おらが夏休み  1997年
 
  
 
 プロローグ
 今年も地軸の傾きのおかげで夏がやってきた。
 子供たちは七月十九日に夏休みに入った。おらも一緒に夏休みに入ることにする。早速一家揃ってヨボシに行く。
 おらは子供と別行動でウニを採る。サザイも一緒に採る。
子供は浅いところで遊んでいたが、オカカがゴミ焼きをし少し遅れて到着してからウニ採りにみんな目覚める。ヨボシからアカバーの磯に移りウニ採りに励み、最後は子供たち三人とオカカがクドレで泳いで磯遊びから帰る。今年の夏もまた一段と楽しめそうだ。
 この夏は膝が痛いので走れない。その代わりに焼き物作りにいそしむつもりである。

 

 「おかげかな ウニやサザイを 夏のとも」
 
  「この夏に 焼くはサザイか 島の香」
 
  「磯遊び 海 空 蒼や  一段と」 
 

 

七月二十日(日)
 「さわやかインタビュー」で小栗康平という映画監督が時間の認識の違いについて話していた。
 気象情報を見た後ゆっくりして丸鯵釣りに出る。
 左側が、牛島に尾島がくっつき、右側が白井田の人家がカノウ島に隠れるあたりで丸鯵の小さな群れが騒いでいた。
 十六匹釣る。十時半に帰宅。
 昼前に窯のスイッチを入れる。
 午後リョウキチとナカバエに行く。おらは潜ってウニとサザイ採り。それぞれを三十から四十、リョウキチは釣りで小魚四匹。餌はフナムシ。餌を採って釣るまでを一人でやるのは初体験だろう。
 リョウキチが釣りをしながらタコを見付ける。おらが採る。一キロのタコ。
 午後八時過ぎに窯のスイッチを切る。
 豊漁の一日。
 オカカはウニのしごで十一時過ぎまで夜業仕事。ウニを採るとこれが大変なのである。         

  「丸鯵の 小さな群れと 付き合って」

 
  「夏休み フナムシ タコや  アブラメや
 
 
 
七月二十一日(月) 海の日の振り替え休日
朝七時から九時半まで丸鯵釣り。ほぼ昨日の所でカモメが騒いでいるので、そこで釣る。三十六匹。
千葉の知り合いに丸鯵を夏休みのおすそわけとして送る。
子供は十時から東の浜の海遊び。オカカは付き添い役で、十一時におらと交替。
親父は親しい大工さんと板のカンナがけ。おらが家の改修に取り掛かる。
午後二時過ぎからオカカ、ナゴジロー、リョウキチと磯遊び。この日もアカバー。オカカウニ三十ばかり。おらもウニとサザイそれぞれ三十ばかり。今年もおらが公園の磯は健在である。
磯から帰って、昨日の焼き物を窯から取り出す。大きい皿と普通の皿に割れ目が入っている。大きい皿の割れ目はそれほどひどくはないが、おらが力作なので残念な気持ちが持ち上がった。祝島の土五割と、ゆう薬に祝島のヨモギ灰を使ったもので思いがこもっているのである。
 オカカ、夜業仕事にウニのしご。
 
「オカカ 夜 ウニのしごして 夏休み」
 
 
 
 七月二十二日(火)
 朝子供のランニングを見に行く。ついでに波止から海ものぞく。スズキの姿が見える。2キロ級が3〜4匹。
 今日は仕事があったが、仕事の合間に素焼きををする。電気窯なのでスイッチを入れて何回か様子を見ればいいのでそんなに仕事をさぼるというわけではない。ちょっと一服がわりに、窯へあいさつに行くのである。今回のには政坊のが四点入っている。
 仕事が終わって夕方涼と波止のなかの五月丸の上から釣りをする。チンがいるのだが、それは釣れず、ワイナとデンゴが釣れた。それのせごしを肴にビールを飲んだ。ちょっと前まで、波止の中にデンゴの姿は無かったのに、何時の間にやら忍び込んでいる。デンゴもほぼ毎年夏休みになると夕方波止の中で楽しみ始める。それやサエルを狙って秋にはスズキが波止の中まで入ってくる。
  
「鯵の子が 今年も運ぶ 夏休み」
 
 
 
 七月二十三日(水)
 朝気象情報を見て丸鯵釣りに出る。二時間くらいで5匹しか釣れず、少し気持ちを縮めて帰る。
 上の子供二人は八島キャンプに十時出発で、その見送りにぎりぎり間に合う。リョウキチは清水丸に乗り込み八島まで行く。清水丸の康っちゃんも一緒。
 見送った後、カタアに赤土を取りにいく。焼き物用の土の材料である。行く途中、伊藤のおばさん達と、同級生のたっちゃんが道端の木陰で休憩していて、缶コーヒーと生菓子をよばれる(ご馳走になる)。帰り道、清水丸の姿を八島の辺りに探すが見えなかった。赤土を水の中に浸しておく。
 昼すぎ窯から素焼きを出す。おらと政君の皿一枚ずつが割れたり離れたりしている。ほかはまずまず
3時からリョウキチと二人でアカバーの磯行き。おらは潜ってリョウキチは釣り。おらはサザイ三十ばかり。リョウキチはヒョコタン(ササノハベラ)を初めて釣る。おらはサザイを採った後は、リョウキチの釣りを眺めたり、フナムシを供給したりする。リョウキチはなかなかしわい(作業を粘る事)。
 夕方、リョウキチと波止の中の五月丸に乗って釣り。リョウキチが船の上からタコを見付ける。リョウキチがタイミングよく釣ったデンゴを餌にタコを引っ掛けるが糸が切れて結局獲れずに帰る。
ワイナとデンゴのせごしでビールを飲む。
オカカは集まりに出でいた。その場で急病があって付き添いで水場まで行ってきたらしい
政君も一緒だったらしい。
 
「山道の 木陰の珈琲 喫茶天」
 
「島磯の 釣りと潜りと 親子かな」
 
「五月丸 逃がしたタコの 苦い顔」
 
 
 
七月二十四日(木)
朝の子供のランニングとスズキの姿を見た後、昨日の素焼にゆう薬をかける。全部ヨモギのゆう薬をかける。
気象情報を見る。台風が向かってきている。今度の土・日あたりがおらが公園に最接近だろう。
ゆう薬かけ後、釣りに出る。今回はちょっと趣向をかえコウジロをやってみる。あわよくば鯛・ハマチの顔を見られのでは、との思惑からである。コウジロはおらが公園の中でも大変愛すべき、おらが漁場のひとつなのである。
鯛・ハマチの顔は拝めなかったけど、おおきい鯖が一度に匹釣れて、「おー食うたくうた。」と独り言を言いながらタマですくった。ほかにはデンゴしか釣れなくて豊漁とも大 漁とも言えないけれど、輝漁と言いたい収穫だった。
 釣りから帰り、本焼き準備。東の浜でのリョウキチとの水泳をちょ っと付き合う。その後正午、本焼きのスイッチを入れる。
 午後ユウベエ・ナゴジロウが八島キャンプから帰ってくる。日焼けして、た くましさとくたびれを身にまとい、昼寝に入った。
 おらは、六月に刈っておいたヨモギを燃やしてのゆう薬作りに汗を流す。
 鯖を少し刺身にしてもらい、残りを〆鯖にする。     。
夕食の肴は鯖の刺身だ。
窯のスイッチを午後九時すぎに切る。八時過ぎに千三百度越えていて、ちよっと高温にし過ぎたなあと悔やむ。割れなければ、それもまた予期せぬものを生み出しているかも知れないという気も起こる。人の気持ちはあざなえる縄の如しである。
 
「コージロの 目に濃い緑 初の鯖」           
 
 
 
七月二十五日(金)
朝のランニングを見にいく。この日は紀君が来て子供と一緒に走る。スズキも一緒に見る。             
台風が北上。八時頃から北風が吹き始める。八時半頃五月丸を中の波止に移動避難する。今年二回目の避難である。
九時頃、本焼きの窯のふたを開けて見る。二百二十度位。
十時頃、徳山の博くんから電話がある。仕事仲間で明日から旅行を組んでいたのだが、台風が接近しているので心配してくれている。おらは参加を見合わせることにして、そのことを博くんに伝える。
昼前に粘土をちょっとこねて、午後リョウキチと東の浜で泳ぐ。リョウキチ、今のところ息継ぎを三回くらいして五メートル泳ぐ。犬平ぎとでもいうような泳ぎである。
三時に仕事場にいく。
中の波止の芯綱張りがあるとの放送が四時半ごろ聞こえ、急いで下りる。作業が終わり、仕事場を戸締まりして帰る。
 
「紀くんや 子供時代の 名残かな」
 
 
 
 七月二十六日(土)
 台風が予想通りのコースを通っているようである。ゆっくり北上している。東側を通るので南風が吹かない分おらが公園の磯が荒れてしまうことはないだろう。いずれにしてもこんなふうなどうしようもない天候というのは、家のなかにいれば気持ちは落ち着くものだ。終日本を読んだり、粘土をこねたりのゆっくり時間を使った一日だった。
 夕方台風阿南市に上陸。九時頃備前市に再上陸。
 
「南風吹かば 思い起せよ 台風」    ※南風=マジと読む
 
 
 
 七月二十七日(日)曇り
 夜中から西風が強まる。台風の吹き戻しという感じである。日本海に台風が居座って一日中強い西が吹く。
 
「西風吹かば 思い起せよ 波の花」            
 
七月二十八日(月)                  
午前中仕事。午後船舶免許用の写真現像。   
まだかなり西風が残り、漁に出る状態ではない。
午後粘土の水を抜くため袋に入れ重りを載せておく。
 
「 西風吹かば 漁を忘れて よそ見かな」 ※西風=ニシ
 
 
 
 七月二十九日(火)
 リョウキチが、おらが親父と柳井にいく。初めての二人だけのよそ 行きである。心を弾ませて出発した。こんな風に心を弾ませていろんなことに取り組むと人生楽しいだろう。おらもリョウキチに見習おう。
 ナゴジローは目いぼができて左目がはれている。朝のランニングは休んで、ユウベエだけ走りにいく。帰りにオクラをツットー菜園から採っ てくる。
 十時から素焼きに取り掛かる。合間にビデオテープの編集機に触ってみるがわからないまま時間だけ過ぎた。合間に五月丸を東の波止に回す。素焼きの窯のスイッチを三時半頃に切る。
 夕方リョウキチが帰り、買ってきたおもちゃを一生懸命組み立てている。
ゲームで釣りをしてきたそうである。釣り竿のあるゲームらしい。そのゲームでハマチを逃がしたらしい。行きの室津からのバスに酔って、下りる寸前に戻したということだ。
おらは一日中粘土と遊んだ。祝島の粘土のもとが十キロ余りできそうだ。
ナゴジローは一日中、目いぼでゴロゴロ、ユウベエは友達の所にいって遊んだり、昼寝をしたり、宿題をしたりの一日だったらしい。
 
「それぞれの 思いの丈の 夏休み」
 
 
 
七月三十一日(木)
七月のけじめをつけて八月を迎える一日と決めて、一日中ごごろしていた。
 
「七月の ウニとサザイに 夫婦連れ」
 
 
 
八月一日(金)
八時半から本焼きのスイッチを入れる。
この日から小型船舶一級免許の講習が始まる。午後六時から九時まで。九日まで毎日。この日は本焼きのスイッチをちょっと早めに切って講習初日におもむく。         
 
「晩酌を 控えて臨む 手習いや」


八月二日(土)
友あり遠方より来たる。で昼からアカバーの磯遊び。総勢ちょうど一ダース。おらは得意の潜りでサザイのつぼ焼きをサービスする。遠方より来たる子供たちの友は、飛鳥・弥生・武蔵・大和という四人の時代劇スター並の名前の持ち主たちで、みんなすばらしいキャラクターである。健康・活発・明朗・素朴な子供たちである。親のいいキャラクターがそのまま乗り移っているところを見ると、親子の間がいい関係で、密接なのだろう。
 晩のビールが講習のため一緒にやれないのが残念であったが、おらの帰りを、眠さに耐えて待っていてくれた。
本焼きはまずまずの出来具合。政君のは今一歩という感じか。どうも温度が少し足りなかったようだ、と反省。
 
「賑わいが 夏一番の おらが磯」
 
 
 
八月三日(日)
 朝六時に友達家族と鯵釣りに出る。わずか三匹だったが喜んでくれる。九時に帰り、そのまま波止で釣りをする。リョウキチも加わる。十時過ぎから東の浜でみんなで泳ぐ。ナゴジローだけ目いぼのため見物。
 トウソンさん(友達)一家昼便で二鹿に帰る。祝島を短い期によく堪能してくれた様子が、おらにはよくわかって、うれしい。
 午後東の浜の見張り用テントの作業。夕方には地区の人、にぎやかに作業。
 
「明るさと ひとつになった たくましさ」
 
 
 
八月四日(月)
 朝子供のランニングに付き添い。帰りに見ると昨日建てたテントがひっくり返っている。なおしていると信さんが来て手伝ってくれる。さらに立派な鉄骨でできた家型の骨組みを持ってきてくれる。五、六人集まってくれ八時頃までに立派な日除け小屋がほぼできあがる。それから仕事場に向かう
 一日仕事をする。といっても、半日は合間に焼き物をして過ごす。素焼きのスイッチを午後一時半に入れ、六時前に切る。
 六時から船舶講習。この日から機関についての講習。機関についてなかなかいい勉強になる。うまくできているものだと、わかる部分は感心して過ごす。
 晩飯は講習後に食べることにしている。講習前に食べると眠くなってしまうからである。 今年は大きいアカイカがかかっているようだが、おらは今年は一度も掛けに出ていない。
少し漁に対する意欲が落ちたのか、おらが体力が落ちたのか、多分、体力は意欲に引きずられ意欲は体力に支えられの関係があるようだから、その両方だろう。島に帰って十年目で、釣りに対する気持ちが少し余裕のあるものに変わったような気もする。焼き物を始めたことも、仕事をする日が少し増えたこと、受講もからんで、なかなか複雑な原因をはらんでいて結論を言いあてることは難しい状況にある。しかし、釣りが出来ないで気持ちがささくれるような気配がないのは、さすがおらが公園の夏休みである。島で作る焼き物や海・船の知識が中年の脳味噌に充足感をもたらしてくれているのだろう。裕子・子供の存在も。
 
「中年の 感心誘う エンジンかな」

 

  八月五日(火)雨 風力3〜4 南風
 小型船舶免許の実技講習開始。一日目。九時から午後四時まで「シーブルー」11トン・13.4Mに乗って緊張の時間を過ごす。南風が結構強く、三浦湾沖での実習。実習帳を記入するときに船酔い気味になる。 変針・離着岸が主な練習。午後は雨で時々激しく降る。見通しは非常に悪い一日。教官はやはり海の男である。それなりの雰囲気がある。
六時から機関についての講習。
 八月初旬は勉強旬間である。あんまり頭の中に残らないかもしれないが、かすかに体の中や脳味噌のなかにしみつくものもあろうからそれを貴重なものとして収めよう。
   
「初めての 船を動かし 波に乗る」
 
 
 
八月六日(水)曇り 風力2〜3 南風
 九時前に電話があり、五月丸を中の波止に持っていく。風のため。今回は避難がおらが予測よりちょっと早い。
 遅刻寸前、九時から実技講習、午後四時まで。
 午前中は蛇行と人命救助の練習。
 午後は海図を使っての八島一周航海。レーダーとかコンパスとか初めてさわった。
この前読んだ「サムライの海」とかに勝海舟や坂本竜馬などが出できたが、あの時代にもこのコンパスとかを使って航海していたのだろうとか思うと気合が入る。
一時間半余り、二十三海里の船旅だった。
 六時から九時まで講習。
 
「公園の ふちを通って 散歩かな」
 
 八月七日(木)曇り
 実技講習八時半から開始。台風のため少し早める。
 復習の後、実技のテスト。人命救助・左舷着岸が中心で
った。人命救助では風下から行くところをうっかり風上から行って、直前で気付いて風下に回ったりしたが、何とか通過できたようである。
 実技が終わって、一息つくと午後二時から講習である。
風のため、こちらも繰り上げて実施。午後九時まで。
 九時間の勉強が三日間続いたことになる。
  
「中年の 頭を使って リフレッシュ」
  
「中年の 体を使って ギクシャック」
 
 
 
八月八日(金)
  小型船舶一級免許講習会最終日。七時半より開始。復習を少しした後テスト。六十五問出題。六十五パーセント以上で合格ということらしい。十時頃終了。
台風はかなり遠くを通るようだが、南風がじわじわ吹き始める。奄美大島のはるか西の方を朝鮮半島に向かっている。
 午前中に仕事場の台風準備を簡単にすませ、午後は、講習を一緒に受けた記念用の湯呑みを作る。
夕方素焼きにゆう薬をかける。
 久しぶりに家族一緒に夕食をとる。
 晩便は欠航。
 
「台風が 早めて手にする 免許かな」
 
 
 
八月九日(土)曇り
 夜中に、台風が遠い割りには強い南風がふく。
 被害があるほどでは無かったようである。山の緑がほぼ緑のままである。
昼まで南風が続く。南風波は大きいまま。昼便は欠航で晩便は白井田回り。
午前九時から本焼き開始。午後六時二十分にスイッチを切る。(五時二十分頃最高温度千二百六十度。)
 子供たちはこの日は水泳は休み。リョウキチは午後親戚の兄さん・姉さん達と中の波止で釣りをしていた。
 明日はおらが家の一部を改築のため一日中作業の予定で、少し準備をする。
 
「釣り好きの 息子が結ぶ 釣り仲間」
 
 
 
八月十日(日)曇り
 七時過ぎから、雨の心配をしながら足場などの準備を始める。その後スレートを取りのぞく。茂一さあと松新さんも雇われて、大工のかずにいさあと親父と五人での仕事。
午後、てならしという角材を数本取り付けるところまで進む。家の西側を土屋根と物置に改築するわけで、初日としての進み具合はまずまず上等である。足は久しぶりの屋根の上での仕事で草臥れる。
 夕食の後、凪の座というグループの演奏・歌があるというので、敏君に誘われ聞きにいく。一時間余りで終わる。
その後島おこしについて話し合いがある。これにも誘われて出る。達生さんという人と透さんというひとが中心のグループであるが、いろいろ面白く、ためになる話が聞けた。缶ビールがいっぱい出て、酔っ払って聞いたのでなおさら良かったのかもしれないが、とにかく聞いて良かった話である。
おらが島の貞ちゃんの話もいい話だった。島のことでいろいろ骨をおってくれているので頭が下る。敏君もこういう集まりを作るために骨身を惜しまず働いている。おらはビールばかり飲んでいた。
 
「缶ビール 唄と話に うなづいて」
 
「草臥れが 飲んで漂う 夢の道」
 
 
 
 
八月十一日(月)曇り時々雨
 この日も家の改築作業はあるけど、おらは午前中仕事。
午後は板のカンナ掛けやら、釘打ちやらをして少し役に立つ。
仕事の合間には祝島の粘土百パーセントで湯呑みを作る。百パーセントのはまだ作ってないのでちょっと気合いを入れる。ゆう薬はやはりヨモギにしようなどと思いながら。人は、こういう風に思いながら何かを作ったり時を過ごすことが大切だろうと思う。思うことの質を高める努力を自分を磨くというのかも知れん。
 
「釘打ちの 曲がりに思わず 独り言」
 
「行いに つながる程の 想いかな」                                       


 
八月十二日(火)曇り時々雨              
 改築作業は雨のためほとんど進まなかったようである。  
 おらは一日中仕事の日。風呂場の煙突の付け替えを親父とオカカでやり終えていた。   この夏は何だか異状に雨の日が多い。草がいつもの年より伸びている。おらが家の改築には迷惑な雨でも草にはいい雨なのだろう。                      ー

 

「盆前の 山越ゆ雲の ある夏や」
 
「雑草の 夏の盛りの 雨に濃く」
 
「雑草の 丈の高さや 雨の濃さ」
 
「煙突を 付けて暮らしの 息吹かな」
 

 

  
八月十三日(水)曇り時々雨のち晴れ
 朝リョウキチとスズキを狙って波止に出るが気配無し。
 一日仕事。昼休みに少し道の補修。家でコンクリートが少し余ったのでそれを使う。
 その後五月丸を東に回す。
 仕事から帰って、家の改築作業の残りを手伝い。六時すぎまで作業をする。みんなはぶ(精)を出していた。
 台風十三号の動きが気になり始める。
 
「台風の 動きがせかす 屋根の上」
 
 
 
 八月十四日(木)晴。
 久しぶりの夏空。
 朝スズキを狙って東の波止に出るが釣れない。餌では釣れているようである。
 午前中仕事。仕事中、恋人からファックスが入る。アメリカに行っていて、淋しかったようである。
 午後東の浜に子供たちと泳ぎに出る。
 インターネットで祝島のことを紹介している秀人くんが家に寄って話をしていく。百キロマラソンをやったり、トライアスロンへの出場を計画中とか、色いろ頑張っているようである。
 その後北野にオカカの妹家族をトラックに乗せていく。子どもたち少し粘土を拾って帰り、焼き物にしようと言っている。
 帰りは三浦に降り海岸道を通り長磯のツットー菜園により中・小の西瓜を三つ採ってかえる。
 晩、子供らは盆踊り場に出店目当てに行くが、出店が無かったと早々と帰ってくる。しょうがないから吉田の健ちゃんの店で綿菓子を買ってきたようである。出店をやってみるのも面白そうだなあ、とふと思う。
九時すぎに子供とオカカは敏君の奥さんのところにいく。典ちゃんも来ているようである。外では盆くどきのテープと太鼓の生の音が流れている。おらは淋しく日記を書く。
  
「三人で 踊る言葉の かしましく」
 
 
 
八月十五日(金)晴
 朝六時前鯵釣りに出る。尾島横に移っているということでその方向に出てみると、かなり遠く、おととしのリョウキチと一緒に出たところ辺りに船がいる。着いた時には釣れないようで、そのまま止まらず引き返す。牛島をよりを通って祝島に向かい、少し走ったところでカモメが舞い降り鰯をくわえて舞い上がる。余り期待ももてずサガリを降ろすと、釣れる。
一時間余りで鯵が三十匹余り釣れ、鰹の小さめのが一匹紛れ込む。
 鯖と思っていたら帰りぎわ鰹とわかる。スラと思っていたのが思わぬ収穫で豊かな気分で帰る。
 帰って間もなく従妹のユミちゃんが来て、鰹で麦酒を一杯  おいしくいただく。
 親父改築作業を台風に備えて頑張っているので、形だけ手伝う。
昼寝をした後焼き物用の島の形の皿を整え、政君と雑談しながら麦酒をいただく。
 この日はなかなか夏休みらしい一日だった。オカカとも人の噂を肴に四方山話をする。
 アビキがあって磯には行かなかったのが少し残念で、うまいラーメンに胡椒が無いというくらいの一日。
 盆くどきにユミちゃんの声が流れているのを聞きながら日記を書く。
リョウキチと盆踊りをちょっとのぞいたあと、みんなでイワモトに行って、おばあちゃんに顔を見せる。子供が眠そうなのでオカカを残して連れて帰る。
 同級生のF氏、K氏に出会う。昨日はIさんに出会う。年君と少し話をする。毎年帰っているが、帰省を楽しみにしているそうだ。中一と小二の子供がいるとのこと。
 
「四方山の 噂が宵の 肴かな」
 
 
 
八月十六日(土)晴
夜中の一時頃雨が降り、改築中の土屋根にシートを敷く。
朝のんびりした後、昼まで大工仕事を手伝う。
午後ソウズイに灰を取りにいく。冬に炭焼きをするつもりで失敗して灰にしてしまったのがあるので、ゆう薬にしようと思って取りにいく。雨の多い夏で、いつもより大薮になっている。ついでにビワの葉っぱの腐りかけのを採って帰る。これも灰にして使ってみよう。採ってきた灰はシガラ、ビワ、ヤブニッケイ、ギンツウ(ムクノキ)等の木である。シガラ、ビワは祝島特有といって良い木で、おらが焼き物にちょうどいい材料である。どんな色が出るか楽しみだ。
同級生 西方の建っちゃんが来て話す。昨日息子がアコウをサビキで釣り、口を捕まえたところで逃げられたそうである。悔しそうであった。建っちゃんはおらと同じ高校で同じ下宿で同じ釜の飯を食った仲で、今船乗りである。
晩、通夜にいく。
同級生四人が寄って海亀を見ていく。通夜の後K氏のところへ行く途中ということである。
台風十三号は西に進んでいるので直接の影響はなさそうであるが、アビキがつよく磯にいけない。こんなに長い間サザイの顔を見ないで過ごす夏は珍しい。          
 
「なつかしき ほどの御無沙汰 磯の香」
 
 
         
八月十七日(日)晴 アビキ強く磯遊び不可能。
台風は沖縄の南南西を中国大陸へ向かっている。今回は五月丸の避難は不要のようである。
朝昨日の灰の水こしをしたのを新しい水に替える。
十時から子供と東の浜の水遊び。親父は大工仕事。
水遊びの後子供はイワモトの風呂にいく。夕方までイワモトで遊ぶ。お祖母ちゃんはにぎやかで喜んでいることだろう。  
午後葬式に参列。西方の建っちゃんが横に並ぶ。この夏休み一番の暑さの中の葬式だった。             れ
夕方雑木灰を保管する。素焼きを準備する。       
康っちゃんは北海道に行っていたらしい。今「上流の思想・下流の思想」という本を読んでいるのだが作者は北海道に住んでいる。
 
「打ち寄せて 引き去るアビキ 磯遊び」
 
 
 
八月十八日(月)晴
午前中親父の大工仕事を手伝う。
午後オカカと子供たちと、オカカの妹一家と磯遊び。アビキが小さくなる。サザイを七十ばかり採って焼いて食べて残りを持って帰る。オカカも子供も妹一家も磯遊びを、泳いだり釣りをしたりして楽しむ。特にオカカは磯遊びがたくましくなったと思う。一番色々楽しんでいた。ナゴジローは自由研究とやらで海藻を採っていた。リョウキチは魚を追い掛け、ユウベエは海にぷかぷか浮かんでいた。
「失楽園」を読みおわる。阿部定事件や有島武郎の自殺などの解説書的部分がある。人にはさまざまな分野でさまざま理解の仕方がある。人間は本当に極度に進化した動物である。
おらが公園にもいろんな人間がいるが久木君はいない?
 
「アビキ去り 夏が再び 磯久しき」
 

 

 

八月十九日(火)晴 完璧な夏空
子供のランニングとスズキの姿を見た後、鯵釣りにでる。牛島と祝島の間を狙ってみる。鰹一匹、ヤズ一匹、鯵一匹の後釣れそうもないので帰っていると、この前同様カモメと鰯が知らせてくれ、サガリを下げると釣れ始める。釣果鯵約二十五匹・ヤズ五匹・鰹二匹の豊漁である。十時前帰宅。
鰹二匹は珍しく、気分は盛り上がり、喜ぶリョウキチと記念撮影をする。
千葉の知り合い二人に夏のお裾分けとして鯵等を送る。
 豊かな気分でヤズの刺身で麦酒を一杯飲んで寝呆け半分で仕事場に向かう。午後仕事である。合間に素焼きをする。
  
「味若し ヤズの刺身で 麦酒かな」
                            

 

 

 八月二十日(水)晴                  
珍しく朝早くから仕事をする。昼に瓦が届いたので清水丸から下ろし、家まで運ぶ。唐草、かざきり、のし、じぶき等百五十枚。          
午後ちよっと仕事をした後博くん、ジュンちゃん、政君、紀君、ヒロフミくん、典ちゃん達とヨボシに潜りにいく。サザイを採って夕方からみんなで麦酒を飲む。博くんたち三人は政坊のところで夜中まで飲んだらしい。
            
「両腕に 夏のいれずみ サシモかな」
 
 
 
八月二十一日(木)晴
朝リョウキチが鼻血を出す。リョウキチはランニング休み。         
おらは一日中仕事。                   
 
「仕事中 おらが想いは おらが磯」
           
 
 
八月二十二日(金)晴                 
朝のランニングとスズキを見物して、この日も一日中仕事。仕事の合間に本焼きをする。オカカ達の関西旅行、明日出発の予定が二十五日に延期になる。
オカカの親戚のばあさんが亡くなったためである。涼が一番残念がっている。明日の朝スズキを狙う、ということでなだめる。
夕方ヨボシに鯵釣りにでる。小鯛一匹と鯵五匹。鯵は平鯵である。秋の気配が出てきた。
屋根にプラスチックを貼る作業がほとんど終わる。新庄大工さんの仕事で非常に早い。
 
「公園の ヨボシの鯵に 秋の顔」
 
 
 
八月二十三日(土)晴
朝五時過ぎにリョウキチと約束どおりスズキを狙うが釣れず。帰りにツットー菜園でオクラとなすびをとる。今年はオクラが豊作だ。
オクラは子供たちみんな食べる。野菜で好き嫌いが少ないのはナゴジローである。みんな少しずつ食べる種類は増えているようだ。
土屋根のプラスチック張りが終わり、ペンキ塗りも終了。
新庄大工さんの仕事は素晴らしく早い。真似をしたくなる。
午前中ごろごろして過ごす。
午後子供たちの東の浜の海遊びに付き合う。リョウキチはいつのまにか、十五メートルくらい沖に向かって泳げるようになっている。
海が三人のためにあるような中で楽しんでいるのを見て、おらもうれしい気分を味わった。
夕方ヨボシに鯵を釣りに出る。最初チダイの小さいのが六匹くらい鈴なり。その後ヤズが湧きすぐ釣れるが切れる。その後、ヤズサガリを下ろすと釣れて、あげてみると切れたサガリ がひっかかりヤズが二つのサガリにもぶれついていた。サガリはもつれてしまったが珍しい気分であった。その後鯵を十匹くらい釣って帰る。                  
帰って通夜にいく。酔っ払う。            
「もぶれつく サガリのヤズの 祭りかな」        
 
 
                           
八月二十四日(日)晴
午前中瓦を葺く。百四十枚位。改築の終了が見えてきた感じである。午前中何時になくよく働いた。  
夕方涼と波止の五月丸に出てリョウキチが釣りをするが釣れない。
珍しくリョウキチが沖に釣りに出ようと言うのでヨボシの鯵釣りに出る。
潮が良くないが暗くなり前に小鯛一匹と鯵が四匹釣れてまずまず涼をがっかりさせないで済む。    
オカカ葬儀に参列。                   
 
「初めての 沖での釣りに 小鯛かな」
 
          
                           
八月二十五日(月)晴                 
ついにオカカ・ユウベエ・ナゴジロー・リョウキチの旅行団、関西に向けて出発。 親父が見送る中をうれしそうに出発した。みんなエネルギーがあって、おらはそのことがうれしい。         
おらはほぼ一日仕事。                 
昼飯・夕飯は親父と二人。大阪からユウベエが電話。リョウキチとも話す。ナゴジロウは新幹線や車に酔ったそうだ。リョウキチはジンベエザメを見たと早速知らせてくれる。十八メートル位あったそうだ。 
晩八時過ぎに寝たら十一時すぎに目が覚め、「上流の思想 ・下流の思想」(倉本聡著)を読みおわる。環境問題についての対談集である。下流は都会と置き換えていい。上流は過疎地にあたり、いわばいつも自然を意識して生活している場所にあたる。環境問題について考える場合「上流の思想」を大切にしなければひどいことになる、というふうな事が話されていて、勉強になる本である。日頃のおらの考えも重なる。
夜中、外ではアオサギらしいのがギャーと鳴く。ファーファーといって飛んでいくのもアオサギのようである。
 
「静か夜に ジンベエザメの 便りかな」
 
 
 
八月二十六日(火)晴
朝ゆっくり起きると、親父は柳井にいっている。
一日仕事。
昨日注文した粘土が届く。
小型船舶四級免許の実技講習のボートが走っている。いい凪だ。
親父、柳井で牛肉とクジラの缶詰を晩飯用に買ってくる。
晩酌は薄切りのハムとオクラである。
 
「缶詰を つつく二人の 夕べかな」
 
 
 
八月二十七日(水)晴
久ぶりにウヤシマ、コージロに釣りにいく。ウヤシマで鰺三匹、コージロで鯵1匹とデンゴ少々の貧漁であった。
海は文句のつけようのない夏の海だった。
昼過ぎに帰ると、親父の作ったチキンライスが待っていた
なかなかうまい出来であった。缶麦酒一本。       
寝そべって「谷は眠っていた」という本を読み始める。倉本 聡著。富良野塾創設時からの記録である 
余った板など親父と片付ける。親父はよく働く。     
夕方ターの水槽の水替えを親父とする。         
オカカからの電話。二十九日に帰ってくるとのこと。子供たちは元気に遊んでいるようである。             
晩飯は鯵の刺身とオクラを肴に即席穴子飯である。昨日からは食後に千葉の梨が付き始めた。
夜業で焼き物の花瓶の形を作る。オカカにあげようと思って作ると太いものになった。和歌山でよく人の家の飯をたくさん食べているのだろう。                  

 

「寝そべって 読み出した本に 揺さ振られ」
        
 
                            
八月二十八日(木)晴                 
朝五時過ぎに起きてスズキを狙うが気配なし。       
六時すぎに長磯の木村果樹園にいってみると大薮になっている。キューイと柿が二〜三十個成っている。        
なすびで朝食後、おらが宿題の、唄を作る。詞の方は二十一日に仕事で出て、人の話を聞いている最中に一番が思い浮かんで、帰りの定期船の中で二番・三番が加わったものである。  
 曲名は「子供たちの夏」である。子供に聞かせるのが楽しみだ。二十何年か前の穏健な若者風の唄である。
十時過ぎに磯からの贈り物をいただきにいく。
トビイシに今年初めて潜るがセトガイが増えているのがうれしい。これから大きくなりそうなのが瀬にたくさんついている。セトガイ一ダースくらいとサザイを五十くらいいただいて帰る。魚ではコブダイの子供やメバルの立派なのがいた。なかなかふくよかな磯である。
帰ると親父が風呂を炊き、弁当を買ってくれている。真っ昼間に風呂に入り、缶麦酒を飲む。
午後夏休み最後の素焼きを始める。
晩飯は卵丼。肴はセトガイと昼の残りのてんぷらとオクラ。
オクラはこの所の日照りで毎日7つか8っつずつ採れる。
「谷は眠っていた」を読みおわる。愛ちゃんかヒロシくんか典ちゃんに進めたい本である。ある種のエネルギーをある種の人に与えてくれる大変いい本だと、おらは思う。この本
のおかげで、次のおらが夏休みを少しでもレベルアップしてみたいと思う。
 
「トビイシの セトガイ息吹く 海牧場」
 
 
 
八月二十九日(金)晴
朝ランニングを見にいったあと、五月丸の船たでをしようと東の浜に回す。船のさびを落としたり、船底をこすったりした後、船底塗料を塗る。午後仕事で昼のわかしおで出なくてはいけないので、なかなか忙しい午前中だった。
帰りのわかしおで久しぶりにオカカと子供たちの顔に出会う。
リョウキチと波を見ながら祝島に帰る。
帰って五月丸をいつもの場所に移動する。きれいになっている。シャフトの亜鉛も新しいのを付けてもらう。
 
「東大寺 大仏の鼻 狭きユウベエ」
 
 
 
八月三十日(土)晴                  
 離島青年会議という集まりに出るので朝便で出発。     
 蓋井島に昼すぎに到着。初めての島である。切り立った断崖が多く、人家のあるところだけがなだらかな感じがする。荒々しい日本海に浮かんでいる厳しさが漂っている。  
青年になっていろいろな人を眺める。青年になりきれず過ごした感じではある。                   

 

「着くまでに 酔って暑さの 吉見港」          
                           

 

 

 八月三十一日(日)晴                 
 昼に祝島に到着。昼寝。               
 夕方涼と鯵を釣りにヨボシにでる。             
 チダイ・小鯛・ヤズを合わせて十四匹。リョウキチまずまずの喜び方。ヤズがこの前より一回り大きくなっている。餌が豊かにあるのだろう。夏休みの最後を小さいながらも鯛やヤズの刺身でしめくくれて、まずまず。                     
                            

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