祝島日記 2009年11月

11月1日(日)曇りのち雨 南風
 2時過ぎに目が覚めたので、岸壁辺りを見回る。
 ヒロコおばさんを柳井に連れに行くことになっていたが、ユミちゃんが柳井に出る用があると言うことでお願いする。7時過ぎにヒロコおばさんはやって来てタミちゃんテント(このところユミちゃん、のりちゃんテントである。)で一日皿洗いなどの手伝いに励んでいた。
 正栄丸と豊新丸、ヤンマーがやってくる。雨が降り西風になりそうなので昼前に祝島に帰っていく。
 西風が強くなると予想したが、この日はとうとうつおらなかった。
 夕方ヒロコおばさんを柳井に送って来る。
 夜はタミちゃんテントの隣のテントからトシ坊さんが声をかけてくれて、ヒサ坊、ユウジサン達と一杯やりながら何時間か過ごした。若い岡田君も話に参加したりして盛り上がった。岡田君作の汁かけご飯がなかなか旨かった。カヤック隊の若手メンバーのキャンプ料理やカヤック漕ぎ術はこの行動期間中に格段に上達したようである。特にこの岡田君は原君の折り紙付きである。
 この日は椿窯の方でコンサートがあったと言うことで、トシ坊さんは途中からそちらの打ち上げに行ったと、後から知った。
 この日はホテル清水丸で寝た。


11月2日(月)晴れ 大西風
 第一月曜日で休診日。
 5時前に目が覚めて歩く。途中トシ坊さん、ヒサ坊さんに会い話をしているうちに明るくなる。
 ヒロコおばさんを柳井に連れに行く。
 朝ざわざわし始めたと思ったらすぐに西風が強まり、大西風になった。祝島から田名への船は全て休みになる。昼前は田名でも西風が強く、祝島の方は冬の大西風並みだろうと思われた。カヤック隊は朝数艇出て午前半ばで浜に帰る。
 昼過ぎに5人で岩国行く。審尋と言うのがあって初めて裁判所に入った。この抗議行動がらみである。時化でなければ、祝島からと原さんを合わせて18人で行く予定だったのである。5人は本州残留組である。
 岩国から帰り、片づけ活動に励んでいたヒロコおばさんと一緒に柳井に帰る。柳井泊。 


11月3日(火)晴れ 西風
 朝、ヒロコおばさんと田名に行く。ヒロコおばさんは洗い物に励む。西風がかなり凪ぎ、五月丸で帰れそうである。
 ヒサ坊さんがオイルを補充しているのを見て、おらも五月丸のオイルを見ると危ない状態なのでヤンマーさんに少しあるオイルを分けて貰って補充する。
 その後慣らし運転で出て、昼までヒサ坊さんと原さんの所に行き、船の上であれこれ話をする。途中イルカが近くまで来ていると、上田君がやってきて、そちらに漕いでいった。
 昼過ぎに、ヒロコおばさんと大和病院に行き、その後、今度の日曜にある法事用の買い物につきあう。
 ヒロコおばさんはヤンマーで帰り、おらは五月丸で田名を出発。途中ヒデガサキにカモメが待っているので行って釣ってみる。始めの群れでは鯖の小さいのが釣れた。次に行ってみた群れはヤズの群れだったがなかなか釣れず、20分後くらいに良い形のヤズが釣れた。薄暗くなりかけたら、群れが静まったので帰る。群れは灯浮標の辺りで、毎年釣れる場所である。掛かり釣りには本当に邪魔になる所に浮標がある。


11月4日(水)晴れ 凪
 診療所30人半ば。昼下がりまで忙しかった。
 夕方20分余りのゆっくりランニング。その後サエルを捕ろうと、手作りの玉網を投げてみるが、全くかすりもしない。


11月5日(木)晴れ 凪
 診療所30人足らず。
 ヤズが死んでいた。残念。
 タチを貰い、刺身にする。
 田ノ浦で動きがあったようである。田ノ浦ではヤズが釣れたそうだ。ヤズも協力しているように感じる。


11月6日(金)晴れ 凪
 診療所40人近く。
 勤務終了後、すぐ田名に行く予定でヒロコおばさんは昼に弁当など準備してくれていたが、田ノ浦に台船が数隻来たとのことで、今日は田名行きは取りやめになる。次の行動は田ノ浦。明日は暗いうちに行くことになる。


11月7日(土)晴れ 凪
 5:40出発したがすでにみんな田ノ浦に行っていた。
 田ノ浦の西側でアンカーを打っているところに行った。3つめを入れたところをカヤック隊が捕まえて、それ以上の進行を阻止。
 カヤック隊は素晴らしい活躍である。
 後で知ったのだが、3カ所で作業を進めようとしていたようである。
 長島の方の漁師が中電に雇われて、こちらの行動を邪魔しようと盛んに動く。海に世話になった漁師が海を壊す手助けをしている。と言っても同じ町民が争うのは気が引ける。
 ここで活動してくれているカヤッカーはほれぼれするほど立派な青年達だ。こちら側とかでなく、その場その場で見せる思いやりとか、ねばり強さとか、発想とかの生きる力をどんどん伸ばして行っている様に思う。 


11月8日(日)晴れ 南風
 今日は5:30に出発。
 中電の雇った漁船がやって来たのは6:30頃。カヤック隊も到着。緊迫した空気が漂う。原さんもやって来た。カヤック数も多い。
 アンカー一投目で、原さんが漁船をすり抜けて、台船と漁船の間に入る。推進側の漁師が、挟んで押しつぶせというようなことを言う。腹が立ったのでおらと数十秒の口論になる。今度ウヤシマでみょうしのタイヤでこづいてやるとか捨てぜりふを言った。瀬渡し船なのである。町民との諍いは避けたいところだが、もうやむを得ないというところである。
 3投目で、おらは近くにいなくて気づかなかったのだが、O君が負傷。救急で病院に運ばれたということを後で知った。
 カヤック隊は命がけで戦っている。
 海上保安庁、警察艇もやってきた。
 午後2:00過ぎ、作業中止の指示が出たのだろう、中電の社員だろうか、けがをさせたのに一言もなくボートで帰ろうとしたのをカヤック隊の数人が抗議していた。これも命がけである。
 3:00前にタッチャンと祝島の波止に帰る。タッチャンにアジを沢山貰う。
 大分前にバイクの前輪が少し空気が抜けていたのを空気入れを積んでちょくちょく入れながら走っていたのだがついに3週間くらいまえに後輪もパンクしてしまっていた。前輪はチューブを取り替え、後輪はパンク修理に取りかかる。途中少しレセプト業務をし、忘れかけていたヒロコおばさんの待つ法事に行く。ヒロコおばさんはこのところ法事業務をやっていた。帰ってまた少しパンク修理の続きとレセプトを終える。パンク修理は未完。
 肴はアジの刺身とタチの南蛮漬け。


11月9日(月)曇り 凪
 朝起きてパンク修理の仕上げ。これで久しぶりに都会並みの動きができる。
 今日も有志の漁船は抗議行動に出た。作業は無かったようである。
 昨日の負傷のニュースで作業員が「救助するため」だと言うようなことをぬけぬけと言ったそうである。作業船の会社も、中電も同じ体質で、山口県もそうなのだろうと情けなくなる。
 診療所20人足らず。
 仕事が終わって、バイクで久しぶりにナガイソに行ってキューイを8個採ってくる。藪の中に着いていた。トマトも藪の中にいくつかけなげに熟れていた。


11月10日(火)曇りのち雨 凪
 診療所10人足らずと予想外の少なさだった。明日が混みそうである。来月初めのレセプト事務的なことができた。
 隣に人が越してきた。
 夕方ヒロコおばさんがくやみに行っている間に夕食の準備をした。


11月11日(水)雨のち曇り 凪のち北風のち西風
 診療所は久しぶりに40人半ば。午前と午後の初めに少し混んだけど、それほど脳みそが必死にならずにこなすことができた。やってくるペースがちょうど良かったようである。ゆっきーさあからウベの実が届いた。ヒロコおばさんが2年前のトクモンの巣にくっつけていた。
 今日は田ノ浦の方、台船の作業が無かったようである。
 夕方20分程度のゆっくりランニング。肴は鍋。


11月12日(木)晴れ 西風
 西風が吹き寒く感じる。
 診療所、インフルエンザ予防接種が本格的になり診療人数に比べてさらに忙しくなった。
 田ノ浦の作業は無かったようである。
 昼になおしたつもりの、少し抜けていたバイクのチューブの穴をなおした。
 カヤック隊などの出動はいつもある。本当に良くやってくれる。
 隣が結構にぎやかになった。エベス家も遊びに来ていた。ダイゴ君が3人と遊んでいた。鬼ごっこのように見えた。


11月13日(金)曇りのち雨 東風
 予報より遅く昼下がりに降り始めた。
 診療所40人。インフルエンザ予防接種をする人が多かった。その分大変忙しくなる。奥さんが手伝いに来てくれた。
 19:30のNHKでの英星丸を見た。2回目だけどさらに気合いが入った。


11月14日(土)晴れ 西風
 久しぶりの休日になった。ソーヅイに向かっているとバイクの空気が抜け、はえを少し過ぎたところで荷物を置いて引き返す。帰ってまたパンク修理。穴がさらに2カ所あいていた。昼前に出かけ行っていると、またもや抜けている。シラサキの前でバイクを置いてクサカリキを持って歩いていく。道の草刈りを約一時間。ソーヅイに行ってみると、柿のふゆうが10個足らずと西条の小さいのがかなりなっていた。柿をもいで、3本のビワの葛を切っておしまい。剪定までは残念ながら行かなかった。バイクを押しながら帰ってくる。
 ヒロコおばさんは、うちや岩本を片づけたようである。
 夜なべでまたパンク修理。
 右の写真は田ノ浦。中央に小さく見えるのが台船。


11月15日(日)曇り 西風
 凪ぐかと思ったが一日強い西風だった。
 空気漏れを直して、ナガイソに大豆の収穫にいく。来年の種用は穫れた。
 昼からタカトオに行って芋を掘る。アメリカイモが10Kg余り穫れた。苗の数にしてはまずまずと言うところ。タカトオから帰ったらタッチャンが芋を持ってきてくれていた。旨い芋である。
 肴は鍋。このところ釣りに出ていない。せっかくの休みが西風が強くて出られない。この二日は農作業の日だった。


11月16日(月)曇り 西風のち凪
 パンクがやっと完全に治ったようである。
 診療所20人余り。11月の第2週から始まったインフルエンザ予防接種者の計がは50人を越えた。
 祝島に若い者が暮らすようになり、ちょっと華やぎ感が増した。隣からギターの音や歌声がする。そのせいか昨日から屋根に干している柿が早めに良い感じに色づいている。
 集まりがあり、ヒロコおばさんと二人で出た。 


11月17日(火)雨のち曇り 西風 
 雨模様で芋がなかなか干せない。
 診療所は20人余り。少ないがなかなか忙しいときもある。
 寒い一日。


11月18日(水)曇り時々晴 西風
 朝、空が明るいので昼まで柿を干した。今年の柿は種ばかりである。きっと苦しい年で子孫を残そうと頑張ったのだろう。
 診療所40人足らず。エベス3姉弟、新型インフル予防接種に来所。みんな泣かないで済ました。
 今日も寒かった。


11月19日(木)曇り 凪
 寒さは昨日よりましだった。
 インフルエンザ予防接種者は多い。来週前半までがピークだろう。
 昼休みに五月丸の給油をしておいた。
 集まりがあってヤンマーさんに会ったら、近々五月丸のエンジンのボーリングをしてくれると言うことだった。焼く寸前まで行ったのでちょっと不安だったのである。


11月20日(金)晴れ 凪
 診療所、午前来診者数はそれほどでないけど大分時間をオーバーした。インフルエンザ接種が始まると受付は特にはじめが忙しく、後は診察室が忙しくなる。医師、看護師は休む間全く無しである。


11月21日(土)晴れ 西風
 朝便で出て、田名埠頭の駐車場に置いてあるディアス号をとりにいこうと、室津の待合室で待っていると、ヒンデーさあがいて、平生にいく車を待っているというので乗せて貰うことになった。置いたまま3週間ぶりに行ったのだが、雨に洗われきれいになっていた。
 田名埠頭周辺は、素晴らしくきれいに後かたづけがされていた。抗議行動をしている間も、毎日便所の掃除はし、水道の排水溝なども流れを良くするためにみんなでなおしたりしていたのである。抗議行動前より田名埠頭はきれいに、排水事情も良くなっていることは間違いない。
 柳井でバイクを買う。90ccのカブである。90ccでは最後の形式だそうである。その分新型のカブより割安と言うことになる。サザンキョウと柚子の苗も買う。
 昼便で出たヒロコおばさんを迎えに室津に行き、そのまま大和病院に行く。帰りにちょっと買い物。
 夕食をヒロコおばさんとビジネスホテルの食堂でいただく。知り合いの人がいて同窓生の方と話が弾んでいたので、隣のテーブルに座り帰りに挨拶をしようと思っていたが、そのうちにおらも知っている人の名前が出たりしたので、そのまま挨拶もしないで帰った。熱燗を二本飲んだ。


11月22日(日)曇りのち雨 凪
 昼便で帰る。ナガイソにサザンキョウの苗を植えに行く。
 昼から久しぶりにカミカドに釣りに出る。2週間以上自分の釣った魚を食べなかったのは20年以上ぶりかも知れない。良い形の鯛が3匹釣れた。2匹は1kg前後の鯛で、姪に男の子が生まれたので出産祝いに鯛が欲しかったのでちょうど良かった。明日送ってやることにする。 
 夕便でヒロコおばさん帰島。久しぶりのアジとチダイの刺身。
 夜、ひょっくり原さんが来宅。久しぶりにお客さんを連れて祝島まで漕いで来たらしい。
 今日帰ってくると五月丸のボーリングが終了していた。ボーリングと言うより、シリンダーとピストンの交換である。やはり今までよりエンジン音が良い。これでエンジンはもう心配ない。


11月23日(月)晴れ 西風のち凪
 勤労感謝の日。
 西風があるのでコージロに行かず、ヨボシで釣る。他の船はいなかった。0.5kgくらいの鯛が4匹釣れ、帰り際に浮き灯台のそばを狙うとハマチが2つ釣れた。4ついっぺんに来ていたようだが、1つは切れ、1つは釣り針が曲がって逃げ、結局2つ残っていたわけである。
 釣りを終え、波止の中にはいると原さん達が帰るところだった。ちょうど挨拶ができた。西風が凪いできたところで丁度良かった。おらは、昨晩明日は凪だと自信ありげに行ったので西風が気になっていたのである。
 昼便で鯛2匹と、ヒロコおばさんが3枚におろしたハマチ1匹分を大阪に送る。
 昼食後、柚子の苗を植えにソーヅイに向かう。途中、シラサキで平さんの作った石碑の除幕式(除ブルーシート式)が終わり、祝杯を挙げていた所で一杯ご馳走になる。平さん、英星丸夫妻、ハナブサ撮影チームとそのサポート団の面々が揃っていた。歌ののぶさんもいた。(石碑にはこの前まではブルーシートがかけられていたのである。)
 祝杯終了後、ソーヅイに行き、柚子の苗を植え、シロ枇杷の剪定をする。花は少ないが、今年は葉の勢いがあるので大きい粒の枇杷が期待できる。去年の剪定の成果である。今から着ける花があればもっと素晴らしいことが起こる。
 帰り道、上から見ると素晴らしい凪なので、ヨボシに釣りに出た。1時間くらいで0.5kgくらいのが2つと、チダイ数匹、暗くなり前にアジが20近く釣れた。


11月24日(火)曇りのち雨 北風
 昼前からポツポツ雨が落ちてきた。診療所20人足らず。救急船出動。
 肴は丸アジの刺身。久しぶりに焼酎の湯割り。
 ハモを貰った。


11月25日(水)晴れ 凪
 診療所40人余り。忙しい一日。
 昼休みに、貰ったハモをさばいておく。
 肴はハモの湯引き・つけ焼き。


11月26日(木)晴れ 凪
 診療所40人足らず。インフルエンザ予防接種は山を越えたようである。あと50人足らず接種する程度だろう。この2週間、診療室はなかなか忙しかった。
 昼にハマチと小さい鯖を上げ鱗を取っておく。
 肴はシメサバ。

 祝島の島民の会が賞を貰った。
 以下受賞理由 大きい賞ではないが価値ある賞のようだ。http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/より転載


【第21回多田謡子反権力人権賞受賞者選考理由】
(3)上関原発を建てさせない祝島島民の会(上関原発反対運動)

 上関原発を建てさせない祝島島民の会は、中国電力が山口県上関町の祝島の集落の対岸に建設を計画している上関原発に対して27年以上にわたり反対運動を繰り広げてきました。原発の危険性、放射性廃棄物問題の未解決、再生可能エネルギーへの転換への逆行などの原発全体の問題点に加え、天然記念物のカンムリウミスズメを含む希少生物の保護、さらには推進派の町長選出のために繰り返されてきた不正転入や買収など数々の問題をはらみながら、中国電力は上関原発建設計画をあきらめず、2008年には公有水面埋め立て許可が出され、政権交代しても原発推進の姿勢を変えない民主党政権の下で、中国電力は埋め立てを強行しようとしています。このような厳しい情勢の中で、反対運動を続ける上関原発を建てさせない祝島島民の会の闘いは、反原発の現在と権力の現在の姿を象徴するものでもあり、心から敬意を表するとともに、さらなる闘いの発展と継続を期待して反権力人権賞を贈ります。


 多田謡子という人は弁護士だった人らしい。


11月27日(金)晴れ 凪
 診療所30人あまり。
 インフルエンザが祝島の近くまでやって来ているようである。
 肴はシメサバ。
 カヤッカーが何人かずつ泊まるようになり、島が少し若返っている感じがする。
 「若人は 帰りはやらず 祝島 幾夜も過ごし 島の華やぎ」(「家人は かえりはやこと 祝島 いわいまつらむ 旅行くわれを」万葉集)


11月28日(土)晴れ 凪
 ヒロコおばさんは朝便で歯医者に行く。治療は今年中に終わらないようだ。昨年は一日も休みは取らなかったのだが、今年は少し休みを貰おうと言うことにした。来週は半日休んで歯医者通いをすると言うことだ。祝島診療所の勤務は医師を筆頭に結構ハードなのだ。
 おらはゆっくりヨボシに釣りに出る。0.5kg位の鯛が一つとチダイが数匹。トシ坊さんから育漁丸を西風の波止に回しておいてくれたと電話。育漁丸はそのうち名前が変わって「かいせい」(漢字がない)になる予定である。10時頃に帰る。
 その後ナガイソの草刈りを少しして、1本ある枇杷の木の剪定をして、大豆の実を採る。来年の種はたっぷり採れた。天気予報では次第に風が強まりそうだったのだが、ナガイソからの帰りに凪なので、ソーヅイに行く予定を変更して、久しぶりにコージロの満ち潮を釣ってみる。途中、とトシ坊さんから電話が入る。育漁丸を15時過ぎに船台にあげるという連絡である。1時間足らずで2kg級の鯛1つと、0.5kg暗いのを1つと3kg級のハマチを1つ釣る。効率の良い釣りだった。電話はハマチを上げている途中に掛かったのである。
 15時からトシ坊さん、ヨシトさん、ヒサ坊さん、オカダ君達と育漁丸を船台にあげ、着いている貝や海藻をへらで取る。人数が多いので早い。船台にあげるのはヒロコおばさんと予定していたのだが、ヒロコおばさんが夕便で帰る頃にはほぼ終了していた。
 肴はアジの刺身とハマチのあら煮、ハマチのカマを焼いたの。
 「釣り人は かえりはやこと 祝島 いわいまつらむ 鯛やハマチで」(「家人は かえりはやこと 祝島 いわいまつらむ 旅行くわれを」万葉集)


11月29日(日)曇り 北風
 ヒロコおばさんは老人弁当作り(婦人会の活動)。
 おらは「育漁丸」改め「かいせい」の船底塗料塗り。船首部分(レールとかんぬき)を新庄大工さんに新しくして貰う。ヤンマーさんに亜鉛を付けたりクラッチやスクリューを整備して貰う。昼飯を浜栄さんの船でご馳走になる。やまかけがたくさんあるのをオカダ君が写真撮っていた。フナタデの、そのほか強力な協力者はトシ坊さん、ヒサ坊さん、ヨシトさん、オカダ君、それに田ノ浦から原君。
 夕方めでたく整備かいせいが進水。船頭が一人誕生した。東の波止に入るとき、ヒサ坊さんやカヤッカーが旗を振って迎えてくれた。
 原君は暗くなり前に久栄丸で田ノ浦に帰っていった。沖家室(地家室)に泊まっていた瀬戸内横断隊は16時前頃田ノ浦に着いたようである。今日は午前北風が強く大変だったことだろう。3年前は沖浦中に泊まったのである。
 「はらはらと 旗振り迎える 友の待つ 港の上に 十三夜」


11月30日(月)曇り 凪
 朝、魚を上げて鱗を取る。。ユウベエが帰ってくる予定だったが、くたびれているようで帰島は中止になるとメールあり。
 診療所20人半ば。昼休みにさかなを3枚におろしておく。
 仕事終了後、寿司ネタを作っておき、歌とぶんぶん通信3を視聴に行く。どちらも盛り上がった。
 帰って寿司を握りながら夕食。なかなかそれなりに忙し気味の一日だった。


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