おらが作品集

祝島での実話的夏休み日記帳です。
 「おらが夏休み」1996
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 「おらが夏休み」1998
 「おらが夏休み」1999
 「おらが夏休み」2000
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  「おらが夏休み」2003
  「おらが夏休み」2004

   

学級通信「泥まみれ」04/2/17更新 千葉県の中学校での1981年発行学級通信です。只今62号まで

学級通信2E 02/9/27更新 千葉県の中学校での1980年発行の学級通信です。ただ今4号〜9号までです。松本君から連絡がありました。(02/7/31)大杉さんから(お母さんからも)連絡がありました。

絵など(おらが家族の絵・切り絵・イラスト・漂流物・焼き物・生け花等の写真です。)

おらが唄のぺーじ 「おらが島の山道」が加わりました。03/1/6

祝島あれこれ おらが過ごした年月を振り返ってみました。04/8/25

魚・肴・さかなのページ 祝島の海でとれた魚等のことをあれこれ書いています。

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「おらが夏休み」 1996年

七月二十日(土)「海の日」今年から祝日
長い夏休みが始まった。
昨日台風六号が通過し、この日はかなり海が静まって、昼からは夏休みらしくなる。親父が木村菜園からトウモロコシをいっぱい採ってきて、おらが夏休み初日はトウモロコシによって幕が開いた。
午前中に、神舞箇屋の、苫編みのビデオを撮る。今年はビデオカメラマンにもなって、おらが公園を映像に少し収めようと思っている。裕子は苫編みに出ている。
十時のおやつは、おととのゆでたトウモロコシ。昼飯はおととの玉子丼だ。昼飯の前に、長磯の木村菜園に台風被害の視察に行って無事を確認。キューリ、マッカウリを収穫して帰る。
午後は、早速子どもたちの、東の浜での海遊びに付き合う。これもビデオに収める。
涼は、始め、海水がしみると文句を言っていた。泳ぎは忘れていず、ちゃんと浮かんだ。東の浜の遊びが終わった後、人家の前の海に潜ってテングサを収穫。テングサはところてんの素。
夕方、涼と二人で五月丸を中の波止から東の波止へ移動する。台風で、中の波止に避難していたのである。
夕食はアジ、キューリ、冷や奴。
晩に、裕子は子どもたちと花火。その後、星を屋根の上で見て、夏休み初日は終わる。
 
「海の日の トウモロコシや 潮の味」

 
 
七月二十一日(日)晴れ
朝6時半から丸アジを釣りに出る。小祝島の少し沖で、サガリを下げる。ポツポツ釣れる。九時過ぎまで三十匹余り釣って、ハーモニカを吹きながら帰る。
家に着くと、涼達が泳ぐ格好で待っている。先に行かせて、おととのおらは、遅い朝食を済ませて後を追いかける。淳ちゃんも息子を連れて遊びに来る。
150メートルの水泳トレ、一回目。
午後はワープロで暑中見舞いのはがきを一枚作る。
夕方約7qのランニング。
夕食は丸アジ、ピーマン、インゲン、イカのてんぷらと丸アジの刺身。キューリの酢味噌あえ。全部祝島産である。今年は親父が、木村菜園を拡張して野菜がたっぷり味わえる。
キューリは採れ過ぎくらいできる。食卓を自分たちの収穫したものでととのえ、味わうというのも、あらが夏休みの楽しみの一つである。
裕子は苫編みと親戚の法事の手伝いの一日だった。
 
「てんぷらの 味やたっぷり 祝島」
 
 
 
七月二十二日(月)晴れ
朝、子どもたちのランニングに付き合う。ちょっと遅刻して1キロ余りをチンタラチンタラ走る。若いしの広和君も走っていた。感心だ。
昼からは仕事を忘れて、ちょっと子どもたちの、東の浜の海遊びに付き合う。
トオル君が伝馬船を海に降ろすのを手伝う。台風避難のため数日前陸に揚げていたのだ。
その後300メートル水泳。
暑中見舞いのはがきを作ったり、島の子供のギター練習に付き合ったりして、のんびりとおらが夏の一日が終わった。
そうそう、ひろしの奥さんのおなかの子は男だったという情報が入った。
 
「奥さんの おなかの子どもは 男の子」
 
 
 
七月二十三日(火)晴れ
朝ランニング。午前中浜の日除けの工作。大分できる。
午後東の浜で子供と水遊び。涼が初めてクロールらしき真似をする。ビデオに撮る。裕子も見る。
水泳トレ400メートル。
三時半からカヤックを組み立て、オキナ(チョンギー)にニガモモを採りにいく。
途中でルアーをこぎ、エソ、平鯵の収穫。東の波止に帰ると涼が迎えてくれる。
このニガモモ、かなり桃の原種に近いそうである。
 
「荒磯の 桃の実遥か 時を越ゆ」
 
 
 
  七月二十四日(水)晴れ                 
朝三日連続のランニング。毎朝歳を感じるランニングを続ける。
二回目の鯵釣りに出る。三十匹余りの丸鯵と鯖を釣って、ハーモニカを吹きながら帰る。一時間余りの釣果。千葉の友達に送る。
十時過ぎに、友と和は八島キャンプに出発。見送る。  
親父、風呂場の天井の修理。ちょっと手伝う。       
午後、一人残った涼の、東の浜水遊びに付き合う。水泳トレーニング六百メートル。
トオル君も毎日泳いでいる。水泳の後、トオル君は初の伝馬船単独航海で大久保にエソ釣りに出る。釣果は一匹とのことだがメモリアルフィッシングかも知れない。 
鯖を〆鯖にする。久しぶりの味である。          
 
「伝馬船 ゆらゆら波や 独り言」         



七月二十五日(木)晴れ                 
朝四日連続のランニング。ヨレヨレの走り。到着前にやっと元気が出る。
帰りに木村菜園で涼とトマトを収穫して帰る。  
朝飯を食べて、ゆっくり鯵釣りに出る。ちょうど一時間釣って約三十匹。午後は相変わらずの東の浜。今日は浜に日陰を作るための工作をした。
午後は相変わらずの東の浜。今日は浜に日陰を作るための工作をした。
涼は海への親しみが着実に深まって行く。親父(じいちゃん)も見にきて帰る。
水泳トレーニング七百五十メートル。
夕方、山口市から丸鯵の酢〆めがおいしいと、電話が入る。早速夕食にやってみる。さっぱりしていて、涼も〆鯖とよく食べる。この夏から涼が一番の魚好きになりそうだ。        
 
「釣り好きや 魚の味も 寄り添いし」
 
 
 
七月二十六日(金)晴れ                 
朝五時過ぎに起きて丸鯵釣りに出る。セイロと氷を積んで今日は漁師になるのだ。五時五十分出発。 
着いてすぐに鯖が釣れ始め、〆鯖がたっぷりできると喜ぶ。 鯵はポツポツであるが余り途切れることなく釣れる。十時まで釣って帰る。帰る途中で氷でしめて組合に持っていく。セイロに三つ、一セイロに十六匹くらいで四キロである。この日の収穫は十二、三キロ。この夏初めての伝票である。鯖は全部で十七匹、約七、五キロくらいだろう。十匹〆鯖に、三匹塩鯖にする。この作業が昼飯抜きで二時前までつづく。漁師と調理師の半日だ。鯖四匹はドウランの中で泳いでいる。       
二時半から子供たちと東の浜の水遊び。水泳トレーニングを九百メートル。初回から百五十メートル(一往復)ずつ増やして、この日が六回目だ。
夕方長磯の木村菜園で瓜、キュウリを収穫。親父が風呂場の天井の修理で木村菜園にご無沙汰をしているのでキュウリは馬鹿でかくなっている。瓜もこれからどんどん熟れてくる様子。この日も三個収穫。 
〆鯖とキュウリの酢味噌あえで一杯。           
〆鯖はまだ新しすぎる。丸みの出る、あすからの味が楽しみというところであるが、ほぼ満足のいく一日であった 
 
「豊漁に さわぐ心や 〆鯖や」
 
 
 
七月二十七日(土)晴れ。
土、日は朝のランニングは休み。土は丸鯵釣りは休み。一番ゆっくりできる日だ。
この一週間で、おらが夏休みはたっぷり味わつた気分。おらが筋肉は丸鯵と鯖の蛋白質で出来上がったような気がする。  
鯵と鯖になったつもりでヨボシに行って潜って瀬戸貝を採る。貝飯用とソーメンのだし汁用。和の好物のサザイも少し。十時半から十一時半までの、おら風のおらが公園の散歩だ。夕方、久しぶりに自転車に乗る。十五キロだけ。首がだるくなる。
トオル君が、ヨボシで危うく遭難しかかる。船外機のプロペラのピンが折れて動かなくなったのが原因である。吉田酒店の船に引っ張られて帰ってきたそうである。行ってみると波止の中で櫓を漕ぐ練習をしている。鯵を六匹釣っていた。     
体験は一つが玉葱の皮一枚剥くくらいの値打ちがあるかもしれないし、無いかもしれない。人それぞれ。
がんばれトオル君。                            
 
「伝馬船 板一枚の 海と空」       
 
 
 
七月二十八日(日)晴れ                 
島の子達との祝島一周の予定日だったが、あびきがあるので八月四日に延期する。あさ、あびきの確認にいったとき、磯釣りの人がクーラーボックスを流され、呼ぶ。とって渡すとき、五月丸の船底を瀬でこづく。あびきは手強い。台風九号がはるか南の海にいる。 ポッカリ空いた一日になった。東の浜の日陰作りを少し進める。
夕方ランニング約八キロ。途中ヨレヨレになり、長磯の木村菜園でサザンキョウと桃を食べて元気をだし、帰る。     
 
「ぽっかりと 時の途切れや 気の途切れ」
 
 
 
七月二十九日(月)晴れ。                
朝、久しぶりにランニング。               
船たでをしようと、朝のうちに東の浜に五月丸を据える。  
午前中、仕事があり、午後から船底をこすり始める。三時過ぎにトオル君が通り掛かりペンキ塗りを手伝ってくれる。   
晩飯をトオル君、愛ちゃんと一緒に食べる。        
ヒロシ君にトオル君の漂流報告をする。          
 
「船たでや 赤と白との 艶やかさ」
 
 
 
七月三十日(火)快晴。大潮。干潮十四時三十一分     
昨日の船たでとビールで体がだるく、朝のランニングはずる休み。
午前中ちょっと仕事があって、午後二時前から二時半までヨボシまで散歩。瀬戸貝一ダースとサザイ二十個収穫。干っていて採りやすかった。ただし、あびきは少しある。台風は中国大陸に向かいそうである。              
磯の散歩から帰り、涼の海遊びに付き合う。中の波止での小魚すくいである。このところ暑い日が続くが、涼の海遊びも毎日続いている。親戚のマサ君も一緒であるが、少し飽きっぽいようである。                       
夕方櫂伝馬の漕ぎに出る。トオル君も一緒。        
明日の鯵釣りに備えて氷を積んでおく。          
 
「磯遊び 幼き日々が 騒ぐ波」      
 
 
 
七月三十一日(水)晴れ。大潮。干潮十五時十八分     
朝五時起き。セイロをとってきて、鯵釣りに出る。室津だしで昨日釣れたとの情報でそこに向かう。東まわりで行く。西の方に満月に近い白いお月さんが浮かんでいた。
インナクラ沖にタチ釣りの船が二十から三十隻いて、その向こうに鰺釣りの船が見えた。きのうは鯖も釣れたそうで期待して出たが、鰺も鯖も釣れなくて、八時五十分まで釣って帰る。一セイロ(四、八キロ。)この夏、伝票二枚目。日本のどこかの食卓か、飲食店の献立をおらが釣った鯵が潤すのだ。誰か名も知らぬ人が「まあ、おいしい。」といって食べてくれると、大変いいことだ。     
午後二時前からヨボシの散歩。海に浸って二十分。瀬戸貝を十五、サザイ二十五。帰りにナカバエで、おらが家族と隣のお客の磯遊びに出会う。ちょっと一緒に遊んで三時半ごろ友と二人で帰る。隣のお客は、若奥さんと双子の妹さんとその息子。若奥さんとその妹さんはそっくりである。
帰ってのんびり「海に暮らす」をちょこっと読む。この本は北米ロングアイランド島サウス・ホークの漁師たちの話。海の男たちの実録である。著者はピーター・マシーセンという人。 
夕方、櫂伝馬漕ぎに出る。六時から七時まで。休憩に缶ビールが出る。この日はトオル君、ヒロフミ君、ヒロカズ君も出ていた。今年は神舞の夏でもある。
おらが夏休みの七月は櫂伝馬漕ぎの練習でしめくくった。  
 
「食卓や おかずの里は 何処かな」      
 
 
 
八月一日(木)晴れ。大潮干潮十六時二分
おらが夏休み「八月の部」は竹切りから始まった。神舞小屋を作る材料の真竹を一区当たり二十本ずつ切るのである。一区から六区までが五人ずつ計三十人で三浦のコダの田尾の竹を切りにいったわけ。三浦からの運搬は進宝丸ほか四隻の船。   
六時集合で八時頃には作業完了。             
十時過ぎにちょっと東の浜の日陰作りを進める。      
子供達は海遊び。この日は裕子が一緒。          
午後二時半から三時半までヨボシの磯の散歩。瀬戸貝二十足らず、サザイ三十足らず。あびきが大分おさまってきた。台風は大陸に上陸間近のようだ。           
四時半からランニング五キロ。汗をかく。         
夕方、櫂伝馬漕ぎ。その後、明日のために氷を積んでおく。 
晩に淳ちゃん、典子ちゃんに電話。神舞の「唄の夕べ」の為に。 
子供達シャギリの練習で毎晩九時頃までやっている。
 
「山彦に 海彦になる 祝島」
 
 
 
八月二日(金)晴れ。                  
ランニングずる休みをして鰺釣りに出る。 。
ほとんど釣れず。鯖が終わり頃四匹なっていて、これが救い。鰺釣りをビデオで撮る。この日伝票無し。裕子鰺を友達に送る。             
子供の海遊びの終わりの時間をちょこっと見に出る。それまでは裕子が付き合う。
午後〆鯖を作り、ナカバエで潜る。サザイ約三十とタコひとつ。スズキの三キロ級が、おらに驚いて瀬の影から飛び出す。去年もここで見た。四時頃。
夕方、櫂伝馬の練習。子供はシャギリの練習。       
 
「驚かし すまない気持ちや 海の幸」
 
 

 
八月三日(土)晴れ。                  
ヒロシ君に神舞の印刷物を送る。
トオル君は子供を連れて、田布施に行く。見送った後。浜の日陰の工作。角材が小さくて失敗作だ。修正要。                    
十時過ぎから子供たちと東の浜の海遊び。みんな楽しむ。子供は少なく、浜が広々としていた。和と涼が、三十センチの高さから初めて飛び込んだ記念の日になった。十二時すぎまで泳ぐ。          
午後岩本(裕子の親元)に行く。和の発案。「お祖母ちゃん喜ぶよ。」ということで子供達三人が岩本に集まった。    
四時から涼と今年初めての磯での水遊び。涼と二人でアブラメとゴチを見る。少し水が濁っていて条件は悪かった。収穫サザイ二十余りと小さいタコふたつ。
終了間際の選挙をすませて櫂伝馬に出る。トオル君もヨボシの鰺釣りから急いで帰って参加。
夕食時、親父から話を聞く。親父は櫂伝馬をかいたことがなかったそうである。若い頃、ちょうど戦争の勃発時で神舞をひかえるということを寄り合いで決めた年が、親父の高等小学校卒業の年だったそうである。昭和十一年頃だろう。その年、ちょうど秋の祭りでヤーサー(神輿)に乗ることにもなっていて練習もしていたが、これも取り止めになったそうである。それまでは氏本クラブ、天草クラブ、嶋本クラブ、岩本クラブが各二隻ずつ合計八隻出していたそうである。漕ぎ手はそれでも余っていたということ。戦争から帰って来た当時も若いしは一杯いて、戦後も結局漕ぐことも踊ることもなかったということである。    
親父が戦争が終わって帰ってきたのは十二月二十七日。ちょうど谷蔵さん(親父の叔父・タンニーさあ)が船の油を買いに来ていて室津で乗せてもらい帰ってきたということ。四代から大西で、小さい船にドラム缶と四人(谷蔵さん、親父、吉原要一さん、山本ケンしゅうさん<故人>)が乗っていて、相当危ない状態だったそうだ。始め親父が舵をとっていたけどタンニーさあに替わってもらったということ。
非常な体験を親父のように波風を立てずに話したいと、おらは思う。                         
「潮だまり 海の瞳か のぞき窓」    
 
 
 
八月四日(日)晴れ。                  
朝四時前に目が覚める。四時半頃船に出、鰺釣りに出漁。潮は良いし豊漁を描いて出たがポツポツしか釣れない。釣りは豊漁・大漁を思い描いて出ていくが、叶えられることはまれにしかない。八時過ぎまで釣る。伝票五、三キロ。        
十時から祝島一周に出発。参加者正和君、トオル君。トオル君は伝馬船で荷物を運んでくれる。途中、伝馬船のモーターからスクリューへの連結ピンが折れて、補修。トビイシでちょっと泳いでつまみを採って、小休止をする。四時四十分頃東の浜に到着。正和君、靴ずれと少しの股ずれ。 
六時から櫂伝馬漕ぎ。睡眠不足気味で、草臥れ気味の一日であった。       
友は巫女さんの練習開始。                
 
「島の磯 波のまにまに 人が揺れ」                          
 
 
八月五日(月)晴れ。                  
朝のランニングずる休み。午前中仕事。          
午後東の浜の海遊びに付き合う。日差しがつよく、海に入っていなくては熱すぎる。涼と和の潜水の石投げ係。涼も和も潜りの腕がジワジワ上がっている。和は昨日から飛び込み台まで泳げるようになり、涼は知らぬ間に浮き輪ながらバタ足がきれいでよく進むようになっている。涼立ち泳ぎに挑戦。五秒がこの日の限界。
まだ暑い中、涼と五月丸で釣り。チンを狙う、と涼の要望。 昨年の味が心に残っているようだ。タケノコネバルが数匹釣れただけでチン(クロダイ)は釣れない。
涼との釣りの後櫂伝馬漕ぎがあるというので出る。月曜は休みかと思っていたが、いつもより力をこめて素早く終えた感じの漕ぎであった。掛け声も気合いが入っていた。
氷を五月丸に積む。
〆鯖でビールを飲んで一日を締め括る。          
 
「釣り上げた 気の高まりや 五月丸」
 
 
 
八月六日(火)晴れ                   
あさ五時前に起床。鰺釣りに出る。始め、島の後ろに行くが、一匹釣れてその後釣れない。昨日の情報でヒラモぐいあいに出る船もあるということを聞いていたので行ってみる。ボツボツ釣れて十時過ぎまでに九キロ。思っていたより釣れていた。まずまず満足に近い働きをしたわい、という気持ちで帰る。晩のつまみの魚をバケツに入れて家路に向かう、おらが夏休みは盛りだ。鰺は洗いにして冷蔵庫へ。
昼から真面目に仕事をした。   
仕事から帰ると親父と裕子が海亀の「ター」の水槽の水替えを終わったところ。きれいな水のなかをターが気持ち良さそうに泳いでいる。友が洗濯物を取り込んでたたんでいる。裕子に頼まれてやっているのだと思うが、今日の鰺釣りの収穫で気分を大きく持っているおらは、友にお小遣いをあげた。       櫂伝馬の練習が今日は休み、と島内放送がある。      
夕方久しぶりにランニング約八キロ。途中、アカイカの干しているのを見る。中の波止ではケンちゃんが鰺を釣っている。ケンちゃんは櫂伝馬の剣櫂(後の樽の上で踊る役)である。これも久しぶりの釣りだろう。
ランニングから帰って、木村菜園のトマトをもいで食べる。 子供の海遊びには付き合えなかったけど、充実した一日だった。
鰺の洗いがよく引き締まり、ビールも冴える。       
 
「海べりの いかの白さや 青のなか」
 
 
 
八月七日(水)晴れのち曇り               
朝久しぶりの子供とのランニング。帰りにトマトをもいで和と食べる。
午前中仕事で合間に東の浜の日陰を作る。なんとか一応の完成。
午後子供と東の浜の海遊び。涼11メートル、和21メートル泳ぐ。涼息継ぎができる。おらは水泳四百五十メートル練習。  
夕方櫂伝馬漕ぎ。この日は前後に寿宝丸、哲宝丸をつないで漕ぐ。サイヘイ、ケンガイの練習は部屋のなか・陸の船の上・海の上・船を繋いでの練習、と段階を経るのである。      

「緩やかな のぼりを歩む 海遊び」
 
 
 
八月八日(木)曇りのち晴れ。              
朝子供とランニング。ランニングの後、波止に鱸を見にいくのが涼との日程。帰りにトマトをもいで食べるのが和との日程。友は自分のペースでゆったりと過ごす。
七時からいよいよ神舞の小屋づくり。午前中は柱建て。   
午後からいよいよみんなの出番、おらも出番。竹をくくる。六時過ぎまで作業。
夕方櫂伝馬漕ぎ中止になり、汗を流すのと一緒に水泳を練習。 晩、鰺を肴にトオル君とひょっくり、ビール。するとひょっくりヒロシ君から電話。神舞の櫂伝馬漕ぎにヒロシ君も出ようかなという話。神舞が楽しみだ。                
 
「おらが海 鱸の影に 寄る親子」
 
 
 
八月九日(金)晴れ。                  
朝ランニング。涼と鱸の観察。帰りにトマトもぎ。     
涼と鰺釣りに出ようとするが、涼波に恐れて途中引き返す。波止に涼を降ろし、一人で出る。一時間余りオイトモ沖で釣ってかえる。十匹余り。サイどりである。サイというのはおかずのこと。つまり自分の家などの食料として釣ることをサイどりというのである。
昼前にテングサを採る。和一緒に浜にいく。        
午後子供の東の浜海遊びに付き合う。           
鯵の刺身を作って、五月丸に氷を積んで、櫂伝馬の練習。
晩に涼と漁協の倉庫にセイロを取りに行き五月丸に積んでおく。明日は土曜だが鯵の漁はしても良いとの放送があったのである。
 
「テングサの かおりが起こす 過ぎし時」
 
 
 
八月十日(土)晴れ。                  
朝五時起き。鯵釣り。牛島の方で釣れたとの情報で出るが釣れないようなのでオキナのはるか沖を釣ってみる。ボチボチ釣れていたが、糸が舵に掛かり、それを外そうと舵を引き上げて、それを上から落とし、舵が回らなくなってしまう。色々やってみるが駄目で、結局トランシーバーで浜栄丸に助けを求める。波止まで曳航してもらう。
午後新庄大工と岩本鉄工に治してもらう。熱で熱くなった台座に舵の根元のゴムが入って抜けにくくなるようである。   
舵つかを折ってしまったので、ソウヅイまで切りにいく。ちょっと気を抜くと大きな失敗につながる。海の上では特に小さい手抜きが、一瞬のうちに大きな過失に膨らんでしまうことが多い。一挙手一投足をきちんとすること。これがこの日の教訓である。それとトランシーバーはいつも通話可能にしておくこと。
櫂伝馬に出る前に長磯の木村菜園にいき西瓜を七つ収穫し、彼方此方に配るが、家で切ってみると暑さに負けてだらっとしている。配ったのが、ああいうふうにだらっとしていたら、どろっとした気分を配達したことになってしまう。        
櫂伝馬から帰ると、明日は柳井旅行ということになっている。今日は和の誕生日。   

「広々と 静かな海や 深きかな」
 
 
八月十一日(日)晴れ。                 
五時起床。久しぶりの柳井旅行。             
わかしお(定期船)の上から見ると、牛島の横に鯵釣りが固まっている。わかしおは、室津からはおらの家族の貸切である。柳井に着く前は子供三人とも眠ってしまう。おらが右足が和と友、左足が涼の枕で、海は凪だった。
子供は何百円かの買物を楽しんで、親も悩みながら何千円かの買物にいそしんだ。その中にトランシーバー用の電池もあった。親父への土産はカラオケのCDと鯛焼きだった。 盆帰りの、神舞帰りの客も増え、祝島もじわじわと人の数が増えていく。
帰って、西瓜を三つ収穫。なんと梨が一つ残らず無くなっている。多分カラスだろう。
櫂伝馬の練習に出て缶ビールを二本もらい、飲む。            
外国のふみちゃんから電話がくる。みんな元気にやっているようである。ふみちゃんのお父さんにトオル君の漂流一歩手前の話も忘れず知らせておいた。外国ではテレビが外国語だそうだ。                           
「足枕 旅ゆく人が 船の上」
 
 
 
八月十二日(月)晴れ。                 
めずらしく仕事で島の外に出る。             
昼から自由になって寒冷紗を買う。東の浜日陰用。いやあ、東の浜の日陰作りは、ゆるやかで長い取り組みだった。
ルアーやキャンプ用のマットも買って、子供の土産のミニサボテンも買って富豪の気分で島に帰ってきた。和誕生会。   
東の浜の海を富豪の気分で広いプールと思って約九百メートル泳いで、急に謙虚になって櫂伝馬を漕いだ。        

「本州の 地温の高き 道路かな」
 
 
 
八月十三日(火)曇り。                 
台風が沖縄を通過してこちらに向かう気配を見せている。
この日も仕事があって五月丸に乗れない。親父が九時過ぎに五月丸を中の波止に回してくれる。
仕事の合間に愛ちゃんと典ちゃんに刺身を作ってやる。
昼から神舞小屋の台風向けの補強作業をしている。櫂伝馬も東の浜に上せている。明日か明後日の通過になるだろう。神舞入り船が予定どおりできれば良いがと思う。
三時のおやつに典ちゃんが冷たいそーめんを持ってきてくれる。おらは幸せな気分で一時間程仕事もしないで過ごした。   
裕子台風対策に動く。家の周り、東の浜の日陰場など。  
夕方五十分ヨタヨタランニング
 
 
 
八月十四日(水)台風通過。雨約四十ミリ。        
朝六時頃中の波止に芯綱張りに出る。五月丸を台風に備える。朝から波はざわざわする。雲も行く。
午前中仕事。                      
二時四十五分頃気圧が九百七十三ヘクトパスカルになり、祝島に最接近。三時半頃にはまじがおさまり、四時過ぎから西風が強くなる。まじ(南風)は猛威をふるうという程ではなく、西風は冬の大西を越えて吹く。               
台風は熊本・周防灘・徳山・岩国というコースを通ったようだ。近いと、まじが素直で西が強いようだ。時間は短い。もちろん台風の規模にもよるだろうし、台風の個性にもよるだろうから言い切ってはいけない。自然の現象にまったく同じことは起こらないだろうから。おらが勝手にそう思っているだけだ。 
通過後彼方此方歩いてみる。東の浜の日陰場が壊れている。完敗だ。五月丸は無事だ。                 
「台風が 過ぎて笑顔の 五月丸」 
 
 
 
八月十五日(木)晴れ。                 
朝芯綱を取り外し作業。                 
八時から神舞小屋のとま掛け作業と言うことだが、おらは仕事のため、この作業は親父に出てもらう。
島と山の子供達とハーベキューを一緒に食べる。その後釣りもしたようで涼はご機嫌だった。      
午後妹二人帰省。                    
夕便でヒロシ君来島。ビールを飲んで淳ちゃんのところで寝たようである。                      
「とま掛けの すまして明日の 神を待つ」
 
 
 
八月十六日(金)晴れ。                 
神舞入り船行事。                    
朝親父に手伝ってもらって五月丸に旗を立てる。      
九時半過ぎに櫂伝馬出港。五月丸も浜さんと涼を乗せて出港する。十時過ぎに涼を降ろして、三浦に向かう。       
三浦で十一時頃御座船を出迎える。その後三浦湾で缶ビールを飲みながら昼飯を食べる。哲宝丸と友勝丸と繋いで揺られながら。友勝丸から西瓜をもらってデザート付きである。途中で御弊をいただきに神様船に行ったりもする。         
船列を作り出発を待つ間、前の祝勝丸に子供が乗っているので西瓜を一切れ持っていってやると、お返しに穴子のつけ焼きのおいしいのをくれる。祝勝丸は延縄専門で穴子料理も一級品である。       
午後一時、船列が出発。人家の前を三周して櫂伝馬、神様船が入港。出迎えのシャギリ、巫女と神舞小屋に向かう。おらと浜さんも五月丸を降りて神舞小屋へ。神事の様子をビデオに撮る。子供たちの巫女、シャギリのクライマックスが無事終了。裕子も一安心した様子だった。                
櫂伝馬に乗ったのはヒロシ君、トオル君、裕文君、広和君。トオル君以外は初体験である。ヒロシ君は山の子を見送った後、四代まで五月丸で行って、車で帰る。
夕方のニュースで神舞をやっているのを裕子ビデオに収録。
晩は、大きな祭りのわりにはのんびりと過ごす。      
涼は浜さんと夜店にいって楽しんだようだ。        

「入り船の 夜店に遊ぶ ゆかたかな」                         
 
 
八月十七日(土)晴れ。                 
朝鰺釣りに出る。牛島に向かう途中中程で鰯が湧いている。さがりを下げると、鰯に混じってときどき大きな鰺がくる。九時頃までに三十くらいと鰯をいっぱい釣る。奉賛会に二十くらい持っていく。帰ってみると浜さん達は帰っていた。     
東の浜の海遊びがこの日はにぎやかだった。友、和、涼もいとこの綾ちゃん、直君、拓ちゃん達と楽しそうに遊んでいた。 
午後涼と岩本に上がる。裕子の兄姉妹家族が帰っている。鰺を持っていって刺身をサービスする。うまいといって食べてくれる。ビールを少し飲む。三時に広和くんと磯にいく約束をしているのでビールを控えめにして帰る。           
磯はヨボシにいく。広和君泳ぎは大丈夫ということでエビ瀬の近くでサザイなどを採る。瀬戸貝も少し採ったので焼いて食べる。同級生が通り掛かり暖まっていく。
晩方、岩本に上がった後盆踊りに出てみる。二、三十人踊っている。裕子の兄さんも踊っている。おらも踊る。三十分くらい踊って帰って寝る。                   

「磯浜の たきぎの中に なつかしさ」
 
 
 
八月十八日(日)晴れ。                 
朝ゆっくりし、八時頃から防雀ネットを田に張るのを手伝う。たっちゃんも手伝いにくる。朝出会って、涼にとカブトムシを五、六匹もらう。たっちゃんにはこの夏カブトムシやらクワガタムシやら合わせて二十匹くらいもらった。        
昼前に長磯の木村菜園に行き西瓜を十個もぐ。バイクに積めないので小屋に三つ入れておく。大きいのはカラスにつつかれ腐っていた。その後裕子と東の浜海遊びの子供との付き合いを交替。       
昼から、うとうと昼寝。その後神舞を見にいき涼、和、裕子の妹家族と久しぶりの磯遊び。涼は夏休みの宿題を兼ねて。おらはサザイを採って焼いてみんなに食べてもらう。
裕子も少し遅れて参加。それまで和は不機嫌気味。裕子がいないと十分楽しめないというか、ものたりないというか、そういう家族の関係になったようだ。友は巫女さんになって神舞小屋でおまもりを売っているので今回は不参加。しぶしぶ不参加でなく、自分でそう選んだので、不参加もみんなの気持ちはすっきりしているようでいい。
夕食後「山下ひろみとともに」という催しが神舞奉賛会によってもたれる。
最初島の人出演のカラオケ大会がある。淳ちゃんが出るので見にいくつもりだったのに、遅刻して淳ちゃんは終わった後だった。典ちゃんの話では大変上手だったようで、黄色い「淳ちゃーん」という声援が飛びかっていたようだ。まずまず良かった。締め括りが山下ひろみの歌だった。ジュエットもあったりしておおいに盛り上がっていた。山下ひろみも司 会の丸山修も祝島が気に入ってくれた様子だった。おらは「あいつの待ってる港町」というテープを買った。
典ちゃんと愛ちゃんが缶ビールを持って立っていたので、おらもほしくなって買って飲んで帰って寝た。 
「神舞の 小屋が唄って 島が酔う」
 
 
 
八月十九日(月)晴れたり曇ったり。           
昨日予定の、おらがトライアスロンが都合で今日に延期になつた。広和君も参加する予定だったが、仕事が入り、今年もおらだけのトライアスロン大会になった。しかし広和君が参加するつもりでいたとはたまげた。来年はひょっとすると実施以来初めて二人になる可能性を秘めてくる。           
今年も給水所を途中に設け、缶ジュースを一本木の影に置いて、九時少し前に出発した。今年は裕子も協力して羊羹なども水泳後に食べられる。
水泳は西の波止からNTTの建物まで。満ち潮で、潮の流れに逆らって泳ぐことになった。大きな魚には会わず、中ごろでエサカブレの足の部分に顔からつっこんでしまった。チクチク痛くて気付き、あわてたため右足が吊りかける。新鮮なカブレの足でなかなか強烈であった。吊りかけた足は泳いでいるうちに治る。水泳のタイムは約二十六分。
自転車は長磯の道路を十一往復して、おらが家までの約四十キロで、自転車に乗っていた時間は約一時間二十三分。途中で手を置くパイプを固定している長いネジがチャリーンと落ちる。次にその場所を通るとき簡単に見つかり拾う。このネジ二本あるうちの一本はすでに落として無いのでパイプから手が離せなくなった。しかし、自転車は昨年より少しうまくなっているようでタイムは縮まった。
ランニングはヨレヨレながら、給水所で立ち止まった以外なんとか完走。走った時間約一時間三分。
スタートからゴールまで二時間五十九分四十六秒。去年のおらがトライアスロン大会の記録を約五分二十秒短縮し、初めて二時間台に突入した。
走りながらちょっと考えたりしたんじゃが、おらは、どうも祝島でいろいろできることを広げていこうという傾向がある。祝島でなくてはできんことも、祝島でも祝島風にやろうと思えばできんことはないというようなものもひっくるめてやってみたい、というおら風の傾向がある。子供との東の浜の海遊びも、磯遊びも、朝の漁師も、木村菜園通いも、おらがトライアスロンも、おらのそういう傾向なのである。ヒロシ君も走りながらいろいろ考えるそうだが、自分で勝手にくたびれることをやっている時はいろんなことが頭をよぎるものらしい。
おらがトライアスロンは一昨年、去年は七月にやっていたのだが、今年は七月に風邪をひいてやれなかった。それに九月の岩国トライアスロン大会が神舞期間の八月十八日ということもあって、十八日に予定したのであった。ヒロシ君はこの岩国のトライアスロン大会に参加した。結果はまたいつか聞けることだろう。  
昼寝をして三時半頃から涼とトビイシに磯遊びに行く。和がテングサを使った宿題をするということでテングサと、おかずの瀬戸貝を四つ、小さいタコを一つとった。とる間、涼は潮だまりで遊ぶ。この日涼は三回転んで一回泣いた。帰りにニナをとっていたのが転ぶたんびに少なくなった。 
晩に「高橋栄山 津軽三味線の夕べ」を聴きにいく。力強い三味線と声だった。穏やかな瀬戸内海ではこういう三味線や歌声は育ちにくいことだろう。                

「帰り道 うっさらぼうて 石の浜」                       
 
 
 
八月二十日(火)晴れたり曇ったり。          
神舞最終日出船行事の日。                
朝からゆっくりと出船の準備などをする。         
神舞小屋のまわりの小屋・倉庫の展示物を見る。即売品の焼き物の皿を二枚買う。岩田健三郎の印刷物も一冊買う。    
最後の神事も見て、十二時すぎに五月丸に乗り出港。一時から出船。人家の前を三周して神様船が三浦に向かうのを長磯まで見送る。裕子がビデオカメラを撮っているのが見えた。出船行事は入り船より人が格段に少なく、祝島在住の人が大部分という感じである。太夫さんを見送るのも島の人が名残を惜しむ感じがにじんで、そういう意味では入り船以上の感情がこもる。神様船とオトモノハナの波止の人との手を振り合う風情は神舞ならではである。                  
涼、和、友たちの神舞への取り組みが終わった。のんびりした晩だった。                 

「島人が おくる汐路や 周防灘」
 
 
 
八月二十一日(水)曇り。                
朝七時から神舞小屋などの片付け。おらは八時から仕事で七時からの一時間だけ手伝う。親父がおらが家の代表で出てくれる。おらの職場の美保ちゃんも出勤時間まで手伝ってくれた。 
この日は一日仕事のある日。昼からは室津に出た。三時半に仕事が終わり、定期船の「わかしお」を待つ間缶ビールを一本飲んで物想いにふける。
そうそう愛ちゃんと典ちゃんが神舞奉賛会に多額の寄付をしたそうだ。典ちゃんは太っ腹と一目でわかるけど、愛ちゃんも太っ腹だったということを知らされた記念すべき日となった。  
夕方明日の大漁をそっと心に描いて、涼と和をお供に氷を五月丸に積み込んだ。
神舞が終わってちょっと気が抜けたけどのんびりした晩で一日を終えた。       
 
「気が抜けて のんびりビール 夏の晩」                     
 
 
 
八月二十二日(木)晴れたり曇ったり。          
朝鰺釣りに六時前出港。カノウ島と祝島の中間。ポツポツ大きいのが釣れる。鰯も釣ろうと思っていたが余り釣れない。十一時すぎまで粘って鰺十一キロ。鰯十数匹。ヤズが五匹。他の船も釣れないようだった。この日で伝票が目標の五枚に到達した。
昼に鰯を竹の皮で裂いた刺身でビールを飲んだ。      
昼から、うとうとした後子供三人と東の浜に海遊びにいく。友がクロールで約三十五メートル泳ぐ。夏休みの目標の一つだったらしい。涼もときどき足を底に着きながら付き合う。夕方飛び込み台の板が台風で一枚剥がれているのを修繕し、ついでに飛び込み台に上がる為の縄梯子を作って付ける。和が喜ぶ。
晩酌はヤズの刺身だ。おらが家では初物だ。        
 
「初ヤズや 涼しさのぞく 朝と晩」                       
 
 
 
八月二十三日(金)曇り。
仕事で島の外に出る。
朝と昼に裕文君と朝食、昼食をとる。昼食はホテルの食堂で柳井の町を眺めながらとる。おらにとってとても珍しい経験だった。
夕方、ビールなど買って明日の旅行の準備をする。

「旅に立つ 別れや海に 鯵やヤズ」




八月二十四日(土)曇りときどき雨。           
朝から国東半島への旅行。ビールを冷やして準備を完了。  
八時祝島港発。清水丸で伊美港へ船旅。
伊美神社に参って、神舞の話などを聞き、両子寺に行く。その後両子山に登る。坂道は急で思ったより厳しい。裕文君は山の細道を登り、他の人は舗装道路を登る。
この旅行では、おらは添乗員のアルバイトである。山道を缶ビールをさげて登ったり、頂上で遠くに見える祝島を指差したり、喫茶店で飲み物の注文をとったりした。添乗員の仕事は率先垂範だから缶ビールはできるだけ一番最初にうまそうに飲むように心がけた。
神社や寺にお参りしたのがきいたのか頂上では登ったとたん祝島が見え始めて、「両子山から祝島を見る。」というこの旅行の一つの目的が達成された。そうそう、両子寺で大きいろうそくを買ったつもりでいたら、売り物ではなく祈願用だということで豊漁を祈願した。秋のスズキやハマチが楽しみだ。    
両子山から下りて、いよいよ姫島に向かう。伊美港で時間が余り、おらはぶらぶら港を散歩した。神舞の出船行事を見にきたというおじさんに一人話し掛けられた。おじさんはデンゴをつっていた。連れ合いのおばさんと二人で仲良く釣っていた。 
トオル君はスケッチをしていた。愛ちゃんと典ちゃんはゴムまりでキャッチボールをしていた。美保ちゃんは昼寝をし、康っちゃんは写真機を持っていた。広和君は一点を見つめて待合室の椅子に座っていた。今晩の過ごし方を考えていたのかもしれない。
姫島の旅館は「新洋」。屋上の露天風呂に入った。まわりから見えそうでなかなか盛り上がった入浴だった。
夕食はビールを飲んだり、海老を食べたり、カラオケを歌ったり、これも盛り上がった。
食事後歌い足りない淳ちゃんと裕文君が店を捜してきて、また歌い始めた。大変よく歌ったのが広和君で、歌って踊ったのが淳ちゃんで、大変よく踊って歌ったのが愛ちゃんと典ちゃんだった。康っちゃんは控えめに歌って、おらはみんなのじゃまをしたくらいである。ここもよく盛り上がった。この旅行団はなかなか明るく、歌の好きな集団である。添乗員としては明るくて歌が好きな集団というのは比較的気持ち良く仕事をしたという気分になることができていい。広和君や淳ちゃん、愛ちゃん典ちゃんには感謝しよう。 
 
「唄姫や 唄若殿や 唄おじさん」                        
 
 
 
八月二十五日(日)晴れ。
朝起きるとトオル君はスケッチに出ていた。広和君はアルコールを抜くためにランニングしてきたそうだ。おらは布団の上で腰痛体操をしてこの日の添乗員のために備えた。
この日は姫島の自転車の旅が中心である。まず黒曜石を見て次に灯台のあるところから祝島を見てビールを飲みながら弁当を食べた。ビールが冷えていてうまいと淳ちゃんが言いながらうまそうに飲んでいた。ここで解散。その後もトオル君はここでスケッチをしていたそうだ。
おらは旅館に帰って休憩して、裕文君と姫島の海で泳いだ。泳いでの帰り道に清水丸が港に着いているのを見る。船長と一緒に旅館にいってみんなで西瓜を食べて、祝島に向けて出発した。
清水丸の船長が作ってくれた日陰でビールを飲みながら帰った。康っちゃんはしぶきがかかるのでこうもり傘をさして帰った。康っちゃんはとても旅慣れた人でどこにでも傘を持っていく。きっと月旅行に行くときも日傘を持っていくだろう。

「自転車の 想いそれぞれ なつかしき」
 
 
 
八月二十六日(月)曇り。       
昼まで仕事。昼から親父と涼と三人で福岡旅行。
妹のところに泊まって水族館を見にいく予定。涼は新幹線に乗るのは初めて。トンネルの数を四十二数えて博多駅に着く。
晩飯をステーキハウスで食べる。こうゆう晩飯は珍しい。  
涼は母親と離れての初めての外泊だ。
「わかしお」で小一時間眠ったのでおそくまで起きていた。浜さんも可愛がってくれる。涼は結構ひとなつっこいところがある。
 
「三代が ステーキつつく 博多かな」                      
 
 
 
八月二十七日(火)晴れ。 
博多埠頭から海の中道の水族館へ。涼は水槽を見つめて二時間を過ごす。大きい水槽には三、五メートルのシロワニという鮫の仲間が泳いでいた。ジンベエザメの子供やシマアジなど涼にとっては期待どおりの魚の群れだったようである。一通り見おわって腹が減ったのに気付くまで眺めていた。
和と友の土産は亀のぬいぐるみ。涼は五分くらい悩んでエータンのぬいぐるみを買う。
昼飯は「海ノ中道ホテル」というところの食堂で食べた。
帰りは「ももち」というところまで船に乗る。人工の浜らしきところの桟橋に降りる。
「福岡タワー」という日本で二番目に高い建造物に行ってみる。涼は展望台の上の双眼鏡を覗き、親父は片方に寄ったら傾きそうだと感想をもらし、おらは大手不動産屋の建築物らしいものを眺めて降りる。
帰りに博多ラーメンを食べる。
浜さんの帰りは九時をいつも過ぎるようだ。涼はそれまで起きていて、一日中明るく過ごして眠る。           
 
「エータンが 一歩進んで 友になり」
 
 
 
八月二十八日(水)曇りときどき雨。
朝ゆっくり過ごし博多駅でドーナツなど買い、新幹線で徳山へ。また涼はエータンをなでながらトンネルを数え、親父は涼との話に付き合い、おらは時々本を読みながらの新幹線だった。昼には柳井に着いて、昼飯は「サンピア」の食堂。涼は玩具売場であれこれ迷いを楽しみ、親父とおらはぶらぶら過ごす。 初めての男三人博多旅行を終了。
島に着くと和と自転車が待っている。いっぱい土産を持って帰る気分というのはふくらんでいてなかなかいいものである。 まずまずにぎやかな晩を過ごす。

「いっぱいの 土産の招く 賑やかさ」 

八月二十九日(木)晴れ。
朝子供とランニングをした後ゆっくり釣りに出る。コージロに魚が寄っていないか行ってみる。行った時平鯵がよく釣れるが潮が止まると釣れなくなる。ハマチは寄っていないようである。鯛らしいのが途中でもげる。沖側はタチがいて、さがりを切られる。十数匹の平鯵と一匹の鯖の釣果でまずまずの気分。 鯖は雄で大きい精巣があるが、その奥の方に卵巣ができ始めていた。次は雌になる準備をしている。 
昼前に子供との東の浜の海遊び。
昼から涼と磯に行く。冷凍用に瀬戸貝を採る。
磯から帰ってウシビターをもぎにいく。西の山。蚊に二十箇所食われる。
釣り、磯、山の夏休み三点セットの一日を過ごす。

「コージロの 夏のかげりに 鯵の影」




八月三十日(金)曇り時々晴れ。ヒロシ君の奥さん出産!」
朝子供とランニング。トオル君もゆっくり付き合う。
昨日よりゆっくりコージロを狙う。柳の下にどじょうがいつもいるわけではなく、さっぱりの釣果、ほとんどデンゴのみ。鯵さんの気持ちがわからなくなり飯を食べた後寝込む。(十分の昼寝)
昼前には、おらが夏休み最後の子供との東の浜海遊びに出る。和も友も息継ぎはあまりできないが三十五メートルなんとか泳げる。涼は十五メートルくらいの感じである。
二時過ぎに磯遊び。今年初めてアカバーで泳ぐ。小さいタコ二匹とサザイを四十ばかり採る。サザイは五月丸に生かしておき、トオル君、康っちゃん達と食べよう。
三時過ぎにヨボシに鯵を釣りに出る。期待以上によく釣れ、鯵が三、四十匹とヤズが一ダース余り。午前中とはかなり違った帰り船の気分だった。
昨日のウシビタが小さいビンに五つでき、今日のデンゴが南蛮漬けになり、夕方のヤズが刺身になって、この日はおらが夏休み調理三点セットの日になった。
晩にヒロシ君から電話がある。奥さんに赤ちゃんが生まれたという知らせである。大分難産だったようである。一日以上苦しんだということ。ヒロシ君もずっと病院にいたようである。とにもかくにも奥さんも赤ちゃんも無事ということで非常におめでたい。秋にはきっとスズキとハマチを送ってやろうと、おらは心に決めた。裕子はあっちこっち電話をしていた。

「ウシビタの 青紫の 夏の暮れ」 
 
 
 
八月三十一日(土)曇り夕方雨。  
岩国市の柱島に行く。岩国新港から一時間足らず。旅館、民宿が六軒。大きな港がある。人家が百軒くらい集まったところが中心地で、祝島より草木や島が人家にせり寄ってきている。 
聞いた話。いま頃は鯵の産卵期で、夕方に水面でバシャバシャ騒ぐ時期だという。騒ぐのは、いつも餌を捕っているというわけでもないらしい。 
祝島のスモーク・ド・タコ(タコの燻製)を少し宣伝した。
ビールを飲んで公民館のような所に寝た。冷房付きである。
 
「海峡の 島影厚し 桂島」  
 
 
 
九月一日(日)晴れ。
朝、港で漁師がサザイを上げるのを見る。大きなきれいなサザイである。いい海がそばにある。 
昼の便で岩国に帰り、駅前で昼食。寿司を土産に買う。
「わかしお」で帰る。
五月丸に出て見ると、活け間のヤズ三匹と平鯵十匹ばかりが死んで腐っている。波止の外に捨てにいく。ついでに鯵釣りをする。三十匹くらい釣れる。ヤズはつれなかったが、おらが夏休み最後を平鯵が締め括ってくれた。
今年のおらが夏休みは「読書をする漁師」を目的にしていたが、本は二、三冊しか読んでいない。その中の一冊は開高健の「ALL MY T0MORR0WS U」という文庫本で手強く、おもしろい五百ページのずっしりした内容だった。 「ちょっと読書をする、ちょっと漁の少ない漁師」として過ごしたおらが夏休みだったような気がする。
今年はトウガラシのようなヒロシがいないかわりに、サラダのように愛ちゃん・典ちゃん・康っちゃん・美保ちゃん等かわいい娘とトオル君・広和君・裕文君・淳ちゃん等のバラエテーに富んだ人が彩ってくれた。
 
「夏休み 海と山との はざまかな」

1996年 「おらが夏休み」おしまい