おらが夏休み2003 2003/7/20〜7/31  8/1〜8/10  8/11〜8/20 
8/21〜8/31

 今年も夏がやってきた。
 おらが夏休みを7月20日から8月末までとして、祝島のおらが夏を真偽まじえて記録することにしよう。

7月20日(日)海の日 曇りのち雨
 朝便で田布施に行く。二年ぶりに熊毛郡水泳大会があるのでそれに参加。
 今年初めてリョウキチがついてきて、見物。
 50歳代の25m自由形と50m自由形に出た。タイムは25mが14秒19で、50mが32秒69。
 この記録は二つとも2年前のおらが記録より少しいい記録である。
 この大会も来年が最後になる予定である。熊毛郡の町が上関町以外は再来年には合併しているためである。
 帰りの船で、野鳥に詳しい山本さんと出会った。山本さんは四代で下りて田ノ浦のログハウスまで歩くと言うことである。長島の自然を守る会の集まりがそこである。


7月21日(月)海の日の振り休 雨のち曇り この雨で115mm
 午前中雨。ナゴジローは今年は高校生でユウベエと柳井暮らし。この連休は祝島に帰っていたのだが昼便で柳井に出る。
 祝島不老長寿マラソン大会参加者120名をこえる。
 マラソンコースを行ってみると、草が良く生えている。3日位かけて少しずつ草刈りが必要のようである。
 24日から子供達のキャンプがあるので、キャンプ地に行ってみると、水が出ている。桟板が必要となりそうだ。若者組が草刈りをしてくれていた。海岸の道にゴーロやネムノキが見えるが、いつもの年より目立たない。今年は梅雨が長く、雨が多い年だ。
 リョウキチはパソコンで絵を描いたり、チンのエサにするといって小魚をすくったりと、夏休みを味わい始めた。
 夕方にはリョウキチと道端(ヒラギ)でキャッチボールを100球した後、リョウキチは学校の鉄棒にぶら下がり、蹴上がりの練習、おらは草むしり(除草)と幅跳びに向けての助走の練習をした。
 トキ坊情報。この夏に同級生が1人住民として祝島に帰って来るようである。


7月22日(火)くもり時々晴れ
 リョウキチ達は6時ジョギング。
 今日は仕事の日。仕事場周辺の草刈りや、道の修復を少し手がけた。
 裕子おばさんは高校の懇談会があるので、柳井に出た。
 夕方近くリョウキチは水泳をして、仕事が終わったおらとランニングをした。おらはくたびれてよれよれでなんとか家にたどり着いた。
 男2人の夕食はアジの刺身と焼いたのとが主なおかずであった。トキ坊に貰った西瓜がデザートだ。
 


7月23日(水)雨降ったりやんだり
 夜中に雨が降る。きのう塗ったコンクリが流れたのではないかと思ったが、無事固まっていた。
 明日から子供達と三浦でキャンプ。荷物を運ぶ。
 夕方、リョウキチ上関から帰って東の浜で泳ぐ。裕子おばさんも柳井から帰る。


7月24日(木)晴れ
 子供達と三浦のログハウスの庭でキャンプをする。
 子供達はカヤックで行く。少し風があり、2時間くらいかかる。
 昼前にテングサでところてんを作る。
 昼食はおにぎり弁当。
 午後は自由行動で、それぞれ海で遊ぶ。
 リョウキチは泳いだりカヤックを漕いだりとあきれるほどよく遊ぶ。おらは日陰でねそべって見ていた。
 遊んだ後、ところてんを賞味。好評であった。このとき使ったところてんは、海岸に打ち上げられていたのを拾って作ったもの。
 ところてんを食べた後は炊さん活動でおかずは焼き魚。
 キャンプ地の近くにハマゴウの木があって花が開いていた。
 夕食後に子供達と「」と言うゲームをして遊ぶ。
 星も少し見えた。


7月25日(金)曇り時々雨
 天気が不安定なので朝昼併せてのカレーを作って食べ、帰る。テントは濡れたので乾いた頃にとりに行くことにする。
 夕方、走り幅跳びの練習をする。27日に郡の陸上大会があって50歳代の走り幅跳びの部に出るのである。 


7月26日(土)晴れ
 上関の方では「水軍祭り」があり、祝島では朝市を催す。
 朝8時から、文彦君とテントを立てる。5張り立てるのだが、やっているとみんなが手伝ってくれる。
文彦君は名前はおとなしそうだが、活動的で力が強くて、素晴らしく積極的な若者である。
 朝市は10時半から開始であるが、島のおばあちゃん達は9時過ぎからやってきて買いたいものを手に持って1時間くらい待っていたりするのである。朝市はちょっとした祭りで、「朝市小祭り」とでも言っても良い。おらもスナメリの箸置きを初めて出品した。朝市でよく売れるのは「おはな」と言って仏壇や墓に供えるマキの枝である。今回の朝市には県漁連の商品の販売もあった。おらは船底塗料を買った。
 いつもの朝市は昼までに片づけるのだが、この日は水軍祭りの一環で「万葉の島めぐり」と言うのがあって、祝島に観光客がやってくるというので、2時近くまでやって、テントの片づけなどが終わるのが3時頃までかかった。
 子供達も手伝いをしてくれた。子供達と文彦君はそれから泳ぎに行った。文彦君はボラとチン、ギダなどを獲って帰る。
 夕方、敏坊さんと三浦のテントを撤収に行く。
 ボラのアライで文彦君と一杯やる。祝島でボラを食べるのは初めてである。酢味噌で食べたのだがそれほど生臭さがなかった。


7月27日(日)晴れ
 朝便で出る。「いわい」に文彦君が乗っている。山口て゛高校野球を見るか、下松で映画を見るかするという。
 おらは郡体の競技場に行く。平生であるというのは覚えていたのだが、町民グランドに行くと、野球をやっていた。平生の役場で聞いて貰うと平生中学校グランドが会場であった。そこまで歩いていっていると、カズミ君が車から降りて呼び止め、挨拶をしてくれる。祝島出身の若者で、平生在住。郡体に出るというと「元気じゃのう」という。
 グランドに行くと、50歳代の走り幅跳びは13:30からであった。時間があるので柳井に戻ってユウベエとナゴジロウの顔を見て、バスでまた平生中グランドに行く。そうそう柳井の「MrMax」という店で、海遊び用の靴を買う。滑らないで幅跳びに良さそうだからである。ジョギングシューズでは少し踏切が滑るような気がする。試しに履いて走ってみると、なかなか良い。走り幅跳び本番は一発目4M26、二回目4M31、3回目4M53だった。去年が4M30だったと思うので、これはきっと海遊び用の靴の効果があったのだろう。


7月28日(月)曇り
 朝早起きして、マラソンコースの草刈りに行く。一昨年、蜂に刺されたのでネット付の帽子を被り、厚めの作業服を着てなかなか重装備である。
 その後、仕事に行き、夕方近くにテングサをとる。磯には山の方からコゼミやミンミンゼミの鳴き声が聞こえ、時々キジバトの声も聞こえた。
 夕食をとっていると文彦君が顔をのぞけたので誘って一杯。文彦君は友達を祝島でのマラソン大会に誘って、その申込書を持ってきてくれたのである。


7月29日(火)雨
 今日もマラソンコースの草刈りに行った後、仕事に行く。
 午後はゴロゴロして過ごす。「楽毅」(宮城谷昌光著)を読み終わる。この夏は宮城谷昌光作品をよむことになりそうだ。面白い。宮城谷作品を読むようになったきっかけは「クラシック千夜一曲」という集英社新書を読んだことによる。
クラシックを聴くと眠くなってしまうおらにはちょっと考えられない聴き方をしている宮城谷昌光という人の小説はどんなものかと興味を持ったわけである。読んでみると漢字は難しいけど、大変面白いのだ。中国の歴史小説であるが、人間描写がうまく、古代の中国を思い描かせてくれ、心を深め拡げてくれる。日々の生活は煩わしいこともあるけど、気持ちを広くもって暮らすとそのうち何かいいことが起こりそうに思えて来る。宮城谷作品には、気持ちをしっかり持っておればそのうちいいことに出会える、そのいいことを待つ根気を生み出すとか、お天道様はお見通しだからとか言う言葉を思い起こすとか、そんな要素がいっぱいあるように思う。


7月30日(水)晴れたり曇ったり
 午前中仕事場で仕事。午後子供達と磯に行く。
 おばあちゃん、おじいちゃんが祝島にいるので、島に来ている子供達が一緒である。
 おらとリョウキチは最初にテングサを採った。
 右の写真はしゅうちゃん、みさちゃん兄妹、せいらちゃん、リョウキチの四人。
 岩をステージに、しゅうちゃん、せいらちゃんのデュエットでの歌と踊りがトビイシの磯に繰り広げられた。
 トビイシにはオオコーラ谷が下りていて、浜に流れ着いたいろいろなプラスティックの容器を使って水鉄砲にして、そこで水遊びなどもしていた。
 夜、祝島中学校の同級生のカズサアから電話があって、マラソンの日に帰る予定だから、手伝ってくれるという。ありがたい。


7月31日(木)
 朝マラソンコースの草刈りをして、午後出張で柳井に行く。出張が終わって、ナゴジロー、ユウベエに会う。2人とも元気。自転車を買う。自転車を買いに行くところで、ワゴン車の中からカズミ君が声をかけてくれる。郡体の結果はどうだったかと聞く。5M53だったと答えると、「おおっ」と行ってくれる。運動をするよう勧める。たまには走ろうかな、と言っていた。冗談半分に「島で漁師でもしようかなあ」とも言っていた。子どもは2人いるそうだ。

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