おらが夏休み2003.8/11〜8/20  7/21〜7/31   8/1〜8/10

8/21〜8/31


8月11日(月)曇りのち雨
 室津まで出張。五月丸で行く。ヤスシ君、マサノリ君、文彦君も一緒に乗る。文彦君は朝食代わりに納豆のパックを4個食べた。マサノリ君は海上を熱心に眺めていた。スナメリや魚の群を探している様子だった。
 裕子おばさんはマラソン後のいろいろな片づけや憩いの家の掃除などをやってくれている。
 昼過ぎに帰って、磯に行く。晩のつまみを少し採って帰る。


8月12日(火)曇り
 午前中、藤本家の墓参りに同行。東の墓と西の墓に行く。西の墓のアオイゴケに久しぶりに対面。あちらこちらにある。
 午後ヨボシに行き、セトガイを少し採って帰る。帰り際にモトがやってくる。明日知り合いが来るので、小島に行きたいと言うことで、明日は小島行きが決まった。
 満ち潮になる頃、久しぶりにコージロに釣りに行く。アジが釣れる中に運よく紛れ込んで、1kgあまりの鯛が釣れる。満足して帰る。(1.5kgだった)
 夕方、本当に久しぶりにおらが10Kmコースを走る。走って帰ってみると、おらが家が塾になっていた。勉強ムードが漂い、おらが居場所がないので、おらは一人、二階の片隅でビールを飲んだ。空腹とランニングのくたびれでグテーとなっていると、正本のヨッちゃんと小泉のケンちゃんがやってきて、今度は神戸あたりで(同窓会を)やろうやあ、と言うことになった。楽しみである。
 この日は海中(潜り)・海上(釣り)・陸上(ランニング)の3種競技をした。


8月13日(水)曇りのち雨
 朝起きてから、この日記を書くなどしてゆっくり過ごす。昼前にナカバエまで往復水泳をする。
 午後モトと小島に泳ぎに行く。セトガイを30ばかり採って帰る。
 帰って久しぶりに調理に挑戦する。セトガイのフライを作ってみる。この日もおらが家が塾になったので、夕食のおかず作りの足しにもなるのではと励む。
 夕方から雨が降り始める。「雨の慕情」をギターで弾く。
 暑中見舞いの返事を書いて、下駄を履いて傘をさして郵便局まで出しに行く。祝島には下駄が似合う。
 夕食のおかずのセトガイのフライは、好評であった。
 セトガイは祝島ではカイといい、貝を採りに行くことを「カイをもぎに行く」とか「カイもぎに行く」とかいう。もぐというのはビワをもぐとか言うように木の実を採ることを言い、カイは瀬に付いているのでもぎ取らなくてはいけないので、こういう言い方をするのだろう。カイはセトガイと言われるように普通流れの速い所の浅瀬に付いている。昔はもっと多かったようだが、採りすぎて少なくなった。コージロにも多かったが、この頃はほとんど無くなった。種も切れたのではないかと心配である。おらは基本的に「裸で素潜り」です。寒くなる、息が切れ疲れるということが自然と採りすぎを防ぐと思っている。20分〜30分くらいで採れるもので十分で、ちょうど寒くなる。


8月14日(木)雨
 夕方近くまで雨。午前中本など読んで過ごす。
 午後水泳500m程度泳いで帰ると、松井のノブさんから電話があってモト方で3人で一杯やる。4〜5時間喋ったのだがほとんど覚えていない。初めて聞く話もいくつかあったのだが、忘れた。
 晩に白ワインを持ってモトがきて一杯やる。その後、10時前に、子供達がイワモト(イワマンさあ方)でバーベキューをしているはずなので行くと終わったところだった。1時間ほど炭火を見ながら話をして帰る。


8月15日(金)晴れ 北風
 午前中北風が吹いていたが、夏らしい日射しが戻ってきた。
 ヤマズリを切ってくる。ヤマズリというのは釣り糸を引き上げるときに当てる部分の竹のこと。祝島では釣り糸をヤマと言う。ヤマが擦る所の摩擦を小さくするための竹がヤマズリというわけである。
 タマ(タモアミ)の修繕もする。
 これを書いていると、大阪から帰ってきているタクちゃんがのぞいて、「ぼくも書きたい」という。大阪ではパソコンにひたりっきりで祝島ではパソコンにストップがかかっているのである。まだ、小5だが、はるかにおらよりは腕が上のようである。さわりたそうだがさわらせない!
 午後3時過ぎからナカバエに行って潜りおかずを採る。
 夕方、コージロに釣りに出る。アジが10匹くらい釣れた後、ハマチがはねるのを見たので、タコ坊主を漕ぐとハマチが釣れた。5kg位のが3匹獲れた。大漁だ。アイちゃんからエビスヒールが届いたので、祝杯をあげた。


8月16日(土)曇り 北風弱
 子供達とのキャンプ以来三浦に置いていたカヌーの一隻をとりにいく。カヌーでルアーを引っ張ってみようと釣り道具などを準備し、10時に家を徒歩で出発。11時少し前に三浦到着。時速6kmで歩いた。カヌーで11時過ぎに出発して裏側を廻る。途中いろいろな瀬があるが、漁師はそれぞれに名前を付けているはずなので、後で聞いてみようと写真に撮っておく。北風なので島の裏側は凪で、東の波止の近くに波がある程度だった。今まで気づかなかったけど小島には松の木が数本ある。大きいのは樹齢10年くらいだろう。トビイシを過ぎたあたりで「いわい」が出港した。大阪へ帰る平石一家が乗っているはずである。タクちゃん、直君は魚好きであった。
 ルアーには一匹も来なかった。東の浜に午後1時に到着。祝島一周約3時間。
 おらが一周する間にリョウキチはタイサガリを修繕してくれていた。夕方それを持ってコージロに釣りに行く。昨日釣れたハマチを狙うが気配が無く、鯖1匹アジ2匹を釣っただけで帰る。夕方の満ち潮がほとんど無く、雨で暗くなるのが早かったことが期待通りに行かなかった原因だろう。


8月17日(日)曇り時々雨
 雨模様なので、本を読んだり、裕子おばさんと、マラソン大会に来られなかった方への参加賞を送る作業などをした。走った方々が写真に移っているかどうかも確認してみた。写真の申込があった人は全員写っていた。写真係のお二人のおかげである。
 夕方自転車を20qくらい漕ぐ。自転車を漕ぐと首が痛くなる。


8月18日(月)曇りのち晴れ


 島外で仕事。仕事が終わって買い物をする。自転車のチューブの注文、ソバの種、釣り具の小物、電池、100円のTシャツの購入などで柳井の町を自転車で廻る。


 ユウベエは昼の便で祝島に帰り、ナゴジローは昼の便で柳井に行く。
 おらは晩便で祝島に戻る。
 つまみにハマチの胃袋などで串焼きをしてみる。肝臓は生臭さがあった。


8月19日(火)晴れ
 リョウキチ朝のジョギング。おらはコージロに釣りに出るがチダイが2匹。
 午後タカトオに行くが蚊がウジャウジャいて草刈りをろくにしないで帰ってきた。石垣も草で覆われていた。夏の草の伸びはすごいものだ。
 ハマチをさばいて、今日はおらが家のにぎり寿司だ。寿司ネタを作って10kmのランニングに出かける。今日もまたよれよれになって帰ってくる。夕日が赤く、木漏れ日が道に差し込み一人で見るのはもったいないくらい綺麗だった。
 帰ってきたと言えば、文彦君がタイから帰ってきた。お土産をくれた。
 「太公望」と「海辺の小さな町」を読み終わった。この夏休みは宮城谷昌光の文庫本中心の読書だった。夏休みには毎年読んでいる「老人と海」を思い出し、読み始める。はじめに出てくる少年と老人の会話が好きである。


8月20日(水)晴れ
 今日は1日仕事。
 仕事が終わって、約1km強の水泳。水泳はなかなか調子が良かった。
 リョウキチは調子を崩し、おとなしくしている。
 夏の凪と暑さだった。昼のソーメンのだしはカイだった。これも夏だ。
 ナゴジローが夕食のおかずを作っている。おらはハマチの刺身を作る。裕子おばさんはカイのフライを作る。なかなかこった夕食になった。
 夜屋根の上で火星を見た。女連中は夜中まで見ていたようである。
 男連中は早寝である。おらが家は基本的に男は早寝早起き、女は遅寝遅起きであるが、裕子おばさんはこの頃遅寝早起き傾向にある。少し年が寄せてきたのかも知れない。


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