということになってしまった。
祝島ではソーヅイに行って、びわをもぐ。平さんもいて、少し話をする。「遠くへ行きたい」の取材の話など聞く。練塀のことで平さんも出るらしい。シラサキの石垣にも興味を示したということだ。帰りに秀人君と出会う。二人連れでシラサキはまで、案内をしているようであった。
今年は雨が降らないので、この頃までびわがもげる。三回も日曜日にビワもぎに来れるたのは初めてである。
ソーヅイから帰って、家の前の道に置いてあるものを片付ける。リヤカーはナガイソに持っていく。裕子おばさんに頼まれていた支払いなども済ます。
明日は田ノ浦のボーリング調査への抗議行動で、原さん達も祝島の漁船団と合流する手はずになっている。原さんは白井田などの下見もしたということだ。清水さんは原さん達のノボリ、鉢巻を準備してくれている。祝島の抗議行動への初のカヤック参加である。
帰りに田ノ浦などに巡視艇のような船があった。あらためて明日の行動の重大さなど考える。原さんは勇気がある男である。
午後ゆっくり大島に帰る。南風が出て少し波があるので、釣りはしないまま帰る。大島に着いたところで、裕子おばさんより小僧寿司購入の指令が出る。父の日だったのである。
6月20日(月)晴れ 凪
祝島のほうでは抗議行動の日。
今日はボーリング用のダイ船は動かさないだろうとの見込みだったようだが、少し動いたということで、清水丸は張り付き、今晩はそこで停泊ということになりそうである。原さんは、田ノ浦泊ということのようだ。こういう活動は人になかなか知ってもらえない。
おらは明日は、カヤック通勤で、今日作った旗を立てていくつもりである。
6月21日(火)曇り一時雨 凪 夏至
3時頃目がさめた。カヤックを5時に出す。初めての旗付のカヤックで、初めは照れくさいが、誰も見る人はいない。おらが見ただけだ。
帰りには、老夫婦の漁師さんに挨拶をしたら、祝島から来たのかと聞かれた。祝島出身ですと答えた。最初の、旗への言葉であった。
小松開作で、何と笹木君のお父さんが、車を止めて、声を掛けてくれた。よくおらだと判ったなあと、感心し、うれしさが沸いてきた。
ボーリングの台船は動けなかったようである。抗議行動は明日も続くのだろう。
6月22日(水)曇り時々晴れ
朝四時前に起きて、カヤック通勤の準備。白井田では抗議行動が続いていることだろうとおらも旗を立てて通勤する。岸近くを通ったり潮は少し逆に流れていたりで、いつもより時間が掛かった。
帰りは潮が押し、着く手前から風も少し押してくれ早めだった。向こうの浜を18時半を少し回っていたので小松開作に着いたときは暗かった。アジを釣っている船に何隻か挨拶ができた。
中国新聞に祝島の抗議行動が大きく載っていた。カヤック隊の行動も乗っていた。原さん達の動きが見えた。
原さんに電話してみると、芯が震える体験ができたと言っていた。現場を味わった人の言葉だ。
今日は山戸さんが台船に乗り込んだということだ。タミちゃんの活躍も放映で見えたと裕子おばさんがいっていた。
6月23日(木)曇り 凪
原さんから「上関町原発便り」第二弾が届いた。
「上関原発便り」(報告編)
このメールはBCCにて配信しております。
今日も暑い日が続きます。上関原発詳細調査における続報です。
22日から続けられた祝島漁民の抗議活動も今日23日の昼過ぎにようやく収束に向かいました。
これまで反対運動23年の歴史の中で事前調査が3日間も延長された例は無いと聞きました。
中電側も3日間で台船の移動を完了する見通しだったようで保安庁の呼びかけにようやく同意したという動きだったようです。
台船の柱にロープで体をくくりつけてまで抵抗した山戸組合長が陸に上がると陸から必死にシュプレヒコールを挙げていた島のおばちゃんがワッと取り囲みもの凄い戦勝ムード。大喜びで手を振りながら漁船で島に帰っていきました。
しかし高齢者の多い祝島漁民の気力体力共に限界に差し掛かっているようです。
明日の抗議行動はしないとのことでした。
よって明日は中電による台船の移動は行われる見通しということ。
しかし今回の抗議行動は報道を通じて多くの人にいろんな想いを伝えました。
このメールを受け取った方からもたくさん応援を頂きました。
まずは上関で起こっている現状を広く伝えてゆくことだと思います。
我々になにができるかは未知数ですが上関原発が白紙撤回されるまで永久に海を守って行く決意です。
これかれもよろしくお願いします。
カヤックデモに兵庫から駆けつけて頂いたHALさんからレポートが届いたので紹介します。
ハルさんからは僕達が感情的になる度に穏やかにかつ的確な意見を頂きました。本当に勉強になりました!
ありがとうございました!
DAIDUK
OCEAN KAYAKS & ADVENTURE 原康司
MAIL kouji-h@sirius.ocn.ne.jp
URL http://www13.ocn.ne.jp/~daiduk/
TEL&FAX 0834-25-1036
>
山口晴康です。一昨日上関での、夏至の祈りをレポートします。
> 長くなってしまいましたけれど、読んでもらえればうれしいです。
>
ぼくのジョ-ダンはさておき、なにが起きているのかが少しでも伝われば幸い
> です。
>
> ALL MY RELATIONS
!
>
>
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>
>
上関(かみのせき)の海は、僕が永年通っているナバホ、ホピの聖地ビッグ
>
マウンテンと同じ、その圧倒的な美しさと同時に、悲しさが存在するところ
>
だった。手つかずの”自然”、そこに”生きる”人々。共同体に持ち込まれ
>
た”分断”や”対立”。それでもその地を守ろうと生命をかけて立ち上がる
> 男や女、長老たち。
>
>
子や孫のために。
>
> 20日、日の出を見ながら、有志カヤッカー5人、4挺で海に出る。
>
ボーリング用調査船のおいてあるところまで漕いで行く途中、少し沖合いに
>
スナメリクジラの群れが現れた! 何頭くらいいたかなあ?5〜6頭が見え
>
隠れしながら、僕らとは反対の方角に泳いでいった。出迎えてくれたようで、
>
うれしい! 僕が育った瀬戸内、赤穂の海にも住んでるけれど、ここみたい
>
に水がきれいじゃないし、全国的にもその姿は減る一方らしいが、唯一この
>
上関周辺だけは、その数は変わっていないと、貰ったパンフに書いてあった。
>
ここは豊後水道からの黒潮が流れ込んでいるせいか、本当に、瀬戸内海とは
>
思えないほど、水が澄んでいる。この日はナギだったからよけいにきれい。
>
> 鏡のような水面を漕ぐ。
>
>
目的地に着くと、未だ祝島の漁師さんたちは来ていなくて、海上保安庁の船
>
が3隻ほどいた。挨拶に出向くと、ていねいに挨拶返してくれる。もし事故
>
が起きたらこの人たちに助けてもらうことになるのだから、先にその「お願
>
い」をすると、「くれぐれも気をつけてください」と心配してくれた。なに
>
かこちらはどこかの団体なのか気にして、「もし名前かなにかあれば?」と
>
聞いてきたので、「みんなバラバラの場所から来た海を愛する有志カヤッカ
>
ーです。でも名前が必要なら”インリン・オブ・ジョイトイ”とでもしとい
>
てください」と言ったら、身内には受けたけど、彼らには受けなかった(笑)。
>
>
そうしてるうちに、漁師さんたちが現れた。しばらくして、「今日は動きが
>
なさそうだから、解散して、よかったら祝島に来ないか?」と言ってくれた。
>
でも、昨晩ほとんど寝てなかったから、誘いは辞退し、原発予定地の上にある
>
祝島の人たちの小屋に向かい、翌日に備えて休むことにした。
>
>
5年振りに訪れたこの場所。前回はピースウォークで歩いてきたけど、まさ
>
か海を漕いで来ることになるとは(笑)、夢にも思わなかった。
>
>
ここは、まだほとんど何も出来てはいないけど、鉄条網で囲まれた予定地は
>
やはりビッグマウンテンを彷彿させる。中には大人くらいの大きさのホーン
>
型の機械3機が定期的に24時間、不愉快な音を発している。これは大気の
>
なにかを計る調査用の計器らしい。ピースウォークの時も思ったけど、これ
>
じゃあ、この辺りに住む生き物はたまらない。本当はここに住むハヤブサや
>
スナメリなど、希少野生生物を追い出すためにやってるんじゃなかろうか?
>
と勘ぐりたくなる。また、建設するのを前提としているのだろう、予定地の
>
遺跡調査が始まっていて何人かが作業していた。後で聞いたら縄文、弥生土
>
器、古墳時代の須恵器などが発見されているとの事。”あたりまえだよな!
>
こんな豊かな海辺に古くから人が住んでいるのは。「食っちゃ寝」のパラダ
>
イスだよな〜。だって原発が出来ていない今もまだ向かいの祝島の人たちは、
>
昔ながらに一本釣りで食べていけてるんだもんね。”
>
>
予定地から見える祝島の集落は家の一軒一軒が判るほど近い。そんな天国の
>
島に、ある日、目の前に原発が出来て、いくら安全だ、と言われても、そん
>
な変化に人はついていけるのだろうか? 有史より昔から人が住み着いてき
>
た島が、その生活の手段である漁場を失い、そして24時間365日様々な
> 精神的な苦痛を強いられる。
>
>
僕の知っているビッグマウンテンの状況も、強制移住に同意させられてわず
>
かな保証金をもらい、街に住んだ多くの人が、共同体から切り離され伝統的
>
な生き方を失って以来お金を物や酒に変え、たちまちお金も無くなり、アル
>
コールに身心を犯され、あげくに失意のなか自殺したり、病気で亡くなって
> いっている、と聞いている。
>
>
上関側の賛成している漁民や住民たちは、山一つでも離れている場所に住み
>
原発が視界に入ることはない。あくまで危険性は、気にしなくてもいいと思
>
い込めば、それですむといえば済む、と思う。でも、祝島の人たちは、最良
>
の漁場が埋め立てられた上に出来る原発を毎日見ながら暮らせないだろう。
>
>
もちろん海に国境も県境もなく、「放射能は金持ちも貧乏人も差別しない。
>
放射能は平等だ! 」とは、内田ボブさんの名言だけど、昔中国の偉い人が
>
瀬戸内を見て、日本にも大きな川がありますねえ!といったほど瀬戸内海は
>
海峡のような狭い海で、だからこそ現在赤穂に住む僕にも人事ではない思い
>
もあって、ここに来たのだけれど、やっぱり祝島の現状を見るにつけ、すご
> くリアルな思いを持つことが出来た。
>
>
夕方一人で予定地はずれの岬の岩場で、昨年の夏至の祈りを思い、ビッグマ
>
ウンテンを思い、目の前にひろがる、スナメリクジラの子育ての海、ハヤブ
>
サの子育ての海、僕たち人間を生かしてくれる母なる海を思い、祈りを捧げ
>
たら、一羽の鳥が目の前を飛んで舞うように海を旋回した。丁度一つがいの
>
ハヤブサが営巣するという目の前の島から来たし、白と黒が鮮やかな小型の
>
タカだったので、たぶんハヤブサだったと思う。
>
>
スナメリクジラもハヤブサも、みんなこの海の先住民。でも彼らの声は無視
>
され、保証金も代替地も貰えない。ただ見殺しにされるだけ。
>
>
夜、島からやってきたオバチャンたちと一緒に、予定地上の山腹に建つ小屋
>
に泊めてもらった。小屋といっても立派なログハウスで、電気はサスガ〜!
>
ソーラーで自給している。しかしなんといってもオバチャンたちの元気なこ
>
と!!もう23年も反対運動してるとは思えない程、アカルイお母さんたち。
>
上関町内では、一応賛成6反対4(地縁、血縁のしがらみでそこに莫大なお
>
金が絡むので、真意を言えない人が多いらしい中それでもこの数字はスゴイ
>
と思う)が永年変わってないらしいが、祝島では9割が反対しているので、
>
分裂、対立よりも団結している分、明るいんだろうな!と勝手に想像してま
>
すが、この明るさが何十年もガンバッテ来れた要因のような気もする。
>
>
このオバチャンたちの明るさ、強さもビッグマウンテンのバアチャンたちを
>
思い起こさせる。30代、40代のぼくらなんかニイチャン呼ばわりで、パ
>
シリあつかいだったもんね(笑) 23年間毎週続けてる上関町内デモも9
>
00回を超えてるんだって。シュラバもそうとうくぐってるんだろうな〜!
>
>
21日夏至の日、朝暗いうちに起きて浜に降り、セージを焚いてみんなとカ
>
ヤックを浄め、自分たちも、漁師さんたちも、そして強行しようとする人た
> ちにも事故が無いよう心で祈り、出航した。
>
>
天気予報では、雨のはずだったけど、相変わらずのカラ梅雨続きの瀬戸内で
>
漕ぎながら夏至の日の出を拝むことが出来た。もうアノ台風のなかで大きな
>
サークルを作って”必死”で祈ってから一年か。早いような、もうずいぶん
>
昔のことだったような、思えばこの一年自分には、激動の日々だったなあ!
>
あのときに一年後に海の上を漕いでる、なんて想像も出来なかったなあ〜。
>
待てよ!なんでいま自分は海の上にいるんだろう?ブラックヒルズにいるん
>
じゃなかったっけ?それがダメになってやっぱり富士山で去年苦労を共にし
>
たみんなとゆっくり今年は夏至を迎えるんじゃなかったっけ?あれ〜?いま
>
から何が始まるんだったっけ?こんな平和な思いできれいな海を漕いでる自
>
分はすごく幸せなんだけど、ひょっとしたら逮捕も有りうる、なんて誰か言
>
ってなかったっけ?アレ〜〜??これって一体夢の中のこと??
>
>
現地に着くと、昨夜から調査船の周りを漁船で取り囲み、ロープを繋いだバ
>
リケードが出来ていた。50艘くらいあったかなあ。みんな船で一夜を明か
>
し、緊張ではなくキンチョー蚊取りが無いため蚊の攻撃に悩まされほとんど
>
眠れなかったみたい(スイマセン、ベタなギャグで)。でも、ここの漁師さ
>
んたちもオバチャンたち同様、23年間のシュラバのなかで鍛えられてるせ
>
いか、ぜんぜん動じてなかったなあ。みんな居眠りしたり、ビール飲んだり
>
しながら、来るなら来い!って、なんか100戦錬磨の戦国時代の水軍みた
>
いだった。たぶんここ上関は永年瀬戸内海上航路の要所だったところだから
>
、この人たちは水軍の末裔でもあるんじゃないかな、って勝手に想像してし
>
まうくらいカッコいい人たちだった。なかでも組合長の山戸(やまと)さん
>
は、やさしさの中にドンとした存在感があって、なんかインディアンのビッ
>
グ・チーフを彷彿してしまう。アイヌ民族の歴史や、近隣アジア諸国のこと
>
を知るなかで、ヤマトという言葉には、いささか否定的になってしまう自分
>
ではあるけれど、この山門さんのヤマトには、なんか中学時代に”地球の危
>
機を救う宇宙戦艦ヤマト”、かっこいい!と思ったとき以来、カッコイイ響
>
きを感じてしまう単純な44才です。(すみません、関係ないですね!)
>
>
そのうち沖合いに海上保安庁の船が昨日とはうってかわってたくさん現れて
>
きた。すごい大型の船から、ゴムボートにヘルメットかぶった黒ずくめの機
>
動隊のような格好の人、またオレンジのウェットスーツにシュノーケルの、
>
今話題の海上保安庁の救助スペシャリスト、通称”海猿”の人まで。
>
>
陸地には、反対派のグループや議員さん、自然保護団体、そして祝島のオバ
>
チャンたちが大勢やってきて、スピーチとかで盛り上がり、そのうち「海を
>
愛するシーカヤッカーの人たちも調査阻止のため来てくれています!」なん
>
てマイクごしに紹介され、拍手や声援まで送ってきた。”〜ヤバイ、これじ
>
ゃあ、さっさと逃げられないじゃん!”って、だんだん事の重大さに気がつ
>
いてきた。マスコミもいっぱい来てるし、そのうち各社のヘリまで5〜6機
>
飛びだした。このヘリコプターってヨクナイよ!このバリバリバリ〜ってい
>
う音がいやがおうでも盛り上げるんだ、キンチョー感とかタイリツ感を!
>
行ったことないけどベトナムとか、なんか戦場みたいなBGM効果出すなって!
>
>
ヤバイ!映画、地獄の黙示録に使われてたDOORSの「THE END」が頭のなかで
> 鳴ってきた。 ”THIS IS THE
END・・・”
>
> そしたら、陸からシュプレヒコールに熱が入ってくるし、ホラホラみんな何
>
か期待してナイ? 絶対マスコミなんか、イイ絵狙ってるよなあ〜!
>
ほらそこのテレビカメラの人、カヤックが中電の船にぶつかって転覆して欲
>
しい!って思ってるでしょ! ダメだよ期待なんかしちゃ、だいたいこっち
>
はカヤックこの春始めたばっかりで、沈も経験ないし、セルフレスキューも
>
習ったことも、したこともないんだからね! またそんな場面に限って何回
>
もニュースになって繰り返し流されるんだから、ゼッタイそんな”オイシイ
> 事”しないぞ!?
>
>
でも、その状況が続いても全然中電側の船が現れないから、みんなどっかで
>
安心してたんだ。たぶんこの衆人監視、マスコミうようよのなかでは強行し
>
ないんじゃないって。海上バリケードもスゴイしね。
>
>
でも、甘かった、やって来た、水平線の彼方から大船団組んで。現れました
>
よ、調査船を曳航するタッグボート2隻従えて。双眼鏡でみたらけっこう来
>
てたなあ。一応原則中立の立場の海上保安庁の船入れて、なんか水平線側は
> 一個師団って感じ。
>
>
こっちは、漁船50隻と、漂流物のようなシーカヤック4艘。
>
>
でも、正直に言うと全然キンチョーしなかった。なんでかな?
> わかった、去年の夏至の時の方が、自分にとってタイヘンだったからだ!
>
と、思う。ぼくも違う意味でシュラバくぐってんだ(笑)。
>
>
また、ビッグマウンテン・ウォークやイヌー・インディアンの居留地に行っ
>
たウォークの時も大変な状況だったしね。でも、いまもこんな状況にいるっ
>
て、ひょっとしたら好きなのかな?こんなのがって、イヤイヤ考えないでお
> こう!。
>
>
そのうち中電の人の乗った船が近づいてきて、調査開始と協力をお願いして
>
来た。その度に、陸からのシュプレヒコールと漁船からの拒否の声
>
>
一度遠ざかり、間を置いて繰り返される。その度にカヤックで突入を牽制す
>
るように、前まで出ていく。山戸さんから、前回の時は、3度お願いのアナ
>
ウンスの後強行してきたと聞いた。三顧の礼を尽くしたが、聞き入れられな
>
かったってところか? これも違う意味での、セレモニー?ですな。
>
>
そしたら、原発反対派の県議の人を乗せた祝島漁船が沖に出ていき、中電側
>
と交渉に行った。一応何か動きが出るかなと思ったが、議員さんの「調査全
>
面中止」の申し入れに対して、中電さんは、拒否! 本日実行を宣言。かく
> して交渉は決裂し延長戦?に突入。
>
>
3回目の中電からのお願いの頃から、だんだん緊張感が高まってきて、海上
>
保安庁の方も、いつでもスタンバイOK牧場?。海猿の人たちも、いつでも海
>
に飛び込み出来るよう、マスク着用!って、ほんとは暑さから一回海に浸か
> りたかったような気もするんだけど(笑)。
>
>
でも、なんかテンション高まってるし、こんなときになんかのキッカケで、
>
衝突するとイヤダナ〜と思い、そうだ!漁船と違い伝馬船のような小回りの
>
きくカヤックならではの役目があると気づき、保安庁実行部隊に近づいて、
>
笑顔で「ごくろうさま(ニコッ)です。ごくろうさま(ニコッ)」とあいさ
>
つ回りに精出した。なにごとも挨拶が基本ですよね。向こうも「気をつけて
>
下さいよ(ニコッ)。あまりムチャしないようにお願いします(ニコッ)」
>
とお互い笑顔でコミュニケーション。そしてここでもチャッカリ、なにかあ
>
りましたら、救助よろしくお願いしますネ!と念を押して頼んでおいた。
>
>
海にいる間中、富士山やいろんな場所で、また時差はあってもブラックヒル
>
ズをはじめ世界中でみんなが祈っているのを感じていたし、絶対流血の事態
>
にはならないって確信はしていた。そしてここで自分も祈りから離れて対立
>
にエネルギーが入ると、それは違う!と思っていた。
>
>
そりゃあ、だんだん事態がひっ迫してくるし、僕も一応男だから、つい「今
>
日は死ぬにはいい日だ!ホッカ・ヘイ!」となる気持ちもナイではなかった
>
けど、やっぱり去年の夏至の祈りで、どんな状況でも調和を保つ、という事
>
を学んでいたつもりだから、すごく冷静に、感情的にならずに済んだ。
>
>
4回目以降は、中電側がいよいよ強行する旨を伝えてきて、タッグボート2
>
隻と一緒に向かって来たから、それぞれカヤックも進路の前で行ったり来た
>
りガンバった。タッグボートもなにもかも、カヤックよりは圧倒的に大きい
>
船ばかりだから、ひょっとしたら接触して海に投げ出される、そんなオイシ
>
イ場面もあるかなあ?とも思った時もあったけど、何故かインディアンの歌
>
を歌う余裕?もあったりして、本当に気持ちはネガティブに乱れなかった。
>
>
時々、ほんとはグレートスピリットの名前をこころの中で呼んでたけどね。
>
>
そして時間が過ぎていって作業が出来ないことを理由に、今日は中止します、
>
と発表があったときは正直ホっとしたけど、原発建設が中止された訳ではな
>
いので、あらためて祝島の人たちが23年間この奇跡のような美しい海を守
>
ってくれていることに尊敬と感謝と、そして申し訳なさを同時に感じた次第
> です。
>
>
山戸さん曰く、明日また来るだろうし、自分たちもいつまでも漁を休む訳に
>
もいかない。また明日は葬式も出ないといけない。でも来たら見過ごす訳に
>
もいかない。有志で集まって出来る限りのことをするしかない!。
>
>
海にいるあいだ自分の娘の顔が時折浮かんできた。
>
>
7世代先は、ちょっとどんな子孫がいるか想像も出来ないけど、自分の子供
>
のために、って思うと、やっぱりこの海を残したいと強く思った。
>
>
例え二日でも行けて良かったです。今回カヤックは少しは役にたったと思う。
>
ぼくはともかく上手い人は、ほんとうに上手に馬を扱うインディアンのよう
>
に、自由自在に駆け回っていた。もし、もっといっぱい、例えば数十から
>
100艘くらい集まったら、それだけでも壮観だし、第一色とりどりでとて
>
も美しい思う。元々北方海洋民族の船だから、姿も、スゴクいい!
>
そんな姿がテレビなんかで放映されたらきっと脱原発のイメージもアップす
>
ると思う。どうです、みなさんシーカヤック始めませんか(笑)。
>
>
調査のボーリング作業だけでも、この美しい海は大きな影響を受けると思う。
>
しかし、原発が出来てしまえば、この残された瀬戸内最後の自然はもう取り
>
返しがつかないだろう。そして万が一事故が起きれば瀬戸内海全域は、放射
> 能で汚染される死の海になってしまうと思う。
>
>
そうなる前に、ぼくたちも出来るかぎりのことをするしかない。
>
>
どうすれば対立を超えて、調和のなか、解決がもたらされるのだろう。
>
>
あらためて思ったけど、対立してる状況は、平和じゃない。それはビッグマ
>
ウンテンも然り。敵対してるエネルギーは、次の敵対しか生まない、と思う。
>
>
もちろん原発は出来て欲しくないし、造らないで欲しい。反対している祝島
>
の漁師さんやオバチャンの声は、こころに響くし、ウソが無い。電力会社の
>
実態も知れば知るほど腹が立つ。原発賛成してお金もらった人たちが、自然
>
保護やってる人に、人殺し!って声かける話には、怒りを通り越して笑って
>
しまう。しかし、対立を超えて、双方が笑顔で大きな輪をつくれる日がくる
>
のだろうか。それはいつかはわからないけれど、去年の夏至の日に富士山に
>
集まった多くの人やエネルギーが結集したような、そんな人間が作り出す知
> 恵と力で解決できるような気がしてならない。
>
>
来年の夏至までに事態はどう変わっていくかわからないけれど、また機会あ
>
る毎に上関の海に通い、海の上漕ぎながら考えていこうと思う。
>
>
2005年6月21日は、自分にとって、とても素晴らしい一日でした。
>
> つながるすべてのいのちに、
>
>
ミタクエ・オヤシン!!
>
> (ハル)山口晴康
>
>
追伸:いま現地にいるカヤッカー、原くんから連絡入りましたが、昨日22
>
日から作業強行再開に対して、山門さんが、調査船の上に乗り込み阻止しつ
>
づけていましたが、今日23日も中電の要請を受けた保安庁の説得にも、柱
>
に身体をくくりつけて抵抗する山門さんたち祝島漁民の人たちの命がけの抵
> 抗で、今日も作業中止が決定したようです。
>
>
双方の無事を祈ります。
>
>
> 詳しくは、祝島漁港ホームページをご覧ください。
>
> http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/
>
>
>
On 05.6.19 2:44 PM, "HAL" <hal@tj8.so-net.ne.jp>
wrote:
>
>> ハルです。
>>
>>
今年の夏至は富士山でみんなとゆっくり話せたら、と思っていたのですが、
>>
最近始めたシーカヤックの集まりで会った山口在住の原くん(単独カヤックで
>>
アリューシャンを北上し、アラスカを漕いだ強者30代の若者)からの呼びか
>>
けに応えて、瀬戸内、上関に行くことにしました。
>>
>>
ここは、2000年、広島原爆の残り火を「平和の火」として東京から広島、
>>
長崎に運ぶピースウォークに関った時に、途中この山口県の上関原発予定地に
>>
も寄り、地元上関の人たちや、向かいの祝島(いわいしま島民の9割が反対し
>>
ています)にも寄って話を聞いたところです。この海は、世界最小クジラであ
>>
るスナメリの子育ての海、ハヤブサの営巣地、新種の貝類がいまも発見される、
>>
瀬戸内でも数少ない本当に美しい自然の残る海です。
>>
>>
http//www.otsukimi.net/walk/
>>
>>
その当時はまだ建設のメドが立っていなかったのですが、世紀明けて2001
>>
年に山口県知事が建設の容認をしたことから、話が少しづつ現実味を帯びてき
>>
て、そしてついに動き始めたようです。シーカヤックの集りの時にもを祝島か
>>
ら島民が来て現状を聞きました。
>>
>>
ここの漁師さんたちは、本当に昔からの漁法を続けていて、魚を捕りすぎず、
>>
海と共生しながら生きている人たちです。莫大な保証金の提示にも、島に喫茶
>>
店もスナックもないから、使うところがない(笑)、と断り、毎週のように中
>>
電前でおじいちゃんもおばあちゃんも総出で座り込みしながら、楽しく反対し
>>
続けてる人たちです。
>>
>>
少しロマンティックに言うと、海のインディアンですね!
>>
>>
そんな彼らの後について、夏至の日、母なる海にて祈りたいと思います。
>>
>>
この足下にある浜岡や上関、・・いま原発が建っている所こそは、過疎地でも、
>>
辺境地でもなく、本来いまだとても美しい自然の残る”聖なるところ”、この
>>
島の、この星の”聖なる祭壇”なのだ、というそんな意識で繋がりあえる時を
>>
共有できたら、と思います。
>>
>> 祈りでつながりましょうね!
>>
>> ALL
MY RELATIONS !
>>
>> 山口晴康
>>
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6月24日(金)晴れ 凪
勤務時間が終了すると、おらはすぐ柳井に向かった。裕子おばさんと徳山までデートをした。途中で秀人君と出会った。その後、原さんと出会って、ヒアガーデンに行った。その後素敵な若い女性も加わった。楽しく生ビールを飲んだ。何と、裕子おばさんは余りビアガーデンに行ったことがなかったらしい。おらが一度も連れて行かなかったことも少し攻められているような気がした。
飲んだ後、柳井に帰ると、裕子の姉さんが待っていてくれた。昨日から柳井に来てくれているのである。
おらはすぐ寝た。
6月25日(土)晴れ 凪
官舎(おらが別倉)のまわりの草刈が9時からあるので、大島に向かう。裕子おばさんも始めての別倉視察である。別倉を見て、感無量のようであった。
草刈の途中で蜂の巣が見つかったりしたが、11時前には完了。裕子おばさんも手伝う。その後、裕子おばさんが、別倉を、別荘にするための涙ぐましい努力が始まったのである。午後五時過ぎに作業が完了。柳井に向かう。柳井に哲ぼんさんがスイカを持って来てくれる。リョウキチ達へのプレゼントである。特製シチューもあった。さくらんぼも。
その後、西の浜でキャンプ。おらも加えてもらい、バーベキュー、ビールをご馳走になる。ネバルはいくつか食いついたようであった。哲ぼんさんはネバル釣りに凝っているようだ。
結局、テントを借りて泊まった。
6月26日(日)曇りのち雨のち晴れ 凪
3時すぎに小便がたまって目が覚めたので、起きて、別荘に帰る。東和陸上競技場で郡の陸上大会があるのである。6時過ぎに別荘を出て、東和町に向かう。おらは跳躍審判員ということで、白い旗や赤い旗を揚げ下げして、手伝いをした。雨が途中で降って、寒かったが、午後2時を過ぎた頃から晴れて、着ている物もだんだん乾いてきた。
このところ旗に縁のある日多い。
6月27日(月)曇り 南風
十時間くらいぐっすり眠った。
昨日は全校生徒が陸上大会に参加したので、沖浦中の生徒・職員は本日は振り替え休日なのである。
土曜日に買っていた新しい網を取り付け、網戸を使えるようにする。その後、水道料金や住宅料金などの支払い用の通帳をJA沖浦支店で作る。汲み取り料金も振り込んだりと、平日の休みはそれなりに価値がある。
朝はパラパラ雨が降って、昼ごろは陽射しが注いだりたりと不安定な天気である。
午後、昼寝の後柳井に出る。ヒロコおばさんは病院に行っていて会えなかったが、リョウキチ、ナゴジローは居た。テスト期間中で、早く帰宅していた。
いろいろ買い物をして帰る。その中にはスイセン(水中眼鏡)などの、おらが夏休みに向けての小道具などが入っていて、夏休みが着々と準備されつつある。
6月28日(火)曇り 少し南風
早起きして、旗を立ててカヤック出勤する。5時20分出港。少し南風があり、逆風で、いつもより15分余分に掛かる。津海木(ツノウギ)の浜着、7時05分。途中漁師さんが手を上げて挨拶をしてくれる。
仕事場周辺の草刈を少しする。
沖浦中は今週テスト週間で、いつもより1時間早く帰ることができる。午後5時40分に津海木を出発。途中にわか雨が降り、その後、何気なく振り返った後ろ(横見から津海木にかけて)に虹がかかっていた。きれいに半円を描いていた。
日見の沖の掛かり釣りの漁師さんに挨拶をする。
平生の風力発電の風車が回っていた。
明るいうちに小松開作に到着。潮はわずかに逆だったが、少し風が押してくれて、10分近く早く着いた。
初めてパソコンをカヤックに載せての出勤だった。
6月29日(水)曇り 凪
出張。祝島では活動日だと思う。
出張は安下庄。帰りに木村の長さあや太六さあの兄弟のヒデさあの店に寄ってみる。太六さあから家を聞いていたのである。ヒデさあの奥さんと話していると、ちょうどみかんの消毒を終えて帰ってきたヒデさあに会えた。いろいろ話をして帰る。突然の祝島人の訪問を喜んでくれた。以前祝島に来ていた、古川元教頭先生も知り合いのようで、ヒデさあから話が出た。きっと古川先生にもおらの訪問が伝わることだろう。
6月30日(木)曇り 凪
蒸し暑い一日だった。