祝島日記 2009年12月


12月1日(火)晴れ 凪
 朝、大豆の実をさやから出していると、隣でカヤッカーの声がした。田ノ浦へ行くのだろう。
 波止に出るとき家の前でのぶさんに会った。10日ほど宮崎に行ってくるそうである。前からの約束があったそうで、唄いに行くようである。また帰ってきますと言っていた。
 朝、魚を上げる。
 診療所20人半ば。昼便でヒロコおばさんは柳井の歯医者に行く。年休だ。
 夕方久しぶりにゆっくりちょっとランニング。満月が田ノ浦の上に上がって海が金色に染まっていた。
 肴は昨日のにぎり寿司の残り。


12月2日(水)曇り 凪
 診療所30人足らず。新インフルエンザ予防接種が加わり、なかなか忙しい一日だった。
 ヒサ坊のところにおじゃまして、日が変わった。


12月3日(木)晴れ 昼前から西風が強まる
 診療所30人足らず。結構忙しかった。救急船出動。
 遠眼用のメガネが行方不明になった。祝島だからいずれ出てくると思う。
 原さん来宅。田ノ浦の様子も聞いてみた。みんな仕事もしないでよく頑張ってくれている。
 オカダ君が山芋を持ってきてくれる。吉村君からのプレゼントである。


12月4日(金)晴れ 朝凪のち西風
 診療所30人半ば。新インフルエンザの注射液の追加が届いた。一日中なかなか忙しかった。
 昼に天ぷらなどの差し入れがあった。
 肴は天ぷら。


12月5日(土)曇り 南風のち大西風
 朝便でヒロコおばさんは歯医者行き、おらはヒデガサキに釣りに出る。釣れないうちに南風がつおって帰る。船を入れるのにたつっていたら、まさみさんが来て手伝ってくれて助かった。南風がつおいと入れるのが大変なのである。踏ん張ったので、ウオーミングアップをしないで1500mを走った後のように咳が出て止まらなかった。
 昼前に、不明のメガネを探しにヒサ坊のところに行ったらあって、そのまま缶ビールと昼飯をご馳走になって帰った。鍋焼きうどんですっかり温まった。オカダ君も台所をはだしで手伝っていた。
 コウジ君とキョウコサンに魚が要るかと電話して、要るようなので魚をしめて、ハマチは頭を落としてクーラーバックに入るようにする。
 チエに頼んでいた署名(京都市看護短期大の存続を求める署名)が沢山届いた。おらはまだタッチャンにしか書いて貰っていなかったのだが。
 夕便で柳井に出る。大西風になった。コウジ君宅で魚を渡す。ちひろさんが会うたんびにしっかりしてきた。ゆいかちゃんとみゆちゃんはちょっと前に風邪だったらしい。柳井は風邪がはびこっていたようだ。
 ヒロコおばさんは歯医者に行った後、大和病院へ行ってきたそうだ。 


12月6日(日)晴れ 西風
 柳井の自転車がパンクしていたのをなおす。
 自転車で柳井園芸に行って椎茸菌と長い柄で軽いカマを買う。カマは石垣の葛を切るのに良さそうだったのでついつい買った。
 昼前にヒロコおばさんと電気店に行ってテレビを眺める。その後大和病院へ。帰りに平生に寄って買い物。
 夕便で島に帰る。ヒロコおばさん、鍋焼きうどんのお礼を言いにヒサ坊のところに行って署名を貰ってくる。オカダ君もしてくれていた。
 夕便に乗っていたヨッチャンが、浜本邸から呼び出しの電話をくれる。しょうちゅうの湯割りをよばれる。バイクが新しくなったので、ライトが点いて快適である。


12月7日(月)晴れ 北東風
 第一月曜で休診日。
 少し波があるが、朝、ヒデガサキに行く。湧いているのは鯖主体の群れ。アジも混じる。ヤズがいないようなのでコージロにいく。
 アジが10匹余り釣れたが鯛が出てこない。瀬戸に行くと、鯛が2匹、ハマチが1匹、ヤズが3匹、小さいチダイが10匹足らず。思った以上に釣れたので昼を過ぎた。
 帰って遅めの昼食を摂った後、ソーヅイに行く。ビワの木の剪定を2本して、海が凪いでいるので帰ってヒデガサキにヤズが湧いていないか行ってみる。湧いていなくて、釣れなかった。レセプトの仕事を思い出し、帰ってし終わる。
 さかなはアジの刺身。


12月8日(火)晴れ 西風のち凪
 診療所20人余り。人数の割には暇無し。
 肴は小さいシメサバ。
 芋を晴れの日は干していたのだが、今日を最終日にする。
 仕事が終わって少しランニング。


12月9日(水)曇りのち小雨
 診療所30人余り。
 昼に田ノ浦の小屋の餅まきを祝島でしたので餅を拾いに行く。みんな楽しんでいた。原さん達カヤック隊もやって来ていた。おらは写真を撮った後2つ拾ったヒロミさんがおらに向けて投げてくれたのもある。ヒロコおばさんも3つ拾っていた。下関のおばさんも座り込んで拾っていた。
 仕事が終わってアジを上げて肴に刺身を造る。


12月10日(木)小雨 南東風
 診療所30人余り。小雨が降ったり止んだりで、夕方に降り続き始めた。
 仕事が終わってアジとチダイを上げて肴に。ヒロコおばさん、アジを刺身に、チダイを汁のある蒸し鯛風にする。なかなかいけた。
 仕事が終わると暗くなっているが、これからは少しずつ暮れるのが遅くなっていくので、外での活動時間が増やせる。


12月11日(金)雨のち曇りのち晴 西風
 診療所30人余り。診療所は新型インフルエンザ予防接種をうつ分忙しくなる。医師と看護師はうつ順番を考えたりで特に大変である。
 昼休みにタチ釣りの道具を貰いに行く。しろうちゃんのトラックを借りて運ぶ。ヒロコおばさんの昼休みを少し削ってしまった。
 サザイとナマコを貰った。初物である。
 肴はサザイとナマコ。


12月12日(土)曇り一時小雨 西風
 ヒロコおばさんは朝便で歯医者に行く。その後大和病院。電気店にも行ったようである。
 おらはソーヅイに行き、2時間ばかりビワの木の剪定をし、平さんのところの石垣のツタを少し切る。この前買ってきた柄の長い小さいカマを使ってみたのだがなかなか良い。平さんに新しい話を聞く。小さな石の話である。平さんの兄さんと姉さんが小さい頃(兄さんは小学校の1年生)、おじいさん(亀次郎さん)が一番下の田を作る時、土を盛り上げていた上から、この石をころがしてはまた持って上がりと、楽しそうに遊んでいたという。その二人が翌日に疫痢にかかり亡くなったそうなのである。夏休みだったらしい。その話を万ちゃんに話して聞かせたことを思いだし、おらに今日話してくれたのである。
 小屋に上がる石段の脇にノジギクが咲いていた。
 帰ってハマチを上げてさばく。その後、生ゴミを持ってナガイソに行き、ソラマメを10粒余り植える。梨の木の剪定もする。リヤカーを引っ張って帰る。
 肴はハマチのあら煮とナマコ。ハマチのモツの串焼きもしてみる。今日のは今一つだった。
 一人なのでこたつで昔の流行歌などを唄ってみる。


12月13日(日)曇り 東風
 大きい段ボールの空き箱があるのでナガイソに持って行き、キューイの木の下を草刈りをして敷く。
 帰りに、ヒロコおばさんが昼便で帰るのを思い出し、荷物を積んで帰る。
 昼に原さんから電話があり、祝島に来ているというので波止に出て、船の書類を渡す。原さんはブレッチの窓などを修繕していた。船がきれいになりつつある。
 期待していたほど波がおさまらないので、その後タカトオに行く。1年で伸びたヨセを切る。クレーン波止が見えるようになった。原さんのところに仲間が寄っていた。
 肴はアジの刺身と貰ったおでん。
 夜に残っていたヤズや鯛などを上げる。


12月14日(月)晴れ 西風
 診療所20人余り。
 肴はハマチの刺身。この頃の刺身は酒の方が良い。と言っても飲めるのはせいぜい1合。


12月15日(火)晴れ 西風
 診療所30人余り。
 肴はモイカの刺身。
 氏本の蔵でミニコンサートがあって聴きに行く。二人の息のあった演奏だった。アイルランドのダブリンで活動を始めたそうである。エベス家も来ていた。
 中電が、瀬戸内海が汚れるのを防いでいる人たちを提訴したとのニュース。


12月16日(水)曇り 西風
 診療所30人半ば。
 かなり寒くなってきた。西風も強く、冬である。
 アジやチダイを開いて塩水につけておく。
 集まりにヒロコおばさんと二人で行く。
 肴はハマチの刺身。


12月17日(木)曇り 大西風
 厳しい冬の感じになってきた。診療所は40人余り。殆ど休息時間は無しである。
 朝、チダイなどを干してみる。猫に一匹さらわれたようである。
 肴は鯛の刺身。


12月18日(金)曇り 大西風
 一段と寒くなった。診療所30人半ば。大忙しの一日だった。新型インフルエンザ予防接種など20人近く。1アンプル2人なので、最後は偶数で終わらせないと無駄になるので、ヒロコおばさんは終わるまで気を遣うのである。奇数で終わりそうなときは、電話をかけてしめる。
 肴はハマチの刺身。


12月19日(土)曇り 大西風
 ヒロコおばさんは風波を心配していたが、柳井の歯医者に朝便で出て行った。今日も寒い一日になりそうである。
 2月に町議会選挙がある。選挙権の重みを感じる選挙である。
 朝、タカトオに薪をとりに行き、昼過ぎまで芋の皮をむき、かまどで芋を煮始めた。煮干し作りの開始である。砂糖無しで作ってみる。夜は浜本邸でサトシ君主催の忘年会がある。芋を煮る時間は少し足りないかも知れない。薪をくべる合い間に年賀状の宛名を5枚ずつ書く。こんなに早めに取りかかったのは初めてである。
 ぎりぎりまで芋を煮て、浜本に行くと既に20人くらい集まっていた。後半からカラオケになった。何と言っても感動するのはサトシ君の歌である。いつも涙が出て、メガネが邪魔になる。前回は夏だったので窓を開けて海に歌いかけ、今回は大黒柱を上手に使っていた。
 どんなきっかけで何時浜本邸を後にしたのか分からないのだが、ちゃんと布団の中に寝ていた。ウインドブレーカーを来たままだったけど。


以下「Radioactive」に載っていたのを転載します。協力できる方はお願いします。秋に特集で祝島を取り上げてくれました。


2009年12月19日 (土)

【ACT】DAYS JAPAN 存続の危機?定期購読のお願い

(以下転送歓迎です)

フォト・ジャーナリスト広河隆一さんが主宰する写真報道誌「DAYS JAPAN」が存続の危機にあります。
このような良質の報道は何とか存続していって欲しいと切に願っています。
以下、広河隆一さんのメッセージを転載します。

<広河隆一からのお願い> (転送歓迎)

DAYSは12月9日に日本写真家協会賞を受賞しました。
写真界では日本でもっとも権威ある団体から評価を受けてうれしく思っています。
フランスのペルピニヤンでの審査員を務めるなど、海外での評価も高まっています。
世界で今ではほとんど唯一となったフォトジャーナリズムの雑誌を絶やしてはいけないという励ましも、多く受けます。

東京都写真美術館では、サルガド展開催中に、DAYSのサルガド特集号は300冊以上を売ることができました。
週末の私の大阪講演で、年間定期購読者は19人増え、これでキャンペーン開始からの新規定期購読者は、370人になりました。
私の写真展を開催していただいている三重県の宮西さんのメールが発信されてたった1日半で、21人の方々が定期購読を申し込んでくださいました。
これで390人になりました。

DAYSが存続をかけたキャンペーンをしているということを聞いて、朝日ニュースターの上杉隆キャスターは、22日(火)の8時から生放送を準備していただいています。
皆さんのおかげで、DAYSはなんとか6周年に向けて進んでいます。
「500人定期購読者が増えれば、存続できます」というキャンぺーンの500人という数字に、あと110人に迫ってきました。 
しかし正直言いますと、DAYSはまだ6周年を迎える3月以降も存続できるかどうか、確約することはできない状況です。
お金が全くないというわけではありません。
DAYSはこれまでまったく借金をしないで、6年近く続けてきました。
そしてまだ私たちが手をつけていないお金があります。
それはDAYSにもしものことがあって、休刊せざるを得ないことが起こったら、すでに定期購読をしていただいている方々に、残金を返金するためにとってあるお金です。
このお金に手をつけざるを得ない状態になりそうになったら、私は皆さんに事情をお話して、DAYS休刊のお知らせをする覚悟でいます。

営業や拡販をする立場から言いますと、年末年始の休暇は、恐ろしい時期です。
この時期には書店に行く人は激減し、すべての雑誌の売りあげが低迷するからです。
今出ている12月号は店頭からあと数日で姿を消し、1月号が書店に並びます。
しかし世間はすぐに年末・年始の休暇に入るのです。

その前にこのメールを出しておきたいと思いました。
「努力すれば続けることができたのに、しなかったから休刊になった」などと、あとで後悔したくないからです。

これまでDAYSを支えていただいた方々にお願いします。

まず定期購読をお申し込みください。
年内の特別キャンペーン中にお申し込みいただけますと、定期購読料は7700円と1000円引きになります。
かつて購読していただいたけれども、最近は購読を止めているという方は、もう一度購読をご検討ください。
すでにご購読いただいているは、周囲の人に広めてください。
1人でも2人でも増やしてください。
定期購読期間がまだ残っている方も、継続手続きを今していただけますと、7700円になります。

あと数日で書店から姿を消す12月号も、読んでいただいた方からは、高い評価をいただいています。
まだお読みになっていない方は、ぜひとも書店でのDAYSを購入してください。
書店の人に、「おや? DAYS販売の流れが変わってきたな」と思わせるような、動きを作りたいのです。

ボランティアの方々にお願いします。
さまざまなイベントでのご支援、本当にありがとうございました。
物販、定期購読拡大、周囲の人へのDAYS購読呼びかけなど、いま一度のご支援をお願いします。

DAYS JAPAN編集長
広河隆一

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12月20日(日)曇り 西風
 昼便でヒロコおばさんが帰ってきた。任務で診療所に行く。おらはこたつで寝ていたのだが、ヒロコおばさんから指示が出て担架係を拝命。サトシ君も救急車係と担架係を担う。なかなか辛い任務と推察した。救急船出動。
 おらは任務遂行後、暗くなるまでこたつに潜り込んでいた。聞くところに寄るとサトシ君もそれに近かったらしい。


12月21日(月)晴れ 西風のち凪
 診療所は10人半ば。このくらいだと余裕のある一日。
 エミちゃんから良い物が届く。一昨日はユウベエからワインが届いた。裕福な暮れである。
 煮干しを干す。芋を煮たとき残った汁を煮詰めている。アメができるはずなのだが、途中飲んでみると羊羹にしても旨そうな味である。


12月22日(火)晴れ 凪
 診療所30人余り。
 仕事から帰る頃、原さんから電話がある。田の浦でキャンドルナイトの催しが行われていると言うことでヒロコおばさんと海岸に出てみる。田ノ浦に赤い火が沢山見えた。エベス三姉弟とタダトシクンもいた。


12月23日(水)曇り 南西風
 久しぶりに釣りに出る。波があるのでハナグリに行く。一匹ずつだが大きいアジが釣れた。
 最初の大きいアジに何かがかぶりついたようで重かったのが途中でもげた。
 帰ってアジを上げるて見ると、歯は鋭いようでハマチやスズキでは無いようで、大口かエソだろうと思う。エソの可能性が一番である。エソも大きいのがいるのである。かぶりつかれたアジは丁度500gで35cm。
 肴はこのアジの刺身。
 夕方、古いバイクをゴミ置き場に持って行く。帰りにランニング。


12月24日(木)晴れ 凪
 診療所40人半ば過ぎ。忙しい一日。特に診療室。
 肴は丸アジのシメタもの。ヒロコおばさんはこれが結構好きである。
 矢木野さんに頼まれていた署名の紙を速達で送る。


12月25日(金)晴のち雨 凪
 診療所40人半ば。今週結構忙しかった。
 肴はアジの刺身。


12月26日(土)晴れ 西風
 ヒロコおばさんは歯医者なので昼便で出る。おらも運転手でつきそう。ヒロコおばさんが歯医者の間、おらは飲み物を購入。その後デオデオに行く。アイちゃんに偶然会う。相変わらず元気だった。その後、大和病院。その後買い物。
 肴はいつもの定食と熱燗一本。


12月27日(日)晴れ 凪
 ヒロコおばさんと昼便で帰り、おらは釣りに出る。コージロは釣れないようなので、瀬戸に行く。ポツポツ鯛が釣れる。大きいハマチも一つ。5kg級。10余りチダイやタイが釣れたところで釣れなくなったので、カミカドに行くと少し鯛が待っていた。ハマチも5kg級が一つ釣れた。走ったので釣り糸が指を擦って2〜3カ所少し切れてしまった。釣りに出ることが少なかったので軟らかくなっていたようである。食いついたハマチが2つとも捕れて、この日はなかなか良い漁ができた。魚好きの人に分けてあげれそうだ。
 釣りから帰ると、ヒロコおばさんは臨時勤務に出かけていた。
 肴はアジの刺身とあらとネバルのの煮付け。


12月28日(月)曇り 西風
 今年の仕事納め。診療所30人足らず。午後後半はまずまず余裕があった。
 昼飯を浜栄さんにご馳走になる。マーチンさんが来ていて色々話をする。神舞の年にはまた1年日本で研究滞在するらしい。
 昼からハゲの刺身をいただいた。
 夕餉の肴は鍋。


12月29日(火)晴れ 北風のち凪
 釣りに出る。1匹まあまあの鯛が釣れた。昼前に柳井に向かう。知り合いに魚を持って行き、買い物品を五月丸に積んで帰る。帰りにハナグリで一回流してみるがぴくりともしなかった。
 波止に荷物の運搬にヒロコおばさんが猫車で出てくれる。
 この前のハマチを山口に送る準備をする。
 肴はアジの刺身と鍋。急遽横浜のシュウマイをいただき加わった。
 おらが海をほっつき回っているうちにヒロコおばさん、暮れの挨拶と餅の準備を完了していた。明日は朝は餅つきである。
 年賀状は進んでいない。


12月30日(水)曇り時々小雨 南風のち凪のち大西風
 早起きして餅つき。今年は少しだけ。合間に朝便で山口にハマチを送る。
 ナガイソに生ゴミ運搬。ついでにまつのだを採ってくる。
 昼便でリョウキチ帰島。荷物を運んでやる。
 昼便でユウベエへの荷物を送る。
 その後、もう一匹のハマチを上げる。80cm位で6kg位である。
 昼から大西風になる。その雨風の中を、入り口の要らない物をナガイソに運ぶ。3速では進まない時が何回かあった。上のヒラの草木や葛を少し切り払う。カッパを着ての作業で汗をかいた。
 ハマチの頭を落とし、煮付けにする。内臓も少し串に刺し、生臭いなあと言いながらリョウキチと食べる。少し生焼気味だった。
 肴はエビのかき揚げ、煮付け、アジの南蛮漬け等。


12月31日(木)曇り時々小雪 大西風
 昨日からの大西風が一日中吹き、時々雪がちらつく。
 いこいの家の写真展を見に行く。ぶんぶん通信no.1と2を置いてあるので買う。
 昼便でマキさんとかいせい君が祝島にやってくる。原さんは夕便で来島予定と言うことである。
 肴は久しぶりににぎり寿司。ネタはハマチ。今日はリョウキチとヒロコおばさんが握った。
 紅白を3人で見る。年越し前にヤッチャンがやってきて、一緒に善徳寺に鐘を突きに行き遊んで帰る。


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