祝島日記 2011年3月 2月の日記へ


3月1日(火)曇り一時雨 凪のち西風
 昼まで勤務。台船に付いているかいせいが気になっていたが、台船が引き返すようである。今晩から西風が出てくる予想である。明日もかなり強く吹くだろう。心おきなく午後過ごせる。当分台船の動きがなければよいのだが。原さんも久し振りに今晩は眠れるだろう。おらも今日は踊りたくなるような気分である。協力していただいた皆さん有り難うございます。
 2時15分頃、屋根の上から双眼鏡を覗くと、光洋丸と善徳丸が下松の方へ帰っていくのが見え、祝島の漁船が島に帰ってくるのが見え、その向こうには黄色いカヤックを積んだかいせいが田ノ浦に帰っていくのが見えた。善徳丸には確認のため久栄が併行して走っているはずである。おらは鋸を持ってバイクでソーヅイに走る。椎茸が生えていた。鋸も少し挽く。ソーヅイから帰って釣りに出てみるが、ネバル1,アジ1。
 気分良く椎茸の鍋で乾杯をする。




3月2日(水)晴れ 西風
 台船動かず。昼まで勤務。午後生ゴミを持ってナガイソに行き埋めて、ならないサザンキョウの木を切る。
 鎌仲さん達のustream記者会見を見る。ランボー君もこちらの様子を伝えていた。
 畑からネギと春菊を採ってきて椎茸と一緒に鍋にして肴にする。
 そうそうトウジョウ君が島に帰ってきているのに出会う。元気そうだった。
 ナガイソの大根を干したのを漬け物に仕込む。台船が動かないとあれこれ出来る。


3月3日(木)晴れたり曇ったり 西風
 海は荒れているが平穏な日が続いている。
 昼まで勤務。サザンキョウの木に桃を接ぎ木する。帰りにみぞれが降った。


3月4日(金)晴れ 西風
 久し振りに一日勤務。夕方、ナガイソに昨日置き忘れていたナイフをとりに行く。ついでに野生化していた桃の木にも接ぎ木する。
 夕方自治会の役員会に出る。
 


3月5日(土)晴れ 凪
 朝から釣りに出る。鯛は小鯛1つしか釣れなかった。おらにしてはネバルが良く釣れた。船で釣った数では最高数の30くらいだろう。鯛が釣れそうにないのでネバルを狙ったのが良かった。消防団の集まりがあるので午後2時過ぎに帰った。
 ヒロコおばさんは田ノ浦当番。一日良い天気だった。
 原さんが来島していたので夜久栄方に挨拶にいく。そのまま遅くまでご馳走になった。


3月6日(日)曇りのち雨 南風
 朝釣りに出て昼に帰る。昼前から雨になる。2kg足らずの鯛が運良く釣れる。大きいネバルが一度に3匹釣れた。これはせえがよかった。鯛とネバル合わせて10くらいの収穫。
 午後散髪にいく。
 ずっと小さい雨が降り続いたが、大潮なので久し振りにナマコをとりに磯に行った。まだ磯に寄っていないようで潮だまりにいたのを3つ捕っただけである。ワカメが大きくなり始めていたので少し採って帰る。足腰が痛いので草臥れた。
 肴はナマコとワカメ。


3月7日(月)晴れ一時小雨 西風
 思ったほど西風が吹かなかった。診療所は休診日。
 魚を荷作りして昼便で送る。
 午後ソーヅイに行った鋸を使う。少し目立てが効き目を発揮してきたような気がする。椎茸が少し出ていたので採って帰る。ビワが寒に当たってやられたのではないかと思っていたが、何とか持ちこたえているようだ。タネが黒くなっていないようである。
 夜集会に出る。ひろみちゃんにひさしぶりにあった。


3月8日(火)晴れ 西風
 昼まで勤務。午後ソーヅイで鋸挽き。
 ホゴの写真が欲しいので磯に釣りに行く。藻が長く、ウゴを隠しているので釣りにくいので東の波止に行く。大きいのが釣れたのだが上げたとたんにもげて逃がしてしまった。逃がした魚は大きい。何とか写真用は釣れた。
 肴はホゴの塩焼き、唐揚げ。


3月9日(水)晴れ 西風昼頃から大西風
 昼まで勤務。午後ソーヅイで鋸挽き。ビワの木の周りをうろついているとき枯れ草で額を突いたら血が垂れてきた。半世紀以上生きると皮膚が弱くなってきたようだ。
 肴はアジの刺身。


3月10日(木)晴れ 西風昼前から西風が強まる
 昼まで勤務。午後ソーヅイ鋸挽き。すぐ沖を光洋丸が下松の方に行っていた。浮標が無いようなので久栄に確認すると、積んであったということだった。ちゃんと見ている。
 ソーヅイは携帯がなかなかつながらない。
 肴は鍋。
 そうそう昨日NHK19時頃のアーカイブでことしおが出たと思ってみていたら最後にテッチャンらしいのが映った。昭和38年と41年の集団就職の映像だった。38年はおらの中学校卒業時。41年はおらが高校卒業時。ことしおは41年の方だろう。この年はおらも集団就職列車に乗っていったのだが、このことしおではなく違う日だったと思う。おらは確か3月14日だったと思う。大阪駅でテレビ局が来て撮っていた。


3月11日(金)晴れ 西風
 少し寒さはゆるんできた。祝島は風があると寒く感じる。
 昼まで勤務。午後小学校の謝恩会にお邪魔する。ゲームや人形劇風コントなど有り楽しんだ。来年度小学校を後にする二人によるケーキやサクラ茶のおいしい心のこもったご馳走もあった。賞状もいただいた。大変温かい謝恩会だった。祝島小の底力である。
 小学校から帰ってテレビをつけると大津波の映像である。凄惨な状況である。ずっと釘付けになる。福島原発も危険である。


3月12日(土)晴れたり曇ったり 西風弱くなる
 朝地震、津波のテレビを見る。状況は深刻である。福島第1原発は破局的事故に向かっているそうである。冷却機能が回復せず、打てる手はもう無いようだ。あとは炉心溶融が進行するに従って放射能が環境に出てくるということ。北風があれば東京方面、南風なら仙台方面が汚染されることになる。風下に入らないようにすることが必要である。


以下、知り合いからのメールです。

原発震災が起きたら、トロロ昆布をすぐ食べよう
「放射能で首都圏消滅ー誰も知らない震災対策」 三五館から引用します。
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首都圏に飛んでくる放射能で、特に症状が出やすいのは、放射性ヨウ素による甲状腺異常です。
体内のヨウ素は70〜80%が甲状腺にあるため、放射性ヨウ素た体内に入ると、甲状腺に集まって、
やがて甲状腺ガンを引き起こします。特に、若い人の発がん性が高くなります。
 
「甲状腺ガンから身を守りたい」
チェルノブイリ原発事故で甲状腺の異常が増えて、甲状腺ガンが20年経っても減らないことは前にお伝えしたとおりです。
これに対する対策は、放射能を帯びていないヨウ素を先に体内に取り入れて、放射能が飛んでくる前に甲状腺をヨウ素で飽和させておくことです。
  
体内に取り込むヨウ素は、一定量以上になると蓄積できずに排泄されるので、それを利用して放射性ヨウ素の被害を避けることが出来ます。
もちろん、第一の対策は防塵マスクで放射能を体内に入れないことで、これが最も重要ですが、さらに防御する意味で、日常的にヨウ素を多く含んだ食品を食べるように意識しつつ、放射能の危険が迫ったら、間に合うようにヨウ素をとれば有効な訳です。
    
「手っ取り早く」はヨウ素剤

ヨウ素を体内に取り込むのに手っ取り早い方法は、ヨウ素剤です。服用のタイミングは、放射能に襲われる直前がベスト。被ばく後でも3時間後で50%の効果があるとされています。
原発から半径8〜10Kmの自治体では、法令に従って、錠剤のヨウ素剤を備蓄しています。
それ以外の地域では備蓄していないので、前もってインターネットで販売されている物を買っておきましょう。小さいお子さん用に、液体状にして飲めるキットも売られています。
ただ、ヨウ素に過敏な体質の人は、錠剤を飲むと発疹などの副作用が現れることがあるので、用量、用法には注意が必要です。
   
「食品で取るならトロロ昆布」

食品でヨウ素をとるなら、副作用の心配はありません。特に多くヨウ素を含む食品は昆布で、ワカメの4倍くらい多く含んでいます。
普段から、昆布などの海草類をよく食べるようにすると共に、原発で事故が起こったと知ったら、食べやすいトロロ昆布などを多めに食べるのが、無理のない、健康的な対策です。
トロロ昆布は、乾いたまま一度にたくさん食べると腸内で膨張して危険なので、お吸い物などに入れて食べましょう。
   「ヨウ素をたくさん含む食品ベスト10」
    乾燥昆布一切れ1枚1グラム
    トロロ昆布大さじ販売1グラム
    乾燥ワカメ5グラム
    いわし中2匹96グラム
    さば1切れ100グラム
    かつお1切れ100グラム
    焼き海苔10枚3グラム
    ぶり1切れ80グラム
    塩鮭1切れ60グラム
    寒天1角の半分4グラム
   
  ※万が一の時にはまず、防塵マスク、ぬれタオル・ハンカチで口鼻を覆って、吸い込まないように。


 昼前から昼過ぎまでソーヅイに行き、大鋸を挽いた。4枚の板にわくことが出来た。リョウキチが帰ってきたら二人で広い道まで運び出すことにしよう。


3月13日(日)晴れ 凪
 テレビを見た後釣りに出る。ネバル2匹。
 テレビを見た後夕方釣りに出る。運良く帰り際に中くらいの鯛と大きめのチダイ合わせて7匹。
 肴はチダイの刺身。
 3号機が水素爆発。


3月14日(月)曇り夕方小雨 凪のち西風
 昼まで勤務。午後テレビを見た後釣りに出る。鯛が釣れていたのがもげて結局穫れたのはネバル1匹。
 肴は貰ったお好み焼き。
 釣りに出たとき、ウミスズメの群れがいた。このところよく見かける。8羽いた。


3月15日(火)曇り 西風
 昼まで勤務。
 今日は2号機が爆発。テレビで見聞きした感じでは一番危険な様に思う。格納容器につながる圧力抑制室に損傷があり、炉心が高温になって空だきに近い状態も起こり、炉心融解が進みそうに思えるからである。コメンテーターの科学者よりも、素人的に思うことがどんどんその通りになっていく。おそれがあると行っていることが、おそれではなく、そうなると思ったとおりになるのである。
 福島第2原発4号機で火災が起こる。点検中の原発だけど、稼働中だった他の原発と同様にきっと冷却水の循環がうまく行われていなかったのだろう。
 午後テレビを見た後タカトオに行きわれき(薪)を作る。二束持って帰る。このところずっと灯油を使わず風呂を炊いている。


3月16日(水)晴れ 西風
 またまた4号機が心配になってきた。今朝も昨日に続き炎が見えたとのこと。取り出した燃料棒が順当に冷やされず、熱を持ってきているようである。
 小出先生朝日放送に電話で質問に応じていた。
 被災地は色々な物資が不足している。千葉県の知り合いに電話をしてみると地震そのものの被害はほとんど無いようだが、ガソリンは不足ということだった。西日本の方は燃料を節約して東日本に回す姿勢が要るのではないかと思う。これは誰にでも出来ることだ。当面これから1ヶ月、風呂は薪だけで湧かすことにしよう。
 福島第1原発1号機から6号機まで全ての原発が心配な状況である。冷却プールは全て温度が上昇していると考えられる。3号機から白い煙発生。東電3号機、4号機写真を公表。


3月17日(木)晴れ 西風
 昼まで勤務。田ノ浦では発破作業が進められている。工事は一時中断ということだが、「地質調査用のトンネル作りは進めます。」と言うことらしい。(そもそも地質調査が不備なのに原発建設のための埋め立て許可が出ること自体がおかしい。)兄貴分の東京電力が危機的事故を起こし、濃い放射線の中で冷却のために決死の作業員が活動をしている時に、知らんふりしてこのような工事を進める感覚が中国電力の企業体質なのだろう。


3月18日(金)晴れたり曇ったり一時雨 東風
 昼まで勤務。午後8年ぶりの小学校の卒業式に参加。みさきちゃんの成長ぶりが見えた。子どもの成長を見ることは大きな喜びである。
 卒業式から帰って釣りに出る。鯛5チダイ1。
 夜秀人君話しに来る。


3月19日(土)晴のち曇り 凪
 昼前まで釣り。ネバル2。大鯛2。超特大を逃がす。ツリがのっていた。
 午後ナガイソに行き薪を2束作って持って帰る。
 夕便で出て、沖浦中の元同僚と飲み会。気のあった人たちと飲むと話しすぎていつも反省する。でも呼んでくれて有り難いと感謝する。
 この日は子ども2人柳井に来て4人柳井泊。


3月20日(日)雨 凪
 午後、京都大学原子炉実験所の小出先生が柳井に来られて講演会。親子4人で聴きに行く。危険な状態で、必死でくい止めようとして作業をしている人たちを心配していた。日本がどれほど危険な状態にあるかがよく理解できる講演だった。取り越し苦労ならそれが一番良いのだが、残念ながら現実に起こりつつあるのだ。
 夕方4人で焼鳥屋で晩餐。原発の話が中心だった。


3月21日(月)雨のち曇り 西風 秋分の日
 昼便で帰る。
 ハッサク、レモン、プラム、タラノキの苗を買って持って帰る。
 夕方集会。


3月22日(火)晴れ 西風
 昼まで勤務。
 午後ナガイソに行き苗木を植える。


3月23日(水)晴れ 西風
 昼まで勤務。午後平の棚田への距離板即席にを作る。
 荒とこ鍬をとりにタカトオに行く。サクラがいくつか咲いていた。白い花びらで、オオクボで採ったサクランボのタネの苗木が大きくなった木である。ソメイヨシノより少し早く咲く。
 距離板と荒とこ鍬を持ってソーヅイに行く。距離板(3km、2km、1km)を設置する。


3月24日(木)晴れ 西風
 昼まで勤務。
 午後北野の元田んぼの草刈り。レンゲがわずかに(畳半畳くらい)おおっているのを見て感動する。子ども達とここのレンゲ畑で写真を撮ったことがあるのだ。タネが残っていた。来年はもっと増やしたい。
 肴はネバルの煮付け。


3月25日(金)晴れたり曇ったり一時小雨 西風
 夜中に目が痛くなる。
 昼まで勤務。
 午後昨日と同じく北野の草刈り。その後去年切っていた檜の皮むき。
 一日ずっと目が痛かった。


3月26日(土)晴れたり曇ったり一時雨 凪
 目が痛いので光の眼医者に行く。
 左目の黒目の部分の表面に傷が付いていた。その原因が、上まぶたの裏に小さいとげみたいなものが刺さっていたと言うことでそれをとって貰った。いつまでも痛かったわけである。とった後はその痛みは無くなったが、昨日からの目の痛みで頭痛が残った。
 ミョウガ、ショウガ、アスパラガス、タラメの苗を買う。
 柳井泊。


3月27日(日)晴れ 凪
 朝便で帰る。午前中にナガイソで昨日の苗などを植える。
 ヒロコおばさんはジャガイモを植える。西日本の人たちは野菜などの生産増に励むべきだと、最近木村家では二人言を言っている。
 午後釣りに出ようと思ったらバッテリーがあがっていた。建洋のバッテリーを繋いでかける。その後釣りに出たがネバル1匹しか釣れなかった。この前釣っていた大きい鯛が賞味期限を過ぎたので瀬戸に逃がしておいた。


3月28日(月)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後この前設置した距離板にニスをかけにいく。その後北野のセイリの土手の草刈りをする。クイがあって相当手強い。
 夕方集会に出る。
 エミちゃんに電話をしてみる。


3月29日(火)晴れ 凪
 昼まで勤務。
 午後北野のセイリの草刈り。
 夕方役員会。招魂祭のことなど。


3月30日(水)晴れ 西風
 昼まで勤務。
 午後北野のセイリの草刈り。
 夜浜本邸のサトシ君から電話があり、日が変わる頃までご馳走になる。歌も聴いた。


3月31日(木)晴れ 凪
 昼まで勤務。診療所勤務は4月中頃まで延長になる。
 昼便でうえしげ先生とおおくぼ先生が島を後にした。みつきちゃん一家も。大勢見送りに出ていた。波止で大分みんなの涙が流れた。
 午後北野のセイリの草刈り。土手の直線部分が一応終了。 


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