祝島日記 2009年6月 5月の日記へ

6月1日(月)晴れ 西風
 休診日。昼便で祝島に帰る。
 丸アジ9匹をさばく。
 昼からイワグチの道を少し草刈りをする。その後ソーヅイに行って、ビワをもいだり枝を切ったりする。
 草刈り機を持って帰り、枇杷をとりに引き返す。テーラーと出会うので、テーラーが皆帰ってからソーヅイに向かう。
 肴は丸アジの刺身。


6月2日(火)晴れ 凪のち南風
 診療所37人。
 今日は丸アジが釣れたようである。夕方ゆっくりランニングを15分。
 肴は丸アジの刺身と占めたの。
 ギターの練習を40分。


6月3日(水)曇りのち雨 西風
 診療所26人。午前忙しく、午後はゆっくり。
 久しぶりの雨、10mm程度か。
 レセプトを午後印刷。


6月4日(木)曇り 凪
 診療所40人。午前も午後も忙しかった。
 夕方ナガイソ、桃が5cmくらいに太っている。
 夜、ビワを袋から出す。まずまず。


6月5日(金)曇り 凪
 診療所20人余り。
 夜、サトシ君から電話で珍しく浜本でなく、橋本で一杯。日が替わる。


6月6日(土)晴れのち曇り 西風
 ヒロコおばさん、平生でアイちゃん達を集会。
 午前ビワもぎ、午後カミカドで釣り。0.5kgくらいの鯛と、チダイなど。
 静岡のタカシさんから電話。明日、マスターズの水泳大会で200mのバタフライに出るそうである。相変わらず元気である。


6月7日(日)晴れ 凪
 朝、丸アジ釣り10匹余り。ヒロコおばさんは岩田へ。
 午後、柳井にいるナゴジローに刺身を造って持って行く。
 途中ビワと丸アジを持ってコウジ君の所へ行く。キョウコサン一家とアンチャンも集合。
 夕便にヒロコおばさんを乗せて、おらは五月丸で帰る。


6月8日(月)晴れ 凪
 診療所20人足らず。
 夕方、タカトオまでゆっくりランニングで上がる。ハミを一匹捕る。ウベが実を着けているのを確認して、帰りにハミを持って帰り波止の向こうで皮をへぐ。家に干しておく。喘息にいいと言うことである。リョウキチは小さい頃からハミの粉を飲んでいる。


6月9日(火)曇り 凪
 診療所30人。
 静岡のタカしさんから新茶が届いた。
 前回芽が出なかったところに大豆の種を蒔く。
 魚はホタテ。


6月10日(水)雨 昼頃から大南風
 診療所20人半ば。
 田ノ浦、雨の中桟橋移動の阻止行動。波も出てくる。


6月11日(木)晴れ 西風
 夜中にヒロコおばさん活動。
 診療所40人半ば。忙しい一日。
 大山口中の卒業生から原発反対の署名を送ってくれる。ユウジ君から話が行っているようだ。
 ユウベエ、ナゴジローから連続して電話があり、ヒロコおばさん長い電話になる。


6月12日(金)晴れ 凪
 新型インフルエンザフエイズ6。
 診療所30人半ば。
 ヒロコおばさん、仕事後、枇杷を貰いに行ったりして枇杷農家的になる。
 おらは仕事後、ヨボシに釣りに出て、大漁。5.5Kg筆頭に大鯛を5つ釣る。一番大きいのは万ちゃん行きである。おらが気持ちの中では、さばくのが大変なのは万ちゃん行きとほぼ決まった感じである。


6月13日(土)晴れ 凪
 学校の草刈り作業。終了後テント張りの手伝い。明日島に来る人が多いらしい。
 昼にまきさんとかいせい君に会う。鯛を送ロウとしているところへやって来てくれて、鯛と一緒に写真を撮る。
 14時半過ぎに、かいせい君達が迎える中、原さん達が東の浜にカヤックで到着。
 夜、原さん達と一杯。船の話で日が替わる。


6月14日(日)晴れ 凪
 原さんと新庄さんの所へ行く。
 昼過ぎ五月丸で室津に行く。塩焼きをナゴジローへ渡し、沖浦にビワを持って行く。大島さんに署名をお願いする。海で楽しんでいた若者達に頼んですぐ一枚書いてくれる。
 久しぶりに沖浦中に行ってみる。裏山のハンゲショウも見てくる。まだ白い化粧はしていなかった。
 帰りにヨボシでアジ7〜8匹とチダイ1つ。


6月15日(月)晴れ 西風
 診療所20人。
 ヒロコおばさん、なかなか忙しい一日。
 夕方20分ばかりゆっくり走る。


6月16日(火)晴れ 西風
 診療所30人近く。
 千葉からトウモロコシが届く。甘いのである。今年は新種らしい。
 通夜に行く。


6月17日(水)晴れ 凪
 朝、送り用のタイなどをしめる。波止の中でモブシが泳いでいるのを見る。
 診療所30人ちかく。午前は忙しく、午後は余裕があった。
 ナガイソの桃、熟れ掛けている。


6月18日(木)晴れ 凪のち南風
 診療所40人近く。
 公民館でしようと思っていたミニコンサートを今年は氏本家の蔵ですることにした。
 曲数は去年と同じ8曲で、曲目は去年と4曲入れ替えた。ミス無く弾ける曲はなく、コンサートを開くには腕が劣るのだが、やろうと思った方が練習をするので、やらないよりはましだろうと思っている。腕の無いのがやるというのは大変小さい勇気が要る。


6月19日(金)晴れ 凪
 診療所30人近く。
 ナゴジロー、柳井での教育実習最終日。祝島では実習が受けられないので、柳井で受けさせて貰ったのである。


6月20日(土)曇り 凪
 ヒロコおばさん、岩田に用があり、朝便で出る。そのまま柳井泊予定。
 朝、カミカドで鯖3匹と鯛1匹。
 昼、ソーヅイで葛切り。試し用に少しビワの葉をとって帰る。
 夕方、コージロでハマチ3匹。
 元水泳部の旧姓高木さんから署名についてのはがきが届く。協力するとのことである。


6月21日(日)曇り 凪
 朝釣り、釣れず。
 桃を2つナゴジローへの土産に、昼便で柳井に行く。
 ナゴジローを見送った後、夕食はカレー。


6月22日(月)晴れのち曇り、雨 凪
 朝便で帰る。
 診療所20人足らず。
 肴はシメサバ。
 夕方桃を収穫。今までで最高の収穫である。おらが農作物をヒロコおばさんが初めて褒めてくれた。


6月23日(火)曇りのち雨 南風
 診療所30人半ば。
 エベス商店にコンサートのビラを貼って貰う。この27日の9:40から20分余り。
 曲目は「湯の町エレジー」「夕やけ小やけ」「アレグロビバーチェ」「ゲゲゲの鬼太郎」「人生の並木道」「アルハンブラ宮殿の思い出」「ルパン三世」「五木の子守歌」である。楽譜の何パーセントの音が出せるか。


6月24日(水)曇り 凪 南風 凪
 診療所40人余り。
 夕方、残りの桃を収穫。その後、ヨボシに釣りに出る。チダイ3〜4匹と大きいアジ1匹、鯛1匹。


6月25日(木)晴れ 凪
 診療所40人足らず。
 夕方ランニング20分。その後ヨボシで釣り。大アジ2匹と小さいアジなど。大きいエソも釣れた。イワシがいるようだ。
 浜本邸のサトシ君から電話があったので行ってみる。初対面のシマモトさんが来ていた。趣味が絵でサトシ君を描いたのがエベス商店に掛けられているそうだ。オオクボさんもやって来た。
 しんちゃんに土曜日に柳井に出ようと誘われた。


6月26日(金)雨 南風
 島民の会、田ノ浦での中国電力への抗議行動。桟橋移動阻止。
 診療所約30人。


6月27日(土)曇り 凪
 朝、ナガイソに行く途中救急船への搬送手伝い。
 その後ナガイソでアメリカイモの苗を10本とってくる。
 9:40からギターミニコンサート(2回目)。今年は聴衆が8人で(一人はヒロコおばさんで自称サクラ)去年の5人に比べて倍増に近い。嬉しいことにみさき旅館の奥さんが聴きに来てくれたのである。途中長ちゃんから、北海道限定のクラシック缶ビールの差し入れもあって予想以上に音が出たように思う。
 11:00、K・練号に芋づる10本を渡したら、缶ビールが沢山返ってきた。申し訳ない。
 昼から釣りに出る。マダイが一つ、アジとチダイ、小さいイサキなどが釣れた。ハマチの湧くのが見えた。
 リョウキチに初めて鯛とアジ等を送る。何で食べるか。
 夕便で出る。しんちゃん、ケンちゃんと2:00過ぎまで飲んだり唄ったりした。2:00過ぎというのはこの二人と一緒の時は早いほうなのである。


6月28日(日)曇り 凪
 朝ゆっくり起きて、まさ坊さん所にアジなど持って行ってコーヒーをご馳走になりながら色々話をする。
 昼便でヒロコおばさんがやってくるので室津に迎えに出る。みっちさん、哲ぼんさんも降りてきた。
 フミちゃんと平生まで一緒で、その後光に原発の話を聴きに行く。
 京都大の小出先生の話で、色々具体的な話を聞くことができた。
 ポイントを簡単にメモしておこう。
 ・今の日本の消費電力は原発なしで十分やっていける。(火力発電は可能発電量の50パーセントも稼働していない。電力が足りないから原発を、と言うのは嘘である。)
 ・原発は発電装置というより、「海温め装置」である。(原発で発生するエネルギーの3分の1が電力になり、3分の2が海水を温めるために使われている。冷却水は海水を7〜10度温めて流している。その量は上関原発1基でほぼ広島の太田川の水量に匹敵する。原発が温暖化防止に役立っているというのは大嘘である。)
 ・原発がCO2を出さないというのは間違いである。(燃料のウラン精錬・濃縮・加工のために莫大な化石燃料を使っている。これまた温暖化防止に役立っているのは大嘘)
 ・原発が大事故を起こしても、賠償金は少しの限度額に押さえられ、国に守られている。(だからあれほど強気に推し進めているのである。事故は起こると想定されて法律・政治家に守られているのだ!一度事故が起これば賠償金で電力会社は跡形もなくなるのでは、あれほど強引にできるはずがないし、株主なども許さないだろう。政治絡みの陰謀があったのである。1961年の原子力損害賠償法)
 ・都会(東京・名古屋・大阪)には原発は建たない。(原発事故は恐ろしい。思うにその恐ろしさを都会の人の話題にのせたくないのだろう。原発建設はできるだけこっそり進めたいのだ)
 ・上関原発規模の原発から1年間に出る死の灰は長崎原爆の1000発分であり、その処理はできる見通しは立っていない。(今まで稼働した原発の死の灰はほとんどそのまま日本にある。それは広島原発の100万発分で、生命環境から100万年隔離しなければならない毒物なのである。)
 
 「日本を滅ぼす原発大災害」という本も買ってきていて少し読むと、隠されていた原発事故の何と多いことか。このまま原発を稼働させていれば原発事故は必ず起こるだろうと確信する。ヒロコおばさんは図々しくこの本に小出先生のサインを貰ったのである。 


6月29日(月)曇りのち雨 凪のち南風
 朝便で帰る。
 診療所20人足らず。
 昼にエミちゃんから電話。大漁旗が要るそうである。旗を箱から出してみると懐かしい名前など出てくる。
 梅雨の雨が降り始めた。16時過ぎに測ってみると、30分で14ミリくらい降った。
 夕方雨の中をナガイソに行ってみる。大豆はほとんど芽が出ていなかった。


6月30日(火)雨 凪
 ほぼ一日雨が降った。
 診療所約20人。
 夕方に雨が止み、ゆっくり20分余りランニング。
 肴はアジの刺身。


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