祝島日記 2011年4月 3月の日記へ

4月1日(金)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後釣りに出るが珍しいくらい釣れず。
 福島第一原発周辺では高濃度の放射能が連日観測されている。


4月2日(土)晴れ 凪のち北風
 朝招魂祭準備。昼前から招魂祭。
 午後北野の土手の木を何本か切る。そろそろ花見の時期になる。今年は去年より1週間程度遅れそうである。来週の日曜辺りが花見に良い頃だろう。ナガイソは早く、そろそろ満開になりそうな木がある。帰りにふじくんに会う。ビワ畑の下草刈りをしていた。トレッキングとかが好きだと言うことで、今度山道の草刈りを一緒にしようと言うことになった。山道の周回コースを造れそうである。


4月3日(日)晴れ 北風
 北野に行き、ハチノオからひいている水路を歩いてみました。土管が割れている部分が60〜70カ所あります。修理したいものです。ただし、セイリに水がたまるようにしてからでないと意味がないのですが。水路(土管)は2km以上つながっています。まずは、ぼちぼちここの草刈りをしていこうと思います。
 帰りに花見をしている一団に呼んで貰いご馳走になりました。2時間余りご馳走になったところで、哲ぼんさん・みっちさんがやって来ているとのことで急遽帰宅。こちらでも、持ってきてくれた冷え冷えの金麦をご馳走になりました。いい花見日和でした。


4月4日(月)晴れ 北西風
 午前中あれこれ。午後ソーヅイ。雨避け用の小さい小屋を作ろうと思い、工作開始。ツワが大分出てきたので採る。今年はツワが不作である。水不足や寒さのせいだろう。
 夕方釣りに出る。0.7kgくらいの鯛が1つだけ。
 明日午後はナベさんと北野の水路道の草刈り予定。
 今日19時から低濃度汚染水の海水への放水が開始された。法令での規準の500倍の濃度であるという。法令での規準の500倍でも、はるかに高濃度より低濃度なのであり、原子炉等規制法に逃げ道があって法令違反ではないことになるらしい。。


4月5日(火)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後、予定通りナベさんと北野水路道の草刈り。2時間余りの作業で半分くらいの草刈り(木の枝切り)を終わる。
 肴はツワとネバルの煮付け。


4月6日(水)晴れ 凪のち南風
 昼まで勤務。午後釣りに出る。今日も鯛1。
 夜、タッチャンが話にきて、ビワの接ぎ木作業を雨が降った後の日曜にやろう、と言うことになった。


4月7日(木)曇り 大南風
 昼まで勤務。だんだん南風が強くなり、夕方から大南風になる。
 午後ソーヅイに行き、道の草刈りや小屋の工作、ツワも採り、薪もとって帰る。
 夕方、トウが立つ寸前の新ギクを採ってツワと一緒に荷作りをする。
 接ぎ木作業は都合で土曜日になった。


4月8日(金)小雨のち曇り 南風のち凪
 朝便で、トウの立つ寸前の春菊をエミちゃんに送る。また、港止めで鯛を2つ送る。
 勤務が4月中旬まで延びたので、県議選の光で頑張っている秀人君と柳井の小中さんの応援に行けなかった。
 久し振りの雨だが小雨で5mm程度しか降らなかった。
 昼まで勤務。午後北野の水路に行く。土管の壊れ具合を見た程度。
 ナガイソの桜は満開に近い。船から見るのに良い頃である。


4月9日(土)晴れ 西風
 県議選の投票に行った後、タッチャンとビワの幼木をとりに行く。午後タッチャンと接ぎ木をして、それを奥さんが植えた。約50本。終了して15時には帰宅。能率が良かった。帰りにやってくるヒロコおばさん達とすれ違った。おやつを持ってきてくれたようだが、おら達の作業があまりに早すぎたようだ。


4月10日(日)晴れ 凪
 午前中ソーヅイで摘果作業。ムシに食われているのがあった。袋を持って行かなかったのでちょっと心配である。
 午後釣りに出るが小さいチダイ1匹だけ。
 家でビワの接ぎ木を7本して畑に植えておく。どれだけ着くか楽しみである。


4月11日(月)晴れ 凪
 昼まで勤務。午後ソーヅイでビワの袋掛け。約100。
 このところツワの皮むきをしている。指先が茶色になっている。


4月12日(火)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後ソーヅイでビワの袋掛け。今日はシロビワに約100。
 しらさきのに行くのだろう人を追い越した。このところシラサキに行く人に良く会う。シラサキの桜が満開である。
 ソーヅイの洋梨になかなか芽が出ない。枯れなければいいが。


4月13日(水)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後ソーヅイでビワの袋掛け。シロビワに約100。帰ってツワの皮むき。このところ海彦より山彦側になっている。


4月14日(木)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後五月丸で室津に行き、柳井まで段ボールを持って行く。買い物もして帰ろうとすると五月丸のエンジンが掛からない。バッテリーがこのところ弱っていたのだが、そのせいである。行きに充電できただろうと甘く見ていた。思案して、上関の鉄工所にお願いにいくと、船を持ってきてエンジンをかけてくれた。無事祝島に帰る。
 ミチヨちゃんがおばさんと話しに来た。おらが家で話をするのは珍しい。いつも藤本家でしていたのだ。
 その後、練り塀蔵での話にも加わった。ヒロコおばさんはわたむらでの集会。こちらも盛り上がったようである。


4月15日(金)曇り 南風
 朝、ヒロコおばさんとバッテリーを2つ五月丸に運んで古いのと置き替える。コードを繋ぐところまでは行かなかった。
 昼まで勤務。
 午後バッテリーを繋ぐ、コードが一本どちらに繋ぐかわからなくなっていたのをなんとか繋いだ。無事エンジン始動。その後ナガイソに行き、スイカの苗、トマト、ブルーベリーの幼木を植える。 


4月16日(土)晴れ 北風
 午前中ソーヅイでビワの袋掛け。100。今年の計400。
 上を切った洋梨の木に新しい芽が出ていた。
 昼便で出て柳井に行く。アパートの片づけ開始。
 夜しんちゃん達から電話があり、初めてひろしくんのところに行く。その後2軒ほど行き、歌も歌った。


4月17日(日)晴れ 南西風
 虹ヶ浜のアースデイに行く。伝馬船漕ぎの手伝いをする。
 出店の手伝いをしているかわべさん夫妻に出会う。驚いた。トキナガさんところも出店を出していて驚いた。最初から出していて5回目だそうである。ジャムを買った。
 夕便で帰る。
 夜氏本邸に行き、話に加わる。


4月18日(月)朝一時雨曇りのち晴 西風
 最後の昼まで勤務。明日炭焼きをしようと思っていたが、仕事が入り中止。
 タカトオに行ってみると炭焼き窯にひびが入っていたりで修復を試みる。
 夜に明日の仕事が荒天で中止。


4月19日(火)夜中から朝まで雨模様のち晴れ
 ヒロコおばさん、夜中に仕事が入ったようである。おらは早めに寝ていて気づかなかった。
 今日から主にフリーターである。
 今日仕事が入っていたのが中止になり、中止にしていた方の炭焼きを昼前から開始。暗くなり前に、まだ早すぎるけど焚き口の火を終わりにして帰る。


4月20日(水)晴れ 西風のち凪
 6時頃、タカトオの炭焼き窯を見に行く。無事進行していた。煙が大分薄くなっている。焼始める前に、窯の上に割れ目が出来ていたのを叩いたのだが、そこがへこんでいる。叩かない方が良かったようだが、なんとかもつと良いが。


4月21日(木)晴れ 凪
 水船がやって来た。この半年以上の間異常に雨が少なかった。北野のセイリに水がたまらないこともあり、三原の方から水を買っているのである。春休みや連休には少し人口が増え、さらに水の需要が増える。おらの家で風呂の湯を2〜3日続けて使ったり、井戸水を使ったりしている。
 タカトオの炭焼きの様子を見に行き、窯が壊れそうなので焚き口をつぶし、煙突も閉じておく。
 午後五月丸で柳井に荷物をとりに行く。その帰りに瀬戸で釣りをする。鯛を5つ。1つ1kg級。


4月22日(金)曇り雨模様
 今日も水船が1隻。
 窯はまだぬくい。
 午後ソーヅイに行き、ビワ袋掛け100足らず。雨が降り出し帰ってくる。急いだのでメガネとカメラを忘れる。
 夕方空き家の件で話しに行く。 


4月23日(土)晴れ 西風
 水船、時化で延期。炭窯を開ける。上の部分だけ炭になっていた。窯が壊れそうなので早く閉めたからである。
 北野のセイリの柳の木を切る。
 夜、ワタムラで宴会。鯛を姿作りにする。いいちゃんの卒寿とおばさんの米寿と祝島で村田家二人の還暦、けん坊の退職祝い、付け加えてミチヨちゃんの就職祝いとおらの退職祝いという六重の祝いが込められた宴会でなかなか盛り上がった。おらは相変わらず酔うと口が軽くなるという癖が治っていない。


4月24日(日)晴れ 凪
 朝便で出る。ヒロコおばさん、アパートの片づけ。おらは午後室津での講演会に行く。
 夜柳井。ヒロコおばさん風邪気味。


4月25日(月)晴れ 凪
 ソーヅイ袋掛け50。合計500余り。
 残っていた鯛を刺身などに。 


4月26日(火)晴れ 凪のち南風
 朝便で出る。柳井のアパートのゴミ出し。トシ坊さん、ヒサボウさん達と広島に行く。広島での集会と行進に参加。行進は一部だけで電車に乗って帰る。
 夜に小さな集まり(仕事)。


4月27日(水)晴のち曇り夜小雨 南風
 北野のセイリに行き、柳の木を切る。今日のはかなり大きな木だった。
 午後ナガイソに生ゴミを持って行き、枇杷に20ばかり袋掛け。
 夜島の役員会。その時、波止のクレーンが故障しているとの話を聞く。波止のクレーンは重いものを波止に上げるとき使われる。自治会の管理になっている。使用量によって修理を賄うことになる。


4月28日(木)曇り 西風
 免許更新に行く予定だったが、まだ余裕があったので延期。
 ナガイソの少しビワの袋かけをして、水道係の方達と三浦の水を見に行く。
 午後わたやの近くに行ったのでコーヒーを飲む。
 明日クレーンの修理に業者が来ると言うことだ。
 明日柳井のアパートの荷物引き払いの準備のため、夕便で出る。ベッドなど分解しておく。


4月29日(金)晴れ 西風のち凪
 朝便でヒロコおばさんやってくる。荷物片づけ。間もなくリョウキチもやってくる。ひろしくんも覗く。昼に清水丸キンちゃんと一緒にやってくる。12時から積み込み開始。14時前に積み込み完了し、清水丸柳井港を出発。おらはディアス号で室津に出て、清水丸に乗り込む。
 祝島に着いたら、ひさ坊やのぶちゃん、ヨシトさん達が待ってくれていて荷物を上げて運んでくれた。チベットいわもとへ冷蔵庫や洗濯機、布団などを運び古いのを2つ下ろしてくれた。のぶちゃんに3kg級の鯛を貰う。
 夜は橋本邸を占領して10人余りで宴会。にぎやかな夜を過ごす。


4月30日(土)曇りのち雨 大南風
 午前にリョウキチとソーヅイに行き、切っていた洋梨の木の板を広い道まで二人で運び出した。
 午後はみんな昼寝をしていた。
 夕方、チェルノブイリの話を聴きに行く。チェルノブイリから180km所にあるノボズイプコフ市に住むパーベルさんの話だった。チェルノブイリの住民の利益と権利の擁護者として活動していると言うことである。このような話を聞くことは福島原発の事故をより現実として受け止めることにつながる。日本人で住んでいながらあの事故をよそ事としてとらえている人があまりに多い。


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