荒俣宏の不思議歩記あるき

毎日新聞 2003年8月9日夕刊より

萩の博物館
 田中市郎の貴重な標本


 山口県萩市を観光した時に,思いがけぬ発見があった。ここには博物学の伝統があったのである。
 萩といえば,吉田松陰はじめ幕末の志士たちの生家が隣り合っているという途方もない街だ。観光客の目もついついそちらへ引っ張られてしまうのだが,ここの市立博物館は歴史文化系でなく理科系の出自をもっている。そもそも萩の博物館の始まりは,私設「田中博物館」だった。館長の田中市郎は明治10年生まれ。長じて旧制萩中学校教諭となり,博物科の講義を担当した。かたわら魚市場に日参して数々の珍魚を発見し,標本を作成したのだが,日本海では初記録といわれる貴重な種類がたくさん含まれていた。昭和12年,念願の私設博物館を土原に建設した田中は,ますます博物学研究にのめりこんだのだが,熱中しすぎたためか風邪をこじらせ,昭和21年に亡くなった。市は収集品の寄贈を受け,あらためて熊谷町に科学博物館を設置することにした。これが現在の「萩市郷土博物館」である。
 海産生物がお好きだった昭和天皇もわざわざ見物にこられたというから,田中市郎の収集品は日本じゅうに知れわたったにちがいない。たとえば中国地方では未発見だった熱帯性のヒメハルゼミを,初めて採集したときの標本。コイワシクジラの腸内から初発見された,長さ10mを超える「サナダムシ」の仲間。甲幅15pもある巨大マツバガニ。しかし何といってもすばらしいのは,深海魚リュウグウノツカイの完全標本だろう。萩の越ヶ浜で大敷網を仕立てると,ごく稀に美しいこの珍魚が獲れる。長さ80p以上,タチウオのように細長くて銀色に輝き,長い鰭は深紅色に染まっている。この魚は駿河湾でもときに獲れるが,尾の先までついた完全な標本はほとんど得られたことがない。他の魚が寄ってたかって後半身を食べてしまったり,網にからんで切れてしまうからなのだ。だから,リュウグウノツカイの写真や絵は,たいてい後半身が欠けている。
 ところが田中市郎は,地元の地引き網にかかった完全無欠の標本,をついに手に入れた。昭和16年のことである。この標本が当時どんなに珍しかったかを示すエピソードがある。朝鮮総監府の下で魚類を研究していた内田恵太郎博士が,わざわざ海外から写真を恵送されたいと書簡を寄こしたほどなのだ。魚学の権威だった蒲原稔治博士も,写真を見て,「この魚の全身はこうなっていたのか」と感激したという。
 さて,リュウグウノツカイの全身構造が分かってみると,次の謎は,この魚が海中でどのように泳ぐか,ということである。なにしろ蛇のように長い。1911年にドイツのシュレジンガーが,「これはウナギのようにクネクネと泳ぐはず」と仮説を出した。
 しかし1960年代になって日本海の新潟で魚類研究を行なった西村三郎博士は,筋肉のつき方から推理して,海中にまっすぐ斜めになって泳ぐとの新説を出した。この種は浮袋がなく体も重いので,放っておけば沈んでいく。そこで,長い背びれを動かして斜めに立ち泳ぎするのだ。1990年,西村博士の仮説はダイバーが撮った海中ムービーにより証明された。田中市郎が萩に残した完全な標本は,来年新設される市立博物館で展示公開されるという。


(作家,評論家)


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