祝島日記 2008年10月 9月の日記へ

10月1日(水)曇りのち晴 凪
 台風15号は四国の沖遠くを通過のようで台風らしい風は吹かなかった。この2〜3日で150mm位の雨量だろう。よく降った。
 朝、五月丸に出て棒ズリですった。少しはきれいになっただろう。
 秋のさわやかさを感じる日中だった。ヒロコおばさんにしめアジが好評なので昼に下ごしらえをした。
 夕方仕事が終わって、モイカを掛けに出る。ナカバエで30分くらいかけて二つ掛ける。今年はモイカを干す予定である。額に墨を掛けられた。
 肴は鯛の刺身。


10月2日(木)晴れ 西風のち徐々に凪
 秋らしい一日である。モイカの話題がちらほら面白い。
 診療所は30人余り。良いペースで忙しい感じはそれほど無かった。
 夕方走ってみる。東の波止を何往復かする。ナカバエで3隻ほどモイカ掛けをしていた。良い凪になっていた。
 肴はイカ刺しとハマチの刺身。かずちゃんが天ぷらを持ってきてくれた。食欲も二人とも秋である。


10月3日(金)晴れ 凪
 診療所、30人足らず。良いペースであった。レセプト終了。
 夕方モイカ掛に出る。ナカバエでモイカ5、コウイカ1.まずまずである。
 肴はしめアジ。


10月4日(土)晴れ 凪
 朝釣りに出るがチダイ1匹。カミカドに松漁丸が掛かっていた。艫にヒロシクンが乗っていた。
 早めに帰り、残っていたアジをあげて、おすそ分け。
 昼前にタカトオにいき、アメリカ芋の残りを掘る。15kgくらいだろうか。思ったよりあった。畑に上がる途中にアケブの熟れたのがいくつかあった。秋に静かに入り込んで来た。
 昼食後、ゆっくりまた釣りに出る。途中ナカバエでヤズが湧いていたので漕ぐと1匹釣れた。引潮のやおりで大鯛が釣れた。4kg近くあるかもしれない。(3.3kgだった。)大きいタチが1匹、糸を切られずに取れた。2回切られた。他にイサキ1、中くらいの鯛1。アジ5。暗くなる前からモイカ掛けをしてモイカを6。期待以上の豊漁。まだ月は細く、帰りは暗かったが、夜光虫が多かった。
 肴はしめアジとアジの刺身。チダイの焼いたの。
 ヒロコおばさんがとっていてくれたVTRを見る。エグベルト・ジスモンテという音楽家のコンサートである。めったにこういう番組を見ることはないのだか、たまには良いものである。芸術の秋だ。テレビの画面が小さいので近くで老眼鏡を掛けて見た。


10月5日(日)雨 凪
 朝からヒロコおばさんは婦人会の弁当作り作業。雨でよくない。物を乾かしたり、弁当を配ったり、やはり晴れている方がよほど良いらしい。おらはゆっくりホームページの更新などをする。その後、五月丸に行く途中、江本の大工小屋に寄っていろいろ話を聞く。ヤズがオイトモ沖に多いようである。そのうちがぼがぼ釣れ始めるだろう。
 昼便で静岡にタイを送る。
 午後、モイカを干すためのしごをした。今日は一日雨のようなので、干すのは明日である。しごをした後また大工小屋に寄ってみる。モイカ掛けやイガ瀬の様子、ウヤシマのことなどを聞く。さっちーさんは昨日オイトモで大きいチダイを5〜6匹釣ったようである。オイトモに餌が寄っている様だ。
 釣り道具(鯛サガリ)を二丁分繕う。
 夜ユウベエから電話。


10月6日(月)晴れ 弱い西風のち凪のち西
 第一月曜日で休診日。
 朝釣りに出る。ヤズを3匹とアジを数匹。ヒヨの渡りが見られた。写真を撮るのに失敗した。ファインダーが無いので的を外したのである。
 午後、ニナモトのバクチノキの花を見に行く。咲いた後のと蕾があった。あいにく開いた花は見られなかった。
 モリのバクチノキも見に行く。以前幼木がたくさんあると思っていたのは違う木の勘違いだった。残念ながらここにはバクチノキは一本しか見あたらなかった。
 16時前に帰って、釣りに出る。カミカドでアジを7〜8匹。イカを掛けるつもりでいたが風が強くなり、ナカバエに帰りコウイカを1つ掛ける。早めに帰る。
 肴は鯛、イカ、タチの刺身。タチの南蛮漬けも、ふかし芋も。


10月7日(火)曇り 凪
 診療所は50人近くと多かった。午前30人の受付。
 レセプト関連で少し残業。こちらも間違えながらなんとかわかって来つつある状況である。
 肴はモイカのエンペラの刺身や煮付け、穴子のつけ焼き。祝島の秋である。タッチャンに貰った芋のふかしたのも旨い。(肴ではないが芋はコーヒーと合う。)


10月8日(水)晴れ 凪
 秋晴れの良い天気だった。
 朝、マキの苗木を長磯に植えに行った。
 夕方、モイカ掛に出た。コージロで五つ掛けたところで、クラッチが効かなくなってたまげた。手で引っ張ったりすると入ったり外れたりするので一安心して帰ってきた。明日は少したつつことになる。


10月9日(木)晴れ 凪
 あさ、五月丸の色々の整備をヒロちゃんに頼む。アカカエのポンプも2年くらい前から故障していたのである。人力でかえだしていた。
 凪が続く。モイカ日和と言って良いのか。診療所は平均以上の来診者。
 夕方モイカを掛けに出る。コージロにタダトシクン達の船も来ていた。おらはモイカを今年最高の8つ掛けたところで帰ってきた。大きいのも掛かってきた。潮が良かったようである。


10月10日(金)曇りのち雨
 診療所の週末は平均的な数値を記録して終わった。
 通夜があり、行って話を聞いたりした。まあちゃんは親孝行息子だった。
 夕方前から雨で、モイカが湿るかなと思ってそのまま忘れていると、ゆみちゃんが仕舞ってくれたと有り難い連絡が来た。ハエ取り紙も付けていたのだが、ゆみちゃんくっついていなければいいがと少し心配する。
 肴はイカのエンペラとアジの刺身。貰ったふりかけも旨かった。
 夜になって予想外の雨がしとしと降る。春のような雨である。


10月11日(土)晴れ 北西風
 朝カミカドに釣りに出る。小鯛が3匹とイサキの中1、小1。風もあり潮の流れが良くなかった。帰りにマルアジが湧いているのでやってみると釣れた。15くらい釣って、ヨボシの手前まで帰ると今度はヤズが湧いているのでやって3匹釣ったところで終えて帰る。午後葬式がある。
 モイカのしごをして干す。モイカは干すと面積が半分くらいに減る。
 猫はモイカは好きでないかと思っていたらそうでもないらしい。足を1つ食われてしまった。
 モイカのしごをした後釣りに出る。オイトモでヤズが湧いているので漕ぐと五つ釣れた。ヒラアジも湧いていた。10ばかし釣ってやめる。そのままオキナでモイカを掛けてみると3つ掛かった。月はあるが風もあるので帰った。


10月12日(日)晴れ 西風
 朝、長磯で久しぶりに草刈りをする。柿の実が少ないと思っていたら小さいのが40〜50もなっているようだ。柿の木の周りも少し刈り取る。
 昼便で出て、蒲井に寄る。その後大和にいく。それから細々の買い物など8〜9カ所を巡る。おらはメガネの調整やハッサク、梨の苗木を買ったりした。


10月13日(月)晴れ 凪
 朝便で帰る。
 カミカドで釣ってみるが、鯛1、アジ1。室津に荷物をとりに行く。足を伸ばしてアンチャンにアジなどを渡す。久しぶりにリュウイチロウ君にも会えた。リュウイチロウ君はすっかり魚好きになったようで、刺身が特に好きなようである。そういわれるとおらを好きになってくれているようで嬉しいものである。
 帰りはコージロに行って釣りをする。久しぶりに大きいハマチが釣れる。15分から20分位かけてあげたのだが、弱ってイケマの中で結局死んでしまった。内蔵と頭を落としておく。その後もポツポツ釣れた。鯛の良い形のが2匹と2kgくらいのハマチが1匹。朝釣れたのならアンチャンにあげられたのに残念である。
(大きいのは多分7kgくらいだっただろう。)そのままコージロでモイカをかけようと思っていたが、風が出てきたのでナカバエまで帰ってモイカを3つ。
 ヒロコおばさんは夕便で帰る。


10月14日(火)雨のち曇りのち晴れ 西風
 診療所20人足らず。
 夕方、スバラマツからトビイシでモイカを狙ってみるが全く気配なし。ナカバエに帰ってモイカ1,コブイカ1.何とかスラは免れた。
 舷灯が点かなくなった。


10月15日(水)曇りのち晴 凪
 診療所30人足らず。
 朝、舷灯の球を見てみるとどうやら切れているようだ。漁協で舷灯の球を買う。昼にそれを取り付ける。点いた。一安心である。
 夕方、コージロにイカを掛けに行く。暗くなってぼつぼつ掛かり始める。良い月が出て小さいバケツに一杯になるまで掛ける。家に着いたのは22時頃だったと思う。多分今までで一番遅くまで掛けた。モイカ16とコブイカ1。大漁である。


10月16日(木)晴れ 凪
 診療所30人足らず。
 昼に少しモイカのしごをする。
 夕方、ナガイソに行って荷車のタイヤを交換して、引っ張って帰り、家にあった古自転車3台を乗せて長磯まで引っ張っていく。
 肴はハマチの刺身。死んでしまったので身がマグロの赤身のように赤い。
 夜なべでイカのしごをする。


10月17日(金)晴れ 凪
 朝、一台残っていた自転車に乗ってナガイソに行って帰りにゆっくり走って帰る。座骨神経痛が痛いのだが何とか走れた。
 診療所、久しぶりに40人を越える。
 昼にしごをしたイカを干す。
 ヒロコおばさんは明日の法事の準備などでくたびれているようである。
 夜、月が高くなってからモイカ掛に出る。夜の12時頃帰ってくる。6つ掛けた。3つは大きかった。大きいのは500gをこえる。


10月18日(土)晴れ 凪
 おらが母親の25回忌の法事でヒロコおばさんは早く起きて準備をしていた。7時前からスッチャンも来てくれてやり始めた。おらは南蛮漬け用のアジを五月丸でさばいて帰る。伊藤のおばさん達、スッチャンも含めて8人が手伝いに来てくれ、オカダリもみやら昼飯作りやらにぎやかにする。
 11時前から法要が始まり昼までには諸々終了。
 一段落して、長磯に梨とハッサクの苗木を植えに行く。果樹園が充実してくる。3年後くらいが楽しみである。
 夕便で典子、三枝、千枝となお君、サキちゃんが帰ってくる。祝島できょうだい4人が揃ったのは10年ぶりくらいかもしれない。
 夕食の後なお君、サキちゃんと海と星を見に行くと、やすだ君がイカを掛けていた。600gくらいある大きいのを1つ掛けていた。
 典子達は今日ははまや泊まり。取りこみ中と思い気を遣ったようだ。
 おらは早めに寝ていたら社保庁の中村さんから電話があり、起きて出てみるとサトシ君だった。浜本邸に行って、よし坊さん夫婦と一杯ご馳走になる。
 ヒロコおばさんは今日は奮闘した。

オカダリをもんで茹でる。 茹でたのうちわで扇いでを乾かす。
光り出す。 くっつかないように粉をまぶしてちょっと

10月19日(日)晴れ 凪
 7時から総出の道うち。おら達ははえ道の落ちている石や土をどける作業をする。ヒロコおばさんは草刈り。
 9時前には帰ってくる。サキちゃん達、墓参りにいく。おらはモイカの干したのを試食しながらホームページを更新する。トースターで3分くらいで焼けるようである。妹たちにモイカの干したのと冷凍したのを土産に渡す。
 昼便で帰って行った。典子の荷物をバイクのかごに入れたままで忘れてしまった。明日送ることにした。
 夕方釣りに出る。イサキや鰺を数匹だけ。イカはコウイカだけ。


10月20日(月)晴れ 凪
 診療所は20人足らず。
 夕方ナカバエでイカを狙うがスラ。
 千葉の秀代さんから電話がある。同窓会に出るそうだ。チーコさんは旦那さんが薬局をやっているという。


10月21日(火)晴れ 凪
 診療所40人余り。
 マルアジはまだ釣れているようだ。
 夕方、タイを上げて五月丸でさばいた。刺身にして久しぶりに少し走る。
 千葉の吉岡さんから電話がある。一緒に酒が飲めるそうである。


10月22日(水)曇り 西風
 朝から風がある。曇り空で夕方にはぽつりぽつりと久しぶりの雨が降り出した。診療所は40人を越えた。
 夕方、イサキの刺身を造った後、ポツポツ雨の中を少し走る。少し神経痛が痛いのを我慢するとゆっくり走れないことはない。ダンディーズの駅伝チームで今年は走れそうもない。この前、西村さんから電話が掛かってきたのだが、補欠に名前を入れてくれることになった。ダンディーズのギターの部が沖浦中の文化祭に出ると言うことで、西村さんからの電話があった日には偶然にも野村さんと中山さんから、こちらの都合の問い合わせがあった。残念ながら文化祭の日と同窓会が重なってしまったのである。


10月23日(木)降ったり止んだり 南風
 一日中降ったり止んだりの天気。診療所は30人足らず。雨で少し予想より少なかった。
 肴はアジの刺身。魚を船に活かしておいての賞味期限は1週間である。油が減ったり筋肉の質が変わったり、歯ごたえもうまみも無くなるようだ。
 この頃は晴天で風呂の水がちょうど良い燗くらいである。これからは薪の準備が必要である。


10月24日(金)曇りのち晴れ 西風
 診療所、ほぼ平均的な人数で来診ペースも緩やかで余裕のある一日。一度に10人くらいおいでになると忙しいのである。
 今日は冬の気配を感じさせる西風が吹いた。
 五月丸に残った最後の魚イサキを肴にした。 


10月25日(土)晴れ 南西風
 朝ゆっくり釣りに出た。タカノスでアジを10匹。良い形のが半分。おかずは確保と言うことで帰り、昼の便で反原発デー学習集会にヒロコおばさんと一緒に行く。島の人150人ばかり参加。原さんも若者代表で話をする。原さんの行動力は素晴らしい。ミチヨさんとヒサヨさんも来て手伝っていた。藤本三姉妹の行動力もすごい。
 おらは集会の片づけを手伝わないまま鍼灸院に行った。無理して走らない方が良いらしい。水泳は良いそうであるが冷やさないようにと言うことである。
 夜、ヒロコさんの買い物につきあって柳井泊。釣具店には行けなかった。ヒロコおばさんは片づけ終了までいて、その後ヒロシくんの館見学に行ったそうである。


10月26日(日)曇り一時小雨 南西風
 朝便で帰る。車にはアパートの冬着など積んで置いておく。
 カミカドに釣りに行き、良い形の鯛とアジを1ダースくらい釣って室津の車に置いてある荷物をとりに行く。
 上関の瀬戸を出て少し行ったところでヤズが湧いていたのでヒコーキを漕いでみるとすぐ釣れた。7匹釣ったところで、もういいかと帰る。昼前に祝島について、ヤズ、アジをさばいておく。さばく途中でかまなかさんから電話。16時頃話をしに来られると言うことだ。それまでに長磯に西条をもぎに行く。思ったよりなっていた。小さい箱に一杯あった。
 かまなかさんに聞いたところによると、上関原発の冷却水は7℃の温度上昇されたのが169t毎秒で排出されるという。カロリーになおすと1183000kcal毎秒である。1gの0℃の氷を0℃の水にするためには80calの熱がいる。1183000÷80は約14787で約15kg。1秒間で15kg(20リットルのポリタンク四分の三)の氷を水にするわけである。1日では816000kg。1年では365倍で297840000kg=約297840t。小学校の6コースの25mプール(縦25m・横13m・深さ1.2mとして)だと25m×13m×1.2m=390立方メートル=約390tだから、297840÷390=763で約760個分のプールとなる。上関原発の冷却水によってプール760個分の氷が解けると言うことである。(一日ではプール2個分以上の0℃の氷が解けて水になる。)原発が温暖化対策になるなんてコマーシャルをしているが嘘である。原発を作るためにどれだけのエネルギー(二酸化炭素)を使っているのかを考えればなおさらである。
 冷却水は、わずかとは言うけれど放射能も含む。毎秒169tである。2.3秒にプール一杯分である。それが流れ込む近くの海で釣れた魚を、魚好きの親しい人に送ってやれるだろうか。 


10月27日(月)曇り時々晴 西風強
 西風の強い一日。寒くもなった。
 首と肩が痛く、弱った。歯茎が痛いので、お互いが絡み合っての痛みのように感じる。
 昨日少し、皮をむいた柿を干した。


10月28日(火)晴れ 西風
 祝島の人達は、知事への抗議行動で山口に行く。
 今朝、洲澤さんからのメールが届いていた。「朽ちていった命」と言う文庫本の紹介だった。
 洲澤さんは祝島中カヤック教室の初代講師カヤッカーです。


 みなさん こんばんは。
 どうしても、原発について、みなさんにお話ししたいことがあります。
ご迷惑かもしれませんが、あえて送信すること、お許しください。
洲澤育範
 
「染色体が砕け散る」
 とある方から、どうにもやりきれない気持ちになると紹介された本。
 
 「朽ちていった命・新潮文庫¥438-」
 99年9月、茨城県の東海原発で起きた臨界事故。核燃料の加工作業中に
大量の放射線を浴びた患者さんを救うべく、83日間にわたる治療の記録。
 「命の設計図」である染色体が砕け散る過程の記録。
前例のない事象に治療をほどこさなくてはならなかった医療関係者の苦悩の記録。
 ぼくは人の恐怖につけこむのは嫌いだ。恐怖を原動力に行動をおこすことは嫌いだ。
 しかし、知らなくてはならないことはある。知らせなくてはならないことはある。
 ぼくたちは何時、ぼくたちの染色体が砕け散ってもおかしくない環境で生きている。
 大学生のころ、英語の授業でつかわれた教科書は、バートランド・ラッセルが書いた
「原子力時代に生きる」という本だった。ぼくは英語がにがてだし、勉強熱心な学生
ではなかったが、この本は熟読した。
 30年前の記憶なのであやふやだが、内容をかいつまむと「総ての命は誕生から死へ
むかい、最後は消え去る。しかし、人は消え去らないものを作ってしまった。
消え去ることで地球の生態系は守られているのに、消え去らないものを作ってしまった。
それは核・原子力。」
 「人の思考は、消え去ることを前提に成立っている。20世紀、人は消え去らないもの、
核・原子力を作り出した。それに見合う思考を人が持てるのだろうか?」

 たしか、そんな内容だったとおもう。
 人はたぶんに予測できるできごとを「事故」とはいわない。
予測できないできごとを「事故」という。もちろん昨今では予測できたことも「事故」
という風潮はあるが。
 人に絶対はないし、完全もない。

 大きな臨界事故がおこれば、放射能の雨はふる。放射能の雨は、人の上に等しくふる。
原発に賛成であろうがなかろうが・・・。
 染色体が砕け散ること、それは命が朽ちること、すなわちそれは死。
 知るべきだ。
Cool Runnings with EL COYOTE
山口県下関市豊田町中村624
tel fax 0837-66-1014
           洲澤育範

 診療所で診察をして貰って湿布や痛み止めの薬などを出して貰った。
 仕事が終わって、コイオーを一周してみた。西風が強かった。鳥の影を探しに行ったのだが無かった。
 帰りに肴用にアジとヤズを上げた。
 吉岡先生から飲み会についての電話。


10月29日(水)晴れ 西風
 朝、伝馬船の準備をタカシ君とする。今日は小祝島に行く予定なのである。
 午後は休みを貰う。
 のぶちゃんの船で高島さん達と小祝島の観察会。オオミズナギドリの巣を確認するのが主な目的だったのだ。目的は達成できなかったが、カラスバトの声は聞けた。オオミズナギドリについて色々聞けたのも、おらには収穫であった。伝馬船は西風の波が強く、使えなかった。
 観察会が終わって少し仕事をする。
 肴は鯛とヤズの刺身、あら煮。
 渡邊君から同窓会の日についての連絡の電話。
 中鶴さんからも電話。予定が煮詰まった。 


10月30日(木)晴れ 凪
 朝、伝馬船を浜に着けておく。できるだけ満潮に近い方がのぼせるのに楽だからである。
 診療所今日は50人近く。
 暇を見つけては柿の皮をむく。今年はつるし柿が100個できそうである。
 肴は鯛の刺身とヤズ、アジの刺身。 


10月31日(金)曇り 西風
 診療所は午前中は一桁で午後盛況で休息なし。午前、始まってまもなくター坊がひょっくり奥さんと息子さんとその奥さんを連れて診療所に顔を覘ける。
 晩飯を のんびりやっていると、ター坊から電話が掛かる。何を話しているのかわかりにくいと言うことで変わると、浜本家においでと言うことだったので行く。
 サトシ君とひろしくんもいた。きみちゃんとひでちゃんも呼ばれてやって来た。0時過ぎまでご馳走になったり唄ったりした。明日は同窓会である。


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