祝島日記 2005年3月 2月の日記帳へ
3月1日(火)晴れ 凪
ナンバのオバンが柳井行き。ヒロコおばさんとデートである。
明るい日射しの日が続きだした。週間予報では週半ばに寒波か来るようである。それ以後はきっと本格的な春になることだろう。
文彦君の家の方から、タケノコの皮の採り方・作り方を聞いてきて貰う。今度竹藪に行ってみよう。文彦君は子供時代に弁当のにぎりめしを竹の皮に包んで貰っていたらしい。文彦君は大変進取的なのであるが育ちはクラシカルなのである。
夕方家に帰るとリョウキチが風呂を焚いてくれるというので、ナガイソまで走ってくる。帰りに孝君がヒジキを採っているのに声をかける。帰ると風呂が焚けている。五右衛門風呂を焚く中学生はなかなか貴重な存在だなあと、風呂あがりに麦酒を飲む。
3月2日(水)晴れのちうす曇りのち雨 凪
去年やれなくなっていた蹴上がりが、何回かやっていると久しぶりにできた。気合いとタイミングだ。気合いが入らないと力が出ない。昼休みにリョウキチが証拠写真を撮ってくれた。
晩便でヒロコおばさん帰島。難波のおバンは、眼鏡屋さんの話がのどりにいって(納得できて)、補聴器をつけることになったそうである。
夕方ナガイソで暗くなるまで少し作業。
3月3日(木)曇り 凪のち西風
小学校再開校で、祝島自治会、婦人会の方達で小学校、運動場の整美作業。100人くらいの人が上がり、島民パワーで、小学校が綺麗になる。ヒロコおばさんはトイレ担当だったようである。そのあと、婦人会関係で上関に出張だったそうて゛なかなか忙しい一日だったようである。
夕方ナガイソに行き小雨の中少し作業。
おヒナさんを3〜4日前からヒロコおばさんが飾っている。今日は桃の節句。
3月4日(金)晴れたり曇ったり時々みぞれ 西風
上空に寒気が乱れ込んでいるようで、晴れ間が出たりみぞれが降ったりする。明日から2日ばかり寒い日になりそうである。
夕方ナガイソまでゆっくりランニング。
3月5日(土)晴れたり曇ったり時々雨 朝凪すぐ西風
一日中ナガイソで作業。屋根に波板を打ち終わる。風は冷たかった。
熊本から先日バンペイユが届き、隣のさと君、ひろ君達と記念撮影。カメラマンはヒロコおばさん。
晩飯は久しぶりに木村家特製にぎり寿司風。
3月6日(日)晴れのち曇り 西風
一日中ナガイソで作業。壁板を一面打つ。一面分しか板がないので、壁板打ちはそこまで。仕上がりは3月いっぱいかかりそうである。とりあえず真上からの雨はしのげるようになった。まずカンリキを置く。昼間は日射しが温かかった。
3月7日(月)晴れ 凪
昼便でリョウキチ明日の受検に出発。祝島は泊まり込みで受検に行く。ヒロコおばさんも一緒に柳井に行く。
夕方ナガイソまでランニング、作業を少しして帰る。帰りに孝君に会う。ヒジキの新製品を作ったと見せてくれる。
晩に朝市の集まり。18日にやることに決定。皆さん忙しいようで、彼岸のおはなをメインにあとは出せるものを出すと云うこと。
集まりからの帰り道、タッチャンはハナグリで4.4kgのスズキを釣ったと言っていた。オキヤマだったらしい。
3月8日(火)晴れ 凪
リョウキチ受験日。受験生最終日である。
「日本の漁業」(岩波新書)と言う本を読んでいるが、いい本だと思う。2回目なのだが忘れている。リョウキチもちらちら読んだはずである。
夕方遅くに釣りに出る。アジ3匹。明日の刺身だ。今日の肴はこの前の鯛が残っていた。
リョウキチから受験無事終了したと留守電に入っていた。
いい天気で、ソーラー温水器がほぼ入浴可の程度になってきた。
3月9日(水)晴れ 凪
リョウキチ、昼便で帰島。難波のおバンも久しぶりに帰る。
夕方、釣りに出る。アジを5匹。
3月10日(木)晴れ 凪
夕方、釣りに出る。アジを5〜6匹。タイはなかなか釣れない。
3月11日(金)曇り 西風
ヒロコおばさん、久しぶりに帰島。
壁用の板が到着。
3月12日(土)曇り 西風強
雪がちらつく。終日ナガイソの小屋作り作業。屋根部分がほぼ終了。
3月13日(日)曇り 西風
冬がまた帰ってきた。一日中ナガイソで作業。壁板が打てるようにする。
めぐみさんが生け花の師匠さんと卒業式用の生け花を活けに来島。
3月14日(月)晴れ 西風
朝、山に所々雪が見えた。西風は夕方にはほとんど弱まった。
夕方運動場でランニング。
3月15日(火)曇り 凪
リョウキチとヒロコおばさん、朝便で柳井行き。高校生になれることになった。手続を終えて、帰島。散髪。スポーツ刈りにしている。
3月16日(水)晴れ 凪
卒業式の準備完了。
徳島の藤川君から電話がかかる。大学時代の水泳部の同僚である。忙しいようである。去年の台風は徳島でもひどく暴れたそうである。
ホームページを久しぶりに見て、休校などのことを知り、電話をくれたという。懐かしい。40数年ぶりに聞く声だが、声は若々しい。藤川君は坂本龍馬が好きだった。あの頃、「竜馬が行く」と言う番組もあった。おらはテレビがなかった。ラジオもなかった。水泳パンツはあった。下駄はあった。ノコとカンナもあった。
3月17日(木)雨後曇り 南風のち西風
朝、ヘルペスが出かかっている様子。
祝島中第56回卒業式。リョウキチ第2160号。さつきちゃんが朝便で雨の中を来てくれる。哲ぼんさんが見てくれたら泣いてくれそうな卒業式だった。「蛍の光」の1番はヤッチャンが一人で、「仰げば尊し」の1番はリョウキチが一人で歌った。良い歌だった。勿論送辞はヤッチャン、答辞はリョウキチである。
式のあとソフトバレーボールをする。上を見上げるので、クビが草臥れた。
3月18日(金)晴れ 西風
夜中に西風が強かった。
クビがフカヤだ。
リョウキチとヒロコおばさんは昼便で柳井に行く。ヘルペス治療。
3月19日(土)晴れ 凪
終日ナガイソで作業。周りの壁板を打ち終わる。大宝丸さんと松漁丸さんがやって来て、台風対策を話していく。チン(チェーン)の利用である。
ヒロコおばさんとリョウキチが帰島。
3月20日(日)曇り 凪
ソーズイに炭をとりに行く。バーベキュー用。帰り道に平さんと話をする。橋部さんがよその夫婦を案内してきていた。
昼便で哲ぼんさんとみっちさんが来島。長磯の小屋にも行ってみる。
16時過ぎからバーベキュー。材料や麦酒は哲ぼんさん達が持ってきてくれる。菜の花の中で食べる。段々冷えてきて寒くなる。哲ぼんさんは星座をよく知っている。
家に帰って、持ってきてくれたぜんざいや持参の豆腐での湯豆腐も作って出してくれるが、おらは満腹で、あまり手がでなかった。文旦やチョコレートなどで食卓がいつも賑やかになる。
3月21日(月)晴れ 凪
五月丸の船たで。黒磯さんに上げるのを手伝って貰う。船底にフジツボやアオサが沢山付いていて、皆さんたまげる。1年以上船たではしていないのである。リョウキチ、ヒロコおばさん、さと君、ひろ君も昼まで手伝ってくれる。昼飯は弁当をモチドの浜で食べる。
午後は一人で、船底塗料塗り。イケマの中もカナダワシでこすり、なかなか綺麗になる。夕方にはヒロコおばさんがやってきて、船名や登録番号のかすれたのを黒のエナメルでなぞってくれる。
3月22日(火)雨 南風夜西風
朝便でリョウキチは目医者に行き、昼便で帰る。昼便でヒロコおばさんは島を出て、広島へ行く。
一日中雨模様。ロクロを家に持って帰る。明日か明後日トラックが車検に出る。リョウキチと浜のカヤックを学校に持って上がる。
3月23日(水)雨 凪
朝、予想に反して雨が降っている。
夕方前、釉薬などをナガイソに運ぶ。小屋(倉庫)活用第一弾。リョウキチ小屋初見。今回は小屋作りを手伝っていないのである。なかなか良いとほめてくれる。
3月24日(木)晴れ 西風強
ヤッチャンが発熱。
リョウキチ柳井行き。
3月25日(金)晴れ 西風強
リョウキチ仮入学。帰ってきての印象は「寒かった」。
夜、お別れ会。文彦君ビールびんを持って記念撮影。
3月26日(土)晴れ 凪
先生方が清水丸での引っ越しの日。その便でおらは軽トラを車検に持っていく。初めてと言っていい、本州の運転である。大島までドライブをした後、車検に出す。自転車を積んで行き、柳井までの帰りは自転車で途中周東病院による。アパートでナゴジローと昼食。晩便で帰る。マーティンが祝島に別れの挨拶に来ていて、出港を見送る。たみちゃんがトイレットペーパーを持ってきて、別れのテープ代わりに風に舞わす。
3月27日(日)曇りのち雨 凪
終日長磯の小屋。午後雨が降り、びしょぬれで帰る。ヒロコおばさん晩便で帰る。ユウベエの引っ越し完了。
3月28日(月)雨のち曇り 凪
一日仕事場。雨模様だと少し神経痛気味になる。
ディナーだなあと宗谷岬のハンバーグをいただく。
3月29日(火)薄曇り 凪のち西風
島を出る準備などをする。
3月30日(水)晴れ 西風
朝、ウヤシマに今年度最後の釣りに出る。タイ1匹チダイ1匹、ネバル3匹。帰りに西風が強くなる。
来年度は小松開作の住宅に住むことになる。
3月31日(木)晴れ 凪
挨拶回りを島と上関の方で終え、田布施に軽トラを引き取りに行く。文彦君の車に乗せてもらう。
軽トラで高校の時の下宿に昨日のタイを持っていく。留守だったので置いておく。夕方電話をしてみると、おらが置いたとわかったようである。柳井に泊まる。