祝島日記 2011年2月 1月の日記へ
2月1日(火)晴れたり曇ったり 西風
朝早くから台船が動き始めたようである。田ノ浦にも雇われた漁船による警戒線が沢山来ていたと言うが、夕方のニュースではどうやら中電の山下社長がやって来ていたようだ。上関に社員が10人増えるようだ。
昼頃に台船は帰り始めたようである。
一日勤務。
2月2日(水)曇り 凪
今日も早くから台船が動き始めたようだ。
台船に雇われた漁船などが要因で以下のようなことが起きた。問題意識を持って読んで欲しい。
以下の文はカヤック隊のブログからコピーしたもの。
テーマ:ブログ
2月3日(木)晴れ 凪
台船が朝早くから動くが、祝島漁船団のおかげで帰っていただいた。(おらが「祝島漁船団」には”かいせい”も含まれる)。
昼まで勤務。わたやでヒロコおばさんと昼食。げんくんのお母さんも来ていた。帰る頃にキンちゃんがやってきて元気な顔が見れた。
午後釣りに出る。チダイやタイがまあまあ釣れた。今度の連休には関東方面に送れそうだ。
肴は久し振りにチダイの刺身。
そうそう昨日エミちゃんから本が届いた。その箱の中に親父の写真が1枚あった。もちろん白黒で、色あせず、質が立派な写真である。エミちゃんのおかげで若い親父に会えた。子ども達にも見せてやろう。親父はうちの子どもの”私せつ保育園長”だったのである。
2月4日(金)晴れ 凪
今日も凪で、台船が動く。
一日勤務。仕事が終わって、アジ狙いでハナグリに出るが1匹だけ。すぐ暗くなる。
2月5日(土)晴れ 少し西風
朝、シリボソに釣りに行く。すぐ大鯛が釣れた。チダイもぼちぼち。8時半頃まで釣って台船に向かう。
10時頃尾島の向こう側で台船と出会う。台船のそばにいると保安庁のボートがやって来て、海技免状と船の検査証や船に不審なものを積んでいないかを調べていった。ボートは2隻で、1隻4人乗り。2人が漁船に乗って調べる。毎日そうすると言うことである。3日前から漁船の持ち物検査をすることが国家公務員の仕事になった。誰が決めたのだろう。中電の社長さんがお願いしたのだろうか。
12時に台船が帰って行った。おらはウヤシマに向かう。結構西風の波がある。運良くすぐ釣れた。しかも大鯛とまあまあの鯛が4つ、計5匹が一度に釣れた。いやあ大漁だった。そうそう大きいスズキも釣れた。
カメラを紛失したので、このところ写真が撮れていない。今日はいい撮影場面があったような気がする。
夕方暗くなるまで、炭焼き窯の上の部分の仕上げに取りかかる。後もう少しだ。
2月6日(日)晴れのち曇り 凪のち西風
朝少し釣りをした後、台船に行く。清水丸でやって来たヨシ坊が五月丸に乗ってくれた。清水丸や久栄に続いて、検査を台船の前で検査して貰おうと思ったら、邪魔になるようで動き始めた台船が止まってくれた。検査は保安庁の広島支部から出ているようだ。刃物を持っていたら家に置きに帰す指示を出すという。
今日も12時過ぎまでいて、永福と光洋が帰って行った。キンちゃん復帰して大分前から久栄で頑張ってくれているようだ。昨日も今日も記録係の勇姿が見られた。
任務終了後、ヨシ坊とウヤシマに釣りに行くが、西風が出て来た。今日は釣れなかった。近くに建網のウケがあった。昨日帰りに建網の船が来ていたので、昨日も建てたのだろう。大きい鯛の群れは逃げたようだ。昨日は運が良かった。
帰ってから、朝ドウランの中で浮いて心配していた大鯛がまだ生きていて、それと同じくらい大きいのがもう一ついたのでその2つとスズキ1つを組合に活かしに行った。鯛は2つで丁度8kg。スズキが3.9kgだった。
休憩した後、少しアジが要るのでヨボシに出る。10くらい釣って帰る。
夜タッチャンが来る。今朝小島で良く釣れたようだ。タッチャンはおらと同じように、昨日も今日も釣りの後、台船にやって来た。検査の様子を話していった。
2月7日(月)晴れ 弱い西風
台船が朝早くから動き始める。11時頃には引き返したようだ。
第一月曜の休診日で午前中に小学校に行って実験道具の確認したり、魚の荷作り4つ。ヒロコおばさんは子ども達に2箱荷作り。荷物は昼便で送る。
午後、小学校の理科の授業の手伝い。夕方タカトオの作業。
肴はにぎり寿司。ネタは鯛と鰺。
2月8日(火)晴のち雨 凪
台船が朝早くから動き始めたようだが10時半頃には引き返したようである。
昼まで勤務。午後タカトオに行く。雨が降り出したので降りて釣りに出る。小島の方で釣れるというので行ってみるが今日は釣れないようで2隻しか船がいなかった。釣れなかった。
肴は鯛の刺身。
2月9日(水)晴れ 西風
台船がいつもより遅く動き始めたようで、牛島のこちら側に見えていたのが13時頃引き返し始めた。結構西風があり白波が立っていた。
五月丸は大分前から煙突の付け根に穴が開いているようで、煙が機関室内にこもり真っ黒になっている。フナタデも1年半もやってないので、気になっていた。いよいよ今朝やろうと船台を下ろしに行く。丁度とうじゅうさんもやるということで、ついでに五月丸の方の船台も下ろしておいてくれるということになった。今日は昼まで勤務で、昼食をわたやで摂った後、五月丸を船台のある西波止に回すと、とうじゅうさんがいて五月丸を揚げるのを手伝ってくれた。大助かりである。
フジツボなどを落とした後、噴射機できれいにする。ヒロちゃんに壊れたところの修理を頼む。古いエンジンなのでなかなか大変そうだったが、暗くなる前には直してくれた。これで心配なく今度の連休は釣りをしたり行動に参加したり出来る。ペンキ塗りまでは出来なかったので、明日の朝と昼からやる予定である。
肴は鯛の刺身とアラの塩焼。草臥れたので早く寝た。
2月10日(木)曇りのち雨 北風
台船が動くが10時40分頃帰り始めたようである。
朝、診療所勤務の前に五月丸のペンキ塗りをする。半分余りを塗る。
昼まで勤務で、すぐペンキ塗りに取りかかり、2時半頃タッチャンに手伝って貰い下ろす。タッチャンも今日船を揚げてフナタデとスタンチューブ辺りの修繕をしていたのである。
五月丸を東の波止に回した後、タカトオに行き炭焼き窯の作業。そろそろできあがるのだが降り出した雨に濡らしてしまった。雨よけを作らなくてはいけない。
夕方役員会。
夜、魚の荷作り。
2月11日(金)昨晩から夜中に雨のち曇り 北風
朝便で魚を送る。台船は動かないようである。建国記念の日が関係か、海の荒れ模様のせいか。久し振りに漁船団も休める。おらも来れば五月丸で出る予定だったが、台船が来ないと色々作業ができる。
昼までタカトオで作業。午後はソーヅイに向かう。途中、平さんに呼びかけられて、暗きょを案内してもらう。ミカン畑の下を大きな暗渠が通っているのである。万次さんのおじいさん(亀次郎さん)が万次さんと万治さんのお母さんの3人を中心にこしらえたそうなのである。おじいさんは始めた時70歳だったそうだ。3年掛けて暗渠とその上の畑(田)が作られたという。暗渠の写真を撮っていたのに間違って消してしまった。
ソーヅイでは大鋸を試してみた。わからないままに目立てをしてみたのだが何とか使える。
肴は鯛のムニエル。
明日は大時化になりそうである。
2月12日(土)雪が降ったり止んだりのち時々晴れ間 大西風
牡丹雪が降った。大西風で、いわいは夕便以外は欠航。
昼過ぎに雪が止んで、西風が少し弱まったのでソーヅイに向かう。途中シラサキで昨日消去してしまった写真を撮り直す。今日のには平さんの姿が入ってないのが大変残念である。が、違った収穫があった。今までコイオウにしかないと思っていたヤマアイが見つかったのである。南先生に送って、同定して貰うがまず間違いない。ヤマアイというのは昔、新嘗祭の時の小忌衣(おみごろも)を染める原料にしていたという植物らしい。自生しているのはすくなくなっているようだ。祝島では今のところコイオウとシラサキだけである。
ソーヅイでは今日も大鋸を少し挽いてみた。まだ目立てのコツはわからないが試している。江戸時代の大鋸挽きの人は大飯喰いのたとえになっていたと言う。それだけ重労働なのだろう。
肴は鍋。
明日、台船が動けば行く予定である。
2月13日(日)晴れ 凪
思った以上に凪だった。台船動かず。昨日大西風だったので浮標がどうかなっていないかと見回ってみる。9つあるのはあったが、位置は大分ずれているのではないかと思われる。浮標を見た後午前中釣り。大中小の鯛を計6。
午後、常会をして、夕方釣りに出る。中大の鯛1つずつ。大中小の鯛を上げて荷作りしておく。
2月14日(月)朝小雨 朝弱い風
朝便で魚などを送る。
昼まで勤務。午後小学校の授業の手伝い。
2月15日(火)曇り
昼まで勤務。台船動かず。
エミちゃんより本が届く。ホッカイロもたくさん入っていた。
午後カタアの草刈に行く。相変わらずクイ(ノイバラ)が厄介である。
2月16日(水)晴れ後曇り 凪
一日勤務。救急船出動。
台船動くが10時半頃引き返す。
仕事が終わって、タカトオにいき、炭窯の上にシートをかぶせておく。明日が雨の予報。
2月17日(木)雨 凪
台船動かず。
雨が降った。久しぶりに40mmくらい降った。
半日勤務。
夕方集会。
2月18日(金)晴れ 東風
一日勤務。救急船出動。
肴は湯豆腐。チダイの刺身。
2月19日(土)晴れ 北東風
ヒロコおばさんは田ノ浦。
朝釣りに出る。台船の動きはなさそうだったが、遅くにあるというので牛馬の向こうに行く。携帯がフリーズしてしまい早めに走り始めたので充分間に合った。途中出あった祝島の漁師さんも一緒に来てくれる。光洋と保安庁の船(本船・ボート)、経産省の船、中電の雇った警戒船あわせて10隻くらい。祝島の船は信栄をあわせて4隻。台船は13時前に引き返す。おらは釣りに引き返す。途中ヒロコおばさんの作った弁当を食べる。釣りはパッとせず、チダイ数匹とアジ5〜6匹。今日はよく逃がした。
2月20日(日)晴れ 凪
この日も牛島の向こうに台船を迎える。昨日も今日も漁船の警戒船は町内の船。昼前に台船は引き返し、おらはそのまま警戒船の後を追う形で室津まで行く。明日大がかりな中電の動きがあるという情報が入り、新しい携帯を買うために柳井に行く。ヒロコおばさんに頼まれた買い物もして帰る。紛失していたデジカメは車の中にあった。良かった良かった。
2月21日(月)晴れ 凪
夜中、田ノ浦に予想以上に早く、数百人の警備員などがやって来たということで、カヤック隊は大変な状況のようだった。おらも少し早めに出て3時半頃着いたのだが、田ノ浦は明るいライトが4つ煌々と照らされ、警備員の影かずらりと浮かび上がっていた。カヤック隊の若者一人が筏に乗って(迎えてくれて)いた。
漁船も続々到着。4時に四代からやって来る予定だった祝島のおばさん達は作戦変更して、明るくなって続々田ノ浦に上陸。多勢に無勢ではあるが、おばさんや、カヤック隊、あちこちから応援に来てくれた人達100人くらいで対応。。ヨシ坊は警備員か作業員に相当踏んづけられたらしい。
おばさん達が上陸を始めた頃、おらはタッチャンと一緒に取水口の方に行く。待っていると牛島の東から光洋丸がやってきた。光洋丸にはタッチャンと二人で止まってもらった。風に押されたり、振られたりしてついに浮標の中に入られ、アンカーを打たれた。光洋丸かアンカーを打つと、保安庁の船はさっと引き上げていった。残ったのはおらの船と、警戒船6〜7隻。浮標を2つ(IとH)打たれる。3つ目のGで阻止しようと待っていたら、結局この日の作業は中止となった。2つ打たれたのがなかなか悔しかった。
この日動いた台船の数は10隻以上いたようで、こちらで対応できる船が足りなかった。台船一台に漁船一台では難しい。この日、中電側の海での作業は石を落とす台船と浮標の入れ替え作業に重点を置いていたようである。警戒船の数でおよその目星がつくような気がする。特に石を落とす台船の回りの動きは激しかったようである。こちら側から見れば、数のカサにかかってむちゃくちゃ横暴にやってくるということである。
2月22日(火)晴れ 凪
この日は6時出動ということで、6時前にタッチャンと取水口側に行く。Gの浮標をうちに来るのでやめてもらおうとする。原さんもやってきてくれ、クレーンで吊り上げた浮標の側に行ってくれたので、浮標を打つのはとどまってくれた。一時間ばかりたって、田ノ浦が大変ということで、浮標はあきらめて田ノ浦に行く。
オイルフェンスを張って船を田ノ浦に入らなくしようとしているのである。カヤック隊が頑張ってくれる。進みかけていた作業もほとんど後退。
埋め立て許可が出ても、埋め立てが竣功して、その竣功の認可が出るまでは海岸や海は自由に出入りできるところなのである。
2月23日(水)晴れ 凪
昼まで勤務。午後すぐ排水口側に向かう。排水口側は午前中は激しい動きがあったようだが午後はほとんど静かだった。田ノ浦ではのりちゃんががんばっているので、応援に行く。取水口側では浚渫船がやってきて、原さんが一人で頑張っているということで行ってみる。手伝う必要がないような頑張り方をしているのである。まあ見たらみんなたまげるだろう。
2月24日(木)晴れ 北東風
昼まで勤務。午後原さんのところに行ってみると眠っているようだったので田ノ浦に行く。14時から何かあるということだったが、警備員何十人かによって海岸のごみ拾いが始まった。これはどう理解したらよいのだろうか。衆議院議員の河野太郎氏が島にやってくるということが関係あるのだろうか。河野氏は19時過ぎということだし、田ノ浦によることは聞いてないし、よっても暗くて見えないのに。いずれにしても中電の金の使い方は普通の人には理解できない。キンちゃんは、「この金(ごみ拾いをする警備員の費用)も電気代なのですよねえ」とつぶやいた。特にこの4日間の田ノ浦、海の台船、警戒船に掛けた費用は莫大な金額になるのだろう。その金額でやれたことは何なのだろう。
あれこれ考えたせいか、朝から熱っぽかったのが、夕方体温が上がったようなので、河野太郎氏の話は聞きに行かず、何もせず18時過ぎから眠りについた。
2月25日(金)晴れ 西風
12時間くらい眠り、体調は良くなる。
昼まで勤務。午後取水口に行く。原さんとオカダ君がいた。西風があり、カイセイがかなり揺れている。14時過ぎからは五月丸は台船の風下に行ったのだが、カイセイは揺られっぱなしである。いざというときの対応も考えている。原さんはあらゆる面でつわものを感じさせてくれる。警戒船が引き上げたのでカイセイを残し田ノ浦に向かう。田ノ浦には警戒船がまだたくさんいた。いろいろ呼びかけて来ていた。いわいがハナグリの向こうを通った後、警戒船が徐々に引き上げていった。島のおばさん達も帰り支度。ヨシ坊もいて、五月丸に乗って帰るというので乗せて、原さんのところをまわって帰る。西風がかなりあった。
帰ってみるとすっちゃんがイチゴを置いてくれている。明後日の法事用ということだ。よく気遣ってくれる。
2月26日(土)晴れ 東風
朝、取水口にいく。かいせいにランボー君泊。元気。
比較的静かな一日。田ノ浦に移る。こちらは波がなく午後はカヤックを浮かべて楽しむ光景も見られた。陸では音楽も流れにぎやかだった。海も陸も作業は一部だけ。(取水口側で作業員9人が岩に工作をしていた。田ノ浦では発破の音が30分おきくらいにしていた。)
この日は早めに引き上げた。(16時前)
法事でヒロコおばさんの兄弟姉妹がみんな帰ってきた。鰺が一匹だけいたのでそれを刺身にして、釣りに出る。潮が行かないのだが運良くチダイと鯛が1匹ずつ釣れた。粘ったがそれだけ。
帰っていわもとに上がる。計10人。
2月27日(日)曇り夕方から雨 東風
朝、取水口に行く。原さん元気。2時間足らずいて法事に帰る。10時過ぎには中電の警戒船が来てうるさかったようである。
昼頃取水口にいく。海渡がやって来て2時間くらい中電社員らしきが善徳丸に乗船して降りて来なかった。16時、降り始めた頃帰る。最後までの確認は久栄がやってくれる。この日は取水口側、作業は無し。田ノ浦もなかったようだ。
18時集会に出る。ヒロコおばさんは19時に集会。鯛の刺身を引き継いで造る。20時前、刺身を持っていわもとへ。
2月28日(月)雨 一時西風強まる。
昼まで勤務。昼頃西風が少し強くなる。原さん心配だったが、無事だったようだがかいせいは軽傷を負ったようである。久栄が付いているようである。作業の動きは無し。
おらは久し振りにタカトオに行き、炭窯をざっと仕上げる。今度休みが続くときに火をつけてみようようと思う。