祝島日記 2005年8月 7月の日記へ
8月1日(月)曇り 凪
一日仕事場。帰って、ヤスシ君やヒロタカ君に電話をする。元気そうである。マラソンの日は仕事などが入っていて祝島に来れないようだ。
リョウキチは10発くらい的に当たったらしい。ただ、70発くらい撃ったらしい。
8月2日(火)晴れ 凪
蒸し暑い夜だった。
朝、上関原発便りが届いた。以下原さんのメール便「上関原発便り第五弾」。
部活動のとき、20分ばかりゆっくりゆっくり走る。昼休みに300m位泳ぐ。午後集まりでソフトバレーボールをする。今日は三種競技をした。その後柳井に出て、ヒロコおばさんの買い物に付き合う。おばさんの姉さんが柳井に来てくれていて、半世紀を生きたお祝い用にケーキを買ってきてくれる。
8月3日(水)晴れ 少し南風
台風が油断できないコースを通って来ている。
足腰がくたびれている。
部活が終わって、昼休みに300m位泳ぐ。
午後、少し雑巾がけをする。
8月4日(木)晴れ 凪
沖浦中の生徒達がNHKの山口県コンクールに出場するので、周南市の文化会館に行く。音楽に浸った一日だった。
台風は予想より少し西側に向かったので、祝島は大丈夫だ。
8月5日(金)晴れ 凪
生徒達は暑い中、大島郡中学校陸上大会。おらは砲丸投げの係りで手伝いをする。昔祝島中に勤めていた南方先生に出会って話をする。
終了後、夕食など買って五月丸で祝島に向かう。夕暮れの中、ヨボシで釣りをする。小さいアジが釣れた。
8月6日(土)晴れ 凪
朝、8時から、マラソンの本部テント、本部席などを設置。午後給水所関係を設置。氷、簡易トイレも運ぶ。みちよさんの息子のそう君とその友達が一緒で、おらは力仕事はほとんどしなくて済んだ。
夜に打ち合わせ。電話が来ることになっていたので、おらは中断して、帰って、また行ってみるともう終了していた。
8月7日(日)晴れ 凪
4時前から敏坊さんのトラックを借りて本部用の氷を運んだり、三浦給水所のスイカ、トイレ関係の紙、水等を積んでコースを回る。目立つ石などをガンザキで掃く。
4時を過ぎると丸アジ釣り用の氷をとる漁師さんで製氷所は混雑するのである。
朝食を摂ったところで、哲ぼんさん・みっちさん到着。漁協の荷物が積んである敏坊さんのトラックで学校に上がる。
6時半から選手受付が始まり、準備完了。
7時半頃から敏坊さんのトラックで給水所係のみなさんを送る。
北野が橋本の久坊とその奥さんとよし坊の祝島三人組み。この三人、蚊取り線香などの虫対策は万全であった。
三浦が下関藤本組関係の四人(一人は福山方面のトシオさん)である。行きと帰り両方でスイカなどもあり、なかなか忙しい部所である。
折り返し点は秀人君の兄さんのタダトシ君。
ナガイソは、小学校の校長先生、郵便局の内山さん、やっちゃんの公的混成ボランティアチームである。ここも行きと帰り、一番長くて暑い部所だ。
給水所の皆さんを送った後、ちょっとすると回収の時間になり、北野に向かう。長机などを折りたたみ、片づけを完了して待っていてくれる。ランナーの皆さんは全員無事通過したということである。帰りに浜本で弁当を受け取って本部へ。
同様に三浦給水所回収。途中79才の最終ランナーを追い越していく。足取りは元気で、しっかり自分のペースで走っている。
途中浜本で残りの弁当を受け取り本部へ。
最後にナガイソ給水所回収。皆さん元気でお役目完了。
本部で閉会式。賞状授与の後、司会のみっちさんの盛り上がりじゃんけん大会。大会全体、応援も盛況で、参加者も祝島も、元気をやったり、貰ったりでめでたしめでたしであった。
運動場の片づけがほぼ終わった頃、ヒロコおばさんの言葉で沖を眺めると、カヤックが四隻こちらに向かっている。ひょっとしたら原さんたちかと電話をしてみると、そうであった。スナメリツアーで祝島まで足を伸ばしたらしい。
いこいの家で、まず秀人君たちと乾杯した。秀人君たちが出た後、寝そべっていると原さん達五人がやってきて、乾杯をして、やがて哲ぼんさんみっちさんがが加わり、顔を見せ合った。原さん達は出発の時刻が迫り、別れた。その後、藤本一家総勢五人と秀人君、ちえさん、ヒロコおばさんが集合して、話が交錯した。無事終了した安堵感もあり、ほかにもさまざまいいことがあったのだろう、一番大変だった秀人君はなかなか輝いていた。
哲ぼんさん・みっちさん、みちよさん、ちえさん達は夕便で帰っていった。ご苦労様であった。
8月8日(月)晴れ 凪 年休
生ごみをナガイソに持っていく。いこいの家に泊まった文彦君がそこを片付けてくれていた。昼前に、文彦君はヤマサクさんに行きたいということでヒロコおばさんに道を聞いていた。ヒロコおばさんは西方が詳しいのである。地図をうまく書いていた。到着したのだろう、昼過ぎに家に帰ってみると、おらが家に用務を遂行した文彦君が座っていた。アジの土産を沢山貰っていた。昼食もご馳走になったらしい。
おらは昼前にカミカドに釣りに出た。鯛は釣れなかったが、まずまずのアジが釣れた。1匹形のいいイサキが釣れた。
午後、藤本一家四人と、ウシロにカイを採りに行く。ソウ君と友達はカイを土産に夕便で帰るということである。
夕方、赤いかを狙って釣りに出るが、何とイカ掛けの道具を忘れて出てしまった。しょうがないので、アジを釣る。いい形のアジが釣れる。豊漁だ。
8月9日(火)晴れ 凪 急遽年休
午前中、ぽっかり空いた時間を本を読んで過ごす。こんな時間は予定外だったので、宮部みゆきの本を持って帰らなかった。五木寛之の「友よ」という本があったので読む。五木寛之という人は、いろんなことに造詣が深いのだなあと感心する。
昼前に水泳をする。400m泳ぐ。大島郡の水泳大会が21日にあるのでそれに出場するつもりである。これからは水泳旬間である。
午後、トビイシまで歩いて行ってみる。潜るが、小さいタコを2つ見ただけで、収穫なし。うっかり裸で潜ってサシモに刺された。
夕方の便でNHKの森嶋さん達が、松田正平さんの取材に来られた。港周辺を案内する。森嶋さんは正平さんのことをよく調べてきている。絵に描かれているところをよくご存知である。7月の初めにも一度来られているのだ。森嶋さんはナゴジローになんとなく似ていて、2〜3回島の人に勘違いされた。もちろん森嶋さんの方が数段美しいのではあるが。
集落を見晴らせる所ということで西の上に上がって、下りるとき、恵美ちゃんたちに出会った。
夕食用にイサキの刺身を作る。37cmで650gだった。祝島で釣れるイサキとしては大きいほうである。
森嶋さんがみさきのおかみさんとやって来て、正平さんの話などをしていく。菊川さんのことなども話題になる。菊川さんは正平さんが宇部に帰られてから正平さんの手となり、足となって正平さんの活動を支えられた貴重な方なのである。大体おらと同年輩である。とてもいい人で、祝島を大事にしてくれている。
森嶋さん達は明日、朝日を撮影し、人家の東や西の上のほうから、島を撮影したりする予定だそうである。
NHKの放映予定は9月25日の「新日曜美術館」という番組である。
ヒロコおばさんは、人が来るというと、家を片付けなくてはならないと、すごくはたらくので、くたびれないかと心配してしまう。おらは乱れていても平気なので、アンバランスなのである。そのため、おらは恐妻家になってしまった。だから、反対されそうなことはこっそりやる習性が身に着いてきた。きっとアンバランスなバランスと言うのも存在する。でも、おらが方がくたびれが少ないのは申し訳ない。
8月10日(水)晴れ 凪
5時半過ぎに祝島を出発。出て来始めた朝日の右側のハナグリに向かって行く。森嶋さん達がその朝日を撮影しているのだろうなと思いながら。
昨日の天気予報では曇りで、朝日が見られればいいなと思っていたのだが、雲の間からきっと現れて撮影されたことだろう。
正平さんはハナグリと太陽と海と空を、沢山の時間を掛けて描いてくれた。日々微妙に違い、その日ごとに刻一刻と変わる朝の太陽と海空を見つめ、違った絵を沢山描いてくれている。菊川さんは、森嶋さんが正平さんについて聞いたところ「神様です。」と答えたそうであるが、祝島を描かれた絵は、宝物である。
菊川さんの「神様です。」の後にはいろいろ面白い話が続くのであるが。
上関の瀬戸当たりに霧が立ち込めていた。一時停船して、ゆっくり進めた。少し行くと荷内島が見え始め、それ以後順調に着く。
ヒロコおばさんの握り飯に哲ぼんさんの小梅が入っていた。くたびれるために400mほど泳いだ。これもバランスをとるためだ。草刈もちょこっとした。
帰って缶発泡酒を飲んだら旨かった。
8月11日(木)晴れ 凪
朝、生徒の体験学習の現場に行ってみる。そこの親方は若い戎さんという感じで、元気な沖浦人である。
昼休みに水泳600m。順調に体が水に順応しているようだ。
午後、雑巾がけを2時間程度する。
夕方電話をすると、リョウキチは祝島に帰っていた。
8月12日(金)晴れ 凪
一日仕事場。昼休みに600m水泳撒いている船に出会う。10日の衝突事故の際の油が流れているのだろう。
夕方、五月丸で祝島に帰る。途中、中和剤らしい液を撒いている船に出会った。
姪のけいこさん夫妻が、ナオタを連れてきている。デビチンで、なかなかかわいい。
まだなつかないが、抱いて波止に出るとおとなしい。
8月13日(土)晴れ やや西風
キシモトさん(ケイコさんの夫)と丸アジを釣りに出る。西風があり、岸本さんは酔い加減。アジを5〜6釣って帰る。潮が行かないこともあり釣れないようだ。
午後、のんびり本を読んだり昼寝をする。ナオタは海につかったようだ。昼寝を2回する。
8月14日(日)晴れ 凪のち西風
キシモトさんと、朝早くマルアジ釣りに出てみるがやはり釣れない。コージロに行ってみるが釣れない。ネバル1、エソ1、マルアジ3であった。キシモトさんは昼便で島を出る。
午後、ナオタを東の浜に連れて行って、海につかる。ナオタは今日も2回昼寝をする。
夕便でノリコとチエが帰ってくる。
8月15日(月)晴れのち雨のち曇り 少し西風
5時に家を出て、五月丸で大島へ行き、仕事場へ。
午後、夕立のような雨。気圧の谷が通過したようだ。仕事場の電話が通じなくなる。
雨上がりの間にヒグラシの鳴き声が仕事場に聞こえる。雨は降ったりやんだりが夕方まで続く。
祝島では昼過ぎには降ってないといっていた。
帰ってみるとリョウキチは柳井に帰る予定だったが、定期船に乗る時刻に大雨が降って、弓が濡れると言うことで出られず、祝島に残っていた。明日の朝、早くに五月丸で大島経由柳井行きと言うことになったようである。
早めに寝る。
8月16日(火)晴れ 西風
4時過ぎに家を出て大島に向けて出発。6時半ごろ柳井到着。よしえさんが来ていて待っていた。リョウキチはすぐに7時からの部活に出発。おらは安下庄まで行ってみる。港の下見である。その後、仕事場に行き、ちょっとだけ仕事。
10時すぎに祝島に向けて出発。途中、ウヤシマで20分くらい釣ってみる。釣れない。チエが帰るということなので、早々釣りを切り上げて昼便を見送りるために帰る。
波止で同級の清水の和坊に会う。田尾の長ちゃんにも会う。
ナオタと時々散歩に行く。
水泳300m位泳ぐ。ナオタたちも東の浜で遊んでいた。浮き輪に乗って平気な顔をしていた。怖いと言う感情は無いようだ。
8月17日(水)晴れ 弱い西風のち凪
出張で安下庄に行く。終わった後、竜崎温泉に途中下船。1時間ほど哲ぼんさんを偲びながらくつろぐ。帰りに上荷内島の近くでボウズイオに出会う。あそこらへんも多い。19時頃には暗くなり始める。
8時前に祝島に到着。ナオタたちは昼便で大阪にむけて帰っていた。
8月18日(木)晴れ 凪
朝、マルアジ釣りに出るが、釣れない。ウヤシマにも行くが、釣れない。まじめのアジしか釣れそうもない。
昼過ぎに潜って遊ぶ。
マラソンで臨時に置いた三浦の簡易トイレを仕舞うために掃除に行く。人数が揃ったときに片付けるまで倒して置くことにした。
夕方、アジを釣りに出る。ぼちぼち釣れていたが、南風が出てきたので帰る。暗くなってからのアカイカも狙っていたのだが。
あれこれ海の幸で一杯やる。
8月19日(金)晴れ 凪
朝、6時前に家を出る。五月丸で大島へ。直接仕事場へ行く。早く着いたので津海木の浜で400m泳ぐ。最後の練習だ。
仕事終了後、柳井に行く。途中米などの買い物をしていく。ヒロコおばさんも祝島滞在2週間で、柳井に帰っている。
リョウキチは思春期で、無口になってきた。この日は弓の矢が的中率五割だったそうである。
義妹のヨシエさん、柳井滞在最終夜。
8月20日(土)晴れたり曇ったり 少し南風
柳井から帰って、一ヶ月ぶりに掃除機をかける。大体一ヶ月にいっぺんの割合で部屋の掃除をしている勘定になる。
昼前にカヤック五月丸Uで彦島に行く。向かい風の南風があり、少し時間がかかる。
おらが夏休みの課題で、彦島にどんな木があるかなどちょっと調べて見るために行ったのだ。飲み物を持っていかなかったので、すぐ帰った。
帰りは追い波で早かった。彦島から日見崎までの間が潮目で、波が大きめだった。
そうそう行きに日見崎で外国人のお父さんと子供2人が泳いでいた。お父さんが声を掛けてくれた。「あそこまでいきます」というと、「がんばって下さい」と言ってくれた。
10時すぎに家を出て、15時に帰宅。
樹木は、トベラが一番多くて、グミの木がそれに迫るくらいある。次にマツ、ネムノキ、ハゼというところ。サクラも1本あった。ツル植物は見られなかった。
かなり大きいドブネズミがいた。フナムシ、ゴカイもいた。
柳井に行く。リョウキチの弓の的中率は悪かったらしい。
8月21日(日)雨 凪
大島郡の水泳大会に出る。沖浦のタカアキ君、ダイキ君、タクヤ君も出場。それぞれ頑張った。タカアキ君は大活躍だった。
おらが出場種目はすべて自由形である。
100mのタイム 1'22"00
50mのタイム 34"6
25mのタイム 15"4
100mはタイムを計ったのは20年ぶりくらいかも知れない。泳ぎおわった後、当分の間顔が火照った。100mに出場するためにはもっと泳ぎこまないといけない。ちなみに50才代での100m自由形出場はおらだけだから1着ということになる。
リョウキチは岩国へ弓道の大会出場のために朝早く行き、ヒロコおばさんとナゴジローは午後広島に出かけるように言っていた。ユウベエと会って買い物でもするのだろう。水泳大会終了後、おらも雑貨などの買い物をする。
祝島では、秀人君たちが三浦の簡易トイレの収納をしてくれたそうだ。ひさ坊とさとしくんの三人でやったそうである。有り難い。台風が少し心配なコースを進んでいる。24日までは大丈夫だろう。
柳井に行く。リョウキチの弓の的中率は最悪だったらしい。
広島組みは、ユウベエが忙しいのか、疲れているのか、出てこなくて、二人の買い物になったらしい。
8月22日(月)晴れ 凪
今週はまとめて休みを貰った。
柳井から帰って、少し考えた後、大島を一周してみようと決めて荷物など準備をする。昨日必要なものは買っておいたのである。
出発は午前10時半。凪と思っていたが、少し向かい風があり、仕事場沖まで1時間半かかる。
沖家室の橋を15:30通過。16:30に片添ゲ浜到着。テントを張ろうとしたら、支柱が入ってない。アーラ、と思いながら、雨が降りそうなので、フライシートだけでもとヨセにくくりつけて雨はしのげるようにする。その後、湯があるようなので、行ってみると、食堂が16:00にしまっていたので、急遽通過した時、営業中の食堂に引き返すと、もう店じまいをしていた。ビールとポテトチップスで港の船を見ながら一杯やったが、空腹にビールとポテトチップスが効きすぎた。
親子連れで仲良く釣りをしている家族が二組くらいいた。オートキャンプ場で楽しそうな一家族もいた。
テントに帰って、チキンラーメンをすすって寝ようとしたが、なかなか寝付かれない夜を過ごした。地面が坂になっていて、ずるずるずれるのである。蚊取り線香はまずまず良く利いた。フナムシらしいのに数回クチヅケされた。
8月23日(火)曇り 一時小雨 東風〜北風
5時前に起床。コーヒーと食パン、バナナを食べて片付ける。
7時出発。9時過ぎにコース途中の海岸に着けて休憩をする。なるべく長い距離を漕げるように上陸休憩を取り入れた。
10:00情島の瀬戸を無事通過。川のように早い。潮は予想どおりのながれだった。逆向きではとても進めない。
11:00陸奥記念館のある岬の先端に小さい砂浜があるので上陸して、ラーメン昼食。
13:00浮島沖を行く。24日に台風仕舞いに祝島に帰る約束をヒロコおばさんとしていたのだ。考えてみると大畠の瀬戸を通過するのは午後しかない。今日なら午後5時までに大畠の瀬戸に到着する必要がある。
15:40頃久賀の大崎鼻を回る。なんとか瀬戸を通過できそうである。
16:40頃大島大橋の下を通過。17:15出発地点に帰る。豆らしきものが四つくらいできた。尻が痛い。背中や首の根元も少し張っているようだ。10時間漕いだのはおらが最長記録である。今日は予想以上に漕げた。
大島を回ってみると、海岸のちょっとした平地には集落がある。昔から海に関わりをもって生きてきたのだろうと実感する。小さい集落にそれぞれの歴史があることだろう。
柳井に握りずしを買って行く。台風は東に向かうようだ。祝島は北風だろう。
8月24日(水)曇り 北風
昼の便で祝島に帰り、風で飛びそうなものは無いか確認する。善徳寺の子供2人も昼便で島に帰ってきた。
山に行ってウシビタを少し採って来る。ソウヅイへ行く道が、舗装中である。500m舗装予定だと聞いていた。
みっちさんから貰った植物を持って昼便で帰ってくる。台風は心配ないので、これがヒロコおばさんからの主な指令だったのである。
久しぶりの祝島の東の山はムクゲが咲いていた。下のほうには台風のあびきも打ち寄せていた。
植物を柳井に置き、大島に帰って、ウシビタジャムを作りながら、この日記を書いている。ジャムが出来上がったところである。九月の朝食のトーストはこのジャムが付くことになる。
原さんから上関原発便りが届いている。そうそう昼便で一緒になった孝君が言っていた。
8月25日(木)晴れ 凪
柳井から帰り、彦島のまとめを書く。おらが夏休みの課題
23〜24日の大島一周は90kmである。一日目37km、2日目約53km漕いでいる。時速約6kmで漕いだことになる。
先週釣ったアジを活かしているのが、賞味期限が切れそうなので五月丸にとりに行き、さばいて柳井に持って行く。
8月26日(金)晴れ 北風
古いパソコンに入っている写真などを新しいパソコンに移す。古いパソコンは調子が悪く、なかなか時間がかかる。合間に本を読んだりして休日を過ごす。
昨日さばいたアジが夕食のフライになっていた。
8月27日(土)晴れ 凪後西風
沖浦の海岸清掃。缶や、ペットボトルが沢山落とされているものだ。生徒、保護者、職員のごみ収集活動日であった。沖浦中の皆さん、よく働く。お疲れでした。
夕方、祝島に向けて出発する。ヤズが釣れないかと期待する。潮は小潮で期待薄ではある。
西風が出てきて、ウヤシマには行けず、ヨボシによる。タミちゃんたちがアジを釣っていた。昨日はヤズがつれたそうである。今日は釣れないと言う。潮が小さくなったからだろう。
8月28日(日)曇り時々雨のち晴れ 凪
朝、釣りに出る。マルアジ釣りの船が見えるので行ってみるが、釣れていない。一匹釣った後、コージロに行く。釣れないのでカミカドに行く。ハマチがきていたが、大きすぎて、走って釣り糸を伸ばすのが間に合わずに切られてしまう。それのみでおしまい。
カワラヒワらしいのが海を越えて移動しているのを沢山見る。
家に帰って寝そべって本を少し読んだ後、家の台風支度をして大島に帰る。13号は大陸に行きそうではあるが一応備えはしておく。
自転車を五月丸に積んで来る。タイヤ交換やあちこち修繕箇所がある。
夕方、文彦君が大島の別荘を尋ねてくる。持って来てくれた「秋味」という缶ビールで乾杯して、お互いの近況報告をし合う。文彦君は、四国アイランドリーグというプロ野球リーグの社長の石毛さん(元西武ライオンズ選手)に会ってきたらしい。ひょっとしたら四国アイランドリーグの社員になるかもしれないという。四国で四月からプロ野球ができて試合が行われているのをおらは知らなかったのである。多忙な石毛さんと会うために車で四泊くらいして待っていたらしい。その間に文彦君はリーグの試合中に、マスコットのぬいぐるみを着て、球場で横転などして盛り上げたようだ。相変わらず元気である。讃岐うどんも食べてきたようである。
文彦君のお母さんからと言って沢山野菜を持ってきてくれる。
8月29日(月)晴れ 凪
久しぶりにタマネギ、ナス入り味噌汁を作り、文彦君と食べる。8時頃文彦君帰る。
自転車を自転車やさんに持って行く。
午後、アイちゃんのところで大島歓迎会をしてくれた。サツキちゃんが迎えに来てくれてヒロコおばさんと行って飲ませてもらった。ヤスシ君、ヒロタカ君も来て久しぶりに話ができた。 かいと君とるるちゃんも大きくなっていた。太鼓をたたいていた。
8月30日(火)曇り 凪
自転車が乗れるようになったのを持って帰る。本を読んだり、釣り道具を作ったりして過ごす。
8月31日(水)晴れ 凪
原さん達が抗議行動に行っているはずなので、おらもカヤック通勤に旗を立てていく。
牧野富太郎の植物図鑑を開いて過ごす。名前を知りたい植物が判らなかった。カボチャとかの記述に少し面白いことなどが書かれてあった。
祝島では「トウボラ」というのだが、これはどうも「ぼうぶら」のなまったもののようだ。そしてこの「ぼうぶら」はポルトガル語のAboburaからきていてひらべったい方の南瓜である。そして「カボチャ」はカンボジアからきたと言うことでこちらは少しくびれのある二段型のものなのである。唐ナスとも言うようであるからナスに近い形をしているわけである。と言うことで牧野博士はボウフラとカボチャをちゃんと使い分けしたほうが望ましいと言っている。そこで、祝島ではトウボラとトウナスを使い分けていただろうか。ヒロコおばさんは「使い分けていた可能性」があると言う。両方を聞いたことがあるような気がするというのだ。さすが西がただ。おらより若いが長い時代を生きているところがある。
おらが夏休みがこの日で一応幕を閉じた。最後に奮発して五月丸Uを載せよう。