おらが夏休み   1999年
 
 
 
七月二十日(火)晴れ
 海の日。朝マルアジを釣りに出る。釣り場が移っているようで、そちらに向かうが釣れないで早々と帰る。七匹。
 昼は海で遊ぶ予定が、家でごろごろして過ごす。
 夕方、ランニング八キロ。途中で俊坊が奥さんと釣りをしているのを見かける。手を振る。釣れないようだ。
 ランニングは一つの刺激になる。走りながら何を考えていたのか走りおわるともう忘れているようで、大したことは考えていなかったのだろうが、いいことを考えていたようにも思えるのだ。そういう感じを持てるということは、きっといい時間を過ごしたということになるのだろう。
 この夏休み、特別な計画はないが、祝島は万葉集に二首歌われているということで、おらの夏休みは短歌を時々詠むことを加えてみたい。
 
 祝島を詠んだ歌
 天平八年(七三六年)新羅に赴く使節一行が航行中
 <周防国の玖珂郡の麻里布の浦行きし時に作る歌八首>の中
 「家人は 帰り早来と いはひ島
            斎い待つらむ 旅行くわれを」

 

 「草枕 旅行く人を いはひ島
            幾代経るまで 斎ひ来にけむ」
 
 
 
七月二十一日(水)
 朝マラソン。昨日のランニングのくたびれがあり辛い。
 午前中仕事。パソコンにさわっていると故障。
 午後釣りに出るがチダイを数匹で終わる。
 ふるい友達のT君に西瓜をもらう。今年の木村菜園は不作だ。
 夕方「島ん学校」の打ち合せ。カヌーと磯遊びと星座観察の担当。祝島を楽しんでもらえればそれが一番である。
 豊富な自然を楽しむということはなかなか易しそうで難しいのではないかとこの頃時々思うようになった。自然の恵みを恵みと感じないまま、むさぼるだけの人がいるし、自然がただなんの変哲もないままそこにあるものだと思っている人もいる。厳しい自然、優しい自然、いろいろな相があって自然の恵みもそこに生じている。ただあるわけでもない。人も上手に関わらないと、人間のそばに豊かに自然がある時代ではない。そこに暮らしている人は自然のいろいろを大まかに知っている。島に遊びに立ち寄る人が、島の人の感覚に近いもので島の自然を味わい楽しんでほしいものだ。
 
「山からの 西瓜を午後に 海からの
    チダイを夕べに 囲みいただく」
 
「道果てて 荒ら磯続く 島の浦に
     ハマナタマメの 陽の中に咲く」
 
 
 
七月二十二日(木)南風が吹く。
 朝ランニング。ナゴジロー、ユウベエに離される。
 午後リョウキチの水泳に付き合う。リョウキチなんとかクロールらしき泳ぎができる。十五メートルくらい泳げる。おらも少し泳ぐ。夏の体力整備を目指す。おらのからだの年輪が増えたのを感じるが、今年はあちこちの故障・歪みが少し治ってきたような感じで、体力整備の夏としよう。
 子供が大きくなるにつれ体力がおらに少しずつ近付く。午前中は子供の方がおらより上で、午後はおらが上で、夕食後は同じくらいか子供が上で、大体おらが先に寝る。
 東の浜は、三人の貸切の遊び場だった。
ユウベエは感想文を頑張るとか言って出て来なかった。
 隣に、ひっくん(四歳)と、さとくん(二歳)という二人の男の子がいる。おらが子供と大変仲がよい。おらともじわじわ仲良しになる気配がある。さとくんはリョウキチのことを「ゴンゴン」と呼び、おらのことは「ゴンゴンのパパ」と呼ぶ。
 
「ゴンゴンの パパと呼ばれて 若返り
      はねてとんで おらが骨きしむ」
 
「夏ごとに おらが力の 減るよりも
      子供の鮮度が 越ゆるを祝ふ」
 
 
 
七月二十三日(金)
 午前リョウキチの水泳に付き合う。おらも少し泳ぐ。
 島ん学校初日。十一時頃から臨時便で続々到着。三十数名来島。三泊四日の三浦でのキャンプということで、荷物運びの手伝いをする。ヤマトさんのログハウスのあるところが本拠地になる。テント八張りプラスログハウス。
 夜は天候の関係で星座観察はなし。橋部さんのスライドによる祝島紹介。なかなか良かった。
 ビールを御馳走になって帰る。
 この日の収穫は狭い道のトラック運転技術の向上がおまけとして付け加わった。
 星座は八十八あるそうだが、十くらいしか知らないので本を読んで覚えようとするが、脳味噌になかなかとどまってくれないので困る。星の本を読むといろいろなことが書かれてあって面白い。こういう知識も少し貯えたいものだ。
 
 「星空を 寝そべり眺め さそり座と
        仲良くなりし 夏の屋根上」
 
 
 
七月二十四日(土)西風
 島ん学校二日目。午前中素潜りで小島の磯。サザイなどをとって遊ぶ。みんなたくましく楽しんでいる。こういう遊び方に慣れている人たちで、ほとんど心配する必要がない。
 午後は海で遊ぶ。カヌーを一艇組み立てて乗せる。風が強いのですぐ終わる。
 ヤマトさんのログハウスのおか側にミヤコジマツヅラフジを見付ける。祝島で二ヶ所目だ。うれしい気分が広がる。
 夜は肝だめしを見物する。その後ビールを御馳走になって帰る。
 この日の収穫はミヤコジマツヅラフジが予定外で、おらが喜びはかなり大きい。このミヤコジマツヅラフジは島のまわりを何回か歩いて回ったとき結構気をつけて探した植物なのである。その時はついに見つからなかったのだ。
 三浦には白い花を咲かせるハマナタマメがあったが、これは数年前の台風十九号で無くなってしまった。白い花は大変めずらしいということだった。赤い花のハマナタマメはヨボシで去年見つけた。今年も元気に咲いて実を付けている。
 
 「鉈マメの 風にも負けず 咲く花の
           赤紫の 小さく輝く」
 
 
 
七月二十五日(日)凪
 午前中スナメリウオッチング。あいにく出会うことができなかったが、海上の散歩は楽しんでもらえた。クラゲがいっぱいいたのも喜んでくれていた。
 午後は北野の溜め池に行き瀬戸内海を見晴らす。みんな喜んでくれる。ナシカズラ、ケグワも見る。
 夜はコンサート。高校生のオリジナルが良かった。キャンプを楽しんでいる様子がよくわかる唄であった。星も出る。
 中年のエネルギッシュな思索のこもったギターつきの歌は祝島でしか聞けない貴重品であった。歌もギターもいい。
 ナシカズラの実は不作のようであったが、コンサートで少し補ってもらい、束の間の賑やかさを三浦海岸が味わった。
 この日の収穫は見晴らしを喜んでもらえたこと。家族でコンサートにいったことも収穫だ。
 キャンプを祝福するような天気だった。
 通り矢あたりの崖にコオニユリ、フジナデシコも花を添えていた。
 
 「コオニユリ 徒歩にてゆきて 仰ぎ見る
        崖の高きに 夏の陽に染まる」
 
 「岩に咲く フジナデシコの 一束の
         海と空とに 捧ぐが如く」
 
 
 
七月二十六日(月)雨
 午前中仕事。キャンプの後片付けをちょっと手伝う。
な顔だった。台風の影響で予定を少し早めての出港だった。
 午後はごろごろ過ごす。
ヒロシ君、島に家族連れで来る予定が台風の余波で泳げそうにないので中止。
 五月丸を中の波止に回す必要はなさそうである。祝島にいると台風や天候に気をつけるようになる。特に船で釣りにでたりする人は大切なことである。自分で空を見て判断できるようになると素晴らしいのだが、実際にはテレビの気象情報に頼っている。
 祝島の、天気に関することば。
 「梅雨と土用に東風吹いて雨降らず。」
 「夜上がりは三日もたぬ。」(夜分雨が上がって晴れても すぐ雨になる。)
 「朝虹に港を構え。」(海が荒れるから早く港へ、ということ)
 「寒四郎に少しでも雨が降ると、その夏は雨が降る。」(寒四郎とは寒の入りから四日目のこと)
 今年は寒四郎に雨だったのではなかろうか。
 
 「雨降りの しみじみ音を 聞かずして
        晴れに憧れ 今日を湿らす」
 
 
 
七月二十七日(火)南風
 波があり、釣りに出られない。
 相棒オカカの要望をアレンジして、天井に棚を作る。おしいれの中が少し余裕ができ、オカカ喜ぶ。
 棚の材料は床板だったもので、おらが家の一階廊下をやりなおしてもらったときに出たものである。島ではいろんなことが自分でやれると大変有効である。上手にできるほど気持ちいいが、下手でも便利である。おらは材木などの端ぎれにたいしてけち臭い所がある。何かに使えないかと、けち臭いのだ。
 釣りに出られないとき何をするか考えておくと役に立つだろう。
 工作をする。          短歌を詠む。
 釣り道具を整備する。      山にいき写真を撮る。
 山にいきビワのまわりの草を刈る。焼き物を作る。
 本を読む。           水泳をする。
 草取り。            日記を書く。
 図鑑を広げて見る。
 夕方八キロランニング。
 
 「何となく けだるい夏は 時のみが
      ただ何となく 過ぎていくのみ」
 
 
 
七月二十八日(水)
 波あり、釣りに出ず。
 日記を書こうという気持ちになるが、テーブルの上が去年から読んだ文庫本で乱れているので、まず本たてをつくる。
 板は廊下をやり直してもらったとき出た古板を使う。一つ作って片付けると少しましになり、ワープロを置けるようになる。一昨年からの本もあるようだ。多いのが藤沢周平と平岩弓枝の本。江戸時代に少し詳しくなったかもしれない。彫師伊之助捕物覚えシリーズがなかなかいい。藤沢周平独特の雰囲気があるように思う。自分で場面を想像して楽しめる。
自分なりの価値観で、人知れず、しかしかなりしたたかに強烈に生きていくという、なかなかに魅力的な人物がおらのなかに浮かび上がったように思う。
 江戸時代の祝島はどんな風な状態だったのだろう。すべてが今より厳しい環境だったに違いないが、街といえる場所はあったのだろうか。きっとあったのだろう。神舞を今に伝えるエネルギーの継続が考えられる。台風の時は石垣の影で、通り過ぎるのを待って耐えたのだろう。ひょっとしたら松の大木などに守られて、今より風をうまくかわせたのかも知れない。
 
 「窓に降る 夏の雨にぞ 誘われて
       浮かべし幼き頃の浜の松」
 
 
 
七月二十九日(木)曇り
 波あり、釣りできず。
 もう一つ本立てを作る。これでテーブルの上が片付く。
 海藻の図鑑を開いて見て半日くらいごろごろ過ごす。
 凪の日が少ないからかおらが夏休みの気分が盛り上がらない。子供の夏休みの気分も何となく海に向かう気持ちが強くないように見える。
 この夏は小説よりも図鑑とかを開く傾向がある。夏らしくない天候のせいなのだろうか。遅ればせながら自然の知識をきちんと身につけようと思い始めたのだろうか。リョウキチが図鑑をしきりに開いているのに刺激されたのだろうか。
 おらなりの幸せがまたここにあると思えないこともない。
 
 「負うた子に 図鑑の見方 教えられ
      釣れない魚に 出会う荒れの日」
 
 
 
七月三十日(金)
 柳井の歯医者にいく。麻酔注射を打ち三ヶ所を治療開始。
久しぶりの歯医者がよいが始まる。祝島ということでできるだけ進めてくれたようで一時間二十分かかる。次は今日治療したところがおしまいということだ。二時過ぎまで麻酔が効き、二時過ぎの昼食の焼き飯が少し食べづらい。下唇半分が動かないのでうがいをしようとするとピューッと漏れてしまうのには治療中困った。
 提灯と濾過用のポンプを買って帰る。
 船で時坊と一緒になりフウランの本を見せてもらう。今フウランに凝っているようだ。
 隣の若奥さんの妹さんが息子のヒロシくんとわかしおに乗っていた。南風の波があり、普段より若奥さんの妹さんはおとなしいのだろうな、という感じで、しとやかに乗っていた。
 
 「南風吹かば 重い気持ちに 波の花
          小郡よりの 夏の訪れ」
 
 
 
七月三十一日(土)晴れ
 朝便でおら以外の家族は柳井旅行。
 おらはコウジロに釣りに出る。すぐ、まあまあの鯛がつれる。潮がやおり、釣れなくなったが、遊漁船がジグで ハマチだろう竿をしならせている。それを見たおらは早速一週間くらい前に釣ったマルアジを思い出し、ノマセをやる。ノマセというのは生きた餌を泳がせて目標の魚に飲ませて釣る釣り方である。この日のマルアジは二十五センチくらいの大きさである。運よく二匹残っていたのだ。降ろすと一分もたたないうちに手応えがあり、ぐんぐん引っ張る。これは絶対二匹じゃ!と独り言をいいながらハマチとやりとりをする。少し腕が震えているような感じをワクワク楽しむ。十分くらいは糸をとられるほうが多い。底すれすれに泳ぎょうるんじゃろうのお、と独り言。少し上がりはじめる。また引っ張られる。十回くらいの引っ張りあいがあってハマチがくたびれたよう。船の下を回りはじめる。舵やスクリューにかからないように船を回す。タマ(魚をすくう網)を手元に置き引き寄せる。水面をハマチが泳ぐ。いやあ大きい大きい。小さい鮫かと一瞬思ったりする。二回目に、タマにうまく入ってくれる。三年前の冬に釣ったハマチより大きいかもしれない。そうだとすると、おらが新記録だ。イケマ(船のいけす)いっぱいである。死にそうなので帰る。漁協は休み。ドウラン 網で作ったイケス)に入れる。死ぬかもしれない。涼に見せてやりたいが柳井である。
十時過ぎから文庫本を読んで、朝に続いてカレーを昼食に頬張ったあと、午後三時から磯でサザイを採って帰る。タコも一匹獲れる。昼すぎに隣の若奥さんからバーベキューのお
誘いがあったので、その材料の足しになる。
 晩便で四人が柳井旅行から帰ってくる。昼すぎから南風が強くなっていて、オカカ、ナゴジローは船酔いで倒れそう。バーベキューは強風で明日に延期。
 夕方アワビに餌をやりにいきドウランのハマチをのぞくと元気そうである。
 サザイとビールで夏をイッパイ。
 
 「誠なる 瞳の輝き おらが目に
     焼き付き今も 思い起こせし」
 
 「しりすぼみ ラッパになるか この夏は
         時の不思議は 今は解らず」
 
 「夏来たり サザイとビール 友にして
         思いいずるは 海の輝き」
 
 
 
 八月一日(日)
 朝ハマチを漁協に持っていく。9.2キロ。これは、おらがハマチの最高記録である。今までは一昨年の暮れに釣った8.8キロが最高だったのである。漁協でも初めてくらいの大物ではないかという様子だった。長さは約九十三センチだった。
 丸鯵釣りをするが三匹しか釣れない。これでまたコージロにハマチを狙いにいく。レジャーボートなどの遊漁船が十隻くらいいて混雑している。すこし離れたところでやってみるとハマチが来る。来るがかからず、あげてみると口から出てきたような感じで擦れている。新しいのと取り替えてやるとまた来る。今度はかかるがグッときて逃げる。あげてみると切れている。またやる。また切れる。始めの吐き出した鯵を付ける。最後も切られておしまい。この日は完敗。
 家に帰ってユウベエとふざけていて鴨居に頭をぶつけて血を出して、みんなにあきれられる。夕方はおとなしく過ごす。夜は隣でバーベキュウと温かいもてなしを受ける。夕立が来て、
にぎやかに終わる。昨日に続き夏だ。
 
  「瀬戸内に 夏きたるらし うろたえの
           雨の夕方 灯りけむりぬ」
 
 
 
八月二日(月)雨模様
 仕事で上関。午後は愛ちゃんの車に乗せてもらって柳井の電気店までドライブ。ビデオとテレビを買う。
 オカカの誕生日。鯛の姿作りがプレゼント。
 去年までは親父も同じ誕生日であった。この正月に亡くなったので今年からはオカカだけの誕生日になった。
 子供は親からいろいろなことを学ぶものだと親父がいなくなって考える。生き方とか考え方とか小さい頃からしみ込んでくるものがあるのだと気付く。考えが同じとかいうのではなく、基準というものが親にあるのではないかと思う。
 子供に対しては、親として自分らしさを研きたいと思う。
おらはにとって今何が大切なのか、その大切なものに真剣に向かうという行動が研くということではなかろうか。と思ったりするが、実行に対する姿勢が凡人であることが、おらの弱点である。
 
  「人の世に もまれて強く なるすきに
           ずるさのしみが しのび寄り入る」
 
  「雨の日に 祝島出で 美しき
           描けぬほどの 沖の島霧」
 
 
 
 八月五日(木)晴れ
 引き続き阿知須町。十年以上前、祝島に住んでいた杉山さんに会う。ハマチの話やスズキの話をする。
 徳山に出てビジネスホテルに泊まる。
 夕食はくるくる回ってくる回転寿司で寿司と生ビール。もっとゆっくり食べたり飲んだりするほうが良い。ひとりしみじみというかわびしくというか、そういう気分の時は向かない夕食だった。外泊で二日焼き鳥を食べなかったのはめずらしいことかもしれない。焼き鳥の方が似合っているようだ。
 島を離れると、若い頃などを思い出す時間が多いように思う。旅行気分が誘い出すのかも知れない。若い頃というのは旅行に近いのかも知れない。
 
  「面影に ひたりし淡き 横顔の
          微笑みなれど 悲しみぞ湧く」
 
 
 
八月六日(金)時々雨
 柳井駅から政君に上関まで送ってもらう。半日仕事をして柳井に出る。しのぶちゃんの赤い車に乗せてもらう。歯医者にいって治療完了。痺れ注射が祝島に帰るまで効いていた。
船に帰省の子供が数人。東風で少し揺れる。台風がまた九州の南にきた様子。
 帰ってみると五月丸が中の波止にいる。健洋丸(中原さん)と友栄丸(松村さん)が回してくれたということ。
リョウキチが波止まで傘を持って出迎えてくれる。
 土産は「名探偵コナン」の第二十四巻。
 歯の治療で口の中が狭く感じるようになった。当分こんな感触が続くことだろう。慣れというものはひどいもので、きっと一ヵ月たつと平気になるだろう。慣れというのはマンネリととらえると良くないように思うが、慣れは学習の積み重ねじゃないかと思う。慣れれば大丈夫と思えることは、見通しがたつとか明るい気分で明日以降の将来を迎えられる。いろんなことに挑戦するときも、慣れを見込めることは持続につながると思う。
 おらが祝島で慣れたこと。
 トラックの運転  船の運転  船の釣り  まき割り 気象情報からの祝島の天気予報(時々まちがう) 草刈り機の使用法  巻き結び・もやい結びのくくり方
 
  「一昔前に山道 木を乗せて
       慣れぬ耕耘機(テーラー) 崖を登りぬ」
 
 
 
八月七日(土)東風
 雨がときどき降る落ち着かない天気。
リョウキチは親戚の子供たちと遊ぶ。かなり年上から近い年上まで男ばかりのなかで楽しんでいるようである。
 夕方久しぶりの十キロランニング。1時間を少し越える。蝶や草花が結構目に入る。一週間に一度くらいは心臓に負担をかけて筋肉の弾力性を保とうと思っている。心臓も血管もゴムみたいなものじゃないかと思っている。使わないとムセテしまう。(ムセルというのは方言かどうか知らないがゴムやナイロン製の紐などがもろくなることをいう。)
 膝を痛めて二夏全然走れなかったので走れるだけでうれしい。
 
  「山からの 風に吹かれて 見る星の
            灯りなれども 悲しみぞ湧く」
 
 
 
八月八日(日)
 午前中野草の花の写真を撮りに西の山道にいく。十数枚撮る。電池がなくなり、帰る。ヘクソカズラやクズの花、クサギ、イタビカズラ等も撮る。
 午後五月丸を中の波止から回すついでにコージロに釣りにいく。久しぶりの釣りである。チダイ、真鯛が数匹釣れる。
そのうち遊漁船(レジャーボート風の7〜8人乗ってジグをしゃくって巻き上げている。)にハマチが釣れているようなのでノマセを始める。まず2匹5キロ級が釣れ、餌の鯵がなくなる。次にヒコーキを漕ぐ。1匹手元まできて、船の下に潜り込み切れる。次々来るが次々切れる。釣り道具が弱いようである。あきらめて鯛用のスカートを手繰る。運よく鯵がつれたのでまたノマセをやる。1匹釣り上げる。
 ハマチ3匹、鯛、チダイ数匹ずつの大漁である。ただ、ハマチ1匹は波止に着いたら死んでいて、1匹は死にそうなのでしめる。1匹だけドウランに生かす。しめたのは親戚のお土産用になる。1匹は5、5キロさばいて冷蔵庫に。
 午後、リョウキチと磯に行き、潮だまりに熱帯魚の稚魚を見つけて水槽で飼うことにする。
 
  「遠きより 南の魚の訪れて
          小さききらめき 夏に残しぬ」
 
 
 
八月九日(月)
 ハマチを組合に持っていく。4。3キロ。出票三枚目。
 ハマチは一日ドウランに入れておくと尾や胴体が少し擦れているのがわかる。この夏はいつもの年より、ハマチのやってくるのが早かったのか、おかげでおらが夏休みを釣りの部で豊かにしてくれている。反面今年の夏にまだ顔を見せないのがスズキである。朝のマラソンの後、波止の上から涼と姿を見るのが楽しみだったが今年はまだ気配がない。今年は秋まで待たなくてはやってきそうにない。いつもの年と書いているけど実際には一年一年同じ年はない。いつものこの潮に、そこであの魚が釣れるとは限らない。おおまかにみると決まった場所に回遊してくる魚がいるのはわかる。コージロとウヤシマに、一年間機会があると行って釣ってみたが、何か魚がそこにやってきて楽しませてくれた。釣れなくても何か魚がいる気配はある。本当に海はまだまだ豊かなのだ。荒っぽく付き合わないで、釣りの楽しさと期待を味あわせてくれる付き合いをしたいと思う。
 
  「ひさかたの 雨の上がりて 瀬戸内の
          海のはるかに 国東の山」
 
 
 
八月十日(火)晴れ
 朝六時前コージロにいく。鯛がよく釣れる。
 九時すぎまで釣って帰る。いちばん大きいのは一、五キロで、まあまあの形のが数匹釣れる。伝票五枚目。
 帰ってリョウキチと東の浜の水遊び。
 夕方ハマチ一匹。
ナゴジローの誕生日でアカイカ掛けは明日にお預け。ナゴジロー十二歳。
 小さい鯛の生造りのプレゼント。オムライスの希望。
ナゴジロー和は泳ぎが好きでやわらかい泳ぎをする。日焼けは海にいった回数に比例し、リョウキチの次に黒い。読書好きで暇さえあれば本を読んでいる。漫画も読んでいる。釣りはおらの方が上手いが、絵はどうやらナゴジローの方が上手そうだ。この点オカカ似だ。隣のさとくんひろくんにも人気が高い。
 
  「あびき寄す 島の荒磯 石鳴りて
            南の海の 嵐知らせん」
 
 
 
八月十一日(水)晴れ
 朝コージロの釣り。数匹の鯛が釣れる。大きいのは釣れなかった。
 昼から磯にセトガイを採りにいく。サザイもいくつか採れる。セトガイは重いので磯で貝を開いて実だけにして持って帰る。幼なじみの友達も貝採りにきていた。英ちゃんも来ていた。おらと同級生だ。
 午後釣りに出る前に組合に。たっちゃんがいてよく太ったハマチだと誉めてくれる。一日で少し擦れている。
 ヒコーキで漕いで一匹ハマチが来るが切れて結局スラ。
 アカイカを久しぶりに掛けてみるが二つ。万吉丸も来ていた。電気を付けてやっていたが、よく掛かっている様子だった。
 チエが帰省。
 
  「故郷は 近きに居りても 想うもの
        老いゆくほどに ぬくもり求むに」
 
 
 
八月十二日(木)
 朝コウジロで釣り。鯵と鯛があまり釣れそうもないのでノマセをやってみるとハマチが二匹釣れる。その後少しやっていたがハマチが死にそうなので帰って組合に。二匹で十キロ弱。
 午後磯でセトガイ採り。サザイも少し。
ノリコが恵ちゃん、タカシ君を連れて帰省。
 夜星を眺めて寝る。
 オカカ、ユウベエ、ナゴジローもその後流れ星をいくつか見たそうだ。
 今年はサザイの小さいのがいない。大きいのも去年より少ない。天候のせいだけでなく、密漁もあったのではないかと思われる。七月に夕方、ウヤシマからの帰り、それらしい船
がヨボシから走り去るのを見たことがある。そういう船は酸素ンベを付け、サザイ等を根こそぎにするのではないかと思う。一生懸命管理している祝島漁協や、海の恵みとしてむさぼることを慎んでいるおらなどには大変腹立たしいことである。
 
  「ぬくもりの 消えた瓦に 寝そべって
            流れる星の 涼しさ数ふ」
 
 
 
八月十三日(金)
 みんなで墓参り。
 親父の初盆。
 タカシ君達カヌーに興味を示すので組み立てる。みんなで楽しむ。チエ神戸に帰る。
 午後仕事。夕方カヌーを片付ける。
 夜星を眺めて寝る。
 昨日の夜は少しビールの飲みすぎか一日どうも冴えない頭を乗せて過ごした。
 このところリョウキチと潮だまりの観察にずっと行っている。メジナしかいない。
 昨日、今日と久しぶりにおらが家に九人暮らした。
 なかなか落ち着いた気持で人が集まるということはないものだと思う。初盆は静かな気持ちで人が集うめずらしい時かもしれない。
 
  「前を行く 子供の姿に 重なりし
           幼き時も ともに愛しき」
 
  「磯浜を 子と話しつつ 伴にいく
           変わらぬものぞ 満ち引きの海」
 
 
 
八月十四日(土)晴れ
 朝便でノリコ達大阪に帰る。
 コージロに出る。鯛を一匹だけ。結構いい形の鯛でほぼ満足な気持ちで帰る。
 ざるそばの昼食で夏を味わって午後はフォークソングのテレビ番組を裕子と見て、若い頃を少し思い出す。
 夕方リョウキチと潮だまりを観察にいく。一週間前に潮だまりで、熱帯魚の稚魚らしいのを見付けて以来ちょくちょく見にきているのである。この前の潮だまりとは別の潮だまりで一匹涼が見付ける。スズメダイの仲間のようである。
 夕食後盆踊りを見にいく。踊っていないのでリョウキチとおばさんの三人で踊り始める。俊君のお母さんも孫を抱いて加わる。
 その後ユウベエ達は友達連中と花火にいく。踊りたそうな人がいるので上手でもないおらがはずかしながら率先して踊り始める。今度は少しずつふえて一重の輪ができる。良かった良かったと帰る。
 千葉の中鶴さんから特産の梨「幸水」を送ってくれる。大辺甘い。村上さんからも秋田の特産を送ってくれる。秋田は村上さんの故郷。中鶴さん、村上さんともに十五年前の友人で、ともに印旛郡在住。
 
  「盆踊り 輪を作る子の なつかしき
         親のおもかげ われも幼き」
 
 
 
八月十五日(日)晴れ
 ゆっくり天気予報を見てコージロに出る。
 期待どおりのいい鯛がくう。チダイも少々釣れて、ほぼ満足な気分で帰る。おらが公園は本当に宝の海だ。
 帰ってみるとリョウキチたちは東の浜の海遊び。この所四、五日連続で全員午前中は水泳の時間。真夏の天気がやっとやってきて存分に楽しんでいるようだ。
 同級生の清水の和君から島に帰っているとの電話があったとのこと。すぐ電話をしてみると外出中。午後やってくる。
ほぼ三十年ぶりの再会である。ほとんど変わっていないという印象が強い。白髪が増え年は取っているがやはり同級生という気分はまぎれもなくそうなのである。不景気は厳しいようである。「祝島で暮らせればそれはええで。」と言う。のんびりした、温かい気持ちを持ったところがあったが、そういうものを失っていないのがうれしい。
 三時すぎから釣りに出る。ウヤシマで鯛狙いに二キロくらいのハマチが釣れる。
 夕食後子供たちと盆踊りに行く。踊っていると俊坊もやってきて踊る。二回目ということだが盆踊りに入ってくれると、祝島人としてグッと気持ちが近付く。敏君も踊り、くどきもする。清水の和君も来ている。住所を知る。西方の建っちゃん、M君にもあう。
 
  「盆踊り 老いも若きも 笑みの顔
        すぎさりし日の 重さ忘れて」
 
 
 
八月十六日(月)
 午前中仕事。
リョウキチとユウベエ、磯の潮だまりに観察にいこうとするが潮があまり引いてなくてヨボシまで行けなかったそうである。
 仕事場の水槽を大きめのに変える。鯛の稚魚四匹とヒラメの稚魚一匹を飼っている。
リョウキチたちは十時から東の浜の水泳。隣のお寺のお姉さん、お兄さんと一緒にいつも行ってもらっている。隣にはひっくんとさとくんという二歳と四歳の子供が居ておらが子供たちと仲良しである。
 午後釣りに出るが小さめのアジしか釣れない。
 こんな日もある。
 帰ってリョウキチと潮だまりの観察に行く。
 クロイオ(メジナ)に似ているが、少し違うような稚魚を採って帰る。リョウキチが辞典で調ベていたが、はっきりしない。
 模様があったのが、徐々に消えていき、結局メジナということで落ち着いた。
 
  「夕暮の 潮風のなか 濡れた瀬に
           足を取られて 磯の香増す」
 
 
 
八月十七日(火)雨 南風
 久しぶりの雨。
 潮だまりに行ってみる。クロイオらしいのが三、四匹動いていた。朝の潮だまりだから、少し違いはないかと思っていってみたが、そうてもないようだ。おか側にはハマナタマメの花や実がある。崖が崩れていたので無くなっていないか心配だったが健在である。ただ白い花ではない。ツルナを少し採って帰る。水槽に入れる石も持って帰る。
 午後は夏の雨の日を日記を書いたりオカカの片付けの手伝いをしたりして過ごす。
 夕方久しぶりの十キロランニング。五十七分三十四秒で復調の兆し。雨はぽつぽつたまに落ちる程度。
 その後リョウキチと潮だまりの観察。天候のせいか潮のせいか生物の気配が薄かった。帰りに五月丸によってターの餌にアジを一匹持って帰る。
 夜雨がまた降り始める。九州に熱低が居座り、明日も昼まで雨模様の予報。今年の夏は熱低の多い夏だ。
 
  「打ち上げし アラメの磯の 潮だまり
             南風と入り込む 旅の小魚」
 
 
 
八月十八日(水)雨
 夜中に大南風が吹き、オカカ洗濯物干し台を倒すため起き、おらも起こされる。その後二度寝してこの夏一番の遅起き日となる。朝のマラソンも釣りも時化のため休養日。魚の図鑑を見たり、釣り道具を作りなおしたりして過ごす。
 雨はほとんど一日中降り、合間を見て五月丸をこすりにいく。ボウズリ(柄付きのたわし)で木の部分をこするのである。雨上りとかにするときれいになりやすいのだ。長いことやってないと木の部分が黒くなってくる。
 隣のショウコちゃんがご主人と子供連れで帰省していて、ターを見物に来る。ショウコちゃん所は中国山地の山の上の方ということで夏の作物大根、とうもろこしをお土産にもらった。この家族はたくましく、海が好きで帰るといつも釣りや磯遊びに一日中精を出している。今回はあいにくの天候であるが、やはり波止の釣り磯遊びを欠かさない。
 今日貴ちゃんが彼女を連れてきているのに出会った。秋には若いカップルが島に一組増えることになる。大変目出度いことで喜ばしいことだ。
 夕方五月丸からヤハギを釣る。せごしにして肴に。小さいけど焼いてもうまい。鯵の焼いたのと、ハマチのたたき。子供たちハマチのたたきが結構好きでよく食べる。
 
  「夏の雨 一時暑さ 押しやりて
          窓辺の音に うと舟を漕ぐ」
 
 
 
八月十九日(木)晴れ
 久しぶりに凪の日で、朝ランニングの後子供たちはゴミ拾い、花火の燃えかすが一袋ポイすて状態で捨ててある。帰省したものが捨てたのだろう。
 スズキはまだ寄ってきていない。
 コージロに釣りにいく。鯵、チダイをそれぞれ十匹あまりずつと鯛一匹。
 午後リョウキチ、ナゴジローと東の浜の水泳。リョウキチのクロールが進歩。おらは約三百メートルのクロール。
 水泳後二人は握り飯を頬張っていた。
 茂一さあのテレビのすえかえを手伝ってビールをいただいて帰る。オカカはそれを見て「アルバイトね。」という。おらはニタニタしていたことだろう。こういうアルバイトには、だいぶ前から、おらには老眼鏡が必需品になったのだ。これなしではとてもアルバイトができない。困ったものだがしょうがない。腕が二本分の長さ以上に離れていないとおらが目のピントがあわなくなったのだ。ただし遠くはよく見える。
 アルバイトのためだけではなく、おらは老眼鏡を六つ持っていたのだが、夏休みに一つ行方不明になって、今五つになってしまった。
 
  「静かなる 海面はゆるく たゆとうに
            戸惑うほどの 魚の激しさ」
 
 
 
八月二十日(金)晴れ
 一日仕事。
 夕食後テレビを見て、ギターを弾いて唄を歌った。この頃「サボテンの花」とか「夜空のムコウ」とかをギターを弾いて唄う練習をしている。秋になったら、愛ちゃんやさつきちゃんとギターを練習する予定になっている。写真の現像もしたいと愛ちゃんがいっていたので、引き伸ばし機の電球も買って着々というほどではなく、ちくっと秋の準備も進めている。
 毎年この日くらいからヤズが釣れ始める。この日(二十一日)の午後にたいてい室津に仕事の関係で行くのだが、五月丸で行くときにヒコーキを漕ぐのがその年のヤズの釣り始めということが多かった。
 今年は定期船「わかしお」からヤズの群れを探したが、見つからなかった。少し遅れているのかもしれない。
 
  「静かなる 海面をにわかに 騒がして
            秋を従え ヤズ島に寄る」
 
 
 
八月二十一日(土)晴れ
 オカカ、柳井旅行。
 朝飯に握り飯と卵焼き。卵焼きはうまく巻けず、ゴニャゴニャ焼きになった。作っておいて、おらはキャンプのトイレを作りに三浦に行く。十数人のキャンプを次の土日にやる予定で、おらはトイレづくり担当である。十時前に出来上がって帰り、リョウキチと潮だまりの観察にいく。オヤビッチャらしいのがいたが、網で捕れなかったので確認できず。帰りにリョウキチと別れて、コージロに釣りに出る。
 チダイ、鯵は十数匹それぞれ釣れる。鯛は中一匹だけ。時々ザーと雨が降る。
 帰ると、ユウベエが昼食に作ったスパゲティーをせっせと準備してくれる。缶ビールと一緒に感謝しながらいただく。リョウキチはいとこのところに肴を持っていってそこで遊ぶ。
 典ちゃんから電話があり、オカカの荷物が多いから港まで迎えに出るよう、電話に出たユウベエに連絡。ナゴジローは昼寝で電話に出られず。
 結局わかしおでなく、清水丸で帰り、迎えのユウベエ、ナゴジローとオカカはすれ違いということになった。
 千葉の根本さんからも梨を送ってくれる。十五年前の同僚で人生の先輩。
 
  「留守番の 娘の作る 昼食の
         心こもりて ぬくもりにけり」
 
 
 
八月二十二日(日)晴れ
 三浦にいきキャンプ地の草刈りをする。途中で敏君が手伝いにきてくれる。半分ちょっとやって缶ビールを飲んで終わる。
 午後はゆっくり魚を料理したりして晩便で友人が来るのを待つ。友人は大学の水泳部の先輩の勝さん。およそ三十年ぶりの再会を水泳部員の消息を話し合うなかで楽しみあう。
勝さんは学生時代からの単車好きで今も乗っている。四代まで京都から単車でやってきたそうである。(途中妹さんの所に寄ってから。)久しぶりに孝さんの所に電話もする。懐かしい声が二人を懐かしがってくれる。孝さんは勝さんと同期生で、三年間スペインに単身赴任していて今年、六月に日本に帰ってきたとのことでスペイン語がしゃべれるようになったそうだ。学生時代から英語がしゃべれていたように思うが、ますます特技をあれこれ研いているようである。年賀状にスペインで絵を描いているとあったが、こちらもなかなか上達したようである。この夏、阿波踊りを描いたそうだ。二十年くらい前にあったときは会社で特許の申請が一番多かったとか言っていた。今も興味・好奇心が旺盛のようだ。静岡の清水市に住んでいる。またいって逢いたくなった。
 
  「友ありて 京より島に 訪ね来て
        はるかな駿河の 友をも囲む」 
 
 
八月二十三日(月)雨模様
 午前中仕事。
 勝さんと三浦、北野のため池をリョウキチと一緒に回る。
 午後三時頃から、やはり三人で磯に釣りにいく。カサゴ、ヒョコタン、シマギダ、クロゴチ、カワハギを合わせて十一匹釣る。晩飯のおかず。ムニエル、煮付けになる。天気は雨模様。晴天なら磯遊びをもっと楽しめたろうが、まあしょうがない。
 勝さんの性格は、気さく。根本的には学生時代とそれほど変わってないのがいい。変わってないから単車でわざわざ祝島まで来てくれたのだろう。先輩の大村さんを懐かしがっていた。大村さんは東洋医学に進んでいるようだ。何年か前に高野山で出会ったということ。大村さんは修業中と言っていたとか。頑張るなあ。水泳も平泳ぎで気迫があった。
 今年届いた部誌で大村さんの住所を書き留めていった。大村さんと勝さんの再会を祈ろう。
 勝さん、すっかり涼とうちとける。リョウキチも結構気さくな性格かもしれない。勝さん、船には弱いといっていたが、リョウキチも苦手である。
 俊君は友達が静岡から来ていて、こちらは元気に磯で潜るとか言っていた。おらよりちょっと若い行動をとる。
 
  「古の 海を渡りて 行く船を
          思い浮べて 海を眺める」
 
 
 
八月二十四日(火)曇り
 朝便で勝さん帰京。四代から六百tの単車で、なんとか雨は上がっている。俊君の友達も同じ便で静岡に帰る。
 おらは昼の便で下関に出発。四年ぶりの人間ドッグ入り。
下関にはおじさん、おばさんの家があり、従妹の三千代さんもいる。柳井で道草をし、電車が遅くなる。おじさんが心配して自転車で迎えに来てくれるのと会う。
 おじさんたちの作った野菜を使った肉料理をたっぷり御馳走になり、明日の健康診断に備える。
 三千代ちゃんの息子の創くんは中学生で、明日はサッカーの大会があると言っていた。子供は元気である。金銭感覚抜きで物事を一生懸命やる。大人になるといろいろな活動をお金に置き換えて量る癖がいつのまにかしみ込んでしまっている。
 フジモト家にはおらは大事にされてきたように思う。高校の時から無断でひょこっとやってきては御馳走になって、ろくに礼もいわずに下宿に帰っていったような気がする。大事にしてくれるのでひょこっと行きたくなったのだろうと、今頃思う。
 
  「甲板の 上で手を振る 古き友
         出ていく船の 遠くなるまで」
 
 
 
八月二十五日(水)曇り
 朝起きると創くんは試合に行っている。おらは厚生病院に行く。
 病院で便をとり、提出して健康診断開始。血液検査で血を抜いた分バリュウムを補充して胃の検査等を行なう。
 時間に余裕があるので文庫本を読んだり、短歌を作ってみようとする。
 昼食は、朝食抜きの分を補うために千カロリー以上ということで全部食べると満腹で苦しい。昼食は、食べ過ぎで腹が変だったので、夕食は一品残す。千カロリーを一食で食べるというのは今のおらが胃袋では苦痛であることがわかった。
人間ドッグは自分の体についていろいろなことをわからせてくれるためのものである。ただし、バリウムを飲んだり、X線を当てたり、血を採ったり、直腸をこねたりといろんな所にかすり傷を残すことは確かだろう。
 
  「うす青の 移りて淡き 紅色の
          人ぞ恋しき 夕の西空」
 
 
 
八月二十六日(木)曇り
 この日は血糖値の検査。糖尿病かどうかがわかるという検査ということだ。のんびり過ごす。最後は直腸の検査で、これは痛い。終わった後隣の人に聞くとそれほど痛くなかったようで、この検査の痛みは、個人差が相当あるということがわかった。
 早く終われば晩便に間に合うと思ったが、結局間に合うほど早くは終わらず、徳山に出てビジネスホテルに泊まる。
 今回は焼き鳥と生ビールを飲んで、土産にハンバーグを買って、短歌を詠んで早寝する。
 
  「ほろ酔いに 口ずさむ唄の わびしさに
            酔いがまわりて 草臥れにけり」
 
 
 
八月二十七日(金)雨
 朝起きると雨が降っている。
 ホテルのおじさんが傘の心配をしてくれるが濡れていく。
柳井港で朝食。雨が降り続いている中を船に乗る。
 室津から、おらが家の隣の一家が乗り込んでにぎやかになる。さとくんは額にたんコブと長い内出血の青いすじができている。階段で作ったらしい。隣の一家は若奥さんの里帰りで、一週間の小郡での夏休み生活だったようである。
 リョウキチ、波止で傘を持って出迎えてくれる。
 午後コージロに釣りにでる。
 ハマチが鯛狙いに釣れる。
二キロ級で無事とれる。小さめの鯛一匹、チダイ三、四匹と、鯵数匹。久しぶりの魚達との対面。
 キャンプのことで敏君、Hさん、トオル君に電話連絡。
トオル君とは康っちゃんと明日臨時便で、久しぶりの来島ということになった。
 
  「ひさかたの 雨の波止場に 傘持ちて
           たたずみて待つ 船降りる人」
 
 
 
八月二十八日(土)曇り
 キャンプ一日目。
 朝、ポンプやホースを運んでタンクやドラム缶に水を汲んでおく。
 臨時便で島外からのキャンプのメンバーが三浦の波止に清水丸で到着。
 おらは昼食や炊事関係の道具や氷などの運搬係で、昼前に合流。久しぶりにトオル君、康っちゃんと対面。嶋ちゃんはトイレにたまっていた水をかえだしてくれたそうだ。トイレの支柱付きシートはトオル君の作。トイレに関してかなり貢献している。
 午後磯遊びのため五月丸と伝馬船を三浦に運ぶ。途中西風が強く、伝馬が沈没しそうになり、低速で進む。なんとか無事到着。小島の磯で潜ったり釣りをして一時間余り楽しむ。
風がおさまらないので五月丸と伝馬は港に持って帰る。
 夕食はバーベキューでいろいろな食材が集まる。ビワ産直グループのサカモトさん、ハヤシの準備してくれた野菜など中心に、肉やセトガイ、チダイ、タコ、ハマチ・タコの刺身、シスなど海と山の幸がたっぷりあって、おらが子供、隣の一家も引き連れてきて御馳走になった。おらもトオル君、康っちゃんとビールを飲んだ。康っちゃんは手伝いから片付けまで申し訳ないくらい働いてもらった。
 会社員の娘さんに花火をもらって子供たちは楽しそうだっ
た。
 昼すぎにはトオル君に来客があった。よっちゃんという若いしで、今高校生。来春は会社勤めということだ。桂子ちゃんとさっちゃんも、おらが五月丸を取りに行く途中に自転車ですれ違う。トオル君と康っちゃんに会うために三浦に走っていく姿であった。
 トオル君に、「来て良かった。」と思ってもらえただろうし、来てくれて良かった、といろんな人が思っただろうし、これもこの夏の収穫だ。
 磯遊びはKさん、HさんにTさん、Xさん。船での釣りはAさん、Oさん
Yさん、娘さん。Kさんたちの潜りや、Hさんのかじこは慣れたもので頼れる戦力であ
る。これも収穫だ。
 
 
  「海を見て 海に育って 海辺に居
          どこかに海の 匂いを付けて」
 
 
 
八月二十九日(日)雨のち晴れ
 朝四時すぎから雨がぽつぽつ降り始める。おらとトオル君はトラックの荷台で寝ていたが雨で起こされ、青いシートを張る。雨が強くなり、蚊取線香も無くなり、ついにテントに退散する。嶋ちゃんはトラックで余り眠れなかったそうでテ
ントではぐっすり寝ていた。
 飯と味噌汁などの朝食をとって、ゆっくり過ごす。味噌汁は会社員の山岡さんの作。いい味だった。山岡さん、高藤さ
んは同僚で、朝早く片付けをして、昨日の酒盛りの後を消してくれていた。
 いい天気で北野の溜め池にいく人とカヌーをする人とに別れて昼食までの時間を過ごす。おらも久しぶりに少しカヌーを漕ぐ。皆さん楽しんでくれた様子。
 昼食は鯛飯。サカモトさん、ハヤシさんの作。キャンプを鯛飯で閉めて、片付け。
 午後清水丸で帰っていった。
 みんな手を振っていた。
 トオル君も康っちゃんも、見えなくなるまで手をふっていた。
 一服してコージロに行ってみる。アジと少しのチダイ。
 峰子さんからはがきが来ている。祝島のお婆さんと知り合いになったと書いている。峰子さんは祝島を大切にしてくれているなあとうれしい。この前までは建っちゃんのお母さんと仲良しになったということで、そのお母さんが帰ってきたとき峰子さんの話を楽しそうにしてくれた。
 
  「夏休み 外から便り 島にきて
           思いがけずの 島をまた知る」
 
 
 
八月三十日(月)晴れ
 朝子供と久しぶりのランニング。
 ゆっくり釣りにでる。コージロでハマチが湧いているのでヒコーキを漕ぐが釣れずノマセをする。粘っていとなんとか釣れ、一匹とる。二匹来ていたようだが一匹は逃がす。とれた方は腹に引っ掛かっていた。ハマチの皮は強いものだと感心する。感心した後鯛釣りに変える。一匹まずまずのが釣れる。干潮に変わり、カミカドに移る。アジがよく釣れる。三十匹くらい釣れた後いい鯛が一匹、おらをたまがすためのように釣れる。すぐもう一匹さらにいいのが釣れて、おらは本当にたまげた。満足して昼をずっと過ぎた頃帰る。
鯵を南蛮漬け用にと、しめていると隣の健洋丸さんがハゲをくれる。
晩のおかずは南蛮漬けと鯵・ハゲの刺身とハゲの味噌汁。帰った頃から南風が吹き始める。
 夕方久しぶりの十キロランニング。結構体にくたびれがあり、一時間二分余りかかる。ビールと刺身と南蛮漬けと味噌汁に慰められて寝る。山道にウシビタの熟れた実が落ちている。秋がすぐそこまで来ていた。ジャム作りの夢を見そうだと思いながら眠る。
 
  「夏の海 締め括るのか 秋開くか
            鯛舞い踊り 鯵がきらめく」
 
 
 
八月三十一日(火)曇り 南風やや強
 朝日記を書いて、隣のさとくんたちと遊んだ後、東の浜の水泳に付き合い、おらも十分間水泳をする。白黒写真を撮っておく。秋には現像してみようと思っている。
 さとくん、ひろくんの兄弟が初めておらが家で昼寝。隣はお客さんで若奥さんが忙しいため、オカカが臨時の保母さん。
 午後急に暗くなりにわか雨が降る。
 天気は秋の形になって雨はすぐ終わり、おらはウジヒタの実を採りに東に向かう。二キロくらい採って帰る。蚊に二十箇所くらいくわれる。
 夕方政坊たちとバーベキュウで肉を食ったりビールを飲んだり贅沢な夜を過ごす。終わりはにわか雨が立派に締め括った。俊坊の顔面の体験談は、みんなが聞けるのは祝島ならではというくらいの話だつた。
 今年もいい夏休みが過ごせた。誰に感謝をしようか。
 リンゴ村からと別れの一本杉を涼の子守歌にしておらが夏休みがくくられた。
 みんながいることに感謝。
 
 「おらが夏 休みを終えて 島影に
          あんたがおって おらがいて」
 
 「おらが夏 海にひたって 入道の
           額に汗の 瀬戸内の海」
 
 「瀬戸内の 海に織りなす 陽の光
            いくおらが夏 秋風ぞ吹く」
 
 「幼い子と 遊ぶ子供の 優しさに
          おらが心も 和らぎにけり」
 
 「夏の山 みんみん蝉の 鳴く声に
          濃い紫の ウシビタ実る」
 
 「釣り糸に 伝わる魚の たくましく
          高まる心 高き太陽」
 
 「ひよどりの 渡る瀬戸内 祝島
          海は豊かに 鯛の寄るらむ」

1999年 おらが夏休みおしまい。

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