祝島日記 2005年9月 8月の日記帳へ

9月1日(木)晴れ 凪
 仕事場の皆さん、全員元気に集合。これが最も大切なことだ。
 ひょっくり秋本隊長に出会った。元気そうだった。文彦君のことを立ち話した。


9月2日(金)晴れ 凪
 原さんから上関原発便りが届いた。


上関原発便り第7弾
このメールはBCCで配信しております。
 
みなさま!お元気でしょうか?ダイドック原です。
山口は再び暑さがぶり返してきたようです。夏男の僕はうれしい限りです。
 
さて、先日メールお知らせした上関原発詳細調査阻止行動をレポートします。
当日は初の女性隊員も含め7名のカヤッカーが上関に集結。これまでで一番大きな規模のカヤック隊となりました。
本当にありがとうございました。
 
31日の予報はくもり、午後から雨。しかし当日は晴れ。出艇地・上関町白井田漁港6時に集結。心地よい追い風に乗り現地に向かいました。
7時過ぎに5km先の原発予定地に到着すると既に5隻の祝島漁船がボーリング台船を取り囲み待機、漁師さんと挨拶を交わした後、カヤック隊も台船の下にもぐりこみしっかりとフォーメーションを組む。
日頃、進むことが常のカヤックにとって一ヶ所の留まり続けることは結構辛いことでもある。
しっかりバランスをとっていないとドボンと海に落ちてしまうし、長時間座り続けているとおしりも痛く、濡れているので痒くもなる。
前夜はいつものように原発議論で盛り上がり、早朝の出発なので全員徹夜での参加だ。
気を抜いていると睡魔が襲ってくるので海水で顔を洗った。
 
そうこうしているうちにボーリング作業が開始される8時になった。
早朝から漁をしていた祝島漁船も次々にボーリング台船に集結。30隻は集まっただろうか。いつもながら20数余年続けられているこの団結力には頭が下がる。
ボーリング作業員が現れるのをまったが今回も阻止行動の情報を嗅ぎつけたのか、現地には現れず待機しているようだった。
予定地の山の中腹に建てられた見張り台からは中電の社員らしき作業員が双眼鏡でこちらを伺っている。
さあ、ここからは長丁場だ。
体が硬くならないように、軽く周囲を漕いで回る人。プシュとビールを開けるツワモノ。ひっくり返らないように台船のロープをカヤックにくくりつけ仮眠を取る人。思い思いの時間を過ごす。
 
予定地田ノ浦はいつものように水は澄んで美しい。
だが、陸上の姿に愕然とする。予定地の山が無残に切り拡げられ、その山肌をあわらにされていた。数名の作業員が測量をしている姿が見える。
詳細調査が始まってからというもの予定地に行く度に変わり果て、壊されたその姿には言葉を失う。
奇跡のように残った瀬戸内の最後の楽園はもう既に失われつつあるのだ。
これは調査ではなかったのか!?詳細調査は決して自然を破壊して行う原発建設に向けての下準備ではなかった筈だ。
 
昼前に祝島の1人の漁師さんから声がかかった。
昼ごはんを食べないかという誘いだった。ありがたくお受けすることにする。
誘ってくれた漁師さんは”祝島のキムタク”さん(笑)
タコ飯の丸アジの吸い物を頂く。流石に絶品で隊員は何度もおかわりを頂いた。
しかもまだ生け簀に生きたままの丸アジも頂いたので捌いて刺身で頂いた。
本当に気さくな漁師さんだ。いろんな話を聞かせてもらう。今はキムタクらしいが少し前までは”祝島の裕次郎”だったそうだ(笑)
なるほど良く見ると渋みの効いたいい男だ!
お礼に買ったばかりだという魚探・GPSの設定をしてあげた。(うまく今も作動しているといいのだが。。。)
 
12時過ぎに半分の漁船が解散。
マスコミも取材にくるかなと期待していたが今は衆院議員選挙報道が忙しいらしく一社も駆けつけなかった。
よく目立つ為にカヤックに大きな旗を掲げてきたのだが少し残念。
3時頃、漁船は解散。山戸組合長1人が台船付近に留まる。清水町議の船も四代漁港で見張っているらしい
3時45分。カヤック隊も白井田漁港に帰還。
今回もボーリング作業の阻止に成功した。
 
祝島漁民のみなさん、そしてカヤック隊のみなさん長時間にわたる阻止行動お疲れさまでした。
今回このメールを配信させて頂ている支援者の方から抗議行動前日に七色に染められた虹色のミサンガと本が届けられました。
世界を救った伝説のインディアン、虹の戦士にちなんで上関原発反対で集結するカヤッカーを虹のカヤック隊と命名しました。
今回の有志7人もミサンガに込められた祈りと共に現地に赴き、瀬戸内最後の楽園を守ることが我々カヤック乗りの義務と結束しました。
地道な活動かもしれませんが継続してゆくことが一番大切な意志だと信じています。
1年後にはハワイ伝説の双胴カヌー”ホクレア号”が日本にやってくるといいます。
虹色のカヌーで瀬戸内の玄関を埋め尽くしホクレア号を迎い入れましょう。
海洋民族の誇りとは、我々に与えられた海という美しい財産を未来の為に残す義務ではないでしょうか。
海族の誇りのために。つながる全てのいのちのために。
 
みなさん、どうかご協力よろしくお願いいたします。
 
DAIDUK OCEAN KAYAKS & ADVENTURE 原康司
        MAIL   kouji-h@sirius.ocn.ne.jp
        URL    http://www13.ocn.ne.jp/~daiduk/
        TEL&FAX  0834-25-1036

 キムタクさんは、浜栄さんである。


9月3日(土)晴れ 凪
 昨日、今日と朝食はトーストにウシビタジャムである。レモンを入れたのが効いたのか、いいつやが出ている。
 なかなかいい味でもある。
 今日はリョウキチ、ナゴジローの運動会である。
 台風14号が来そうなので、、ヒロコおばさんから祝島の家は大丈夫かと電話が入る。一応備えはしていたのだが、入り口が少し心配ということもあり、明日は帰って来なくてはいけなくなりそうである。台風がやってくるのは6日頃だろう。
 今日は、リョウキチ、ナゴジローの運動会である。応援合戦を見る。ナゴジローは熱があり、午前中は見学だったようだ。
 ヒロコおばさんの姉さんが和歌山からやってきてくれ、ヒロコおばさんも一緒に運動会を見に行く。


9月4日(日)晴れ 凪
 昼便で祝島に帰り、戸締りなど完璧にする。着くとすぐ、秀人君がやってきて、2人でカヤックを中学校に避難させる。
 昼便で島を出て、そのまま大島に行き、五月丸を津海木の港に避難させる。坂本さんに置き場からロープ張りまでお世話になる。何と坂本さんは祝島不老長寿マラソンに参加されていた坂本さんだったのである。「奇遇だねえ」とお互い話し合ったのである。大いに助かった。
 大島のあと柳井に行く。


9月5日(月)雨 北風
 早くも台風がらみの北風が吹き始める。大型の台風である。小型ならやってくる前日は凪のときが多い。
 夕方、柳井に行く。明日は臨時休校である。


9月6日(火)雨 北風夕方過ぎから南風
 台風の雨風が一日中続く。テレビも終日台風情報を流していた。学校関係の本を一冊読む。勉強になる。
 高校も臨時休校。リョウキチは手持ち無沙汰。ヒロコおばさんは台風情報に見入っている。異常に興味関心がある様子である。


9月7日(水)曇りのち晴れ 夜中西風強夕方にかけ徐々に弱まる。
 柳井はすべて無事。
 仕事場も被害は少ないので、予定通り三時間目から授業開始。
 五月丸も無事。津海木の港の夕景を写す。空気が澄んでいて、夕焼けにならないようだ。
 夕方ユウベエが柳井に出てきたので、会って話をする。


9月8日(木)晴れ 凪
 ユウベエは小郡に自動車免許の試験に行く。メールで合格の知らせが入っていたので夕方乾杯に行く。
 夕方前に、五月丸を戸田の港に戻しておく。仕事場まで近いので、ランニングで帰る。


9月9日(金)晴れ 凪
 沖浦は小・中合同での運動会である。今日は応援の練習に小学校に行った。合同の応援は中学生が小学生に教えるのである。
 18日の運動会に向けて少しずつ気分が近づいてきた。おらは準備係だが、各種目の割り振りを生徒がしてくれた。
 運動会用の空き箱をスーパーで貰う。ユウベエは広島に帰っていた。


9月10日(土)曇り時々小雨
 竹を切ってかごの修繕をする。一日作業をして過ごす。
 夕方、哲ぼんさん・みっちさんと五月丸で祝島に渡る。18時半ごろつくが、この頃はもう暗くなってきた。


9月11日(日)曇り時々小雨のち晴れ はじめ南風波があり
 やすし君たち三人が釣りをしにきた。五月丸でコージロに行き、昼まで釣りをする。チダイが入ってきた。アジと40匹くらい釣る。小潮でボツボツと途切れなく釣れた。午後文彦君を囲んで、哲ぼんさん・みっちさん、秀人君たちとバーベキューを楽しんだ。久しぶりに海につかった。少し昼寝もした。
 大島への帰りは哲ぼんさんが五月丸のカジツカを握ってくれたので、おらはカンパの上で寝そべってきた。着いたときは暗くなった。
 台風の大雨の後で流木が多い。祝島の近くに錦帯橋の橋脚の一部が流れていたらしい。ニュースでやっていたそうだ。
 運動会用の白い箱作り作業をした後、哲ぼんさんに貰ったりんごや梨を持って柳井に行った。


9月12日(月)晴れ 凪
 柳井で作った箱を持って帰る。
 夕方、上弦の月がかかっていたので、トラックで「旅の宿」を歌いながら帰った。
 久しぶりに別倉で飲んで演歌を歌った。ホームページも更新した。


9月13日(火)晴れ 凪
 運動会の予行練習。空気が澄んで陽射しが強く暑い一日だった。予行も無事終了。


9月14日(水)晴れ 凪
 夕方、五月丸に行ってカンパの中を整頓して拭く。きれいになった。ここを整頓してきれいにしたのは何年ぶりだろう。


9月15日(木)晴れ 西風
 朝冷えてきた。
 朝、いつもより早めに行って生徒達とあいさつ運動をする。横断歩道にたって、「やさしく運転をしてください」というつもりで朝の挨拶をするのである。
 


9月16日(金)晴れ 凪
 まだ暑い日が続くが、朝晩は冷えるようになった。
 仕事が終わった後、柳井に行く。シュウトウから柳井の別荘まで、ヒロコおばさんとドライブをした。途中買い物もした。
 リョウキチは矢が的に当たらなかった日は機嫌が悪いそうである。今日はお笑い番組があるようで、ヒロコおばさんと2人で、笑っては早寝のおらを起こしてはまた笑っていた。
 中国電力が、山口県から全面調査の中止を求められ、原発予定地の地質(ボーリング)調査などを全面中止するということを新聞で知る。


9月17日(土)晴れ 凪
 運動会の準備の日。
 明るいうちに帰って、五月丸に行ってアジやら持ち帰り肴にした。
 原さん達が明日祝島に来るようである。おらは帰るのは明後日になるが、明後日の午前中に会えそうである。
 


9月18日(日)晴れ 凪の予定
 沖浦中運動会。早めに行く予定。
 運動会が、感動のうちに終わった。おらは準備係だったけど、祝島の準備係より、肉体労働的にはすごく楽であった。生徒達が計画的にほとんどやってくれた。
 いずれにしても沖浦の運動会は大きな学校の量よりも、沖浦の質を感じさせるものであった。質は心も育める。


9月19日(月) 曇り時々晴れ
 急遽、五月丸での祝島への日帰りツアーを企画。ハナグリの横で「いわい」が追い抜いていった。船長さんが手を振ってくれた。
 ハナグリを過ぎたところで、ひょっとすると、と思って振り返ると、3隻のカヤックらしいのが見えた。老眼なので、はっきりしないのだが、原さん達に違いないと思っていってみると、当たっていた。原さんと、コタケさんと女性のカヤッカーの三人であった。コタケさんは会うといつも笑顔を返してくれる。鯛を笹に吊るして背負うと似合いそうな人である。
 クドレの浜で少し遊んで帰る。


9月20日(火)曇り 少し西風か
 柳井で寝そべって二冊余り本を読む。栄養になるような本であった。
 自転車の部品を受け取りに行った。そのうち自転車で、大島を一周してみようと思っているのである。


9月21日(水)うす曇り 凪
 夕暮れ時に空が赤く染まった。
 文化活動の秋である。


9月22日(木)晴れ 凪
 部活動が再開した。ゆっくり合計3km位走った。
 少し早めの帰りみち、夕陽が沈むところで、きれいな瀬戸の夕焼けだった。ヒロコおばさんに携帯で写真を送ると、柳井の町に沈む夕陽が送られてきた。


9月23日(金)晴れ 凪
 おらが別荘のある「コッコー長屋」の住人が祝島道中を企画して、おらが、道案内をした。
 まず大島から室津までおらがトラックを先頭に、約50分。
 「いわい」に、上関から秀人君が乗り込んできたので紹介をする。喜多さんは一度秀人君に会っていたのだが、秀人君は何処であったかを忘れていたようだ。ノンアルコールに酔っていたから無理も無い。
 一行は、おらをのけて総勢四人。コッコー長屋の住人は喜多さん、八っつぁん、お花さんの三人で、喜多さんが声を掛けたやまと屋の若旦那を合わせて四人である。
 祝島に着いて、車を借りに敏坊さんの家に行くと、少し話があるということで、外に待たせていた四人と一緒に上がり込む。八っつぁんを先頭に話の弾みで、四人ともスナメリTシャツを買うことになった。
 レンタルした車を、おらが運転して、カタア(カタイ)のため池まで行く。喜多さんが歓声を上げなかなかにぎやかなドライブだった。特に人気は女郎蜘蛛の巣だったようだ。車の中まで女郎蜘蛛が入ってくるほど多い。カタアのため池のあとは北野のため池、三浦海岸、と祝島不老長寿マラソンのコースを回る。折り返し点で、道路の下の陰でフナムシを友に弁当を食べる。県の天然記念物のケグワに寄って見る。途中藪になっていた。コッコー(ナシカズラ)も見る。アコーの木も見る。「ここのコッコー」とか、「あっこのアコー」とか、喜多さんは語呂あわせが好きなようである。八っつあんとお花さんは、ちゃんとつきあって笑ってあげていた。店子として、一番年季が長い喜多さんへの心遣いが感じられる2人である。やまと屋の若旦那は、昨日、深酒でもしたのか、眠そうだった。
 マラソンコースのツアーが終わって休憩していると、秀人君がスイバリをたててやってきた。島には細いスイバリの見える人がなかなかいないので、おらが家に来ている八っつあんを思いついてやってきたようだ。予想通り八っつあんは見事に秀人君のスイバリを抜いた。その後、おらが「自由時間ですよ。」と言って一行は自由行動になった。喜多さん、八っつあん、お花の三人は小学校に行って見るといって出かけ、やまと屋の若旦那とおらは寝そべった。
 小学校への散歩の後、クドレの浜に行ってみようということになり、全員で磯を歩いた。みんな、汗をかいた。石の照り返しが結構熱かった。
 一服して夕方の便で本州に帰る。やまと屋の若旦那は所用で帰り、おらと、喜多さん達三人は大衆一杯飲み屋で、今日の一日を振り返った。喜多さんが、熱っぽく話していたように記憶している。何か怪しい計画も立てて、みんな決心していたようだが、おらは少し飲みすぎたようで、覚えていない。


9月24日(土)曇り 西風
 昼前までだらだらして過ごし、その後大島から五月丸で祝島に向かう。途中ヒデガサキでヤズを狙うが結局ヤズが1匹とアジが5〜6匹。西風があってコージロ方面には行けなかった。
 袋の中に残っていた米を炊いたが、虫が食っていたようで、なんとも旨くなかった。アジを2匹上げて1匹刺身、1匹煮付けにするが、これまた何時もの醤油が無くてしょっぱい薄口醤油だったので、旨さが足りなかった。
 台風で取り外していたテレビのアンテナを付ける。


9月25日(日)晴れ 西風のち北風
 朝起きると西風が昨日よりも強い。オキナの方に行ってみると運よくヤズが湧いていた。5匹釣って、まだ釣れそうだけど、テレビを見るために帰る。新日曜美術館という番組で松田正平さんをやるのである。夏に取材に来た森嶋さん達の制作番組である。正平さんの絵が出るとジーンと来る。祝島(ハナグリ)や魚の絵を見ると本物よりも本物のように見える。森嶋さんお疲れ様でした。
 午後、散髪に行った後、千葉の友人から送ってくれた米を五月丸に積みこんで大島に向かう。北風になっていた。結構波があり、しぶきで濡れるので、しゃがんで帰る。流木が減ってきたので助かった。しゃがむと見晴らしは悪いのである。
 柳井に初物のヤズを持って行き、にぎり寿司風を楽しむ。


9月26日(月)晴れ 西風
 運動会の振り替え休日。本など読んでゆっくり大島に帰る。土を買って、昨日採って来たウシビタの枝の挿し木をする。その後、 自転車に乗って屋代ダムから笛吹峠を越えて家房に出てみようと出発する。五万分の一の地図で道があるので、それを頼りに行く。笛吹峠の手前1km位はこの数年誰も通っていないような感じであった。峠までの2kmは自転車を押して上がった。峠からウヤシマが見えた。祝島は見えなかった。源明山とかの頂上に上がれば見えるのではないかと思う。
 道端に栗の実があった。帰りに持って帰ろう、と栗の木の持ち主が道端に置いたような感じであった。稲が実り、稲刈りが終わっている棚田もあった。峠からの下りはゆっくりブレーキをかけながら下ったが、がたがたと振動が手にこたえた。
 家房からの海岸の道で、モイカを狙っているらしき若い釣り人を見かけた。
 秋の25km位の自転車行。
 帰って、丸久に行き、久しぶりにアボカドを買って冷奴と共につまみにした。


9月27日(火)晴れ 北風
 明け方風の音がして目が覚めた。北風だろうか。
 アイちゃんが教員試験に通ったと言う情報が入った。おらが、この人は教員になってほしいという人は少ないのだが、アイちゃんは数少ない、なって欲しいと思う人の一人だったのだ。五月丸からヤズを上げて一人発泡酒で乾杯した。
 4km位走った。痛んでいたところも休養させるとある程度回復すると言うことはわかった。(年とともに回復力は遅くなるのだが回復はするようだ。)もちろん何でもと言うことは無かろうけど。


9月28日(水)晴れ 北風
 北風と西風の吹き方がおらが長屋ではいま一つわかりにくい。笹が騒ぐときが北風のように思う程度である。
 今日は北のほうから電話が入って、柳井に行って、いろいろ楽しい話が弾んだ。ヒロコおばさんも結構話に参加した。中年の会でリョウキチとナゴジローは参加していなかったが、話は漏れたかもしれない。中年と言うには若い秀人君も中年に誘われて参加していたが、端境期の宿命で、まあうっとうしさも我慢してくれていた。四人の中年連中は中年の自覚が無いので若者を誘っては中年に引きずり込もうとしているので秀人君は気をつけなくてはいけない。
 体質的に哲ぼんさん・みっちさんは優れている。帰り道、ちょっとしたことがあって、ヒロコおばさんなら卒倒する(卒倒する真似をする)ような場面でも、何時もの生活態度で通過して行った。精神的にも優れている。


9月29日(木)晴れ 北風のち凪
 出張で土居というところに行った。少し眠かった。
 帰っておらが別荘の入り口やカヤックのまわりの片付けなどをして、仕事場に行って少し走った。フカヤがかなり出ている。
 帰りに五月丸に行ってヤズを上げる。シスの南蛮漬けとヤズの刺身で一杯。


9月30日(金)晴れ 凪
 久しぶりに朝、風の音がなかった。
 火曜日から少しずつ走ったフカヤがたまっている。

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