祝島日記 2005年7月 8月の日記へ
7月1日(金)曇りのち雨 凪後西風
カヤック通勤。5時20分発、6時40分少し過ぎに到着。潮が引き潮。
帰りに、戸田港沖で突風が吹いて、港に入ろうとしてテトラに吹き付けられて、あえなく転覆。漁船のおじいさんが心配して、見守ってくれる中を再乗艇して、港に入る。凪いでから帰ろうかと思ったが、凪ぐ前に寒くなったので、五月丸にカヤックを乗せて、合羽を着て、歩いて帰った。突風手強し。歩きながら帰る途中、被害が二つあることに気づいた。1つはデジタルカメラで、もう1つは旗である。カヤックを立て直し乗ったとき、旗が確か無かった。デジタルカメラは、ライフジャケットのポケットに入れていたのである。塩水に濡れているはずである。
一時間半くらい歩いて、午後8時頃別荘に到着。着く寸前バスに追い抜かれた。思いつかなかったが、バスで帰る方法もあったのだ。
風呂に入った後、柳井に行く。ヒロコおばさんは病院に行こうとして、駅に行ったとき、突風と大雨にあったようだ。結局病院に行けず、引き帰したそうである。二人とも似たもの同士である。
7月2日(土)雨午後時々曇り 少し南風
柳井から帰ってバスで戸田まで出て、カヤックに乗って帰る。少し白波があった。日見の岬の沖は潮目がなかなかきつい。帰った後雨の中を五月丸で祝島に帰る。祝島に着いたときは雨がやんでいた。途中、「いわい」に抜かれたが、「いわい」には秀人君が乗っていたようである。
くたびれて、早寝をする。
戸口を空けたまま寝ていたようで、夜にすっちゃんが閉めに来てくれた。
7月3日(日)雨 少し東風
柳井は豪雨で、ヒロコおばさんは帰島の予定を変更。柳井にとどまる。リョウキチは街の偵察に出回っていたらしい。4日の新聞記事で見ると、駅の地下道はほとんど水につぶれていた。エレベーターは危険な状態であったと後で知る。
五月丸をボーズリですっていると、のぶちゃんが形のいいヒラメを三匹もくれる。波戸の中の大漁である。
午後ヨボシ〜コージロで魚を釣る。コージロでは釣れなかった。ウヤシマとの瀬戸の流れ藻のまわりでシイラがぴちゃぴちゃ跳ねているのが沢山見えた。遊んでいるようだが、藻についたエビなどを食べているのだろう。
ヨボシではアジが釣れた。2年ゴから3年ゴというところ。小さいが、帰って刺身にしたり塩焼きにすると旨い。久しぶりの新鮮な魚である。
7月4日(月)雨 凪
振り替え休日。朝ゆっくり起きて、8時過ぎに水泳。そろそろ海に体を慣らしておかなくてはいけない。
午後は雷の心配があるということで、こまごま片付けて、10時前に祝島を出発して、大島に向かう。横島を過ぎた頃から前方が見えなくなる。コンパスは出さないで走ると、平群が見え、荷内島が見え、そこを過ぎたとき大雨になり、何も見えなくなる。次に大島が見えたとき、いつも付ける位置より、2Kmくらい東に着いた。普段心配の無いときでも、地形などきちんと頭に入れておく必要があると感じる。
別荘でヒラメをさばき、アジのうろこを取り、柳井に行く。ヒロコおばさんとゆっくりおらたちの息子と娘の噂をして過ごす。飯や、おかずを包んでもらい、おばさんを病院まで送り、大島に帰る。
デジタルカメラが使えないので、写真がなかなか載せにくい情況になったが、携帯で写せるのでそちらを活用しようと思う。
7月5日(火)曇り後雨 凪
朝、隣の素敵な若い人から、山道(沖浦スカイライン)を通って下さいと連絡が入った。海岸の道はがけ崩れで不通になったということである。カヤックで通る海岸を山のほうから眺めるとまたちがった趣がある。
夕方は平目のあらとアジの刺身で一杯。
7月6日(水)曇りのち晴れ 凪
朝、今日も沖浦スカイラインを行く。
帰ると、原さんから上関原発便りが届いていた。
以下原さんの配信メール。
みなさん、暑い日が続きます。山口県ダイドック原です。
このメールはBCCにて配信しております。
上関町長島田ノ浦に詳細調査の為に設置されたボーリング台船周辺に動きがありました。
中国電力の作業船に動きがあったため今日、祝島漁民が抗議行動を起こしました。
その抗議行動を受け混乱を避けるために今日のボーリング調査は延期されたようです。
海の環境を破壊し原発建設に向かう為のボーリング調査は阻止しなければなりません。
我々カヤック隊も間に合う限り、出艇を予定しています。
カヤック隊は自分達でもなんとかならんかと今、知事への手紙を書こう運動を始めました。
手書きの手紙はきっと人の心を動かします。メールフォームからも送信できるのでご協力よろしくお願いします。
知事への提言
http://www.pref.yamaguchi.jp/gyosei/koho/chiji-teigen/3tiji2.htm
手紙の送付先 〒753−8501 山口県山口市滝町1−1 山口県総合政策局広報公聴課内 知事への提言 御中
FAX 083−933−2598
かなりの確率で返信があるようです。以下のメールはやりとりした内容です。
よろしくお願い致します。
DAIDUK
OCEAN KAYAKS & ADVENTURE 原康司
MAIL kouji-h@sirius.ocn.ne.jp
URL http://www13.ocn.ne.jp/~daiduk/
TEL&FAX 0834-25-1036
----- Original Message -----
From:
"Kouji Hara" <kouji-h@sirius.ocn.ne.jp>
To:
<a16100@pref.yamaguchi.lg.jp>
Sent:
Wednesday, July 06, 2005 7:20 PM
Subject: Re:
「知事への提言」について(回答)
> 丁寧な返事ありがとうございました。
>
県は国の政策をバックアップし、町の議決に従うということ。
> しかし我々のような上関町以外の山口県一般市民の意見はどうなるのか?
>
それを代表するのが県の考え方ではないのでしょうか?
>
原発や海には人間が決めた町境や県境はないのです。これは上関町と遠く離れた国だけの問題でしょうか?
>
山口県での上関町を除いた住民アンケートでは7割が反対しています。
>
その意見を無視してまで方針を他人任せにするのは無責任のような気がします。
> 県が意思を示せばこの問題は必ず動く。
>
だから他人任せの発言などしないでしっかりと取り組んでほしい。
> 原発建設が現実味を帯びる中、今一度県民の声を聞き入れるべきでは?
>
この意見は知事への提言の筈。
> ご多忙につきなかなか目を通すことが難しいとは思いますが是非ともこの声を知事に届けてほしいのです。
>
よろしくお願いします。
> いろいろと話したいのです。
> 返信お待ちしております。
>
>
>
原 康司
>
>
> ----- Original Message -----
> From: <a16100@pref.yamaguchi.lg.jp>
>
To: <kouji-h@sirius.ocn.ne.jp>
>
Sent: Wednesday, July 06, 2005 4:45 PM
> Subject:
「知事への提言」について(回答)
>
>
>>
>>
前略 メールを拝見させていただきました。
>> 上関原子力発電所立地計画に関しまして、ご意見をいただきありがとうございま
>>
>> した。
>> 原子力発電については、国は、平成15年10月に策定した「エネルギー基本計
>>
>> 画」の中で、安全確保を大前提として、今後とも基幹電源と位置付け引き続き推進
>>
>> するとしております。
>> また、地元上関町においては、町議会の議決を経て、原子力発電所の誘致を決定
>>
>> されております。
>>
県としては、このような国のエネルギー政策に協力し、地元上関町の自主的、主
>>
>>
体的な政策選択を尊重するという基本的な考え方に立って対応しているところで
>> す。
>>
お示しの詳細調査は、事業者が「原子炉設置許可」の申請に必要なデータを得る
>>
>>
ことを目的として、地質、地盤などに関する調査の一項目として行うものです。
>>
県としては、平成13年4月、国に提出した「知事意見」において、国に対して
>>
>>
安全審査を厳正に行っていただきたいと要請しているところであり、事業者が実施
>>
>>
する調査は、そのためにも必要なものであると考えており、事業者に対して中止を
>>
>>
要請することは考えていません。
>> 末筆ではありますが、原様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
>>
早々
>>
>> 平成17年7月6日
>>
>>
原 康司 様
>>
>>
山口県
>>
>> 商工労働部商政課電力対策班
>>
>>
TEL083-933-3125
>>
>> FAX083-933-3139
仕事から帰る途中、五月丸に寄ってアジを一匹とって帰り刺身にする。
一杯やった後メールを開くと原さんから来ていたわけである。
おらは今朝から、流れてしまった旗をまた作っている。
沖浦の海岸の道は片側が通れるようになった。
7月7日(木)晴れ 凪 七夕
朝起きて旗を少しつつく。
五月丸に寄ってアジをあげる。三匹刺身やセゴシにする。
英智郎さんも魚好きのようで、しし唐などとぶつぶつ交換をする関係にある。
夕方、山口の山本先生(もう退職されているのだけど)から豆子郎が届く。生菓子で、日にち時間指定なのである。明日の柳井への土産にしよう。おらは生かされているのである。
7月8日(金)晴れのち曇り 凪
久しぶりにダッシュをした。ひざ等の調子が少し良くなったようだ。
しし唐や豆子郎を土産に柳井に行く。リョウキチ、ナゴジローたちの学校は文化祭である。このところナゴジローは遅くまで活動があったそうな。
7月9日(土)雨 少し南風
ナゴジローたちはクラスの合唱があるということでいつもより早めの登校。文化祭2日目である。
時化のようで祝島に帰らず、昼まで柳井、昼前に五月丸に行って錨が錆びてばらばらになっているのをくっつける。
アジの刺身で一杯。
明日は沖浦中の海浜探索ということで、借りた伝馬船の担当になっている。カヤックの旗の支柱を使って、伝馬船に立てる旗をつくった。
7月10日(日)雨のち曇り 少し南風
夜中から朝にかけて大雨が降ったり雷が鳴ったりで、海浜探索は中止になる。
旗の出番がなくなった。
午前中授業で、昼食は、生徒が中心になってつくり、学校でいただく。
秀人君もこの土・日は柳井で仕事があったようだ。
裕子おばさんはおばさんなりになかなか忙しそうだ。
夕方柳井に行く。途中で電話が入って、下関のみっちさんとひさよちゃんが、柳井駅に裕子おばさんと居るということである。柳井駅に寄り、セトガイの話などをする。昨日は南風が強かったらしい。
柳井の別荘で、哲ぼんさんからリョウキチへの土産のスイカを切る。善徳寺のサト君・ヒロ君も来ていて、おすそ分けを持って帰る。というか、スイカがあるからと呼んだのだろう。
7月11日(月)曇り 少し南風 振り替え休日
昼前に柳井から帰り、ざるそばを作る。300m泳ぐ。その後旗を持って徳山に行く。原さんがビラ配りをするという情報を得て出向いたのであるが、チラシや看板が出来上がらなくて、延期になったらしい。駅の肉うどんを食べて帰る。
柳井でシュウトウから帰った裕子おばさんに洗濯物をもらって大島に帰る。
妹からジャムなど届いた。
7月12日(火)曇りのち晴れ 凪
午後久しぶりに青空が出た。生徒達はプールで初の水泳。楽しんだようである。おらは出張でプールに行けなかった。その代わり、海で泳いだ。300mくらい泳いで、海に入った所に帰ると、釣り人が居た。いやあすみませんと、言って帰ってきた。ギダ(キューセン)をねらっているそうだ。沖のほうでは大島商船高専のヨットが6〜7隻見えた。部活動のようだ。沖浦中は、今日は部活動がなかったので早く帰れたのである。
早い夕食をとった。古い目刺しなどが片付いて、冷蔵庫の中が広めになった。カヤックにたまった雨水もかえ出した。
暗くなる頃には雲がまた出てきた。梅雨はもう少し続きそうだ。
台風が発生したようで当分南海上で西に進むようだ。
7月13日(水)曇り後雨のち曇り 凪
雨が降ったが、梅雨がまもなく終わりそうだ。かなり近くに雷が落ちたような音がした。
五月丸に寄ってみると錨が引けていたのでやり直す。ヒラメを一匹上げて刺身にする。やせていたが、まだ食べられる。
7月14日(木)晴れ 凪
久しぶりにカヤック通勤をする。往きは船で釣っている人5〜6人に挨拶をする。帰りは釣っている人が居なかった。途中空の色がいろいろ変わってきれいである。空の色が海に映ってこれもなかなかきれいである。
裕子おばさんは祝島に帰って事務的なことをして来たそうだ。
7月15日(金)晴れ 凪
今日は、生徒達の水泳指導があった。おらも一年ぶりにプールに入った。300m位泳いだらくたびれた。でもこれで、少し泳力がついただろう。
梅雨が明けたようだ。暑かった。台風は日本のほうには向かわないようである。
柳井で裕子おばさんと扇風機など買い物。トラックは活躍する。
7月16日(土)晴れ 凪
濃霧注意報が出ているからと、裕子おばさんが怖がらせる。大島に帰るとそれほど視界は悪くない。小松まで五月丸で来て、カヤック五月丸Uを積んで祝島に向かう。13時前に着いて、13時過ぎにすぐ田ノ浦に向かう。原さん達が待っていた。いろいろカヤックの基本的なことについて教えてもらった。ロールという技も見せてもらった。実際に使うことはないかもしれないが、夏休みには練習して習得しようと思う。15時頃田ノ浦でスナメリツアー組みと別れて、秀人君と島に帰る。秀人君はファルトボートである。スピードは出ないからなかなか大変なのである。
7月17日(日)晴れ 凪
朝、コージロに行って、チダイを10匹余り釣る。真鯛とサバも一匹ずつ釣れる。
ナガイソに行ってみると、桃は跡形もなく、サザンキョウ(プルーン)が三つなっていた。このサザンキョウは旨いのだが、実がつかないのだ。
午後、干潮がわしを狙って出る。真鯛が4匹とチダイが少し釣れ、帰ろうと道具を巻いたところで、ハマチが沸き始める。ヒコーキを漕ぐとすぐ一匹来た。上で暴れて、危うく釣り針を指に引っ掛けるところだった。運よく、長袖シャツの袖にかかったので、ちょうどよかった。その後もう一匹釣れ、合計二匹。
夜、マラソン大会の準備を手伝う。
なんばのおバンが、いろいろ差し入れを持ってきてくれる。
7月18日(月)晴れ 凪
朝、昨日釣れたハマチを組合に活かしに行く。4.6kgと4.2kgだった。
三浦のほうの道の様子を見に行き、小1時間、草刈機で草を刈る。その後、マラソン関係の袋(封筒)詰めの作業を手伝う。
午後、帰り支度をして、カヤックを五月丸に積み、大島に向かう。
小松にカヤックを下ろして、五月丸を戸田港に係留し、柳井に向かう。リョウキチは、善徳寺さんにプールに連れて行ってもらって、楽しんだようである。
7月19日(火)晴れ 凪
生徒会主催のスポーツマッチというのがあって、走ってくたびれた。その代わり生ビールが旨かった。夜、自転車を押しながら帰ると、満月に近くなった月が出ていた。
7月20日(水)晴れ 凪
終業式。
午後草刈。
朝、五月丸に寄って魚をとってきていたのをさばく。
いよいよ明日からは、子供達は夏休みだ。おらも夏休み気分で過ごすことにする。
そうそう、徳大の水泳部の方から、掲示板に連絡があった。ほとんどハダシですごした四年間だった。
夕方シュウトウにヒロコオバサンを迎えに行く。ヒロシクンのお父さんに会う。
7月21日(木)晴れ 凪
引率の手伝いで、今日、明日と山口市の陸上競技場に行く。暑い日が続きそうだ。
競技場は大変蒸し暑かった。じっとしていても、じとっと汗がにじんだ。
7月22日(金)晴れ 凪
競技場は今日も暑かった。砲丸投げの種目を少し手伝った。
夕方、柳井に行った。クーラーと冷蔵庫が入っていた。もって来てくれた2人が、哲ぼんさんと、華奢なみっちさんに似ている多分夫婦だったそうで、親切な二人だったそうである。
7月23日(土)晴れ 凪
大島に帰り、祝島に向かう。途中ウヤシマによって釣りをする。チダイが10匹足らず。まずまず形はいい。
昼寝をして、午後少し三浦の道をきれいにする。汗をかいたので泳いだ。チダイの刺身で一杯やって明るいうちに寝てしまった。
7月24日(日)晴れ 凪
朝、なんばのオバンが味噌汁と煮しめを持ってきてくれる。それを朝食にする。オバンは「遠くへ行きたい」を見てからシンちゃんのテーラーに乗せてもらって三浦に行くということである。おらも「遠くへ行きたい」を見るつもりだったのである。平さんも出演した。今日の「遠くへ行きたい」の祝島での視聴率は相当高かったことだろう。
台風用に備えをして、祝島を出る。途中ウヤシマによって釣りをする。鯛やチダイが20匹近く釣れた。釣れるけど早めに切り上げて大島に向かう。
ちょうど昼に大島に帰って、志佐でやっている神舞を見に行く。日見の生徒が出演するのである。16時まで見て帰る。祝島のマラソンに申し込んでいる土井さんに出会う。息子さんが笛を吹いているのである。
鯛がつれたことをヒロコおばさんに伝えると、出産祝いを思い出し、おばさんが連絡をとり始めた。哲ぼんさんからの桃を秀人君が届けてくれたそうだ。大森神楽団も昨晩舞ったので、秀人君は広島まで遠征したのである。
五月丸に鯛をとりに行って、のりこさん達と橋のたもとで待ち合わせて渡す。米や野菜などをたっぷりいただく。高い鯛だ。
大阪のノリコから祝島に届いていた牛肉で焼肉をした。
柳井に行く前に、借りていたナゴジローの自転車のパンクをなおす。柳井に行ってみるとリョウキチが、自分の自転車のチューブを取り替えていた。何箇所も修理してあり、空気が抜けるので、取り替えたようだ。取替えは初めてで、自転車のタイヤ交換など、大分わかったと言っていた。
7月25日(月)晴れ 少し風
桃を食べる。リョウキチ達は補習がある。リョウキチは部活もあるそうだ。
今日は祝島で過ごす予定で、休みを取っていたのだが、こちらで過ごすことになった。ホームページを更新したり、古い方のカメラから取り込めるようにしたり、彦島に行くためのちょっとした準備などをして過ごす。彦島は二万五千分の一の地図では小豆くらいの大きさである。
夕方柳井に行き、シュウトウからの帰り道に松村のヒロシ君に遇う。リョウキチ、夏ばて気味のようである。
7月26日(火)晴れ 凪
夏の太陽が照らす。
今日は一日仕事場で過ごす。生徒会はスローガンのパネル作りに励んでいる。
帰って、明るいうちから隣のコーノさんから貰った缶を飲みながら宮部みゆきの短編集を読む。「器量のぞみ」というのを読みながら、お信が幸せにならなければ、宮部みゆきを嫌いになるかもしれない、とか思いながら呼んだ。この夏休みは宮部みゆきを読もうと思っていたのだ。
毎年おらが夏休みは中心になる文庫本がある。開高高、ニコル、野田知佑、椎名誠、藤沢周平、宮城谷昌彦などの文庫本が腕力の衰えたおらには、寝そべって仰向けで読むのにちょうどよかったのだ。今年は宮部みゆきが4月に早々と見つかっていたのだ。
7月27日(水)晴れ 凪
夏の一日。カヤック通勤をしようと思っていたらパドルを五月丸に積んだままだったので、中止。
生徒達が高塔苑というデイケアセンターに交流会に行く。ついていった。音楽、折り紙、紙相撲などで子供達がお年寄りと優しく接していた。
帰りに五月丸に寄って、鯛やチダイを〆て、田布施の、おらが高校時代の下宿先に持っていく。春に行ったときのクーラーバッグをとりにいくと言ってそのままだったのである。ネクタイを買って待ってくれていたようなのだ。久しぶりにユキちゃんと奥さんの顔に出会った。年はそれ相応に積んでいたが、元気そうだった。考えてみれば、15年以上会っていなかったのだ。タイを喜んでくれた。早速包丁を持って刺身にしようと言っていた。
シュウトウに裕子おばさんを迎えに行く。柳井泊。
リョウキチ、おととい初めてノーバウンズで的に当たったそうである。めでたしめでたし。
7月28日(木)晴れ 凪
早めに大島に帰り、仕事に行く前に五月丸にカヤック(五月丸U)を積んでおく。
部活動で20分間ゆっくり走ることができた。汗は沢山かいた。
夕方、五月丸で夕涼みをしながら祝島に帰る。
晩に、敏坊さん、孝君と明後日の離島青年会議や明日のことなどを打ち合わせる。
7月29日(金)曇りのち雨 南風波
原さん達の手伝いをする。油谷の太田さんと百姓庵の井上さんも一緒である。
原さん達の行動力には頭が下がる。
おらは昼に帰ったが、原さん達三人は三時ごろまで田ノ浦にいたそうである。昼には雨が降り始め南風が吹き始めた。
帰って昼寝をしたら頭がぼやけた。
夜、ニュースを見た裕子おばさんに、電話でしかられた。
要らない財布をポケットに入れていてお札が濡れた。
7月30日(土)曇り 凪
朝、7時から離島青年会議や交流会の準備。長机や椅子を運んで並べる。
交流会の準備の後、休憩しているところに、原さんが昼便でやってくる。きのうの乾杯をする。
昼食は清水邸で敏坊さん作のラーメンを原さんと三人でいただく。冷奴つきであった。旨かった。
おらが家で原さんと寝そべっていると、敏坊さんから電話があって、昼便を出迎えに行く。
それからは離島青年会議の手伝いで晩まで忙しかった。原さんをほったらかしにして、申し訳なかったが、原さんはそっと抜け出して、夕方の便で帰った。
交流会が終わる頃、原さんの記事(山と渓谷社の「シーカヤック55」とかいう本)を見て祝島に来たという松岡さんが交流会広場にやってきた。宮島から三泊4日でやってきたらしい。一緒にビールを飲んだ。
帰ったら、原さんから松岡さんをよろしくと留守電が入っていた。
7月31日(日)雨のち曇り 凪
後片付け7:00頃という予定だったが、5時頃から雨。行ってみるとテントは片付けてあった。町の職員が雨の前に片付けたらしい。
公民館では島から来られた人たちが朝食を摂っていた。昨日の夕食からこの朝食まで、婦人会、漁協婦人部中心にやってくれたのである。すごいパワーである。
雨の中、松岡さんのテントに行ってみると「快適です。」と言っていた。
8:00過ぎから松岡さんとおらが家でくつろぐ。途中秀人君もやってきて、あれこれ原さんやカヤックやマラソンなどを材料に話しを楽しむ。そのあと、マラソン用の用具を確認に学校に上がる。校長先生が、日曜日なのにいて、待っていてくれる。
昼前に荒川さんが秀人君を探して訪れる。万葉の碑をたずねるツアーを組んでわざわざならから来てくれたようだ。松岡さんの乗る昼便を見送りに出て、松岡さんとも写真におさまる。
午後、カヤックを五月丸に乗せるついでに、先日原さんに見本を見せてもらったエスキモーロールの練習をしてみる。原さんがやったときは簡単に見え、原さんも簡単だと言う感じで言ったように思うのだが、まったくできない。4〜5やってみたが逆さまの状態のまま、浮き上がらなかった。夏休みの課題だ。
祝島を出て、5時過ぎに大島着。柳井であれこれ買い物をした後、大島に帰る。