祝島日記 2012年7月 6月の日記へ

7月1日(日)雨一時曇り 凪
 海岸清掃。雨が心配だったが丁度作業する時間に降らないで無事終了。
 午後柳井へ寒冷紗などを買いに出る。板も買って帰る。


7月2日(月)雨模様 凪
 夕方、集い。


7月3日(火)雨のち曇り 凪
 午前、寒冷紗を7mくらいに切ってひもを結ぶようにしておく。作業時の日よけ用。
 午後、雨が降るがあかばで潜ってみる。ウニの口開けだが、ヒロコおばさんが休みでないのでしごをするのが大変なので、ウニは採らなかった。


7月4日(水)曇り 凪
 北野に行ってみると、導水管から水がよく出ていた。1m人の丈ほど整理に水が貯まっていた。
 午後、潜ってみる。
 夕方、悔やみにいく。


7月5日(木)雨模様 凪
 午後ヨボシで潜ってみる。じの方が海藻がみすぼらしい。


7月6日(金)雨 凪
 朝便で東京に向かう。よし坊、トシ坊と一緒。
 午後2時頃に東京着。ポレポレで一杯。夕方、官邸前のデモに参加。大勢の後を着いて歩く。終わり頃清水丸の旗を釣り竿に立てると、週間金曜日のカメラマンさんが写真をとりに来た。同じはちまきを志多人もってきた。キヨちゃんに貰ったそうである。何万人いたのかわからない。
 デモが終わってから、高円寺駅の近くで遅い晩餐。1時過ぎに岡本邸(キンちゃんの家)に泊めて貰う。


7月7日(土)雨 凪
 6時起床。7時過ぎに幕張メッセに向かう。車がパンクしていて、予定より出発が遅れる。9時着。「No Nukes2012」にキンちゃんつながりでブースを出すことになり、祝島物産を並べた。「涙のプロジェクト」ブースの半分を祝島に貸して貰った形である。涙のプロジェクトチームのスコットさんとも話をした。スコットさんは大学の先生ということである。キンちゃんの若者会議祝島ツアーのメンバーだった馬場さんもプロジェクトチームで活動していた。時々こちらを手伝ってくれた。祝島に来た日大の学生さんも懐かしそうに話しかけてくれた。エミちゃんが来て手伝ってくれる。慣れていて手際がよいので非常に助かる。
 12時過ぎに坂本龍一さんが来てくれたそうなのだが、トシ坊とステージを見に行っていて会えなかった。トシ坊はとカンパのお礼を言いたかったので会えなかったのをとても残念がっていた。
 「No Nukes2012」はアジアンカンフージェネレーションのステージが最初だった。なんとそのボーカルの後藤正文さんが、祝島ブースに来てくれて、話をした。トシ坊と色々話していた。今度祝島にひょっくりやってくるかも知れない。このような脱原発をかかげての音楽イベントのステージに上がり、自分の意見を言ってくれる人気のある若いミュージシャンがいることは本当に心強い。
 おらは若いミュージシャンのことをほとんど知らなかったのだが、これを機会にもっと見聞を広めようと思った。
 22時閉店で、東京に帰ったのは24時過ぎ。トシ坊と一緒に風呂にはいる。


7月8日(日)雨模様夜には上がる。凪
 8時頃に出発。9時過ぎに到着。今日もエミちゃんが来て手伝ってくれた。
 12時半頃、坂本龍一さんが、ブースに来てくれて、写真を一緒に撮らせて貰う。一同大喜びである。おらは遠慮して一歩後ろにいたら、肩を組んでくれた。
 音楽は良い。音楽を聴きに来て、脱原発に関わってくれる人が増えることもうれしい。そのようなイベントを造り上げてくれた坂本さんに非常な感謝を感じる。 10時に販売終了。片づけて東京に帰ったのが12時過ぎで、トシ坊と やって2時過ぎに寝る。若者達は夜明けまでやったようだ。


7月9日(月)曇り 凪
 朝目が覚めると、沢山の若者が部屋をはみ出すほどごろ寝していた。
 8時半ののぞみで帰る。柳井で大豆の種を買う。品切れだったのを取り寄せて貰っていたのである。
 夜、集い。


7月10日(火)晴 南風
 午前、モリに行き大豆を植える。生えなかったところを補充する。一昨年おらが作った大豆を蒔いていた所は全然生えてなかった。鳥に食べられたらしい所もかなりある。
 昼過ぎから南風が強くなる。洗濯物が少し飛ばされていた。タカちゃんが知らせてくれた。
 伊美別宮社から夏祭り用の紙垂が届いたので、こうちゃんに持って行く。
 午後ホームページの更新作業をした。


7月11日(水)曇り 凪
 午前、モリに行って竹を切り、学校に運ぶ。ひよそい用。蜂に左アゴの下を刺される。思ったほど腫れないで良かった。


7月12日(木)曇り 凪
 午前、伊美から届いていた御幣を区ごとに分ける。その後、ひよそい用作業。
 午後久し振りに散髪をした。その後大工小屋の所に行く。
 夜、ヨシ坊、トシ坊、サトシ君達と歌の練習。


7月13日(金)雨 凪
 午前、事務所でトシ坊と事務作業。
 午後、所用で歩く。


7月14日(土)雨 南風
 事務作業など。
 夜、役員会。苫編みの件など。


7月15日(日)晴 南風
 午前は昼からの「梅雨のあいまのギターと歌謡の昼べ」の準備などをして過ごす。トシ坊が、仕事で少し遅れるという連絡が入り、午後予定を少し遅らせて、開始。観客数40人を越えた模様。尼崎から来られた保育園の保育士さん達を入れると50人をはるかに超える人数になった。なかなかよく盛り上がった。サトシ君の五木ひろしでの盛り上がりは凄かった。おらも涙が出た。


7月16日(月)曇り 南風
 今年は台風でもないのに南風が強い。
 ヨシ坊と、午前・午後、三浦の斎場になるところの草刈りをする。ハチの巣が10くらいあった。まだ小さいのが多かったが、今年はアシナガバチの巣が多いようだ。隣にいる牛に刈った草を投げてやるとよく食べる。好きなのはくず、ヨモギ、かやの順のようである。
 夕方集い。


7月17日(火)曇り 凪
 カヤ刈りがあるので、下見に行く。途中杉の木の腐ったのが倒れて道を通せんぼしていたので、切って通れるようにする。ゴーロやウバユリ(祝島ではカタクリ)の花が満開である。
 午後ヨボシに潜りに行く。


7月18日(水)曇り 凪


7月19日(木)曇り 凪


7月20日(金)曇りのち晴 凪
 6:30から共同のカヤ刈り。昼前には終了。各区に持ち帰る。
 午後、1〜6区の竹切り場所の入り口周辺の草刈り(オナゴダケ切り)に行く。結構な汗をかいた。


7月21日(土)晴 凪


7月22日(日)晴 凪


7月23日(月)晴 凪
 珍しく事務的な仕事を集中して片づける。
 ほとんどの区で苫編みが開始されたようである。おらも合間に見る。
 エミちゃんの所にテングサなど少し送る。
 夕方集まり。


7月24日(火)晴 凪
 ミニユンボ上関に到着。清水丸に積み替えて帰る。
 折り返し清水丸で飯田さんの話を聞きに室津に行く。


7月25日(水)晴 凪
 おらも苫編みを開始。やり直しを2〜3回して編みすすめ始める。この日80%くらい編めた。
 夕方初の水泳200m。回らなかった肩が回るようになった。運動不足をこの夏は解消できそうである。


7月26日(木)晴 凪
 榊の件で西方に行く。櫂伝馬の着け場所の件でナカゴウ。
 大工小屋の所に行き雑談。
 おらの苫編み1枚完成。苫編み機、大きい縄、カヤなど90%くらい自給品である。細い縄だけ間に合わなかった。
 夕方水泳200m。


7月27日(金)晴 凪
 榊の件で東に行く。櫂伝馬の着け場所の件で所用。
 のぶちゃん発案で、有志で、波止の中に寄せてきたゴミや流木を片づける作業。10人ばかり集まる。軽トラ3台。ミニユンボも働く。


7月28日(土)晴 凪
 各区組長さん、神舞奉賛会の総代の皆さんが出ての倉庫の片づけや、鳥居を出しての整備、櫂伝馬の整備、ペンキ塗りなどの作業。若者有志も出てくれる。昼前に終了。ペンキ塗りの残りなどは有志で午後4時からやる。
 櫂伝馬の着け場所の件で、中の波止に行く。
 夜にひろしくんが来て、ふなたでをするなら明日朝揚げたらいいと言ってくれる。


7月29日(日)晴 凪
 6時に船を回して船台に揚げる。ひろしくん、ヨシ坊に手伝って貰う。船底などの洗浄(コンプレッサーでの水の噴射)をひろしくんがやってくれる。その後ペンキ塗りをつちだにのユウちゃんが手伝ってくれる。スクリューのベラやシャフトを磨いてくれて新品のような光沢になる。
 ヒロコおばさん作の紫蘇ジュースを小屋に持って行ってみる。飲んでもらえるかどうか。
 最後の仕上げはシンチャンの「五月丸」の船名取り付け。18時前にヨシ坊に降ろしをてっだってもらい、東の波止に持って帰る。
 夕方ナガイソに行ったついでにワラのしごをする。ヒロコおばさんの縄ない用のワラ。


7月30日(月)晴 凪
 ナカゴウで少し所用後、小屋の所で雑談。台風が気に掛かる。


7月31日(火)晴 凪
 櫂伝馬を繋ぐ所をヒサボウやトシ坊が整備。櫂伝馬2隻を泊めるところを考えたりするのも大変なのである。漕ぎ手の心配などもトシ坊が主にしているのだが、これまた大変である。おらも停泊するために移動して貰う船用のペンドルにするスチロールを探しに島の裏まで行く。ちょうど必要なのが3つ(3カ所)見つかる。それぞれに五月丸を泊めて、浜まで泳いで渡りロープにくくってたぐり寄せた。
 午後、五月丸で室津まで行き、柳井に出る。クリーニングに出していたのも受け取って帰る。帰りにウヤシマで釣り。ハマチを1つ。(5kg)


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