おらが夏休み    2000年



 プロローグ
またまた今年も地球が地軸を傾けたまま太陽の周りを公転しているおかげで、「おらが夏休み」がやってきた。地球は律儀だ。
 この「おらが夏休み」はワープロに慣れるために始めたのだが、今年からパソコン用ワープロソフトに慣れるために続けていくことにする。
 これからの四十二日間、自由業の身分となり、仕事はなるべく控えて、祝島周辺をおらが公園とし、楽しみたい。

 
七月二十日(木)晴れ
海の日
朝六時、リョウキチとヒロタカ君とノリちゃんが朝のランニング。速いペースで初日を突っ走った。おらはバイクで後を追った。その後、高校の時の同級生が島に遊漁に来ているので、船頭さんのところに行って釣り場所を聞いておく。
 十時過ぎから、リョウキチ待望の東の浜での遊びにつきあう。ナゴジローも一緒。清水家の四人もやってくる。ヒロタカ君も誘われてやって来る。その後ノリちゃんも誘われて加わる。
 子どもたちと若者と中年のおらと、なかなかにぎやかな真昼の東の浜。ヒロタカ君の浮き輪や浮きマットや水鉄砲が子どもたちに人気だった。ヒロタカ君は子どもがタップリ詰まっている青年だ。
 東の浜で遊んでいる子どもたちより一足先に引き上げ、同級生の遊漁船に行ってみる。チダイやハゲがたくさん釣れている。モブシ(コブダイ)もマダイもいる。大漁だ。
 午後二時。敏君達と光のコンサートに行く。着くとリハーサルの真っ最中で、熱心に熱気のなかでやっている。「祝島賛歌」というCDの発売記念のコンサートなのだ。メンバーの中の半分くらいの人に見覚え、名前のわかる人がいて、和やかな中に引き締まった雰囲気のあるリハーサルの光景で滅多に見れないものを見ることができた。
 コンサートの中の歌はほとんどが祝島の賛歌でおらに勇気を与えてくれるような歌ばかりだった。おらもいい人にならなければ、と思わせてくれる歌だった。おらも敏君や茂一さあについてステージに上がって「磯節」のかけ声を八回ほど声に出した。ほんとは九回出さなくてはいけなかったのだが、一回忘れて出せなかったのである。 帰りは打ち上げに少しお邪魔させてもらって家に着いたのが十二時を少し回っていた。敏君は運転手で、打ち上げでのビールを飲めなかった。いつか仇をうたれそうだ。
 真夜中、鼻繰りから見る祝島の夜景はきれいである。
 
  夏休み 山と海とに 囲まれて
    いかに楽しむ  山と海とを
 
 
 
 七月二十一日(金)晴れ
 朝五時過ぎ起床。六時朝のランニングに付き合う。七分以上かかる。ヒロタカ君も一緒に走る。リョウキチが一番で六分十一秒。
 午前中、ごろごろし、午後仕事に行く。
 仕事の合間に素焼きをする。暑くて仕事をする気にならないので草引きをして気を紛らす。途中腹が減ったので仕事場を探しカップ麺を見つけ、湯を沸かして食べる。誰かの置きみやげだろう。
 夕方公民館で神舞の櫂伝馬のことで打ち合わせがあり、リョウキチと行く。これからリョウキチは剣櫂の練習、おらは太鼓の練習をすることになった。この日から早速練習が始まった。
 夕方のアジ釣り、アカイカ掛けはちょっとお預けになりそうだ。
 おらが、祝島に帰った年に、朝、暗い内に赤イカかけに出て、ヨボシの瀬に乗り上げて舵を折ってしまったことがあったのた゜。
 
 年毎の 楽しみあって おらが夏
   海に待つ魚 胸に大魚
 
 
 
 七月二十二日(土)晴れ
 朝のランニング。この日は三姉弟と
おらの四人の激走。順番はユウベエ、リョウキチ、ナゴジロー、おらで、いつも早いリョウキチが不調だった
 この日は島の海岸の草引きの日。七時作業開始ということで、おらが家の代表としてオカカが出ていった。
 おらは島の海岸の草引きに合わせて、仕事場周辺の草刈りに励んだ。
 十一時前に涼から、東の浜へのお誘いがあり、汗を洗い流しに行く。
 この日、「島ん学校」のメンバーが来島。
 夕方、敏坊の誘いで三浦に挨拶に行く。 その後神舞の櫂伝馬の練習。おらの師匠はたっけーちゃんで、太鼓打ちに人生の何分の一かを注いでいる。
 
  月を待つ 淡い黄色の 月見草
    さざ波聞きつつ 浜の夕暮れ
 
 
 
七月二十三日(日)
 日曜日で朝のランニングは休み
 久しぶりに丸アジ釣りに出る。釣り場が変わっていてオイトモである。十匹余り釣って三浦の「島ん学校」に寄ってみる。海でシュノーケルの練習をしている。小島の方に行きたいと言うことで五月丸に乗せて行く。二十人余りが泳いだり、潜ったりして昼前まで楽しむ。
 昼に家に帰り、ビールを賞味し、昼寝を味わい、東の浜でリョウキチとやっちゃんと過ごす。 朝釣った丸アジをさばき、刺身を作る途中でオカカにバトンタッチ。櫂伝馬をおろす作業の手伝いに行く。敏君を中心に簡易水族館を作ると言うことでこちらを手伝うが、途中で抜ける。刺身を、自分で作ったような顔をして三浦に持っていく。
 夕方、櫂伝馬の練習。中国新聞社の人が来て取材していた。貴ちゃんとケイコさんが
見に来てくれた。練習後、三浦の「島ん学校」のコンサートにみんなで行った。
そうそう、夕方三浦の沖でハマチの群がさわいでいた。オオツキさんが銛を持って打ちに行った。当たったけど逃げられたという。オオツキさんはまれにみる豪傑だ。
 
 丸アジの 夏に訪う 瀬戸内の
    その年毎の 島の味わい
 
 
 
 七月二十四日(月)曇りのち雨
 朝ランニング。順番リョウキチ、ユウベエ、おら、ナゴジロー。 ナゴジローは靴擦れのためサンダルで走っている。おらはまずまず好調な体力を維持している。
 午前中、「島ん学校」の終了日で、何か手伝いすることはないかと、久しぶりにトラックでログハウスまで行く。運転が結構うまくなっている。昼までに上田さん達離島。少しずつ知り合いの度合いが深まっていく。上田さん、笠木さん、増田さん達はまた神舞前夜に、神舞小屋でコンサートをするので来月中旬来島予定である。弁当を一緒にいただき、別れる。
 祝島を大事にしてくれる人達として、おらの中で高い位置を占めている人達である。
 午後、リョウキチと東の浜で、小雨の中泳ぐ。リョウキチ約四十メートルクロールで泳ぐ。おらはバタフライを少しやってみる。背筋が弱っているので今年はバタフライで背筋力の向上を狙うことにする。
 今年の東の浜の海にチンが多い。人を余り恐れない。砂をかき回して小魚が寄ってくるのを、リョウキチとしばし観察して楽しむ。寒くなるのがいつもより早く、三十分くらいで帰る。
 リョウキチ、この日泳いだ後から何故かハーモニカを盛んに吹く。ひとしきり吹いた後居間に眠っているので一緒に二階に上がり寝る。
 
 昼下がり 小雨の煙る 浜辺にて
     われしょぼ濡れて リョウキチと戯る
 
 
 
 七月二十五日(火)
 昨晩から夜中まで雨が降り、朝のランニングは休み。
 午前中少し仕事をして、「エントコ節」をCDで聞く。この夏休みの一つの目標に「エントコ節」と「磯節」を歌えるようになること、を加えることにする。
 CD「祝島賛歌」の中に「エントコ節」も「磯節」も入っている。笠木さんはこのような土地土地にあった忘れ去られようとしている歌を書き留めようとしているという。CDに入っている祝島のエントコ節の続きをもっと知りたいと言っていたのを、茂一さあが書き留めて持ってきてくれた。伊藤でおばさん達と思い出しながら三十番ほど書いてくれたものである。二十三日に笠木さんに渡したら、喜んでくれた。
 CDの話だが、茂一さあも漁協で買ったと言うことで、昨日CDカセットの使い方を知りたいと電話があった。その時おらもちょうどCDを聞きながら口ずさんでいたところだったのである。
さて、この日の昼食は玉子丼、CDで機嫌良くなったおらのサービス。みんな「うまい、うまい」と食べてくれた。
 玉子丼の後、東の浜で泳ぐ。ナゴジロー、リョウキチ、ヨーコちゃん、やっちゃん、帰省の子ども四人。 リョウキチ、クロール四十メートル。平泳ぎ五十メートル。おらも三百メートルくらい泳いだ後アワビの餌のアラメをナカバエで潜って取る。
忘れていたトイレの戸の修繕を、リョウキチを助手にして完了。
 夕方魚釣り。島を一周して結局鰯を十匹足らず。七時からの神舞の練習に遅れる。
 いろいろ詰め込まれた炊き込みご飯的な一日だった。
 
 おらの夏 甘いも酢いも 釜の中
    煮染めて色の 焦げ茶色かな
 
 
 
 七月二十六日(水)晴れ
 朝ランニング。リョウキチ、おら、ユウベエ、ナゴジローの順。
 凪で丸アジ釣りにでる。九時前までに三、四十匹釣って帰る。当分の刺身は楽しめる。
ナカバエに潜りに行く。リョウキチも一緒に来て、潜って採るのをずっとそばにいて見ていた。
 サザエを十個ばかり採った。おらが家の晩のおかずをにぎやかにするのだ、と帰ってみると西瓜が待っていた。この前、幼なじみに貰ったもので大変うまい。
 午後昼寝を一時間ばかりする。目覚めた後もごろごろした後、素焼きを取り出しに行く。次の素焼き用のカップや子どもたちの作品も運んで窯に入れておく。汗をかいたので東の浜に行ってクロール三百メートル、バタフライ五十メートル泳ぐ。
 リョウキチとキャッチボールをした後さらに元気を奮い起こし十キロのランニングに出発。はじめは元気だったが徐々に草臥れヨレヨレ状態でなんとか家にたどり着く。冷たいものを胃袋に詰め込み体を冷やす。最後にビールを一杯飲んで、神舞の練習に行く。
 俊君、泰君、ヒロタカ君も応援に来ていて、漕ぎの合いの手の練習もした。リョウキチもやっちゃんも気合いを入れて練習した。
 この日もいろいろ詰まった一日で最後はくたくたであった。今年は腰、膝の状態が結構よくて、背筋など弱ったところを少し補強できないかと考えての活動である。祝島ならではの体験活動だ。
 晩のおかずは丸アジのフライ。
 
 ナカバエの 磯に戯れ 一時を
   過ごす二人の 夏や緩やか
 
 
 
  七月二十七日(木)晴れ
  朝のマラソンおらは見学。
 ヒロタカ君は六時きっかりに出発していて、一足遅れてリョウキチ、ユウベエ、ナゴジロー出発。もう一足遅れて泰君出発。到着を待っている間にアブを四匹き捕まえる。
 午前中仕事。
 午後ごろごろした後東の浜に泳ぎに行く。帰省中の子ども数人と清水家、おらの一家、さなちゃんが揃ってなかなかにぎやかな浜であった。泰君も加わった。リョウキチ、初の五十メートル完泳。おらは三百メートルのクロールと五十メートルのバタフライ。ケイちゃんとユウベエが逆飛び込みの練習。オカカもいつの間にか見物に加わっていた。駐在さんも水難事故防止の推進のために来ていたようである。井伏鱒二の作品に「多甚古村」というのがあるが、あれに出てくる駐在さんはもう少し年をとっていたが、祝島とよく似た所が背景にあったように遠い記憶にある。
 
 瀬戸内の 海の向こうの 夏空の
            今も昔も 入道雲
 
 
 
  七月二十八日(金)晴れ
 朝のランニングに泰君、ヒロタカ君も、加わり、少しにぎやかだった。泰君、ヒロタカ君、リョウキチ、おら、ユウベエ、ナゴジローの順。若い衆組が頑張った。
 午前中仕事。珍しく少し午後にくいこむ。
 少し遅い昼食はソーメン。夏だ。
 午後、瓦(からくさ)を押さえる釘を作り、打ってみる。あまり出来は良くなく、瓦を少し欠いたりしてしまったので三本でやめる。去年の台風18号に飛ばされた瓦は釘が打てないので、漆喰とか何かで工夫して飛ばないようにする必要があるのだ。台風6号が沖縄の東をゆっくり北上中。去年は仕事場のフェンスもやられたのだった。思い出し、フェンスに巻き付いたカラビやヘクソカズラを切り落とす。6号は小さめの様だが、なかなか油断ができないのが台風だ。
 午後四時頃東の浜に出てみると、ヒロタカ君と島の子どもたちが歓声を上げながら海遊びをしている。ヒロタカ君の浮き輪類が色を添え、にぎやかである。ヒロタカ君は子どもたちと自然に遊べる。遊べる気持ちと道具の持ち主である。
 おらはクロール三百とバタフライ七十五メートルを泳ぐ。
 デジタルカメラを初めて使ってみる。
 夕方神舞の練習。この日から陸に置いてある櫂伝馬の上で練習開始。剣櫂を練習している涼が落ちそうになった。
 見物し、応援してくれる人も二十人位出て、神舞の年らしくなった。ヒロタカ君とおらは陸の上の櫂伝馬で櫂を漕ぎながらかけ声を入れる練習をする。
 ほーほーほーえーいや(敏坊)
 ほーらんえー、(漕ぎ手)
 よやーさーのさ(漕ぎ手)
  職場の旅行が明日からだが、台風がどちらに向かうかわからないので、おらは行かないことにした。今年の旅行は京都である。
 京都は、友達の幸綱さんが大覚寺にいる頃そこに泊まったことがある。旅行に行けば久しぶりに幸綱さんに会おうかと思っていたが、また何時かにおあずけ。
 
 夏の海 様々な声 ここかしこ
   寄せては引いて 瀬戸内の波
 
 
 
 七月二十九日(土)晴れ
 朝のマラソン、疲れからかみんなスローペース。オカカ菜園で初のオクラ収穫。(ツットー菜園が今年から裕子菜園になった。)  この日記を書くことでパソコンの練習をする。写真を取り込めるようになった。講師はユウベエとリョウキチ。
 敏君の奥さんが、台風よけの船の避難が始まったと教えてくれる。おらが五月丸を中の波止に持っていく。いつもの場所はもう埋まっていて、一列前の所に繋ぐ。 大宝丸(真ちゃん)にお世話になる。
 リョウキチは島の水族館(神舞用に作った簡易水族館)で魚を観察している。
 水族館から帰ったリョウキチは釣り針を作ったりキス釣りの仕掛けを作ったり、寝そべって愛読書の仕掛け集を読んだりして過ごしている。リョウキチなりの夏休みだ。ユウベエはアイスクリームを作っている。ナゴジローは二階で引きこもって何かしている。
 昼前に突風が吹き島のものちょっとびっくりする。短時間でおさまる。午後ユウベエ、リョウキチの手を借りて小舟カヌーを浜から倉庫に収める。その後クロール五百メートルとバタフライ百メートル泳ぐ。
 夕方櫂伝馬の上で練習。茂一さあも出てきて合いの手を入れてくれる。若い頃から経験豊富で合いの手も渋く年季の入った声色である。七時半頃風と小雨がぱらつきはじめ練習を中止。道具を片づける。なかなかにぎやかな練習風景になってきた。
 
 釣り針に 思いをかけて 時をかけ
  口とがらせて 楽しみを作る
 
 
 
 七月三十日(日)晴れのち曇り風強し
 夜中から風が強く吹く。仕事場周辺の片づけ、五月丸の繋ぎ整え、伝馬船陸揚げ、家周りの整えなど台風に備えてあれこれして過ごす。敏坊、忙しいのに手伝ってくれる。櫂伝馬は満潮時に備えショベルカーで上に揚げたそうである。
 伝馬船揚げ上げは、敏君とオカカ、リョウキチ、ユウベエとおらの五人で汗をかく。ナゴジローは家で留守番。
帰り際バケツの中の塩水を捨てると、風に乗ってオカカ、リョウキチがびしょ濡れになるとという小事件が起こる。リョウキチに「お父さん、風向きを考えてよ。」と怒られる。オカカは「わー。」とか、「まあ。」とか大声を出していた。
 定期船の「いわい」は、朝やって来る。昼便と晩便は欠航になる。
 雨戸など戸締まりを頑丈にし、五人一緒に寝る。
 夜中に風がうなり始める。
 
 台風の 南の海に 渦巻いて
   東の浜に あびき打ち寄す
 
 
 
 七月三十一日(月)曇り時々雨
 夜中三時頃まで台風独特の強風。三時過ぎから少し弱まったとのオカカ談。朝もかなりの風がある。
 五月丸の様子を見に行くと、「いわい」が出て行くところだった。欠航かと思っていたが「いわい」頑張っている。平生の方に向かった後、はなぐりに向けしばらく走り、白井田の方に向かう。
 五月丸も仕事場周辺も無事でまずまず。 家の屋根も伝馬船も被害無し。
敏君の子どものやっちゃんとヨーコちゃんが花壇の花に水やりをしていた。子どもの心は純だ。おらの心は年とともに生活のホコリやらチリやらが澱のようにたまって、あれこれつまらん雑念がいつも頭をもたげがちだ。子どもというものはいいものだ。やろうと思ったことを雑念なくやる。
午前中仕事。
午後、風がまだ残っているので、釣りにも磯にも行けずにごろごろ。
このところリョウキチが「エントコ節」を口ずさみ始めた。CDの「エントコ節」の4番が気に入ったようである。
朝雨戸を閉めるとき指を詰め、痛む。爪の根本が少し黒くなってきた。台風の傷跡だ。
リョウキチ、新聞の写真にちょっと下品な落書きをして自分でしきりに笑っている。美女のお尻からガスを噴出させているのである。まあ、なんででも遊べる子に育ってくれて喜ばしいことだと思おう。ナゴジローは、そばで読書をしている。リョウキチが落書きしながら、しきりに話しかけているのに適当に答えている。時々落書きを見せられ、批評もしている。平和な昼下がりだ。
 ゴロゴロするのも、おらが夏休みだ。
 
 遠くより 眺めて涼し 水やりの
   二人の姉弟 夏空の下
 
 
 
 八月一日(火)晴れ
 朝室津に仕事に行く。定期船では早く着き過ぎるので柳井まで行く。柳井からヒロタカ君に乗せて貰うつもりだったのだが、ヒロタカ君は山口に行っていて、なんとヒロタカ君のお父さんに室津まで送ってもらってしまった。お母さんは、駅まで連絡のために自転車でわざわざ来てくれたりした。おらはなんと人騒がせな男だろうと心の中でうなだれてしまった。室津でヒロタカ君が笑顔で迎えてくれたのが救いだった。紀ちやんもいて笑顔だった。昼まで三人一緒の仕事場だった。車の中でのお父さんとの話で、お父さんの同級生が、おらのおふくろの従兄弟と同級生ということを知った。
 仕事が昼までに終わり、柳井までヒロタカ君の車で送ってもらう。
夏休みの読書用に四、五冊、ストップウオッチ用電池、腕時計のバンド、リョウキチの猿股等を買い、写真現像もする。
 いよいよ八月で、この日、島の人は神舞小屋組立用の竹を切りに行く。三浦から船やトラックで運搬して、小屋を建てるところに置いてある。前回は、おらも竹切りに行って手伝ったのだが、今回は残念ながらできなかった。
 おらが夏休み、肌の色が少し褐色に近づき、裸で過ごす時間が増えてきた。こどもの頃の肌の色を時々思い出してみるが、表と裏がわからないと言われたような気がする。こどもの頃の夏休みは、泳がない日は一桁だったと思う。大潮の時は、台風の日以外は磯に行っていた。サルマタ一枚の
格好で半日を過ごしていた。あのころの、おらが友達の多くは関西に行っている。神舞には半分くらい帰ってくるだろうか。皆忙しくて帰らないかもしれない。
 
 八月は 裸で過ごす 祝島
    帰り早来と 島いでし人に
 
  八月は こどもの季節 祝島
    海空青に 磯のにおいと
 
 
 
 八月二日(水)曇り時々雨
 朝ランニングに行こうとすると雨が降り出す、言葉には出さず皆喜びの表情が浮かぶ。それからユウベエとリョウキチは一寝入り。
 タッケーちゃんが櫂伝馬の垢かえをしようと呼びに来て海に行ってみる。四、五センチの垢が入っているので柄杓でかえる。 ナゴジロー、昨日土間の掃除担当になったとかでほうきで掃いている。リョウキチは風呂桶洗い、ユウベエは皿洗いに決まってきたように伺える。
 午前中ごろごろして午後仕事に行く。
 仕事の合間に、素焼きに釉薬を描ける。タカヒロ君の友達が来て皿を作る。紀ちゃんも来て、ずっと前に作った素焼きに釉薬をかける。
 夕方雨が降り、櫂伝馬の練習が中止になる。時間に隙間が出来、アジを刺身にしてタカヒロ君と友達と紀ちゃんを呼んでビールとポカリを飲む。おらは酔うと少し舌が軽くなって話があっちこっち飛ぶらしい。紀ちゃんも結構飛ぶらしく、飛んだ場所が似たようなところに着地すると、運よく話が通じるという現象が時々起こる。
ヒロタカ君の友達はなかなかさっぱりとした性格のようだから焼酎が好きじゃないかと思う。オカカの料理を旨いといって食べてくれて、オカカは機嫌が良かった。
 
 空からの 雨の訪れ 海からの
    魚の訪れ  友の訪れ
 
 
 
 八月三日(木)曇り後晴れ
 午前中仕事。仕事場の花壇の草抜きを少しする。仕事場にタカヒロ君が花を植えているのである。ニチニチソウとサルビワとマリーコールドとスベリヒユの仲間とマツバボタン等がある。
 午後釣り道具などを作ったりしてごろごろ過ごす。
 明日山口の方で仕事があるので、五時の
便で出る。室津からタカヒロ君の車で柳井まで送ってもらう。この日は小郡に泊まる。
 駅のそばの食堂で生ビールを飲んで宿に行く。クーラーを入れないで寝て、夜中に起きると汗びっしょりで、クーラーを入れる。なかなか寝苦しかった。
 
 寝苦しき 夏の一夜に あれこれと
    浮かぶ小舟の 積み込めぬ魚
 
 
 
  八月四日(金)晴れ
 台風の行方が気になるが何とかまだ心配する向きではないようだ。
 山口で一日中仕事をする。
 仕事が終わって徳山に出て本を二、三冊と雑貨を買って晩飯を生ビールと一緒にとって宿に行って寝る。またまたクーラー無しで夜中に汗びっしょりで目が覚めてクーラーかけて寝苦しい一晩を過ごす。
 
 夏の宿 熱き一夜の 寝苦しく
   大漁の夢に 誘われて寝る
 
 
 
 八月五日(土)晴れ
 台風がまだ大丈夫で、おらが家族が柳井に出てくるということで、おらも朝柳井に出る。リョウキチ、百円ショップでおもちゃを一つ買って楽しんでいる。昼食におらはピザとビールというカタカナだけの簡単メニューでいい気持ちになる。オカカと子どもたちは定食風な食事で満腹になったようである。
 帰り際にこそっとワインを二本買って、清水丸で船長さん(敏君)と缶ビールを賞味しながら帰る。敏君これからもいろいろ忙しいようである。明日は署名運動で広島に行くということである。島でいちばん忙しい人達の一人である。
 島について休憩後、櫂伝馬の練習。
 
 草枕 旅にしあれば 浮き雲の
    ほかりほかりの 味わいもあり
 
 
 
 八月六日(日)晴れ
 久しぶりの島での休日だ。
 朝天気予報を見て釣りに出る。
 留守の間に丸アジが移動しているらしく、オイトモに釣り船がいない。コージロに行き、タイを狙うが小さいチダイが三匹。帰りにオイトモで丸アジを狙ってみるが気配なし。カノウジマと牛島の間に舟が数隻見えたのでそこに丸アジは移動したらしい。
 午後、東の浜の日よけの寒冷遮をつける。台風の時外して置いたのを、よそ行きで、付けるのが遅くなってしまった。帰省の子供が増えているので、見張りのおばさんの何人かは暑い目に遭ったようだ。
 隣のひっくん、さとくん達ご院家さんと水遊び。リョウキチ、ナゴジロウ達も泳ぐ。清水家の子ども達、さなちゃんも泳ぐ。おらもクロール八百と、バタフライ百メートルを泳ぐ。
 泳いだ後、リョウキチとナガイソのツットー菜園に行き、スイカを一つ収穫。叔父の植えてくれた物で、二本だけ何とか生き残っていて、それに一つだけ熟れたスイカが付いていた。草刈りを小一時間ほどする。汗がよく出た。
 ナガイソから帰り、もう一つ作業を思い出し、三浦に行く。子どもたちが春にしたキャンプの時作った簡易便所の棒杭を抜くのを忘れていたのだ。シートは台風の時、敏君が外してくれていたのだ。この場所は神舞の時の祭の場になるのだ。春に植えたルドベキアが花を付けていた。敏君がよく世話をしていたが努力が実った感じで敏君も喜んでいることだろうと思いながら眺めて帰る。
 五時半からナカゴウのはまに出る。櫂伝馬の練習。
 この日はシャギリの練習、巫女さんの練習もあった。
 
 瀬戸内の 公園に遊ぶ 夏の日の
    さほどの事は せずとも飽かず
 
 
 
 八月七日(月)
 朝久しぶりのランニング。リョウキチと競り合う。
 気象情報を見る。台風は今のところ心配なし。
 午前中から昼過ぎまで仕事。
 午後、カノウジマの手前に出て丸アジを狙う。仕事中、船がその辺りに集まっているのを見ていたのだ。一時間で丸アジ十匹くらいとヤズ二匹釣って帰る。帰って東の浜に泳ぎに行く。隣のご院家さん夫妻にひっくん、さとくんも、リョウキチ、ナゴジローと浜で水遊びをしている。おらはこの日千メートルのクロール。今シーズン最長である。
 その後櫂伝馬の練習。
 帰ってヤズの初物の刺身で夕食。今年はヤズがいつもの年より大きめだ。大きめの群が来ているのかもしれない。神舞の時にちょうどいい魚になりそうだ。神舞とヤズというのはお似合いのカップルなのだ。
 三浦湾で祭り事をしている間待っている船でヤズで一杯と言うのが大変いいのである。
 愛ちゃんからオカカに誕生祝いの手紙が来ていた。オカカおばちゃんと書かないで、オカカ姉ちゃんと書いているのが思いやりがあって優しい。
 
 生き生きと 泳ぐ魚も 生き生きと
     生きたし人も 生き生き海で
 
 
 
 八月八日(火)晴れ
 台風がやや北寄りに向きを変えそうな気配が出てきた。
 朝のランニング少し不調気味。
 午前中仕事。
 午後丸アジ釣りに行き六匹釣って帰った後、アラメを採りにナカバエに行き、ついでにバタフライを五十メートル程度泳ぐ。体がちょっとくたびれがきているようだ。アラメは子どもたちが飼っているアワビの餌。アワビは二年間飼っていて六、七センチになってきた。四時半から子どもたちが、アワビのかごをきれいにし、アラメを餌として入れておく。二週間おきに、そういう作業をしているのだ。
 夕方、櫂伝馬の練習と巫女さんの練習があり、子どもたちそれぞれの練習に行く。
 
 
 
 八月九日(水)晴れ
 朝ランニング。
 午前中五月丸のフナタデをする。神舞に向けての船の化粧である。フジツボがいっぱい付いている。一年以上船底の掃除をしていないのである。リョウキチも手伝ってくれる。
 午後から仕事で上関にいくのでフナタデは途中までしかできなかった。
 櫂伝馬の練習は休み。
 
 フナタデの 合間の冷たい 飲み物の
   届けてくれる 人の気を飲む
 
 
 
 八月十日(木)晴れ
 舞小屋(仮り神殿)作り。島の人総出での作業である。孟宗竹の骨組みの屋根をつけるのだ。柱と棟はムクの木と杉である。棟を支える柱はムクの木。ムクの木は祝島ではギンツーという木である。秋に黒くて甘い実が熟れる。
 一日でほぼ骨組みと舞台ができる。舞台はバイプとコンパネで作る。屋根の部分をヒモでくくる作業がこの日のおらが仕事の中心。以前は葛やフジのつるを使ってくくっていたのである。この日の作業の終わり頃、三浦の簡易トイレの補強をする敏君の手伝いやコンパネ運びの手伝いをする。
 作業後、親戚の大工仕事のまねごとをして役に立った気持ちになる。
 祝島では多種多様な作業をする機会がある。やれれば役に立った気持ちになれる。幸せなことかもしれない。幸せのタネが島のあちこちに在るわけだ。
 
 小屋掛けの 熱き思いの それぞれに
    しず心にて 夏を味わう
 
 
 
 八月十一日(金)晴れ
 この日苫掛けのの予定日だったが、台風の進路次第で大風が吹く恐れがあり、延期になる。
 朝のランニングはおらは休みで丸アジ釣りに出る。五匹の貧漁。
 昼の便でヒロシ君が長男のユウ君を伴ってやって来る。岡の広場でキャンプするということで、用具一式持ってくる。奥さんは九月出産予定で里の伊保庄で次男のダイ君と待機。ヒロシ君、神舞には仕事があってこれないということである。前回の神舞にはトオル君と櫂伝馬を漕いだのだが。
午後みんなで磯遊び。雄大君達は釣り、おらはサザイ採り。二、三十個採る。
 その後丸アジ釣りに出るが一匹も釣れないで帰る。どこかに移動したのだろう。ユウ君は五月丸で眠る。
 ヒロシ君達はテント設営、おらたちは櫂伝馬の練習。練習後広場に上がってみるとテントを設営し、カレーを食べている。ヒロシ君は缶ビールを飲んでいる。刺身を少し差し入れする。
 ヒロシ君達は、新庄さんところに挨拶に行き、帰りに寄って話していく。ユウ君とりょウキチ、ナゴジロー、岩田のまー君、ユウベエはすぐうち解ける。子どもたちは通じ合うのが早い。おらは警戒されている。ヒロシ君とユウ君は愛情で結ばれ、いい親子だ。
 
 石垣の 変わらず迎える 祝島
    二人の夜に 星のささやき
 
 
  八月十二日(土)晴れ
 台風どうやら東にそれてくれそうだ。
 朝のランニングは和だけ。友、涼は体調不良で休み。おらはアジを狙うが釣れず。
ウヤシマに行ってみるが一匹ハマチが来て、切れ、それっきり。、コージロにも回ってみるが釣れず、帰る。子どもたち、ヒロシ君達東の浜で水遊び。ヒロシ君達は昼にはテントを畳んで、午後カヌーで遊ぶ。オラは磯で潜る。サザイを二十足らず採る。ヒロシ君カヌーをおおいに気に入る。
 五時の便でヒロシ君達帰る。見送った後櫂伝馬の練習。この日は船を繋いでの練習。風と潮の流れで、東の櫂伝馬が波止にぶつかってしまう。繋ぐと細かい動きはできなくなってしまう。踊り手もいつもの動きと違うようだ。
 オカカ、リョウキチの衣装作りに夜なべ。
 おらは夜中に目が覚め、、星がきれいなので少し眺めて寝る。冬の星座が出ていた 
  周防灘 越えて二人の 祝島
    カヌーの揺りかご 磯の香り
 
 
 
 八月十三日(日)晴れ
 二十日まで朝のランニングはお休み。
 ヤズこぎに出る。オキナの方で釣れるとの情報を仕入れていたので出てみる。シラサキの沖で湧いたのでやってみると三匹釣れ、それきり釣れない。イワシが湧き、ジの方で丸アジらしきのが跳ねているので丸アジのサガリでやってみる。イワシがもぶれ付く。沖の方でやってみると丸アジがよく釣れる。狙いが大当たり。盆の魚が無かったところが一挙に解消。最後にソーダカツオが三匹釣れ、締めくくる。いい形の丸アジが六十匹位釣れる。久しぶりの豊漁だ。 帰るとオカカは、リョウキチの剣櫂の衣装の飾りを着けている。従姉妹のユミさんが帰って手伝っている。おらは遅い朝飯代わりにカツオを刺身に缶ビールを賞味。カツオは旨くはなかったが気分でうまみをごまかし味わった。
 午後ナカバエからヨボシにかけての磯を潜ってサザイを十ばかり。この辺りにはあまりいないようだ。行く途中、幼なじみ、と広島から帰った同級生のモト君に会う。トビイシに行ったらしいが、アビキで潜れる状況ではなかったということだった。
 夕方は櫂伝馬の練習。采弊と剣櫂は化粧し、衣装を付けての練習日。始め風がかなりあり踊りにくそうだったが、そのうち凪いできて、順調に踊れたようである。リョウキチは足の甲が痛いということで踊らない予定だったが、裕之君の踊りを見ているうちに踊りたくなったようで、痛くない要領をマーちゃんに教えてもらい踊る。波止から応援してくれる人が百人を越えている。
 
 黒潮が 瀬戸の海まで 流れ込み
          夏の盛りに 初カツオ
 
 
 
 八月十四日(月)晴れ
 神舞小屋の苫掛けの日で,七時から総出の作業。一時間くらいでほとんど苫掛けはめどがつき、おらは若いしや茂一さあ達とテントの六張り分の支柱を組み立て、長椅子や椅子などを運ぶ。十時過ぎには作業終了。
 午後、幼なじみ、モト君とその連れ合い達と磯に潜りに行く。コジマに潜る予定が行ってみると西が強く、トビイシに変更。六人でセトガイやサザイが結構採れる。さすがに幼なじみはまだまだよく潜る。おらとは幼なじみで子ども時代にしょっちゅう磯で遊んだ仲なのである。おらもセトガイを分け前に貰い、親戚にソウメンのだし用に持っていく。幼なじみは持って帰らないでみんなにやる。そうそう今日時坊にスイカを貰う。
 夕方櫂伝馬の練習。この日は俊君と勇君、タカヒロ君が初参加。
 この日知った大きな出来事としては、俊君の奥さんが男の子を出産したということ。名前は海大と書いて「かいと」と読むとかを予定していたが、どのように命名するか。
 下関のフジモト家が帰ってくる。寿ちゃんと創くんが宵に挨拶に来てくれる。帰らない予定といいちゃんから聞いていたのでたまげたが、嬉しい。従姉妹の万ちゃんだけ仕事の関係で来れないということだ。 盆で島がにぎやかになった。
 晩方イワモトに行く途中、若いしのヨッちゃん、ケイジ君、カズミ君に会う。缶ビールを道ばたで立ち飲みをしながら話をする。
 イワモトにはオカカの妹のミホさん、ヨシエさんとその息子の直君,拓ちゃんが帰っている。ビールを飲んで、ゆっくり過ごす。
 
 
 
八月十五日(火)晴れ
 朝早くから敏君とテントを運んだりする。水産科広場にテントかを張って、よその協力してくれる人によって出店が出されるのだ。水産科というのは昔,おらの祖父さんの時代に、高等小学校の上級にあたるものだろうか水産科という学校が在ったそうで、その場所にその名がのこっているのだ。惣太祖父さんは水産科で勉強をしたと生前言っていた。その惣太祖父さんとは、おらが高校時代まで、一緒に釣りに出ていた。押し船でキスゴやタコなどをよく釣ったり掛けたりした。(タコは掛けるという。)
 その後、オカカと古い自転車などを粗大ゴミ捨て場に運ぶ。ついでに松を二枝、神棚用に取って帰る。
 昼前に清水の和君がやってくる。大阪の門真の会社に勤めている。この日の昼便で帰るそうだ。春に法事で帰ったときには、おらが留守で会えなかったのだ。帰ったときはいつも家に寄ってくれる。三重の方にチヌ釣りに行ったがボーズだったとか話していく。
 午後はフジモト一家と五月丸でトビイシに行って磯遊びをする。おじさん、おばさんは八十近いのだが、磯で泳いだりニナをとったり若々しく楽しんでいた。総勢九人で収穫物を焼いて食べる。カヌーを一隻引っ張っていき渡し船に利用する。恵美ちゃん,淳明君親子はカヌーが気に入ったようで乗って楽しんでいた。
 夕方櫂伝馬最後の練習。帰ってきた若いしの乗組員が揃った。行く途中「島の少年」という絵の展示場にトオル君の伝馬船を運ぶ手伝いをする。新庄造船所がその会場。大きな絵が数枚展示している。作者は針間さんという若い絵描きさんだ。祝島で年に数回見かけたり、近頃は話をしたりすることもある、祝島を絵の題材にしている親祝島家の一人だ。
 櫂伝馬の後は笠木さん、上田さん、増田さん達のコンサート。焼き鳥、生ビールを賞味しながら聴く。田尾の長ちゃんも来て話しもする。島下の恵坊も来て話す。恵坊は、おらが高卒後に、一緒に同じ工場に就職した元同僚なのだ。恵坊はその会社にずっと残り頑張っているのだ。恵坊、懐かしそうに話をしてくれる。おらも久しぶりで懐かしく、いい気分で話した。恵坊の奥さんは同じ会社の人ではなく、堺の人で堺市から東大阪の会社まで通っているということた。会社の規模は従業員二百人くらいだったが今も変わってないようである。会社の周りは田んぼだったのだが、すっかり変わって住宅など建ち並んでいるということだ。おらの青春前期の数ヶ月を、思い起こした夏の宵であった。
 写真の展示場ではマーティンさん、その友達のともえさんと出会い、神舞の話などした。
 同級生のかずさあと話していると俊君のお義父さんと妹さんが通りかかり、初めて妹さんと言葉を交わした。妹さんは俊坊と似ていなくて、可愛くて、ぶっきらぼうでない。俊君は朝早くから英星丸で海老漕ぎに出たということで、この晩は早めに帰ったということだ。
 同窓会らしい集まりが何カ所かにできて話が弾んでいるようだった。
 
 
 
 八月十六日(水)晴れたり曇ったり
 いよいよ神舞当日。五月丸、櫂伝馬の飾り付けをして本番を待つ。リョウキチは八時から化粧、衣装のため公民館に行く。おらは九時過ぎに公民館へ、ナゴジロー,ユウベエは十二時過ぎに集合とのこと。オカカはおら以外の介添えで忙しそうだ。
 十時過ぎに公民館を出て東と西の櫂伝馬に乗る。漕ぎ手は待っていた。俊君、勇君、泰君は同じ船でタカヒロ君だけ東の船に乗ることになった。
 人家の前を二周して、三浦へ出発。小島と小祝島の間で御坐船を迎えて三浦湾に入る。三浦で神事があり、その間に昼飯を取る。ビールもいただく。北川の正人さんと話をしながら出発を待つ。一時頃三浦を出発。人家の波止には人が鈴なりになって待っていてくれる。三周する。踊り手も漕ぎ手もみんな気合いを込め、気持ちを盛り上げ、いい祭り気分を味わう。 とも櫂のまあちゃんは、見物に来ているフェリーに、「ホーホーホーエーイヤー」をサービスする。
 巫女さん六人が立って待っている港に入る。みんなが下船した後、勇君、俊君、泰君、タカヒロ君が櫂伝馬の空き缶を片づけてくれる。
 御坐船から降りた宮司さん達は舞小屋に向かう。行列の先頭をシャギリ隊が行くのである。
 舞小屋に行く途中、マーティンさん達や政君に合う。政君は奥さんと息子さんと一緒に来島。
 フジモト家の人達と写真を撮ったりもする。
 舞小屋でナゴジロー、ユウベエ達の巫女さん姿を見て帰るとトオル君がやって来る。紀君,典ちゃん夫妻にも会う。愛ちゃん、さつきちゃんにも。
 みんな祝島に集まってくれた。
 夕方の帰りの船に乗る人がおおぜいいて全員船に乗るのはとうてい無理という状態。ノリコ、タカシ君、ミエ,良君、マスちゃん、マユちゃんを室津まで送る。送って帰ってみると、政君一家とトオル君・康ちゃん夫妻はまだ波止に残っていた。七時四十五分頃「いわい」が到着し、残っている人を乗せて最終便として島を出て行った。
 
 八月十七日(木)曇り
 朝はゴロゴロして過ごす。
 昼前にユウベエ、ナゴジロー、リョウキチ、直君、拓ちゃん達が泳ぐというので付き添いで行き、帰り際に三百メートル程度のクロール。
 午後舞小屋に行ってみる。若い娘の久美さんと真紀さんに会って話をする。二人は同級生で、来年みんなで集まろうかという話をしていた。南方さんの住所を教える。
 夕飯は久しぶりの手巻き寿司。ヤズの刺身で一杯。その後,茂樹君と勇君とでビール。雨が降り始める。
 
 
 
 八月十八日(金)雨
 小雨が降る中をヤズこぎに出る。出るとき船から見ると舞小屋に雨よけのシートを掛けている。昨晩掛けたのだろう。
 ヤオで十二匹釣って帰る。波止の奉賛会用の生け簀に五匹ほどお裾分けをする。イワモトにヤズと丸アジを数匹、リョウキチが持っていく。リョウキチは持っていったまま帰らず、昼飯を食べて帰るとの電話。
神舞の里楽師の人達は伊美神宮の氏子さん達ということである。食事などは祝島の婦人会の人達のまかないでもてなす。材料もほとんど島の人の芳志によるもののようだ。昨日は婦人会の人は午前五時から午後九時半までやってくれたそうだ。消防団は一晩中舞小屋で警備をする。
 午後ユウベエ、ナゴジローと神楽を少し見た後、イワモトに上がる。ビールをご馳走になりながら昔の(九年前の)子どものビデオや、神舞のビデオを見せてもらう。神舞のは前前回のビデオだったが上手く撮っているので感心する。あの時の神舞では、おらは櫂伝馬を漕いだのだった。 
 夕方、帰る途中ワタムラに寄ると、ちょうどフジモトの伯父さんが一緒になり、ワタムラからフジモトに移りビール、ヤズの刺身、ニガウリ等をご馳走になる。ニガウリは初めて食べたが旨かった。ミチヨちゃんと淳明君は昨日帰ったそうである。
創君と明日のヤズ釣りの約束をして帰る。創君は釣り好きのようだ。
その後カラオケ大会が舞小屋であるのをちょっと聞いて、上田さんの焼き物を見て帰る。前回の神舞では大きいのが早く売れていたが、今回は小さめのが早く売れたということで、大きい皿や花瓶等が少し残っていた。不景気が反映しているようだ、とのこと。
 ほとんど一日中雨が降っていた。夏にしては珍しい一日だった。
 
 
 
 八月十九日(土)曇り後晴れ
 朝創君と聖子ちゃん、伯父さんとヤズ釣りに行く。一時間くらいで十匹余りのヤズとエソ二匹を釣って帰る。
 十時過ぎからリョウキチ達と東の浜の海で遊ぶ。 久しぶりにビデオカメラを持っていく。
拓ちゃんを撮る。何年か経つと、島に帰ったとき、また楽しめるだろうと思いたって撮る。
クロール三百メートル。リョウキチはクロール三十メートル。
 昼の便で帰るフジモト一家を見送りに出る。
「いわい」が故障で、「金森丸」と「わかしお」が就航。フジモト一家は「金森丸」に乗って帰る。
二隻の船に満員だった。それでもまだかなりの人が島に残っているようだ。明日の出船を見るためにやって来る人、帰ってくる人が今朝の船にもいたと、朝便で帰った美穂さんを見送りに出たオカカが言っていた。
「神舞」がかなり世間に広がったような印象を受ける。「神舞」はおらが考えても大した祭りだと思う。区長さん、組長さん、評議員、婦人会、神舞奉賛会が中心になり、島の人ほぼ全員が協力して成り立たせている祭りである。人が少なくなってきたが、今回も負担を島の力が上回り、見事に実施できたわけだ。
 午後神楽を見に、ユウベエ、リョウキチと舞小屋に行く。
「神角力」、「荒神」、「将軍」を見る。少しビデをにも撮る。途中でヨシエさん達も見に来る。ナゴジローもくる。
 入船の時の櫂伝馬の漕ぎ手の鉢巻きを回収するのを忘れていたのに気付き、鉢巻きを作る作業開始。といってもおらは白布を切る手伝いだけで、後はオカカに縫って貰い、ナゴジローにアイロンを掛けて貰った(夜なべで)。入船の人が全員出船を漕ぐという訳でないので、回収しておかないと鉢巻きがたりなくなってしまうのだ。
 五月丸に重油を注いでおく。最近は船を直接持っていき、注いでいる。それまではポリ缶で運んで入れていたのだ。漁協の給油はカードで購入。自動販売機なのだ。
 給油の後、ヤズ漕ぎに出ようか出まいか迷った後、出る。オキナで二匹釣れた後ヤオに行くと、そこにも群がいたようで合わせて十匹を越える。期待以上の漁ができた。
 帰るとヨシエさん家族がコロッケを一緒に作っている。コロッケとヤズで一杯。
 
 
 
  八月二十日(日)曇り
 六時過ぎ起床。五月丸に旗を立てる。
 櫂伝馬にも、もう新しい竹で立てている。
敏君は忙しそうにバイクやトラックを乗り回している。「いわい」の故障が忙しさを付け加えている。時刻表も変わり運行する船もかなり変わった。明日からの定期船も「わかしお」が当分勤めることになる。櫂伝馬に飲み物などを積む。
 東の波止に伊美から姫島丸がやって来ている。定員一杯の百九十人乗ってきたらしい。
 リョウキチは九時から公民館で化粧、衣装を付けに行く。それが終わり、オカカが帰り、次はユウベエとナゴジロウの衣装を家で着ける。
 十一時過ぎに櫂伝馬のところに出ると、俊君がもう出ている。勇君、タカヒロ君、泰ちゃん、それに貴ちゃんも出てくる。
 十一時四十五分頃西の櫂伝馬の漕ぎ手が全員揃う。東の櫂伝馬の漕ぎ手が足りないと言うことで、あとから出てくれた人をそちらに三人ほどまわって貰い、櫂伝馬出発。沖で東の櫂伝馬と出合うと全員揃っている。茂一さあも乗っている。 
 「出発の儀式」が終わったようで、櫂伝馬、御坐船が港に入り、宮司さん、里楽師さん達を乗せ、人家の前で船の行列が三周し、いよいよ別れ。五日間の神舞が終わった。姫島丸もその様子を見届け、帰って行った。
 おらは櫂伝馬の太鼓の皮を破ってしまった。
 神舞の終わりを、ヤズの刺身を囲んで職場のみんなで味わった。敬ちゃんがサラダやフライなどを、紀ちゃんが豚肉の煮込んだもの等を持ってきて食卓が賑やかになった。CD「祝島賛歌」をみんなで聞いた。
なかなか好評だった。敏君は「小さな港のおじいさん」が好きだと言い、おらは「私の祝島」や「豊かな青い海」が好きと言い、タカヒロ君は、ジャケットの絵とか、書いていることとかをおおいに気に入った様子を見せ、俊君はジャケットの表紙のマーちゃんのイラストを簡潔でいいと言って、マーちゃんのシャックリの話に移ったりして楽しい晩が更けていった。       
 
 
 
 八月二十一日(月)曇り時々雨
 子どもたちは久しぶりの朝のランニング。
 舞小屋解きが七時からと言うことで、七時から一時間ほど作業して、仕事に行く。この日は一日中仕事をする日で、午後は室津での仕事。帰りにゴカイを買う。
仕事から帰って、親戚の痛夜に行く。親父の従兄弟が二十日に亡くなった。オカカも通夜の手伝いに行く。
 この夏休みは、読書をする時間が少ないようだ。読書の目標がすっかり頭の中から抜けていたようだ。最初に読み終えたのが「御宿かわせみ二十三」である。主人公に息子が産まれた。俊君にも八月十三日に息子さんが産まれた。六日が予定日だったので、ちょうど一週間遅れたことになる。俊君には、この一週間が長かったようである。 

   

八月二十二日(火)晴れ時々曇り
朝久しぶりにおらもランニング。
午前中仕事。
 トラック、バイクのガソリンが底をついていたのが久しぶりに補給できた。
 午後葬式に参列。
 骨壺が手に入らないとのことでないとのことで、おらが焼き物で作った花瓶を代用にする。親父の時、おらが焼き物を使ったのを茂一さあが思い出して、そうなったようである。茂一さあも「おらのも頼む。」と予約しに来る。骨壺の予約は初めてである。
 その後リョウキチとキス釣りにでる。昨日のゴカイはキス釣り用。キスは釣れず、クラカケトラギス(ハデンボウ)一匹とチダイ数匹釣れただけで、リョウキチは昼寝。ヤズ漕ぎをやっていると一匹釣れ、その時リョウキチが目覚める。ヤズ漕ぎのサガリをリョウキチが持ち、薄暗くなるまでやって十匹釣る。リョウキチ、ヤズ釣りの面白さを知る。
 
 
 
 八月二十三日(水)晴れ
 朝ランニング。その後浜のゴミ拾いに行く途中、五月丸がいつもの係留場所にいないのに気づく。狐につままれたような気分で東の浜に歩いていくと、水泳場の波止のそばのロープに引っかかり止まっていた。
 どうやら、昨日涼と釣りに行った後、ロープで係留するのを忘れていたようだ。運良く無傷で、他に迷惑をかけてもいないで奇跡的だ。夜、誰にも気づかれず静かに移動したわけだ。
 リョウキチと五月丸をいつもの位置に持っていき、朝食後午前中の仕事に行く。
 オカカは朝七時から法事のおかだりもみと、それを配る手伝い。
 午後は、ゴロゴロした後、自転車を漕ぐ。
三浦までを三往復、約二十五キロを一時間あまりかけて漕いだ。
 その後、東の浜でリョウキチ、タイシ君と泳ぐ、途中で隣のひっ君とさと君がお母さんとやって来て遊ぶ。ひっ君は五歳で浮き輪を着けて深いところまで泳いでいき、さと君は三歳で浅いところで遊ぶ。
 夕方、リョウキチが花の水やりを終えた後、ヤズ釣りに出る。タイシ君は初体験。ヒコーキを漕いで二人が一匹ずつ釣り上げただけで、潮の関係だろう喰いが悪かった。エソも何匹か食いつき二匹獲れる。
 晩食はにぎり寿司。ネタはヤズ、玉子に稲荷。子どもたち旨い、旨いと食べ好評だった。
 タイシ君、晩に来て将棋をさしていく。おらといい勝負だ。
 
 
 
 八月二十四日(木)晴れ
 朝ランニング。ヒロタカ君も久しぶりに走っていた。ユウベエは体調不良で休み。
 波止にスズキはまだ寄ってきていない。
 午前中仕事。
 午後ゴロゴロとうたた寝をした後、ランニングに行く。昼寝の後のだるさや、ひさしぶりでもあり、日射しも強く、ゆっくり行けるところまで行こう、と思っていたがのろのろと十キロのいつものコースを走った。時間は一時間五分七秒。道ばたのウシビターの実が熟れている。ツクツクホウシが鳴き始めた。秋が、おらが公園に忍び寄っている。
 「おらが周りの小さい秋は
  山のウシビターが始めを告げる
  つられて鳴くのがつくつく法師
  おらもつられて手紙を書いて
  海じゃ ヤズが騒ぐ頃」
 めい曲「おらが小さい秋」の一番の歌詞である。コヤブランも咲いていた。
走り終わって、子どもたちが遊んでいる東の浜に行って一緒に泳ぐ。ゆっくり三百メートルクロール。ランニングで熱くなっていた体がさめて気持ちがよい。子どもたちと水中のチンを見る。大きいのは二キロ近くのもいる。
 リョウキチと、釣ってみようか、と話をする。
 この日は夕方の釣りは休みで、エソやヤズをさばく。ヤズは刺身で夕食用。エソはリョウキチが夜なべで蒲鉾にする。オカカが手伝う。
 この日オカカは、神舞で使った衣装、法被、鉢巻き等のアイロン掛けで汗をかいていた。
 
 
 
 八月二十五日(金)晴れ
 朝ランニングを休む。子どもたちとヒロタカ君は走る。
 アカウミガメのターを逃がす日を、今日に予定していたのだが、昨日の天気予報で南風が強いと言っていたので中止にした。比較的凪である。ターに愛着が湧き、みんな逃がすことに躊躇している。時々見に来る人もいる。昨日はマーちゃんが寄って、『大きくなった」と話して帰った。
 ヒロタカ君が花壇の花の手入れをしていた。今日友達が来るそうだ。
リョウキチ、浜でガザミを捕ってくる。大きいのがいたが獲れなかったそうだ。二匹は小さいので逃がしに行った。リョウキチは、こういう事には実にこまめに動く。
久しぶりの、まるまる一日夏休み。十一時前からコージロに釣りに出る。コージロも久しぶりだ。
 釣り始めてほどなく、大きなタイが釣れる。おらが祝島に帰って最大のタイだ。今までのが三キロ級。この日のは四キロ級だ。 その後、ハマチが湧き始める。ヒコーキを漕いでみるが釣れない。アジがおれば、のませで釣れるのだが、あいにくアジがいない。タイサガリでやっているとハマチが来る。切れる。ハマチは明日にお預けだ。
 一時過ぎに帰って遅い昼食。その後ナゴジローとウシビターを採りに行く。二、三百グラム採って帰る。ナゴジローはトラックに酔う。
 四時前から東の浜で水遊び。リョウキチは泳ぎながら釣りをしていたという。チンが釣れたのを逃がしたそうな。おらもやってみるが、小さいタイの稚魚に餌を取られるばかり。あきらめたところに、リョウキチが釣る。二百グラムくらいのチンだ。泳ぎながら釣るというなかなか祝島らしい体験だ。ナゴジローも釣り上げるところを見ながら少し感動気味だった。
 夕食はチヌの塩焼きと、ヤズの塩焼き。
 同級生のお母さんの通夜。
 八時過ぎにおらが一家波止でデンゴ釣り。
 小さいのが五匹だけ。ハマチには小さすぎ、ヤズにちょうどいいくらいである。
 今日のタイをみんなに見せて家に帰る。
 千葉から梨が届き、お礼の電話をする。
おらが千葉にいたときお世話になった中鶴さんで、毎夏送ってくれるのである。電話には娘さんのさっちゃんがでた。お母さんはお父さんを迎えに行っているとのことだった。
 「白い滑り台 灯ともし頃
  まだ帰らぬ人を待つカレーライス
  ああ 清水口一丁目」
 めい曲「清水口一丁目」の一番である。これは中鶴さんのところで、よくご馳走になったりした頃に作った歌である。今は印西町に済んでいるが、そのころは白井町の清水口一丁目に住んでいた。白井町は梨の産地である。
 
 
 
 八月二十六日(土)晴れ
朝ランニング。おらは調子よくこの夏最高タイム。おとといのランニングの効果か。ランニング途中、釣船が見えるので、丸アジ釣りだろうと、黒磯の伯父さんに聞くとヤズ釣りらしい。西の波止の一キロメートルくらい沖である。
ヒロタカ君が友達と散歩しているのに出合う。二人来ている。
午前中、ハマチのノマセ用の釣り道具を作りながら、「ウエイク アップ」という番組を見る。社会の窓みたいな番組で、おらには勉強になる。
 「ウエイク アップ」が終わった後のおらが家族はと言えば。
ナゴジローはウシビターのジャム作りに励んでいる。リョウキチはあれこれやっている。「今日もチンをつるぞ」と呟いていたりしているかと思うと。ジャム作りを覗いたり、宿題の答え合わせをオカカに手伝わせて、やったりしている。オカカがテレビを見始めると一緒にみている。
 ユウベエはゴロゴロした後、勉強をするつもりでテレビに心を奪われている。
何となく子どもたちの夏休みが終盤にさしかかっている。おらの夏休みはこれからだぞ、と腹の中で力んでみる。
 昨日の鯛をしめて千葉の友達のお祝いに贈る。七十五センチあった。スチロールの箱が小さめで収まりにくかった。今は宅急便だが、少し昔は、持っていっていたのだろうなと思う。おらが下宿時代には、竹の土産かごでよくヤズなんかを運んでいた。下宿のおばさんは、おらをかわいがってくれて、魚を喜んでくれたものだと、若い頃を思い浮かべる。
 今年の夏は神舞があったせいか、よく昔を思い起こすことが多いような気がする。
特別歳をとったわけではないだろう。
 午後、葬式に参列。祝島では寺参りと言うのまでが葬式。
 葬式の後、リョウキチとの、泳ぎながらの釣りに行く。リョウキチが昨日と同じくらいのをすぐ釣る。
おらは、二匹来たのに二匹とも切られる。
 夕方、よう入れ(夕方吹く南風)があり、釣りに出られない。
タイシ君と将棋をして、たじたじできちんと勝つ。十三歳に負けるわけにはいかないではないか。
 この日に狙っていたハマチは明日にお預け。
 
 
 
 八月二十七日(日)晴れ
 朝ランニング。おらは好調でトップ。
 その後、お預けになっていたハマチを狙って出かける。潮が引き潮で狙いの場所はまたお預け、そこは満ち潮がいいのである。カミカドに行く。運良く一匹釣れて、コージロに行くが、レジャーボートなどが多くにぎやかだ。引き潮のやおりに釣れていたが、おらのには来なかった。餌が大きかったようだ。この日のおらが餌では六キロ以上でないと釣れないようだ。
 昼過ぎに帰る。昼食後休養をとり、トライアスロンに備える。
 午後三時過ぎ、トライアスロンに出発。
 リョウキチも一緒にやろうか、と言っていたが宿題があると言うことで結局おら一人になった。
 水泳一キロ足らず二十分十二秒、自転車約四十キロ終了時二時間四分、ランニング約十キロ終了時三時間十七分五十五秒。
 水泳の時ゴーグルを着け忘れ、眼がしみた。自転車はナカイソから三浦までの県道
を五往復。四往復目からヨレヨレ。ランニングは後半に入り、クタクタになったところでウシビターの実をを二十くらい頬張ると、元気が出てきて何とか完走できる。
 リョウキチとタイシ君がランニングの時応援するつもりで三浦の方に行ったようだが、運悪く北野道のランニングのおらとは途中すれ違いになってしまった。三浦の夕陽はきれいだったようだ。
 
 赤々と 染まる夕空 柔き海
     小さき影の 浜にただずむ
 
 
 
 八月二十八日(月)晴れ
 朝ランニング休む。子どもたちは走る。
 朝、カミカドで釣る。鯛を狙うが鯛は釣れず、いい形のアジが釣れる。家に帰って釣り道具を整備。午後、また釣りに出る。釣り道具を忘れた事に気づき、携帯電話でオカカに連絡し、波止まで持って出て貰う。満ち潮になってコージロで釣っているとイワシらしいのが釣れたようでそのままやっていると期待通りハマチが来る。糸をとられ、二十分以上かかり何とか獲る。ハマチとヤズが一匹掛かっていた。枝が二つ切れていた。ハマチが三匹掛かっていたようだ。何とか一匹獲れ、上々だ。
 
ウシビタの 青紫の つぶらなる
  かすかな秋の 島の山道
 
 
 
 八月二十九日(火)晴れ
 朝のランニング、この日今シーズン最高記録をめざし、目標達成。早めに起きてウオーミングアップをして臨んだ成果である。リョウキチは、明日最高記録を目指すので、おらが予行練習代わりでやって見せた
 トオル君、康っちゃん来島。伝馬船のペンキ塗りをする。
 おらとナゴジローはウシビタの木を調べる。実が成るのは、どの程度の大きさの木になってからか、と言う疑問から、調べてみた。小さい木でも実が成り、熟れていた。三年目くらいの木で実を付け熟れる可能性がある様だ。
 昼飯を、トオル君とビールと共に食し、ハマチを求めてコージロに出る。
 トオル君はノマセで、おらはスカート。リョウキチは昼寝。おらのにタチが五匹釣れる。トオル君のになかなか当たりがなかったが、帰ろうかという直前、ハマチが食いついた。と思うまもなく、切れた。時間切れで大急ぎ帰る。
五時の「いわい」で康っちゃんと楠町に帰っていった。
 伝馬船が浜にきれいな姿で残っている。
 
 
 
 八月三十日(水)晴れ
 朝ランニング、リョウキチが目標タイムで走る。ナゴジローとユウベエは目標はなかったのでいつも通りのタイム。ナゴジローはランニング皆勤賞。
 七時前に釣りに出る。ノマセでハマチを狙うが一匹も気配なし。丸アジ二匹、平アジ四匹の釣果。一昨日のハマチを組合に持っていく。ドウランの中で擦れている。四、三キロ。
 帰ると、子どもたちは、東の浜の海遊びに行っている。昼に帰ってきて、大きいチヌがいた、と、ナゴジローも弾んで話している。楽しかったようである。
 午後、明日のバーベキュー用のサザイを調達に磯の底に潜る。三十分で目的を達成し、帰って、本日後半戦の釣りの豊漁を思い描きながら、釣りに出る。
 結局丸アジ一匹、ヤズ一匹。で豊漁ではないが、気持ちはまずまず満足。丸アジ一匹は、行く途中、イワシの群にヤズらしいのが見えたのでタコ坊主を漕ぐと大きい丸アジだった、という丸アジ一匹。ヤズは帰り際のシリボソでの一匹。これもタコ坊主。
 通り矢ではヤズがモガモガ釣れたそうだ。
 夕食は、ハモを貰ったとかで、湯引き。ハモはオカカ担当。おらは酢味噌と梅肉のたれを作る。子どもたちに好評だった。あとはアジの煮付け。夏の海の終わりを味わった。 
 
 
 
 八月三十一日(木)晴れ後曇り
 おらが夏休み最終日。ランニングは休み。 魚が必要になり、釣りに出る。ヤズが欲しかったが、まず丸アジを確保してヤズを狙う。結局丸アジ十五匹程度とヤズ二匹を釣って十時過ぎに帰る。燃料補給。
 リョウキチとナゴジローは、最後の海遊びに行っているので、おらも行く。後、ユウベエも来る。一家四人で東の浜を占領した。リョウキチ、休み無しのクロールで約五十六メートルを記録。
午後、オカカはユウベエと、東の浜の見張り場の日よそいを外しに行く。
この夏は何と言っても神舞の夏だ。おらの体験よりもリョウキチの体験が大きかっただろう。ナゴジローも巫女さん初体験。ユウベエは二度目の巫女さん体験。おらは太鼓初体験。
おらがトライアスロン復活も大きい。膝の故障で、できなくて、四年ぶりにできたのだ。やれればやろうというつもりで夏休みに突入したのだが、クロールに付け加えてバタフライをやってみたせいか体力が少し付いたような気がする。 
リョウキチとの五月丸での釣りの機会が増えたのも、またこれからの楽しみだ。
 ウシビタジャム製法も、ナゴジローが受け継いでくれそうで、これも喜ばしいことだ。
 ユウベエはスパゲティー作りの腕とパソコン操作の腕が上がった。
 オカカはリョウキチの剣櫂、ナゴジロー・ユウベエの巫女さんの衣装についての知識が深まった。
反省としては、山彦としての活動が足りなかったことだ。山彦としての活動がないと、少し思慮が浅くなったり、刹那的な行動が多くなったりするように思う。山の恵みは時をかけて実りをもたらし、海の魚は突然やって来て釣り針に掛かってくれるように感じるからだろうか。海の魚も、きれいな海と長い年月がもたらしてくれるのだが、普段はそれを忘れている。
 次の夏休みはもっと山彦の活動を取り入れて、本も読んで遠謀深慮的素養を身につけよう。

   

 これで2000年のおらが夏休みがおしまい。

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