おらが夏休み 2004

 今年もおらが夏休みがやってきた。
 今年は「どんなことをしてみゅうか」と考えてみる。
 祝島でリョウキチと過ごす最後の夏休みと言うことで、一工夫してみよう。
 イベントとして、「歩いて祝島一周」と、「おらと息子のトライアスロン大会」。できたら、「泳いで一周祝島」なんかも面白そうだと二人で話す。おらはちょいと酔うた頭で、リョウキチは素面の短髪頭で。どれだけ実行できるかはさておいて、二人で話しをした。みんな子供の頃の夏休みを思い出して過ごすと暮らしやすいだろうなあと時々思う。
 以前聞いていた話なのだが、この20日に東の浜で、タロクさあから石のことを聞いた。ヒラドアの向こうに長い石があるという話である。大体の位置が、今回の話で、より正確になった。門柱に使っていたような石らしい。おらが思うに村上水軍の見張り場関連の石じゃあないかと。長い石は2つあるということである。もう一種丸い石に三角形の模様の彫った石もあったらしい。浜にあったと言うが、以前探しに行ったときは見つからずに、埋もれたのではないかと思った石である。この丸い石を見つけるのは難しいと思うが、長い石はまず見つかるじゃろうと思う。これはすぐやってみよう。
 おら達二人の夏休みの課題図書は「老人と海」とおらが勝手に決めている。リョウキチも不満はなさそうである。

7月21日(水) 晴れ 西風
 午後出張であったが、前日にカヤックで行ってはいけないかと裕子おばさんに打診してみると「出張は公共機関で行きなさい!」と言われる。この日は西風が結構強く、どうせカヤックでは行かなかっただろう。
 夏休みいきなりの出張で、おかげで夢枕獏の「空気枕ぶく先生太平記」を読み終わる。なかなか面白かった。出張の時は船に乗って本を読んだり昼寝をしたりの楽しみがある。

7月22日 「歩いて祝島一周」
 リョウキチと祝島を歩いて一周する。17日に予定していたのだが、リョウキチのヘルペスが出て、延期になっていたのだ。リョウキチはヘルペスがよく出る。小さい頃、おらがなめずり回したので、おらのヘルペス菌が乗り移って繁殖したのだろう。
 祝島一周はおらが持ちかけたのだが、こういう企画にはリョウキチはよく乗ってくる。
 持ち物は発泡スチロールの箱を一人一つずつである。リョウキチのには、お茶とポカリを500mlのペットボトル1本ずつ入れたものと二人のゴーグルを、おらのにはにぎりめし2個とデジタルカメラと携帯電話、あめ玉、タオル1枚を入れてある。デジタルカメラと携帯電話は念のためナイロン袋に入れておいた。
 服装は海水パンツとTシャツ、帽子。
 祝島の海岸線は5km余りは舗装道路がある。道路が切れてから1kmくらいしてから、泳がなくてはいけないところが現れてくる。大潮の干潮時ほど泳ぐ距離は少なくなる。道路が終わるところで写真を一枚撮る。少し歩くと根っこの部分が漂着している。腰掛けて一枚撮る。
 マツチの浜で瀬を越えるために最初に泳いだところでは、そのあとリョウキチは怪しげな笑みを浮かべていた。波が結構あり、少しの恐怖感とほっとした気分とがああいう笑顔になったのだろう。あの笑顔で、物足りなさを残すことはないだろうと企画者として安心した。おらは今まで何回か一周したけど、波が強かったし、瀬を越える時間が満潮時と重なったので、今回のが一番時間と体力を使った。「泳ぐときは、波って大きいねえ」という印象を持ったようである。

ここで道が終了 根っこの漂着 最初に泳ぐところ

 ヒラドアと言う瀬がある。平らな岩と言う意味だろう、と哲ぼんさんは説を唱える。そうだろう。地側からの写真はないので、撮っておく。ヒラドアの瀬は片麻岩である。ヒラドアを過ぎ、小祝島が段々隠れていき、タテイシという塔のような瀬に出会う。円い小石の浜が少しある。

沖側の瀬がヒラドア 小祝ともさようなら タテイシ(大きい方も)


 そこを過ぎると、いよいよヤオである。絶壁の下を泳いで渡ることになる。途中に瀬があり、そこに上がって写真を一枚撮る。ここで写真を撮った人はいないだろうなあ、と話す。海の中ではイシダイやコブダイの少年期のもの達が泳ぎ回っている。この上の方にセンビキダケがあり、フウランの生息地と言うことである。おらはセンビキダケに行ったことがない。おらの叔父の「スンエーおっちゃん」は、よく雇われてフウランを採りにセンビキダケに上から降りていたらしい。
 ヤオを過ぎるとインナクラの浜である。進むと途中瀬が出っ張っていて、岩を浸食して穴(トンネル)が空いている。イワグチのより穴の幅が大きい。こういう穴があると近道が出来て得な気分になる。トンネルを抜けたところは波も静かでほっとする。島一周とかでは、いろいろな感情がちょっと歩くたんびに味わえるのである。その分草臥れるかも知れない。
 インナクラは石の多いところであると哲ぼんさんの説く通り、大きい石がゴロゴロある。上からころがり落ちた安山岩である。なじみのオキナが近づいてきて、一周している気分が募る。

ヤオの崖を背に瀬の上で インナクラの浜 岩のトンネル
ちょっと余裕を持って泳ぐ インナクラの石の上で。 向こうにおなじみのオキナ

 オキナを過ぎた所の瀬を、泳いで回るときにチンやコブダイの子供がいた。満ちているときは海岸近くに寄っている。
 シラサキの瀬の上のくぼみに、海水が乾燥してできたらしい塩があった。しぶきが瀬の上に小さい塩だまりを作って、それが干上がった様である。少しサランラップに包んで持って帰る。裕子おばさんになめてもらって、余分な水分を吸い出してもらおう。
 オオクボの出っ張った瀬を、最後に泳いで越える。残りはこぶって越えられる瀬だけである。

シラサキの瀬の塩 オオクボの浜 オオクボの瀬


 オオクボを過ぎて、スバラマツの瀬を越えるとそこは後ろトビイシである。後ろトビイシのはまの上側にハマゴウの花が咲いていた。垣の道の浜にも群落があったが、あちらはまだつぼみが多かった。トビイシのは開いていた。
 オオコーラ谷の水がちょろちょろ流れているのを身体にかけて、にぎりめしを一つ食べる。最後の休憩である。
 

スバラマツの瀬を越えて トビイシのハマゴウ にぎりめし


 クドレの石が今年は白くきれいである。アビキでころがって表面が削られたのだろう。

クドレの浜

 東の浜について、二人で泳ぐ。リョウキチは腕が疲れていると言っていた。岩にへばりついたりしたから疲れたのだろうと言っていた。最後に浜で泳いでいる写真で締めくくろうと思っていたら、電池が切れていた。
 一周して、時々泳いで海の中を見たら、魚に沢山出会った。リョウキチは早速、カナツキをヤスリで研いでいた。また二人で、今度はカヤックででも行って魚を突こう。
 晩飯はおらが作った焼き肉だ。肉一色では淋しいので、裕子おばさんが畑から採って来ていたシシトウを刻み込んで褐色の中に緑を散りばめた。


7月23日(金)晴れ 凪
 これぞ夏休みという、暑くて風のない日だった。
 裕子おばさんは柳井に行っているので、昼はエベス商店で弁当を買って食べる。
 晩飯は、おらが得意の「他人丼」である。


7月24日(土)晴れ 凪
 この日は島の朝市。今回は上関の方では水軍祭というのが行われると言うことで、朝市は8時半から開催。準備を7時半から手伝う。品物の置き場はコンテナを置いてその上にコンパネを乗せるだけである。今回は日向の所に軽トラック2台を支柱の置いて、支柱を4本くくりつけ寒冷紗を括った。朝市はすぐ終わるのだが、島の人(特におばあさん連中)には楽しみをもたらしているようである。秋には、タカトウに植えてある芋が大きくなるだろうから、それでニボシでも作って朝市で開店しようかと目論んでいるのである。


 7月25日(日)晴れ 凪
 リョウキチと田布施に行く。最後の郡体、水泳の部に出た。目標タイムには少し届かなかったが、まあまあだ。大きな病気をしなければ、「体力の衰えはじわじわとしか来んもんじゃのう」という感想である。
 哲ぼんさんから応援の連絡がホームページの掲示板と携帯に入っていた。気づいたのは泳ぎ終わった後であったが、嬉しいものである。団栗亭からの電話では「エール」を送ってくれた。声の背景に団栗亭の生ビールが見えた。
 柳井に出て、ナゴジローの買い物で保護者がいるそうなので一緒にベスト電器に行く。ナゴジローはアパート暮らしであるが、それなりに成長しているようだ。いろいろな話が出きるいい友達も出来て、悩みもあろうが楽しみもあるようである。おらには直接そんな話はしないのだが、裕子おばさんにはいろいろ話すようである。


7月26日(月)晴れ 凪
 3日間、休みをとった。
 組み立て式の二人乗りカヤックの日焼け、雫よけのシートを取り付けてみた。試乗会を明日してみよう。
 リョウキチと夏の日中の「アツアツ40分間走」をした。20分程行って引き返すのである。帰りは二人とも「水をくれー」と言う姿で、それでも歩くより走る形に近かった。帰って二人とも液体をたっぷり飲んだが、復旧力はリョウキチの方が早く、午後早速隣に遊びに行き、東の浜に泳ぎに行った。隣の小坊主さん達、立派に泳げるようになっている。海を楽しんでいる。
 リョウキチ達の西瓜の上に釣り糸を張っておく。カラスよけである。そろそろ採り頃のが一つある。月末には食べられそうだ。


7月27日(火)晴れ 凪  「おらが一日カヤック柳井旅行」
 ファルト(組み立て式)のカヤックで柳井を目指す。物好きが!と厳しい目に曝されるのをおそれて、こっそりと船出をする。裕子おばさんには、「蒲井の地質調査(!)に行って来る。」と白い目をかわしておいたが、疑いの眼(まなこ)だった。
 7時半に家を出るが、分解するときねじが回らないといけないので、リョウキチにドライバーを持ってきてもらったり、サングラスを五月丸に取りに寄ったりして波止をでたのは7時50分頃になった。
 いい天気だったが、少し東風があり、潮も逆気味で、蒲井を過ぎる頃までは時速3kmも進まなかっただろう。
 天田の祝島側で数十頭のスナメリの群に出会う。餌を一生懸命食べているのだろうか、しゅーしゅーと鼻息が荒い。カヤックだと音がよく聞こえる。写真を何枚か撮ったのだが、なかなか写っていない。1枚だけ何とかそれらしいのが写っている。
 四代沖で「夏の想い出」の曲が聞こえてくる。町の10時を知らせる音楽だ。
 蒲井に向かって漕いでいるとき大分離れたところを「いわい」とすれ違う。
 蒲井の瀬に上がって岩石の証拠写真を撮る。瀬の上に何かの標らしい花崗岩の切石があった。
 ここの安山岩(多分)の下側に、祝島のタレミズと似たような礫岩の層がある。安山岩がでてくるときの爆発で飛んだ角礫の層だろうか。

いざ柳井へ 唯一撮れたボーズイオ 蒲井の鼻 木崎
何かいわれのある所か? 下側が角礫岩上が安山岩

 上関の瀬戸近くに「瀬里香」というレストランがある。あそこで麦酒を飲んだら旨かろうと思う。
 瀬戸の手前で、正午のチャイムが聞こえる。千葉崎がすぐ向こうに見える。ここも安山岩で一度見ておきたかったところ。露頭に火道が出ていると言うことである。上陸してみると、それらしいのが確認できた。
 千葉崎を過ぎ、少し行ったところで「いわい」がすぐそばを追い越していった。船長さんが手を振ってくれた。
 池の浦の手前の大きな排水溝が日陰になっているので、そこでにぎりめしを食べる。正面に平郡が見える。

千葉崎 安山岩に取り込まれた
花崗岩(中央)
高速船「いわい」

 潮の流れも弱い風も柳井の方に流れているようで、時速4kmくらいの感覚で漕ぐ。あちこちが少しずつ痛いが、カヤックは漕がなくては進まない。
 伊保庄の沖の鳥島に15時頃上陸する。今回島に上陸するのは、この鳥島だけである。きれいな砂浜がある。東側の海には大島(屋代島)が横たわっている。千葉での知り合いの古賀さんが安下庄出身だったなあと思い出す。ヒッペは今年は安下庄に帰ってくるのかどうか。

鳥島 向こうは大島

 鳥島の向こうには柳井港が見える。火力発電所のLPガスのタンクが目立つ。「いわい」が遠くを祝島に向かっている。
 柳井に近づくと、白いタンクの左側には人工的な海水浴場が現れた。平日なので泳いでいる人はまばらなようだ。タンクと海水浴場の間を進んで川(水路)の方に入り込む。スズキらしいのがはねた。ボラらしいのは沢山いた。ゆめタウン(サンピア)を川から見る。川を弱い風が正面から吹いてくる。周東病院の近くの橋をくぐるところで川幅が狭くなる。
 何カ所か川に降りる小さい階段が付いている。そのうちの一つにカヤックを着ける。柳井高校のグランドのそばだった。裕子おばさんに、ナゴジローに連絡をして自転車を持ってきてくれるように、依頼の電話をする。
 荷物を上げていると、何と「ゴンゴン」と呼ぶ声がするではないか。何と何と、止めた自動車に島の隣の善徳寺一家が通りかかり、さと君がおらを呼んでいたのである。さと君は何故か小さい頃おらを「ゴンゴンパパ」と呼んでいて、今はゴンゴンになっているのである。スイミングスクールに行く途中とのことであった。
 カヤックを道路に上げたところで、善徳寺の若夫婦が、さと君達を下ろして来て、カヤックの分解及びナゴジロウの住処までの運搬を引き受けてくれた。ナゴジローも途中で加わり、メデタシメデタシの「おらが一日カヤック柳井旅行」の幕が引けた。

右が柳井火力発電所
左が海水浴場
堰が在った。 橋をいくつかくぐり抜けて ゆめタウンを
川面から眺めて

 缶麦酒二本で早々酔っぱらって、ナゴジロー宅にお邪魔する。ナゴジローは友達と夕食の予定をおらが為にキャンセルしたようである。
 9時間半掛かっての旅行だったが、プラスティックのカヤックならもう少し長い旅行も出来そうである。この夏の収穫だ。


7月28日(水)晴れ 凪
 柳井から帰ってくる。
 ヒラギを通るおばあさんが、「ぬく、言うまあ思うても、つい口にでる。」と言いながら道を通っていく。
 浜にでて、トンミーサアやタロクサアの話を聞く。「ミシロウチ」や「サブロギョウ」等の瀬の名前を教えてもらう。何かいわくの在りそうな名前である。祝島では筵(むしろ)をミシロという。サブロは人の名だろうか。
 夕方アカイカを狙って出る。小さいのが掛かった。これから櫂伝馬の練習などで、夕方は出られないだろうから。最後のチャンスだ!と思って出たのである。リョウキチはサエルを釣りに出た。アカイカから帰ってみると、6匹釣れたということで、刺身と唐揚げにしている。刺身は冬や春のものより身が堅い。


7月29日(木)晴れ 凪
 台風が東の方から迫ってきているようだ。八丈島の方からこちらに向かうのは珍しい。偏西風が弱いのだろう。
 おらがスーパーカブのオイルを代えた。買って初めてのオイル交換だ。ほとんどオイルがなくなっていた。30mlくらい残っていただけ。危ないところだ。
 夕方、櫂伝馬の練習があった。出田自治会長さん、新宝丸さんはいつも出ている。この日は陸上の櫂伝馬の上での初練習だった。見物するおばさん、子供も10人くらいいた。マーティンさんも出てきている。二人で櫂をこぐまねなどをする。


7月30日(金)晴れ 凪
 櫂伝馬を海に下ろす予定だったが、台風が向かっているので中止になるとの放送がある。
 夕方、台風に備えて、櫂伝馬を少し上に上げる。2日に海に下ろして、その日の夕方から実際に漕ぎながらの練習が始まる予定である。


7月31日(土)曇り晩方から雨 北風弱のちやや強まる
 櫂伝馬のかけ声
@ 「エーサーエー」
  エーサーエーーヨヤーサーノサー エーサソーリャーエーーヨヤーサーノサー
  「ホーーホーホーエーイヤー」
  ホーーラーンエーーヨヤーサーノサー 

A 「ホーラホーサーノサーイーヤホーエーイヤー」(高)
  ホーラホーサーノサーイーヤホーエーイヤー(高)
  「ホーラホーサーノサーイーヤホーエーイヤー」(低)
  ホーラホーサーノサーイーヤホーエーイヤー(高) 

B 「ヨイサ」 ヨイサ 「ヨイサ」 ヨイサ

C 「ヤーサホーエーイヤ」 ヤーサホーエーイヤ

「」内はとも櫂のかけ声。他は漕ぎ手。
@は通常に漕ぐときのかけ声
Aは通常より少し早い漕ぎ方の時
Bは早く漕ぐ時のかけ声
Cは後進の時のかけ声

 台風10号四国に上陸。今年上陸した台風3つとも、高知県に上陸したと言うことだ。
 リョウキチの着物を難波のおばさんが作ってくれていたのが出来上がる。
 夜には岩国あたりに上陸したようである。祝島は北風が少し吹いただけである。
 テレビでサッカーのアジアカップのヨルダン戦をリョウキチと見る。PK戦ですごい逆転勝利。二人で手を叩いて喜ぶ。祝島にはほとんど関係ないけど、7月最後を締めくくるにふさわしい試合だった。 


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