祝島の成り立ち
祝島がどのようにしてできたかと言うことについて、山口県の岩石図鑑や、山口大学の先生の講演を聴いたりしたことをもとにまとめてみました。間違いなどに気づいた方は連絡下さい。
祝島の基盤の岩石について
祝島の基盤の岩石は領家変成帯の領家変成岩と領家花崗岩です。
領家変成岩とは、広域変成岩で中生代低圧型変成岩であり、約1億年前に形成された片岩と片麻岩からなっています。この領家変成岩はジュラ紀(約2億年前〜約1億4千万年前)の付加型堆積岩が白亜紀前期に低圧型の広域変成作用を受けて生じたものです。
つまり、今祝島の海岸に見られる白い岩石(花崗岩)のもとが、約1億年前に黒っぽく見える岩石(領家変成岩)のもとに入り込んで、その熱によって変質させた、ということのようです。白い岩石のもとは、どろどろのマグマで地下深くで起こったできごとです。
領家変成岩のもと ジュラ紀に左図の付加体の部分に、今の祝島の領家変成岩になるもとがあった。そこはアジア大陸の東側の海溝の部分だったのでしょう。 |
低圧型変成作用 白亜紀(約1億年前)、左図の低圧型変成作用が起こった部分で、今の祝島にある領家変成岩ができつつあった。どろどろに溶けた白い岩石のもと(冷えて領家花崗岩になる)がやってきてその熱によって変質させたわけです。そこはアジア大陸の東端の地下深い部分だったのでしょう。 |
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領家変成岩と領家花崗岩 白い岩石が領家花崗岩で、黒っぽく見えるのが領家変成岩です。 地下の深いところで、1000℃以上の白い岩石のもとがさらに深い部分から入り込んできて黒い部分の岩石を変質させました。 それが今このように祝島の磯で見られます。 |
地下深くでの変成作用後、ゆっくり冷え固まった岩石が領家変成岩や領家花崗岩と言うわけですが、何千万年かの間に、地表にあらわれ、風化浸食の作用を受けました。そこはまだアジア大陸の東端でした。
祝島の火山岩について
さて、祝島の基盤である領家変成岩や領家花崗岩の上には火山岩である安山岩が有ります。つまり、領家変成岩や領家花崗岩が地表面である時に、火山の噴火があって、その時流れ出た溶岩が祝島の上部をおおっている安山岩というわけで、今の祝島のもとができたわけです。その時期は日本がアジア大陸から離れ、日本海ができた後の1千万年〜1千7百万年位前ということです。
領家変成岩と領家花崗岩と安山岩 下半分が領家変成岩と領家花崗岩で、上の岩壁は安山岩です。(この岩壁は「センビキダケ」と呼ばれています。) |
瀬戸内火山活動 左図の瀬戸内火山岩のうちの一つが祝島の安山岩です。平郡や室津の皇座山、四国の屋島等もこの火山活動によってできた山ということです。その当時は、まだ今の瀬戸内海はありませんでした。アジア大陸から離れ、日本列島らしきものができてきた時代に、火山の噴火によって祝島の高まり(山)ができたということです。小祝島もその頃に噴火があったことでしょう。 |
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@ | 祝島の集塊岩(しゅうかいがん) 左の5枚の写真は集塊岩です。 最初の安山岩が噴出するとき、出口(火口)周辺をおおっている岩石を吹き飛ばします。その時吹き飛ばされた岩石が堆積したものです。出口周辺にあった岩石は、領家変成岩や領家花崗岩です。 @は全景 Aには火山灰の層が何層か見られます。 Bの白い礫は領家花崗岩、黒っぽいのは領家変成岩です。Bは@の写真の下部の方です。 Cには礫の層の間に小さい粒の層がはさまれています。安山岩が流れ出る前に何回か爆発があったのでしょう。Cは一の写真の下部あたりです。 Dの上側の部分には安山岩が見られます。最初に出てきた溶岩の一部でしょう。5は@の写真の上部です。 |
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祝島の安山岩(瀬戸内安山岩)はフィリピン海プレートの沈み込みに伴う火山活動の産物で、高マグネシア安山岩主体ということで、マントルの部分溶融でできたものだそうです。また、今の瀬戸内海ができたのはこの1万年くらい前からのようですから、祝島が今のような島になったのも何千年か前と言うことでしょう。今も瀬戸内海は沈んで行っているようです。1万8000年前の海水面は今より180m低かったようですから、現在の地形の状態で考えても瀬戸内海の部分はほとんど陸地だったと言うことです。現在祝島から本州側に水深が100mより深い所はないようです。(小祝島の南西側に水深100mくらいの所(海釜)があるようです。)
祝島の地質図 青の部分が領家帯(領家変成岩と領家花崗岩)で、緑の部分が瀬戸内火山岩(安山岩)です。Bの近くのだいだい色の部分に集塊岩の岩壁の露頭が見られます。 |
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祝島の予想断面図 上の図A−Bの断面予想図です。青の部分に安山岩の噴出した火道が何本かあるはずです。 |