祝島日記 2007年3月 2月の日記へ
3月1日(木)晴れ 北風
ついに3月に突入。春の陽気だが、もう一度寒がくるようである。寒が来る前に祝島に帰って釣りができるといいが。
部活はダッシュとかスタート練習。1km位。
3月2日(金)晴れ 凪
尻の後ろの腱が草臥れているようで痛い。部活はスタート練習が主。2km。
尻の痛みに耐えつつ、「ウーウー」言いながらおらはギターを練習しているが、隣では裕子おばさんとリョウキチがお笑い番組を見ながらが「ウフッ」とか「ウヒッ」とか笑っている。
明日は祝島に帰って久しぶりに釣りをする予定である。いつもながら大漁を期待する。
3月3日(土)晴れ 凪
朝便で帰って釣りをした。
確定申告があるというので、ヒロコおばさんの指令で漁協で伝票などを貰ってきた。
午後、ハナグリで釣った後大島に五月丸を持って帰る。室津にハイジェット号を置いているので、沖浦から柳井まではバスの最終便、電車に乗って帰る。
3月4日(日)晴れ 少し南風のち強まる。
柳井港から室津まで、ヒロコおばさんと昼便に乗る。敏坊さんも乗ってきた。おらは室津のハイジェット号をとりに行くことにしていたのだが、ヒロコおばさんはいい便なので蒲井まで行こうと言うことになり、ドライブをした。
午後は五月丸に行って晩の魚をとってくる。ハゲとアジの刺身と味噌汁。久しぶりでなかなか旨かった。
少し年度末の仕事もする。
今週は入試や卒業式がある。別れの季節でもある。
夕方、ヒロコおばさんと4kmばかり、時々ジョギングの散歩をする。
今晩から明日は大荒れの天気になりそうだということで、ヒロコおばさんは祝島帰りを明後日に変更する。確定申告が祝島であるのである。
3月5日(月)晴れ 大西風
夜中から南風が強く吹き、朝には西風になっているようだった。祝島は荒れているだろう。明日はヒロコおばさん祝島帰りなので少しはやわらぐといいが。
通勤途中西風の波でハイジェット号にしぶきがかかった。
1.6kmジョギング。
3月6日(火)晴れ 大西風
朝は少し凪いでたようだが、昼には寒い西風がふいてきた。
夕方、ヒロコおばさんとジョギング風散歩を4kmする。寒い日だが少し汗が出た。
3月7日(水)曇り 西風
高校入試。
このところケツの下の腱か筋肉が痛いので強く走れない。
3月8日(木)曇り 西風
寒い日が続いている。卒業式の予行。
3月9日(金)晴れ 凪
第60回卒業式。久しぶりにいい天気で、気温も上がってきた。
すばらしい卒業式でほとんどの生徒・教師が涙ぐんだ。ダイキ君たちが卒業した。生徒達の合唱がよかった。生徒みんなが一生懸命歌う姿はなかなか見ることはできないものなのである。気持ちが1つにまとまっている証的な風景だった。昨日からシンちゃんは大活躍だった。
夜は宴。
3月10日(土)曇りのち雨 南風
五月丸で帰る。途中カミカドで釣る。おかず程度。雨が降り出し予定より早く帰る。アジを刺身にして、ヒロコおばさんが、夕便で帰るのを待つ。
ヒロコおばさんは帰ってすぐ浜栄さんところへ行ったと思ったらハゲメシなどを貰ってくる。
夜まで雨で、夜中には西風が強まる。
3月11日(日)(日)晴れ 西風強
五月丸に積んでいたパイプなどをナガイソに運び、ついでに少し植えていたタマネギが生きているのでまわりの草取りをする。
寒気が入り、西風が強いので五月丸は置いて昼便で帰る。柳井港から大畠に行き、1時間半待ってバスに乗る。ちょうど連絡が悪い時間帯なのである。寒い風が吹く港で本などを読んで過ごす。バスを沖浦で降り、置いてあるハイジェット号で帰る。
ヒロコおばさんは祝島に残って葬儀関連の手伝い。
リョウキチと夕食を台湾屋で食べようということにしたところで、ダンディーズのギターの練習があるとの電話が入る。印刷機の修理をしたのを電気店に取りに行った帰りに台湾屋の前を通ると定休日だった。代りに他のところでリョウキチと外食。おらが一家はほとんど外食をしないのである。そのあと、ダンディーズのギター練習に行く。
3月12日(月)晴れ 西風
今日、祝島で葬儀があり、手伝いを終えたヒロコおばさんを迎えに、部活の後オクニのバス停まで行く。少し待たせたがバスで帰るよりわずかに早いくらいだった。みやげ物を貰って帰ってきた。
風邪がはやっている。体長が怪しいので少し早めに寝た。
3月13日(火)晴れ 凪
寒気が抜けきらないようでやや寒い日が続く。数人風邪気味で欠席者も出ている。
家の帰ってヒロコおばさんとゆっくり4kmコースを走る。途中スーパーに寄って買い物もする。リョウキチは、おらたちが帰って7〜8kmコースを走りに出て行った。
州澤さんからメールが来ていた。 「ホクレア号の基金」の募金ホームページ 是非ご協力を。瀬戸内横断隊の内田さんが乗り組んでいるのである。今ポンペイにいるようだ。ポンペイはおらが親父が戦争中に数年過ごした島で、祝島ではもう死んでしまったと思われていたらしい。終戦の年の12月に帰ってきたという。栄養失調で死んだ人もいたらしい。
3月14日(水)晴れ 凪
2日連続でヒロコおばさんと4kmコースを走る。このところの目覚しい走りを知って、みっちさんがたまげてメールをしてきた。
3月15日(木)曇りのち雨 北風
昼前から雨が降り始め、また寒くなってきた。
3月16日(金)曇りのち晴れ 西風のち凪
沖浦中に風の菌が本格的に入ってきた。
明日は生徒の陸上記録会。
おらは家に帰って、ヒロコおばさんと4kmコースを走ったり歩いたりする。
3月17日(土)(晴れ時々曇り)北風
陸上記録会。それぞれ頑張った。
予定より早く帰ったので、ヒロコおばさんと4kmジョグアンドウォーク。ヒロコオバさん頑張る。0.2kg減。
3月18日(日)晴れ 北西風
朝便で帰ってハナグリ、後カミカド。カミカドでネバルとアジがそれぞれ10匹余りずつ釣れる。卒業祝の鯛を狙っていたのだが気配がなかった。
昼便で柳井に帰ってヒロコおばさんと田布施までドライブ。ハイジェット号の朝の調子がこのところ悪いのである。
夕方、ヒロコおばさんの洗濯物のアイロンかけなどが終わってジョギングアンドウオーク。今日はコースを変えて花ランドまで行って帰る。
肴はネバルの煮つけとアジの刺身。
釣りの写真を撮り忘れたので置き去りの花を写す。
夜に訪問者あり、情報と果物が一緒に来る。
3月19日(月)晴れ 北風
ヒロコおばさん広島行き。
晩飯はヒロコおばさん置き土産の鮭のフライとヒレカツと、おらがアジを焼いたのに大根おろし、センギリキャベツ。リョウキチと男二人のテーブルが料理で狭かった。
3月20日(火)晴れ 北風
寒いのも今日までかと思う。ヒロコおばさん広島より帰る。土産に広島の少林寺拳法部の文集を持って帰った。リョウキチ用で、リョウキチは笑いながら読んでいた。
リョウキチはお茶を弓道部から土産として持って帰ってくれた。提供者は平生のS君ということだ。宮沢りえの伊右衛門茶である。開いてみると湯90℃で60秒ということであった。感想としては旨い茶であった。さすが宮沢りえ。二番煎じ(湯を二回目入れた時の茶)が、おらが家のお茶と同レベルである。
明日はネバルと鯛を狙って祝島に帰ってくる予定である。
3月21日(水)晴れ 凪
春分の日。朝便で帰る。一日釣って夕便で帰る。夕便にえべすのカズサアがいて、同窓会の話をした。そのうちはがきが来るようである。この前の日曜日の朝便でしょうもとのヨッチャンに会って、聞いていたのである。柳井に帰って、柳井高校のスプリングコンサートに行く。高校生が一生懸命練習して発表するということにすぐ感動した。リョウキチも来ているという事だったので、きっとリョウキチはやりたいと思うだろうなあと思っていたらそう思ったらしい。帰るとき、それぞれの部員が並んでお客さんを送ってくれていた。しょうこさんがいないかなと思っていたら、しょうこさんから声をかけてくれた。握手をした。いいコンサートだった。
家に帰ったらナゴジローが帰っていた。ネバルの煮つけがメインディッシュであった。結構にぎやかで盛り上がった晩餐だった。
3月22日(木)晴れ 凪
家に帰って走ろうかと思っていたら、 ナゴジローとヒロコおばさんは買い物とかで疲れたようで結局みんな走らなかった。肴はチダイの刺身。
3月23日(金)晴れ 凪
今年度最後の授業の日。
早めに帰ったが、ヒロコおばさんは卵などの特売品を買出しに出かけていた。
おばさんが帰って一段落して、4kmコースを四人みんなで歩いたり走ったりする。
肴はチダイ。
3月24日(土)雨 南風
朝から雨になった。沖浦にハイジェット号を置いてバスで大畠まで出て電車で柳井港、昼便で祝島に帰る。バスを待つ間沖浦のバス停のそばの朝市のところで雨宿りをさせてもらい、野菜を1つ買った。南風が強く吹いた。原さん達は漕いで祝島まで来る予定だったようだが、強いので夕便のいわいでやってきた。カヤックで海に漕ぎ出してみたらしい。予定では八島に行って祝島にくることになっていたらしい。
夜原さんと久しぶりに一杯。初対面の、油谷のタケさんともいろいろ話をする。
3月25日(日)曇りのち晴れ 西風
思ったより西風があったが、10時に原さん達4人と室津まで五月丸でドライブをした。帰りにハナグリでカモメが騒いでいるのでヤズ漕ぎをしてみると5匹釣れた。祝島に帰り、荷物などを持って大島に向かう途中、ハナグリでヤズサガリを手繰ると、よく釣れた。まだ釣れるのだが切り上げて帰る。沖浦に着くころには西風が凪いだようである。卒業生に、この前の小さい鯛とヤズをお祝いに持っていく。鯛が釣れないのが残念ではあったがヤズが釣れて良かった。今年は海水が温かいからか、ヤズがずっと居続けた様である。
3月26日(月)晴れ 凪
修了式。帰りに五月丸に寄ってみるとヤズたちは生きている。
夜は大畠で打ち上げ。アルコールが入ると口が軽くなっていろいろしゃべったような気がする。人に迷惑をかけてなければいいが。
3月27日(火)曇りのち雨
部活で少し走る。まだ本調子でない。ヒロコおばさんは足首を痛めたようで、走れなくなった。
ユウベエ、柳井に帰ってくる。
仕事場にヤズを持って行き、おすそ分け。おらが家もヤズとアジをネタに握り寿司である。おらとナゴジローで魚をさばき、ヒロコおばさんとユウベエが寿司をにぎり、120個程度握り寿司ができた。5人で完食した。
3月28日(水)晴れ 凪
年度末は転勤のシーズンで、片付けなども始まる。おらは残留である。
夕食はユウベエ、ナゴジローの二人でハンバーグ、ネバルの煮つけを作る。夕方おらとヒロコおばさんは買い物に出かける。
リョウキチは弓道で下関に遠征。
3月29日(木)曇りのち晴れ
沖浦の山桜がかなり咲いている。学校のソメイヨシノはポツポツほころび始めたというところである。明日はかなり温かくなりそうなので一分咲き位まで行きそうである。
リョウキチは下関から帰る。
明日は離任式である。
仕事場の近くに早くもウベの花が咲いていた。
3月30日(金)晴れ 凪
離任式があり、4人転勤で沖浦中を去る。
沖浦で別れの宴。こういう日は飲むので電車やバスを利用する。帰りは副社長の秘書さんに副社長と一緒に送ってもらった。このところお世話になっている。
ユウベエは広島へ帰る。
ハイジェット号と別れの日である。祝島、屋代島、本州とお世話になった。
3月31日(土)曇り 昼過ぎから大南風
昼前にナゴジロー四国に帰る。
おらは祝島に帰るつもりで五月丸に乗る。港を出ようとする頃から南風が吹きつける。港を出るときロープに掛かりそうになったりして苦労して出た。池の浦まで来ると前に白波が見え、相の浦まで引き返し様子を見る。室津から哲ぼんさんたちを乗せて祝島に帰る予定にしていたのである。南風が弱まる気配がないが、携帯の電源が切れていて連絡が取れないので心を決めて室津に向かう。センバ沖は強いと聞いていたが、大きい波があった。池の浦から上関大橋をくぐるまで、1時間あまり緊張感を持って五月丸に乗っていた。センバを過ぎたところでいわいに追い抜かれてしまった。ヒロコおばさんに見られてしまったかなと不安になったが、室津から待合室の電話から連絡をするとやはり見ていたようで叱られた。
室津に五月丸を停泊させ、柳井に帰るようにとの指令が出て、やって来た哲ぼんさんみっちさん(こちらにも指令が出ていた)の車で柳井まで護送された。
予定は祝島でのユウ坊さんを交えて宴の予定が、柳井でユウ坊さん抜きでの宴会になった。リョウキチは一人の予定が急ににぎやかな晩になったわけではある。
4月の日記へ